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第58話 第2次アラモ砦攻防戦 前

 帝国一の歴史小説家であるサトウ・フィールド・シチミ。


 そのライフワークとなる『サスティナブル王国物語』の続篇である『サスティナブル帝国物語』・南部編において、アラモ砦攻防戦を次のように語っている。


・・・・・・・・・・・

 南部編 第4章 途中より 


 ……それまでの全方位対応から、ショウはハッキリと態度を変えた。


 皇立学園の卒業式で発言したとおり、帝国は大陸統一の決意を明確に示したのである。よって、大陸統一戦の終盤とは、第2次アラモ砦攻防戦から始まったと言えるだろう。


 サスティナブル帝国にとってはシーランダー王国が最大の、そして残された唯一の関門であったことは論を待たないであろう。


 帝国は大包囲網を作り上げようとしていた。


 新たに創出した海軍が南から東に回り込む。

 西側はオウシュウ(旧ガバイヤ)から。

 そして、北側は本国から。


 もちろん帝国の主戦力はゴールズを中心とした本国軍である。


 主戦力を敵の中枢にぶつけるには、常に橋頭堡を作るのが必然である。この大戦(おおいくさ)に於いて、それがファミリア平原に作る中継点からアラモ砦にかけて築かれた大補給基地であった。


 一方、シーランダー王国側から見ても、巨大な敵が主戦力を投入する場所はわかっている。侵入ポイントがわかっている以上、なんとしても塞ぎたいのは当然だった。

 

 必然と当然のぶつかり合いこそがアラモ砦で行われた二度の戦いであったというおとだろう。


 この砦を巡る二度の戦いは、どちらもショウが不在であったことは特筆すべきことだが、けっして偶然などではないと思う。


 シーランダーは政治的決定について文章を残さない悪習を持つ国である。だから「アラモ砦戦」についての意志決定も書類は残っていない。しかしながら、若くしてサウザンド連合王国を統一した「黒太子クルシュナ」である。しっかりと状況を見きわめて、ショウのいないタイミングを見極めていたに違いないのだ。


 ここで、歴史学者でもなく、まして戦場にも縁の無かった一介の物書きでしかない女の私が、声を大きくして言いたい。


 長く歴史を見つめていれば、ただの女だって、いや女であるからこそ戦争の勝ち方がわかるのだと。


 それは「敵の最大戦力を無力化する」ことだ。


 なにをわかりきったことを、と歴史学者も軍人も言うだろう。だが、わかっていることと、実際に意識できることは全く違うのだ。


 その意味に於いて、クルシュナはサウザンド連合王国を統一しただけの英雄であった。戦略眼に長けていたと言えるのだろう。


 一方で、ことアラモ砦に関しては「守る」側であったサスティナブル帝国である。


 どんな資料を何度、どのように読み返しても、アラモ砦の状況は不可解すぎるのだ。情勢が許さない部分を割り引いても、ことアラモ砦に対してだけは、これまでの「兵は神速をもって尊ぶ」式の行動が全く見られないのだ。


 どう考えても、この二度の戦いは他と違いすぎる。


 たとえば、第1次アラモ砦攻防戦は「砦の16人」による奮戦譚である。


 戦いの帰趨を決める下級兵士達の英雄的な活躍は、現代において何度も映画化やビデオ化がなされて我々もお馴染みである。


 血湧き肉躍る戦いであることは確かだ。


 しかし軍事的に言えば、最高指揮官の不在のせいで起きた失態を現場の兵士の犠牲によって勝つことができただけ。


 これは軍としては失敗談そのものなのである。


 軍事に関して天才ぶりを見せつけたショウも、政略の天才ベイクドサムも、戦術の天才ミュートも健在である。それなのに、どうして、このような事態になったのか?


 どうにも答えが見つからず、私は連日、呻吟するハメになったわけだが、ふっと目を上げると、おそらく、皇帝となったばかりの頃に描かれたと思われる肖像画と目が合ったのである。

 

 ご存知のように、追いかける人の資料を徹底して集めてしまう私である。机には、古書市で買ってきた、当時市中に出回ったであろう皇帝の似顔が幾つも並んでいる。


 パッと見ると、明らかに少年の頃の面影を残したショウだ。今日で言えばハイスクールに入るかどうかと言うあどけなさ。


 はにかんだ笑顔を浮かべる少年は、図書館の端で静かに本を読んでいたのだと言っても信じてしまいそうなほどに優しげだ。しかし、机に置いて日がな眺めていると、戦いの中で生きてきた者特有の厳つさを感じるのは不思議である。


 南部編を書き始めてから、そんな少年皇帝に向かって、私は心で何度も問いかけてきた。


「アラモ砦の第1次は、わざと手抜きをしたんですか?」と。


 恐らく少年皇帝は、不躾な指摘をされても「いやぁ、参っちゃうよね、実際」と頭をポリポリと掻いて誤魔化すのだろう。少なくとも怒り出すことなどないと思える。そして、こう答えるのではないだろうか。


