第89話 点描5 大軍の指揮
バディ王国が滅びた今でも、人はボルタを「将軍王子」と呼ぶ。
「オレの騎馬隊は、無敵とは言わないが、どんな敵であろうとも同数で負けることはありえない。苦戦させたいなら三倍連れてこい」
三大強国の王族であり、自ら王国騎士団を率いて戦闘経験も豊富な彼は、常々、そう言っていたという。
「大王様の偽兵の計に破れさえしなければ、私は最強であったのだろう」
クルシュナ王に臣従してからも優秀さを見せつけていた。今回も、かつて無い大軍を率いるため、演習を繰り返してからコフにやって来る慎重さも持っている。
生まれ、育ち、そして才能。全てを満たしていたボルタにとって、決定的に欠けているものがあった。
「大軍の指揮経験」である。
ボルタは言う。
「戦場での兵はオレの手足よ。意のままに操って敵を砕く。兵こそ我の拳よ」
かつて率いたバディ王国軍3千を彼の意のままに動かした。
しかし千人の指揮と、万人単位の指揮とでは意味が全く異なる。演習ならまだしも、本物の戦場において、その差は大きすぎた。
このあたり、サスティナブル帝国で皇帝へと駆け上がった「ゴールズのショウ」とは対照的だった。ショウは実に上手く乗り切った。それは国軍を預かるエルメスが、計画的に指揮の経験を積ませてきたことが大きい。
もちろん、ショウ本人がベトナム戦争で米軍が経験した「命令には経験者を噛ませないと齟齬が起きる」と知っていたおかげでもあった。
早い段階で意識的に命令系統を経験者に任せ、ベイクやミュートを使ってきたのは大きい。
ボルタの、そして幕僚達の経験不足は大きかった。
「歩兵を出せ」
副官は、直ちに手配した。
「戦闘中止。歩兵と交代するために下がれと伝えよ」
「「「「「「はい!」」」」」」
敵の矢をものともせず、最前線への命令伝達という危険な任務をこなすのは男爵家の次男以下。まだ少年の面影を残す者も多い。
伝令達が勇んで馬を走らせたあと、ボルタは小さな声で副官に聞いた。
「命令は間違ってないな?」
命令一つ伝えるのも、多数の伝令を使って、時間もかかる現実。
ボルタに焦りが生まれたのは事実だ。
『俺が動けば兵も動く。手足のように――そう思ってきた。だが……万を超える軍は、まるで違う生き物だな』
一抹の不安感を出す大将に副官は大いに褒めねばなるまい。
「はい。殿下…… いえ、閣下の戦場における卓見、感服いたしました」
副官は、褒めねばならない。しかし「歩兵を出せ」の命令は明らかに間違いだった。大軍の戦闘中に「騎馬と歩兵が交代してね」と言っても簡単ではなかったのだ。
・・・・・・・・・
優秀な伝令係は、奮闘を続ける最前線に勇敢に飛び込んでくると、小隊長に向かって叫んだ。
「攻撃中止! 下がれ!」
しかし、小隊長達は受令の合図を送るどころか罵声を返した。
「どこにだ! 下がる場所なんてねぇだろ!」
「なんだと? あっ! 歩兵が詰まってる」
「オレたちが破った壁から入るんだから、当然だろ。どーすんだよ!」
「歩兵を下がらせれば」
「伝令のお前さんが命令できるのか!」
出来ない。伝令係が前線で勝手な命令などしたら死刑である。
プルプルと首を振った伝令は、少年の顔に不安を浮かべた。
