第53話 再びファミリア山へ
汚染問題を解決するためにいろいろと時間がかかった。
結局、出発は4月にずれ込んでしまった。本隊はとっくに出ているので、オレ達首脳部と、それを守る騎馬隊だけでファミリア山を目指す道のりだ。
だが、腕木通信のおかげで、アラモ砦で集めている情報はその日の夕方には読めている。(ファミリア山から皇都への中継点からも、こちらに伝令が来るように手配しているから)
報告書はオレもちゃんと読んでるけど、別に読んでいるベイクからも説明を受けることを自分に義務づけている。そうすれば、見落としがなくなるからだ。
「今のところ、小競り合いレベルです」
情報分析官としてミュートを派遣してある。おかげで現地から来る情勢把握は信頼できる。
その意味で、まだ焦る必要はないと自分に言い聞かせる。こういう時に、トップが焦り出すとロクなことにならないんだ。
「オウシュウ側からの侵攻開始は五月です。正直、今はアラモの南側に橋頭堡の確保ができれば完璧。できなくても、正直、アラモ砦が拠点として維持できていれば十分合格ラインです」
まるで、オレの中の逸る心を見透かしたようにベイクが「だから、ゆっくりと向かいましょう」とノンビリした声だ。
「それに、キッチリ整備されているとおりに進んだ方が、猛る竜に首輪は付けられぬってことだと思われますです、はい」
ベイクが「整備されている」と言うのは、今進んでいる道のこと。
既に「高速道路」ができあがっていた。アスファルトクズを敷石の間にいれて舗装された滑らかな道路を大量の荷馬車が南へ、南へと向かっていた。
「こうして物資の流れも滞りがないようですしね、です」
ベイクの目が穏やかだ。戦略を立案する側としてはロジスティクスの心配が要らないというのは、最も必要な条件なのだ。
「その意味では、カインザーの御嫡男は、正直、本当に拾い物でしたです」
カインザーの嫡男、テノールのことだ。
既に南部方面作戦の補給指令に任じている。
「彼のすごいところは、集めるところから気配りしている点だよ」
広く薄く、しかも順送り的にかき集めることで、多少のコストアップがあっても、物資不足に陥る地域が出ないように配慮されていた。
「ですです。やっていることを見れば簡単に見えますが、思いつくこと自体がすごいし、実際にやってみようとすると手数が増え過ぎて、なかなかできない事です。さすが御嫡男は違いますな」
この辺りの配慮ができたのは、カインザー侯爵家の嫡男として領地経営のノウハウが叩き込まれてきたことが役立っているんだろう。
「全く、教育は大事だよなぁ。この道路だって、大半はテノールの功績だし」
高速道路が補給には必須である、という重要な経験をガバイヤとの戦いで学んだだけに、テノールにとっての整備計画は命にも等しい行動だったわけだ。
おかげで、ファミリア山までの800キロほどの高速道路が整備済み。
歩兵の行軍距離に合わせて40キロごとに宿泊・補給ポイントである「駅」が整備されていた。兵士に必要な物資は事前配備済みだから、。兵士はその日の荷物だけ持って移動すれば良い。
空身の行軍で40キロなら、ピクニックとは言わないまでも、フル装備の20キロよりも確実に楽だ。
しかも駅に着けば、後は休憩できるようになっているから、確実に20日でたどり着き、しかも即日戦力化が可能。
高速道路に沿うように整備された腕木通信の中継ポイントのおかげで、現地に着く予定も連絡できるし、本国からの連絡も行く。
その上、余力を兵士へのサービスに振り分けたんだ。
「あれは兵士達には好評…… 大好評ですです」
ベイクが言っているのは特別に許された皇都への私信のことだ。軍事機密との絡みがあって内容は検閲するし、いくつかの許されたケースだけだが、急ぎの連絡が可能になったのは大きい。
手紙も無料で送れるが三週間ほどはかかってしまう。しかし、中には出産間際の妻を置いてきた者もいる。あるいは肉親に不幸があることもあるだろう。
そういった「急ぎの内容」に関して部隊長の許可で通信を利用可能にしたのだ。
だから、子どもが生まれたと連絡を受けて、父が考えた名前を腕木通信で送った兵士がいた。あるいは、寿命が尽きかけた母親に最後のメッセージを送った兵士もいた。
戦場まで急ぎの連絡が届くようになったのは、画期的だった。
「正直、食事と休息が不足して、満ち足りているのは不満ばっかりだったですから」
「かなり状態は良くなったんだろ?」
もともと、大陸で一番豊かな国であったサスティナブル王国だからだろう。軍隊の生活に耐えられなくなる兵士が「世界一多い」と言われていた。
御三家の騎士団のような特別な例を除けば「サスティナブル王国の弱兵」は、有名な話ではあったんだ。
ちなみに、データだけで言えば、王国時代は10日以上の続く行軍の場合、5パーセントの損耗を見こむ必要があったらしい。
つまり、今回のように他国への遠征なら戦う前に1割以上の兵士が脱落すると言われていたんだ。
現在は、それがガラッと変わった。士気自体も高いけど、高いまま維持できるように、食事も休む場所も手間暇、金をかけているのは大きい。
現在は、ファミリア山までの行軍なら全体で見ても0.5パーセント以下になったのは大きい。
