第32話 ルビコン討伐戦 前
旧王都・カイから北へ60キロほどにルビコン伯爵の領地があった。
事実上、王都に接している位置だ。
北部と西部からの街道がここで交わり、王都への太い街道となっている。ショウの前世的な言い方をすると「交通の要衝」とも言うべき場所だ。しかも領地のすぐ南側を豊かな水量のウルゴン川が流れていて水運も発達している。
東側は海に接しているため海のものも、こちらに持ちこまれて陸路となる。
海陸の物資が集積しての商業収益と、扇状地ゆえの豊かな地味による農業収益が高いレベルでバランスがとれていた。ガバイヤ王国でも一二を争うほどに豊かな領地だと言えるだろう。
それがルビコン伯爵家だった。
代々、己の利益には敏感で、領地を富ますことのみに専念してきた家だけに、国政に口を挟むことなど考えもしてこなかった。
ゆえに、圧倒的な財政力を持っていたにも拘わらず、敢えて侯爵への昇格を辞退してきたほどだ。
代々の当主が同じような言葉を語っている。
曰く
「侯爵ともなれば社交で金もかかるし国政への負担も必要になる。伯爵であれば、どこからでも嫁をもらえ嫁にも出せる。しかも内政で国からヤボな介入をされずにすむだけの権力が持てる。よって、伯爵で必要十分である」
実際問題として、ルビコン伯爵領はカイにいる以上の職人もゴロゴロ存在するお陰で総じて技術力も高い。
王都に店を構える大商人なら、必ずここにも店を構える。
王都カイに負けず劣らずに、なんでも揃う場所。それがルビコン領であった。
領都はルビであり、近接する副都がコンであると言えば、その合理性がわかろうというもの。
しかも、二つの街は10キロも離れていないので、実際には一つの都のようなものであった。伯爵家は代々「これは領都と副都である」と常に説明してきた。
これは、二つの街を一つの「都」と見なされると「王都カイよりも豊かな街」になってしまうため、あえて二つに分けているのだという説がガバイヤ王国の貴族間でも信じられているほどだ。
もしも「カイよりも大きく豊かな領都だ」だとされてしまうと、国に納める税金を多くむしり取られかねないということらしい。
名前よりも実質を取る。
それがルビコン伯爵家の一族の思考法であった。
しかし、豊かな土地に住むゆえか、はたまた一族の宿痾というべきか、豊かな能力を持った一族は、他者に対して圧倒的に不寛容であった。
今回の冷害においても、早々に物資の集積を食料に切り替えたお陰でルビコン領ではガバイヤ王国内でも比較的マシな方なのだ。
それはまだ良い。
しかし「豊かな土地に集ろうとするアリを防ぐ」という名目で、難民達を領境で徹底的に取り締まり、虐殺していったのだ。
曰く「一罰百戒」である。
日に日に、領境の警備は厳しくなり、見通しの悪い場所には高い壁を築き、検問所は砦そのもの。そして、領民であったとしても、貧しき民はいち早く追い出したし、立ち退かぬものは「害民」と呼んで、あからさまな差別を公認したのだ。
こういう貴族家では騎士団を拡充するのが常であるが「常設軍は金食い虫だ」という発想のため、領の繁栄ぶりに比べると、その数は極めて少ない。
およそ5百ほどの常設兵しか存在しなかった。
もちろん、それだけで領内の治安を守れるはずもなく、また、今のような事態で難民を防ぐこともできない。
そのため、臨時雇いの兵を多めに見繕っていたのだ。その数は5千を超えて、今なお、着々と増え続けているという話であった。
当然ながら、その手の雇われ兵は荒くれ者が多い。特に「害民」を虐げることが公認されているため、格好の獲物扱いですらあった。
貧しき者にとって、出るも地獄、残るも地獄である。
しかし、そんな実情は外に漏れでてこなかった。貝の殻を閉ざしたかのごとく、ピタリと閉じこもったその姿は、既に半ば独立国のごとき様相を呈していた。
ロマオ領が、王命とはいえ近隣の難民達をできる限り救おうとしたことと真逆の行動だったと言えるであろう。
今回のアスパルの会戦への参戦要請すら「一族の主なものが流行病にて病篤く、お役目に耐えられません」と返事を送って、綺麗に無視したほどだった。
ガバイヤ王国が降伏後は、さらに各地の壁を伸ばし、ルビとコンを囲う壁を分厚くしていったため、既に城塞都市の様相すら呈していたほどである。
・・・・・・・・・・・
7月1日
最後通牒を突きつけた鎮正将軍ロースターは、旧国軍と近隣の貴族家からかき集めた2千の歩兵と500の騎兵を伴っていた。加えてロマオ領から連れてきた200の騎士団を手元に置き、ウルゴン川の南に布陣したのであった。
おそらく、ルビコン伯爵家は自領がこれほど早く軍の来襲を受けることは考えてないに違いない。
その証拠に、金をかけて作られた堅牢な石造りの橋が落とされていなかったのである。橋の両側に検問所はあったが、千人規模の軍勢を見ると守備兵はいち早く逃げ出してしまったのだ。おそらく、彼らは難民を防ぐことのみを考えていたに違いなかった。
正規の「討伐軍」が橋のすぐ南側に陣を構えたが、ゴールズ迦楼羅隊は敢えて一歩下がった後詰めとして控えている。
ミュートをはじめとした参謀本部だけは本営にいるのは、実戦経験が豊富な分だけ一種のアドバイザーの役割であったからだ。
本部のテントに戻ってきたハインツが具申した。
「ルビコン伯爵家からの返事がこちらです」
読むまでもないが「最後の最後まで確かめた」という形式もまた重要なのである。
短い手紙を読んだ後、ふむ、と頷いた鎮正将軍ロースターである。
「やはり、明け渡しには応じられない、か」
確かに、領を全面的に明け渡すように求められたのはルビコン伯爵家が初めてである。公平に言えば「なんでウチだけ」と思うのも、わからなくはない。
「しかし、伯爵は知らぬようだ。国が負けるとはどういうことなのか、を」
ロースターの言葉には、少しの気負いもない。むしろ、気の毒そうな響きすらあった。
敗戦国として、今までの権威も既得権も全てがひっくり返されるのだ。所領が全うされる方が希有なのだと覚悟をするべきだった。
デルモンテは、将軍の言葉に頷きながら、その後で言いたいことを代弁してみせた。
「新しき革袋の中に入るには、己が新しき水とならねばならなぬ。キヤツにはそれが分からなかったのでしょう」
ガバイヤ王国一二を争うほどに豊かな土地を持つ貴族が、占領国に対してどのように見られるのか、考えるべきだったのだ。
それを考える能力もなく、ただ、閉じこもってしまった。それは占領軍に対する叛意と受け止められて当然なのだ。
いつか、王宮の夜会で見かけたルビコン伯爵のでっぷりと太り、自信たっぷりな態度を思いだしていた。
今まで通りの権勢が、永劫に続くと思い上がっていたのであろう。
大きく息を吸った後で声を張った。
「では、始めるぞ! 我々はウルゴン川を渡り、賊徒の街を一気に攻め落とす」
「「「「「はい」」」」」
ロースターが立ち上がると、本部にいる誰もが立ち上がった。
「討伐戦を始める!」
堅牢な橋を、歩兵が続々と渡り始めたのであった。
こちらの世界で「ルビコン川」は「ピシャテッロ川」ではないかという説があります。この川の別名が「ウルゴン川」であったためです。ウルゴンとはルビコンと言う名前がなまって地名になったのではないかと信じる学者もいるそうです。