第19話 アルミニウム
カインザー家の領都「コン」の中心にある、2キロ四方はあるという広大な敷地。
一年を通して花が咲いている花壇がここかしこに並び、レンガを敷き詰めた道、豪勢な馬車を置いた車庫、騎士団の数倍の人間を収容できる宿舎、各種の巨大な倉庫群。おまけに城に隣接された運河から直接物資を運び入れられるような桟橋付きだ。
「いつか、こんな拠点をウチにも欲しいなぁ」
入り口に入ってすぐにそびえる領主公館は二つの建物に分かれている。その間のレンガの道を奥に進めば、温かみのあるカインザー家の私邸がある。
今までは、真っ直ぐに通り抜けるのが当たり前だったのに、今回誘導されたのは左の館。
外交機能を持った部署が中心の場所だ。
車寄せに着けられた馬車から降りて、顔なじみの騎士団長に肩をすくめて言ってみた。
「公邸にお招きいただくのは初めてですね」
「なにぶん、お館様の特別の沙汰にて」
かなり微妙な顔をして返事をしてくれた。
父上も母上も、さらに厳しい表情になってる。
というのは、十万人以上もの住人を抱える領地を預かるカインザー家だけに、公邸と私邸とはかなり厳密に使い分けられているんだ。
寄り子である下級貴族は領都に来る機会があれば、礼儀として、必ずここに立ち寄って挨拶をするんだ。だから、挨拶に対応するための専用の建物も担当者も存在する。
しかし、カーマイン家など伯爵クラスの有力な寄り子は「友人」として私邸に招かれるのが今までのことだった。
『今回は異例続きか。そもそも出迎えの体勢から違ってたし』
カインザー領の領境いまで、騎士団長自らが、わざわざ出迎えてくれた。まず、これに仰天した。
いつもは「カインザー家最大の友人」という体での簡単な出迎えで、顔なじみのベテラン騎士団員が騎馬の一個小隊(12人)。
丁寧に統治された領の治安はかなり良いから、それで十分。
そのまま警備というか、なあなあで旅しながらコンの宿へという流れになる。
(こちらの護衛騎士団員は領境いで相手と同規模プラスくらいにまで減らすのがマナー)
しかし、今回はカインザー家騎士団長殿自らが、副団長を伴っての出迎えだ。団員も100を越える。ちょっとした戦争にでも行く数だ。
馬も服装も儀礼用の飾り付きのものでなければ、マジで「逃げよう」って言ってたレベルなんだよね。
道中も、行く先々で「カーマイン家の御成りである」なんて触れ回るんだ。
そして、着いたら着いたで、荷ほどきの暇もあらばこそ。せかすように案内されてきたのが公邸だったわけだ。
慣れない建物の中を父と母が先に歩き、キョロキョロしながらオレが続く。あっちこちから、好奇と微妙な敵意に似た視線が飛んでくるのを感じていた。
『やべ~ バリトン様を相当怒らせてる?』
官吏の気持ちは、領主の気分を反映していると考えるのが普通だろ。
『確かにやらかしてるのは自覚してるんだけどさ』
寄り親であるカインザー家に相談することなく、御三家とよしみを通じてしまったのは、裏切りだったと言われると反論しにくいんだ。
一応、気は遣ったんだよ?