「失敗することもあるさ」


 最近は、そう答えている若き皇帝陛下の顔ばかり浮かんでくるのであった。


 よって、皇帝陛下の失敗の話を追う気が薄れた私は、第2次に俄然興味がうつったわけだ。


 けれども歴史的に見れば、実に面白みのない戦いであった。


 だが、何事も本気で調べてみるものである。いくつか気付いたことがあった。歴史の偽りと、真実。そしてアラモ砦攻防戦における「伝説」の真偽がわかった気がしたのだ。


 それでは、一人の指揮官による極めて地味な戦いの成立という命題を一緒に追っていただきたい。


 戦いは四月十三日の夜明け前に始まった。


「ふぁいやー!!!!」


 と言う叫びとともに外壁の「外」に火がついた。燃えたのは四十名の決死隊が運び込んだ2トン近い干し草であった。


 映画や小説では、この声がシーランダー国王のものだということになっている。


 声がクルシュナ王のものであったという証言は、捕虜となった複数が証言したという事実はミュートの残した報告書にもキッチリと書かれているからだ。


 しかし、多くの歴史学者達は真面目な顔で「これは創作である。決死の奇襲攻撃を国王自らが指揮するはずが無く、まして夜襲で叫ぶことなどありえない」と論評してきた。


 だが、いくつかの理由によって、この伝説が真実であると私は確信しているのだ。


 一つは軍師ミュートの記録癖だ。


 優れた軍人には感覚派と論理派の二つのタイプがあると考えるが、ミュートは高度なレベルで両立している天才なのである。


 彼が参謀達に画板を持たせて作戦中も記録をつけさせたのは有名だ。さらに戦の後は互いに点検させて記録を完璧にしてから清書までして残したのだ。


 それほど記録をつけることに固執したのである。


 もしも捕虜から聞き取った内容を「デマ」だと思ったら、書き留めることは絶対にしない。私は後の世に偉大となった碩学(せきがく)よりも、リアルタイムの軍事の天才ミュートが記録したという事実を信じようと思うのだ。


 そして、もうひとつの理由はクルシュナ王の性格である。


 目立ちたがり屋で、新しいことや珍しいことに目がない性格だ。しかも、使った新兵器は自らが発案した上に、最初の実戦使用である。


『王様は自分で見に来たかったんですね?』


 そんな風に声をかけたくなる。敵ではあるが、何とも微笑ましく感じてしまうのは遠い過去の人間に対して憐憫(れんびん)のようなものだと、お許し願いたい。


 クルシュナ王の性格なら、いてもおかしくない。

 最初に鬨の声を上げるのがリーダーであることも慣例としてはおかしくない。


 それであっても夜襲であるのに声を上げるバカはいない、というのが現代の学者や軍人が「ふぁいやーデマ説」を信じる理由だなのである。


 私は、クルシュナ王の案外と憎めないノリの良さを考えると、ついつい、突っ込んであげたくなるのだ。


「思わず、嬉しくなって声を出しちゃったんじゃないですか?」


 天国に行ったら尋ねるのを楽しみだ。ただし、彼に会えるのが天国ではなくて地獄である可能性があるのは、我ながら残念なことではあるのだが。


 ともあれ、クルシュナが叫んだ「ふぁいやー」で、後に第2次アラモ砦攻防戦と呼ばれる戦いが幕を開けたのであった。


 炎に気付いた城兵が「敵襲!」と叫んだのは、ほぼ同時であった。


 いささかの緩みもない守備隊の見張りが厳であったことがうかがえた。


 実は砦の防戦体勢は十分過ぎるほどだった。ムスフスら遊撃部隊の目撃情報とミュートによる情報分析の結果、軍師ミュートが奇襲を見破ったからだとわかっている。


 実際、その日の砦は特別警戒態勢に入っていたのは事実だ。今日、軍の記録室には当日の各部隊に渡されたマニュアルも残っているそうだ。


 いまだに「軍の機密」ということで見ることは叶わなかったが「火災対策」が十分になされていた、と言う回答は軍の記録部から得た情報である。


 この辺りは、さすがミュートというべきなのだろう。


 そして、特筆すべきはもう一つ。敵が新兵器で奇襲を仕掛けてくることを司令官自らが予想していたこと。さらに、それがガスであろう(当時は毒ガスという言葉が無いため霧と言ったらしい)ということまで予想したと議事録には残っている。


 司令官ノーチラスは優秀ではあっても、それまでは完全な文官だ。この辺りは芝居ではあるまいし「できすぎ」のきらいがある。


 おそらく「箔付け」でミュートが仕込んだというのが今日の学説の大勢である。


 しかし、私は案外とノーチラスの応用能力が高さによって、導き出した可能性があると思っている。


 その証拠に、司令官はあらかじめ決められたマニュアルを越えた命令を出しているのだ。


 もちろん、防衛指令書の実物は見せてもらえないので、回りくどい確認しかできないのが隔靴掻痒の感だ。


 多くの兵が「ビックリした」という命令を日記に書いてあるのだ。


「外壁に火災が起きたら、ただちに逃げ出せ」


 兵士達は、半信半疑ながら「逃げよ!」という命令に従ったのであった。


 一方壁の外でも、同じ叫びがあったらしい。


「逃げろ! 頭がパーマンになるぞ!」


 こうして、壁の中と外でお互いが逃げ出したのが、奇襲の最初であったのだ。



久し振りにサトウ先生が登場しました。

カエサル編の辺りの文体をマネしているんですが、いや~ 難しい。

じゃあ、やるなよといわれるんでしょうけど

後世の歴史家が記述したアラモ砦攻防戦をぜひともお読みいただきたいな

と頑張っております。

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