「閣下がおっしゃったように、訓練以外では、できる限り楽をさせておかないとでしたです」
以前は「閣下は兵士を優遇しすぎです」と諫めたベイクも、現実の数字を見てしまってからは、ガラッと意見を変えた。
君子は豹変すってやつだ。
優秀な人は、事実を知ったらすぐに態度を変えるんだよね。
「ま、その分だけロジスティクス担当の負担はかかるけど、これをしないで軍隊を強くするのは無理なんだよね」
とは言え、どれだけ頑張っても、しょせん、戦争に行くわけだ。街の暮らしとは比べものにならない不自由さは、いろいろある。
「行軍なのに、屋根付きで寝られるなんてすごいって思ってもらえると良いよね」
その時、チラッと横を見たベイクはため息をつきながら言った。
「正直、アテナ様が素晴らしすぎます」
ベイクがほめているのは武力のことではない。常々言っているのは、そもそも女性でありながら戦場を一緒に渡り歩けること自体にある。
「本来は第三夫人となるべき御身でありながら、何週間にもわたる野戦行軍をものともされない献身とは、なんと素晴らしい愛情なのでしょう」
珍しく「ベイク語」無しの言葉に、本音を見た気がした。
だって、実際アテナはスゴイ。
宮殿にいれば何不自由ないどころか、この大陸でも第一級の暮らしができる立場だ。専属のメイドだって1ダース付けてもおかしくない。
何一つ我慢などする必要がない。
それなのに常にオレと戦場を渡り歩いている。
不自由だらけで、我慢を強いられる。それどころか風呂やトイレすらも不自由になるのが普通の生活なのに。
まあ、アテナからしたら「ボクはいっつも一緒にいられるんだもん。皇都で身を案じることしかできない方が辛いと思う」とあっさりだ。言葉だけではなく、心から思っているのだから、皇都にいる間は他のみなさんに申し訳なさそうな様子なんだよ。
この辺りの価値観はさておき、カイとアテナのおかげで、どんな戦場でも安心していられるのは確かなこと。
アテナに感謝の目線を送っても、あえてなのか、アテナは遠くに見え始めた山々を見つめたままだった。
オレの目には、アテナの向こうに見える川と、そこにいる人達が見えたんだ。
「順調みたいだね」
高速道路から遠く離れた川に小さく見えるのは測量隊のみなさんだ。大陸全部を測量するのは長期目標。とりあえず、高速道路の整備と川の制御に必要な測量を優先させている。
幕僚部から渡された今回の地図にも、高速道路沿いと川の関係性はきちんと測量された跡があった。
ベイクも測量隊に目をやってから答えた。
「えぇ。正直、測量済みの地図作りは直接統括しているわけではありませんが、少なくともアラモ砦に続く山々のマッピングは終わっています」
ベイクが言ったのは、ファミリア山から始まる山々の地形図のこと。細かな測量をする時間は無いので、必要な実測図を優先して、主な山の高さと峠道のアップダウンを細かく書きこんだものだ
「さすがに地図は通信で送れませんので、今はもっとマッピングが進んでいるはずですが、正直、敵さんもようやく気が付いたみたいです」
「今日も、衝突があったみたいだしね」
「はい。測量隊を守るのに広域偵察隊を使って、さらに各班にはピーコックの小隊を付けて、機動遊撃部隊にはムスフス自らと、ウンチョーの2隊が活躍しているそうです」
「あ、衝突って、そっちだったんだ」
「はい。今日の分までは恐らくそうです」
報告書には固有名詞は書いて無かったが、ミュートとベイクにだけ分かる形になっていたんだろう。この辺りが天才同士のアウンの呼吸なのかもしれない。
オレが見えないところまで常に見張っていてくれるのは、正直、助かる…… あれ? ベイク弁がうつったかも!
と狼狽えそうになった時、ふっと思った。
「ん? 今、ちょっと引っかかる言い方だったよね?」
「さすが閣下です」
「えっと、今日の分までは?」
「はい。そう言いましたデスデス」
揉み手をせんばかりにこっちをうかがう表情だ。
「ミュートに言わせると、陽動が東側に傾いているようだ、です」
「陽動?」
「はい。ただ、作戦面ではサウザンド時代の手法の域を出ないようなので」
「ミュートが手持ちの戦力で対応可能ってこと?」
「ですです!」
ベイクが嬉しそうに肯いたのは、オレが理解をしたからなのか、それともミュートとのツーカーなやりとりを示せて嬉しかったからなのか。
「オレがすべきは?」
あと三日の距離だ。無理すれば明日中には届くかもしれないことはわかってる。
まるで、その質問を待っていたかのように即座に反応するベイク。
「明日の宿に、カレーを出す許可をいただきたいです」
「許可する」
我が軍は、金曜日のカレーの習慣はない。
けれども、みんな大好きなカレーは嬉しいことがあった時か、大事な戦いが控えたときに出す慣例だ。
できれば、前者であってほしいなぁ。
※猛る竜に首輪は付けられぬ:サスティナブル王国に伝わる慣用表現。「焦っていい加減な仕事をするよりも、きちんとした仕事をした方が良い」という感じで使われ、『急がば回れ』に似た意味です。
ちょっと説明会になってしまいましたが
明日は、現場よりお届けします。