『まだガキじゃねぇか。どこぞの男爵の三男坊あたりか?』
小隊長は、育ちの良い、まだ少年である伝令係を脅したことになる。少しだけ申し訳なく思った。
しかし命令には命がかかるものだというのも事実。
「わかったら早く本陣に戻って、無理だって説明してこい!」
「はいぃいいい!」
磨き抜かれた鎧と共に、馬に鞭を入れて慌てて去って行く。見送る小隊長は「次は、チャンとした命令を持って来いよ」と心中で毒づいていた。
あるいは、別のベテラン小隊長は、少しだけ違った返事をした。
「戦場の混乱にて、それは聞こえなかったことにする」
「抗命するつもりか!」
「なあに、下がる場所などないだけだ。よって、その命令はオレたちに届かなかった。いーから本陣に戻って聞き直してこい!」
「命令を伝えたんだぞ!」
まだニキビのある伝令はとっさに、剣の柄に手をやった。
伝令の言うことを「聞かぬ」という小隊長を、切り捨てようと考えたのは、若さゆえのことなのだろう。
しかし、その眼前に、たちまち槍が突きつけられた。
「現実に合ってねぇ命令は聞こえねぇな。おい、どうする? お前、前線で敵の槍が当たったことにするか? よくあるぞ、最前線に来た伝令が敵に殺されるのはな」
「ひぃいい! お、覚えてろ、本陣にいいつけてやる!」
「あぁ、おととい、来やがれ! 待ってるぜ!」
最前線は大混乱である。
・・・・・・・・・
そんなやりとりが最前線のあちこちで行われているのは知らずとも、ボルタの優秀な戦術眼は、最前線が大きく乱れたのを、いち早く発見した。
「ん? 兵の動きがおかしいぞ?」
「確かに」
「あそこも、ここも、あっちもだ」
「動きがバラバラになったようにも感じます。いったい何が起きたんでしょう?」
「それを確かめるのがそなたの役目であろう」
ボルタはとっさに怒鳴りはしなかった。しかし、自分の命令通りに兵が動いてないという、かつて無い体験に、大きく戸惑い、怒りを覚えていたのは確かだった。
そこに伝令係が血相を変えて戻ってきた。
「閣下! 下がれません!」
「なぜだ!」
ボルタの代わりに叫んだのは副官である。
しかし幕僚たちが「なぜだ?」と思ったのは、まさに経験不足の露呈であった。本来、この時点で「歩兵との隙間がない」ことに気付かねばならないのだ。
伝令係は、己の目で見た現実を奏上せねばならない。
「歩兵との空間が狭過ぎます。歩兵を先に動かさねば下がる場所がないのです」
「それなら、お前がその場で、あっ…… いや、ちょっと待て」
副官が口をつぐんだのは優秀ゆえだ。「お前がその場で下がらせれば良かっただろう」と言いそうになったのだ。
しかし伝令役が勝手な命令など出来ない。伝令係が指揮官のところに戻り「命令実行は不可能」を伝える必要があるのが軍というものだ。
その狼狽えたやりとりを見ながら、一番焦ったのはボルタ自身だ。
「なぜだ……」
部隊が命令通りに動かない。いや、動けない。
束の間、目がくらみそうなほどの焦りを感じたボルタよりも、副官の方が先に現実に戻った。
「大将。歩兵に下がれとご命令を」
「その程度のことを、なぜ、自分で判断できん!」
怠慢であろう!
