第56話 司令官
参謀本部の大部屋を通り抜けて「軍師用」の個室に入ったミュート。
ドカッと腰掛けたのは実用一点張りのイスだ。
頑丈そのもの。
強ばった顔を一気に緩めると、そこにあるのは「大満足」の表情だった。
冷め切った紅茶をガブリと飲んで伸びをした。
「ふぅ~ さすがだよなぁ。思った以上に優秀な人だ」
天井に向かってミュートが吐き出したのは率直な感想だ。
「まさか、正解を一発で出すとは思わなかったよ」
先ほどの会議で、司令官をわざと追い込んだ。
一皮剥けてもらうためだ。いくつかヒントを出そうと思っていたのに、ズバリと核心を突いてきたのには、驚きそのもの。
『地形の話だって、誘導するまでもなかったもんなぁ』
大部屋の方が、何となく聞き耳を立てている気がして黙考に変えたが、久し振りの「大当たり」を引いただけに、小刻みに肩も膝も、あげくは両手をヒラヒラさせてリズムを取ってしまった。
もしも、皇宮の者が見ていたら「あ、南京玉すだれだ!」と言ったかもしれない。
それほどに浮かれていた。
軍師にとって、自分の意見を通してくれる指揮官はありがたい。だが、自分の意見を「参考」にして、もっと上の決断ができる指揮官は神のごとくありがたいものだ。
チラッとショウ皇帝を浮かべつつ『まあ、あそこまで求めるつもりはないけどな』とニヘラと笑う。
『そもそも、ノーチラスさんが言う、文官と武官なんて風に分ける必要なんてないんだよ。いくら優秀でも、やっぱりお坊ちゃんってことだよな。そりゃ、槍を振るえっていったら話が違うが、司令官に文官もへったくれもあるもんか』
身分からすれば僭越と言われるかもしれないが、実は基地構築司令官のノーチラスを高く評価していた。
着任したときの「時こそが全て」という着眼点は素晴らしい。死に物狂いで到着して勝利をつかんだ決断力も行動も最高だ。
あれは素晴らしかった。
だが着任してから基地の構造をしっかりと把握し、戦術論を踏まえて工事の重点を見誤らなかったのは、もっと素晴らしい。
もちろん、参謀本部もその都度、情報をあげて支援はした。設計だってやった。だが、書類を決裁するのは最終的に司令官なのである。
戦術論を踏まえ、戦略の中で最善最短の砦構築なんて、並の武人にできることではないのだ。
『これだけの基地を造った人だぜ? 戦術が分からないわけがないのに、勝手に自分を文官という型に押し込めてたからなぁ』
しかし、ミュートは賭けに勝ったのだ。
『あの場で相手の攻撃意図を考え抜いたんだろ? そして正解にたどり着いた。戦場経験じゃなくて、恐らく一般論の中から引き出したんだ。しかも戦術論の基本中の基本である地形を含めて考えてた」
最高だよね、と居並ぶ隊長達の驚愕を思いだして、またしてもニタリと笑ってしまう。
軍師にとって、戦場での勝利は美味である。だが、その先の勝利を約束してくれる指揮官を捜し当てたときの喜びがこれほどに美味だったとは、驚きさえあった。
『ショウ様がいろいろな人材を捜し当てていらっしゃるけど、こういう嬉しさなんだろうなぁ』
自分が、閣下に近づけたとホンの少しでも思えたこの瞬間をミュートは絶対に忘れまいと思った。
そして、ひとわたり「勝利の美酒」に酔いしれた後、おもむろに立ち上がったのだ。
「おい! 物見に上がるぞ。ボードとひとわたりの物資を持っていけ」
ボードとは、美術の時間に使うような首から掛ける紐がついている画板である。これならば、見聞きしたことを立ったまま書き留められる。
戦闘が起きたときの仕事道具だ。
ドア越しに叫んだ途端、バタバタバタっとスタッフが動き出す音がした。
やっぱり、こっちをうかがってやがったと思った次の瞬間、ドア越しに誇らしげな声が聞こえた。
「準備は完了しております。 司令官殿をいつお呼びすれば良いでしょうか!」
どうやら会議の出来事もいち早く知っていたのだろう。
『オレが司令官殿の横に立ちたいって言い出すのも織り込み済みかよ』
微苦笑を浮かべたミュートは「やっぱり、うちのスタッフは食えねぇな」と思うのであった。
・・・・・・・・・
会議が終わると、ノーチラスは陣営内のあらゆる場所を見回ろうと思っていた。
『ミュートと話はしないとだが、戦が始まるんだ。準備が優先だ』
優先順位を間違えてはいけない。
各部隊長が大慌てで散っていったばかりのときは不思議に思わなかったが、いつまで経っても、本部棟から兵達の動きが見えない。
『夜襲に備えるのだぞ? もっと慌ただしくなるはずだろう』
とっくに陽の落ちた陣内は、いつもとさして変わらない。良く見ればかがり火の数が多少増えているくらいなのと、少しずつ、人々が動いているようにも見える。
しかし、ただそれだけ。
兵士の馬鹿笑いの声も聞こえるし、ゴールズ名物と言うべき口笛や歌がそこかしこで響いている。
『いったい何なんだ? 防衛要領によれば、あそこには防火用水が置かれ…… ん? 置かれている?』
いつのまにか、大きなタルがいくつも置かれていた。
「え、いや、さっきはなかったはずじゃ」
「しれぃ」
「ん?」
振り返ると現れたのは迦楼羅隊副官のノインである。
荒くれ者という印象の強いゴールズの中でも、さらにガラの悪い迦楼羅隊の副官は、いつになく丁寧に騎士の礼をしてきた。
これは、上位の者に対する敬意を示す行動でもある。
「司令官、先ほどのご慧眼、まことにありがたく存じます」
そんな丁寧な言葉遣いができることに、ビックリだった。
何しろ、ゴールズの古手は皇帝陛下とすら荒い言葉で会話するのを当然の権利だと思っている連中なのだ。
ただし、そこに底抜けの敬意が込められていることを誰もが知っているから咎めないだけのこと。
「あ、やっぱり慣れない話し方だと驚きますよね。でも、一応、私たちも元ガーネット家騎士団ですので」
騎士団員なら王侯貴族の前できちんと喋る場面があると想定して躾けられている。まして、公爵家の騎士団員であれば、当然のたしなみだ。
本来は驚くことではないのだ。
ノインは片目をつぶって肩をすくめてみせる。
「その気になればできるんです。やらないだけで。でも、しないというのとできないというのは違いますよね」
夜目にもくっきとした笑顔。
ノーチラスは、むしろ、こういうやりとりこそが守備範囲である。
『しないというのと、できないのは違う。そしてオレはできることを示してしまったんだ』
ホンの短い沈黙で、ノインは察したのだろう。
「司令官のことはちゃんと認めています。我々全員がです。だから自信を持ってドーンと構えていてください。逆に細かいことなんて任せておけば良いんです。分からないことは聞いてください。下々のことなんて分からなくても良いんですから」
チラッと首を傾けた後で「けっこう優秀なんですよ、我々は」と付け足したノインだ。
『これは、私にもっと自信を持って司令官を務めよということか。確かに、今まで身を引きすぎていたかもしれない。自重していたといえば聞こえは良いが、これでは怠惰だったといわれても言い訳できないぞ』
それに気付けというのが、この笑顔なのだろう。
ノインに向かって、改めて答礼の姿勢を取った。それを見て、慌ててノインが騎士の礼を取った。
あべこべであるが、二人とも笑ったりはしない。
「わかった。この戦場で私は司令官として胸を張って務めると約束しよう」
ノインは「いっけね」と、急に我に返ったように照れた表情となった。
「慣れない喋りは、お終めぇです。さ、そろそろ迎えが来やすぜ」
「迎え?」
「司令官殿に、さっきのお話の続きを、きっとしたいだろうなぁーって」
そこに当番兵が「お話し中恐れ入ります」と声をかけてきた。
「何だ?」
「軍師殿が司令官殿にご臨席を賜りたいと参謀本部の方が参上しています」
なんだか怪しげな言葉遣いだが、それは不問だ。戦場で言葉を一々チェックするバカ上司になってもしかたない。
「わかった。すぐ行く」
答えたノーチラスが振り返ると、まるで始めから誰もいなかったかのように消え去っていた。
『やれやれ。皇帝陛下の薫陶はゴールズ全体をどこまで高めるつもりなんだろう』
おそらく、言うべきことを伝えた後、司令官殿に感謝の言葉を自分に言わせたくなかったのだろう。
ともあれ、そんな戦士の気遣いがわかるほどに戦場に馴染んだ自分に気付いてないノーチラスなのである。
しかし、新たな決意を固めたノーチラスが護衛と使者に挟まれるようにして、物見塔に上る頃、きな臭いニオイを感じたのであった。
何が起きているのかは明日となります
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