ボルタの怒りが爆発しそうだ。こんなバカなコトがあるか。なぜ、命令を聞かないのだとしか思えなかった。
「判断できるものもおりましょうが、なにぶん、兵が多すぎますので」
いち早く冷静になった副官は、噛んで含めるように言わねばならない。
「大軍ゆえか…… まさに隔靴掻痒」
「手間がかかりますが、いったん歩兵を下がらせましょう」
「しかたあるまい。歩兵に下がれと命令を出せ」
それを聞いた幕僚の一人が「伝令役、まだ戻ってない者もおります。いかがいたしましょう?」と叫んだ。
いち早く戻った者、現場で一緒に慌てる者、あまつさえ、最前線の小隊長と命令を聞け、無理だと喧嘩になった者もいた。
「ぐぬぬ。多すぎたのか? 人が多いと、こうなるのか!」
副官も参謀も、ボルタの呪詛にも近い独り言を聞かぬことにした。
伝令が揃うまで、ボルタも身動きが出来ないことを知ったのである。
・・・・・・・・・
最前線にいるのはベテラン小隊長ばかりではない。下位貴族出身の「若く、やる気に満ちた小隊長」は、ただちに命令に従ってしまった。
「小隊長、なんで攻撃を止めるんですか!」
「命令だ。とにかく攻撃中止。防御だ。身を守りつつ下がる」
「守れっていっても、オレたちが何もしなきゃ、一方的に、わっ、ヤバいっす。小隊長。下がる余裕なんてないんっすよ!」
「うわっ、ヤバいっす。これ、ぎゃっ!」
「もう無理、隊長、少しでも反撃しねぇと、ヤラレ放題だ、ぎゃああああ!」
城壁越しに「打ち放題」を演じている相手に対して、攻撃を止めてしまえば袋だたき状態である。
まさにサンドバッグ。
攻撃を中止した隊は、この時の混乱で半数が落馬の憂き目に遭うのである。
後で調査したところ、ボルタ大将旗下の騎兵の損耗は、このタイミングで最も多く発生したことがわかっている。
全ては「大軍の指揮」がわかっていなかったためだった。
この時の大混乱は収拾がつかなくなるほどに拡大していった。
守るサスティナブル側は、勝手に混乱していく敵に唖然としていたほどだ。
「これは、シータ様は必要なさそうですな」
ギーガスは、首を少しばかり捻りながら確認をする。
「うむ。息子も残念がるであろうな」
本来、ここでシータ率いるターゲット騎馬隊が縦横無尽に敵包囲網の外周を刺激することになっていた。敵の主力となる騎馬隊を引きずり回し、日没までの2時間を稼ぐつもりだったのだ。
パールが「一刻保たせよ」と命じたのは、これを含んでいたからだ。
しかし、敵は完全に自滅。大混乱となったボルタ軍に対して、これ以上の手出しは無用。
結局、敵は大きく全体を下げることで混乱の収拾を図るしか無かったのである。
すぐさまギーガスは「作戦中止」の狼煙を上げさせた。
シータは、どこかでこれを見て「チッ、出番は明日か」と不機嫌な顔を担ったはずだ。
一方で、ハコネ山の山頂に立つパールとギーガスは稜線に隠れていくお日様を浴びながら、大きく後退していく敵を見みつめていた。
あらためてパールは「ヘンなことになったな」と首をヒネる。
「とりあえず、自滅してくれた形ですね」
「ふむ。やはり大軍となると、慣れぬものなのかもしれぬな」
城攻め初日は、こうして幕を下ろしたのである。
しかしパールは一向に楽観などしていない。敵は、まだ慣れてないだけかも知れない。
その証拠に……
「ギーガス?」
「はい。何かございますか?」
「連中は、あれほど混乱していたのに……」
パールの目は、黒々とした土を見ていた。
瞬間、ギーガスは隊長の意を理解したのだ。
「そうですね。敵は誰も置いていきませんでした」
敗走した戦場にありがちな「取り残された死体」など一切なかった。
「連中は、まだまだ余裕がありそうだな」
「御意」
二人の表情に、緩みは無かったのである。
通信機器もない世界で大軍に命令するときの難しさは、今までも度々出してきました。まして戦闘中の命令変更は至難の業です。
もしも、この時の命令が「順当に」行くにはどうすれば良かったのかというと……
1 歩兵隊に「下がれ」と伝令を出す。
2 「攻撃中止」「下がれ」を騎兵の小隊長たちに伝える。
3 歩兵小隊長に騎馬隊と持ち場を交代して攻撃位置へ行けと伝える。
4 攻撃開始の命令を待って、攻撃開始。
最も単純にしてもこの順番は必須でした。
しかも、歩兵の小隊長に「騎馬隊と持ち場を交代だ」と伝えても意味をなさないんですよね。だって「具体的にどこに行けば良い?」のかサッパリわからないからです。