オレがご令嬢達とやらかした件は、手紙だけじゃなくて家令を派遣すると言う最大の気遣いをして説明とお詫びをしておいた。
もちろん、奥様やバネッサちゃん用にシャンプーとコンディショナーや基礎化粧品もたくさん贈ったし、秘密兵器である「アルミニウム」の1キロインゴットも贈った。
そう、今回のおべっかのメインはアルミニウムだ。
MPが増えたおかげで、コスパを後回しにしてアルミ缶回収袋を大量に呼び出して作らせることができた。
溶融するのは意外と簡単だったけど、不純物が多くて歩留まりが悪いんだよね。アルミ缶一個が15グラム。100個溶かして、ようやく1キロインゴットが一つ作れる感じだ。不純物交じりの「B級品」は、それはそれで使い道があるとしても、贈答品として表面を磨かせたインゴット10個を作るのも一苦労。だいたい、アルミ缶の入ったリサイクルボックス一つで100個よりちょい少ないくらい。
それなりに手間《MP》が掛かってるんだけどなぁ。
未知の軽い金属をインゴットで贈られて、しかも「カインザー家にだけお渡しする」という約束まで付けたんだ。この意味がわからない貴族はいないと思うし、ましてバリトン様は優秀な方だもの。
これからもたらせる「利益」で、少しはご機嫌を直して下さると思っていたんだけどダメだったってことか。
う~ん、打つべき手が浮かばないよ。ここに来るまで、父も浮かない顔の連続だった。
ただ、母だけは「大丈夫よ。悪い話だったら、きっとアネッサが何か言ってきたはずですもの」と父を励まし続けてきた。
でも、これだけ「いつもとの違い」が大きくなってしまうと、母の声も湿りがちだ。
最後の方は「大丈夫よ。何があっても私はあなたに着いていきますからね」ってセリフ。なんだか、このセリフって見たよなぁって思ったら、前世のドラマで見たヤツだ。ほら、よくあるじゃん。「町工場が破綻寸前で、悩むお父さん」を励ますお母さん。
たいてい、こういう時は破綻しちゃうんだよね。 ……って! ヤバい。オレも全力で後ろ向きの思考をしちゃってるよ!
「こちらになります」
騎士団長が引き継いだのはユーリスさんだ。
「お待ちしておりました」
「ご苦労」
「どうもありがとう。ユーリス」
父上は伯爵としての権威で横柄に声を掛け、代わりに母が「上位貴族に対するマナー」として感謝を述べて部屋に入っていった。
『さすがぁ』
挨拶一つ取っても、母上と父上の息の合った芸は細かい。
貴族の体面を保ちつつ、相手の家の者に反感を持たれないようにするわけだ。
もちろん、オレはニコッと笑顔を浮かべて続いて部屋に入った。
ビックリしたぁあ!
なんと、侯爵様は既に席に着かれて、夫人のアネッサ様と嫡男のテノール様まで顔を揃えてる。
そして、この美女は誰? あら、やだ、これ、バネッサちゃんじゃん。
バリバリに着飾って、オレの贈ったジルコニア付きブローチまで付けてるよ。
すげぇ。
オレの顔を見た途端に真っ赤になってるけど、これだけ着飾らされて恥ずかしかったのかな?
「さて、本日は、よくぞおいでくださった」
バリトン様の慇懃な挨拶が始まった。こういう時の貴族の挨拶は長い。相手の領地を褒めまくり、産出する品を褒めってことで、長ければ長いほど相手への儀礼を尽くしたことになるという、ヤバい習慣。
校長先生のお話どころじゃない世界なんだよ。
しかも、オレが贈った「アルミニウム」がとっても気に入ったらしくって、10分以上喋っている間に、14回も出てきた(ヒマだから、眠らないように数えてた)
上位貴族が10分も掛けて挨拶してくれたら、その倍は「褒め返す」必要があるんだよね。
この辺りは親しい貴族同士でも絶対に省かない。さもないと「家臣達が相手を侮る」危険性があるからだ。
それにしても20分以上も、相手のことを褒めまくるんだもん。しまいには公館を囲む堀の水質まで褒めてるw
すげぇ~ 父さん、オレ、心から感激しちゃったよ。こう言う人だったら、夏休みの読書感想文の宿題なんて、簡単だったろうなぁ。
なんてことを考えている間も、チラッと目を上げてオレを見ては、目が合うとパッと顔を下ろす繰り返しのバネッサちゃん。
この世界では年上だけど、考えてみると中2だろ? 久々に会った幼馴染みの男の子に恥ずかしがってるんだろうなぁ。
女の子の中2病は発症しちゃうと、マジ、闇らしいけど大丈夫かな? 今ごろ、頭の中で「ショウ×テノール」とか考えてないよね?
まあ、視線を落としてくれる分だけ、ドレスのデコルテの豊かな裾野をたっぷりと楽しませてもらったんだけどさ。
そして、儀礼の交換が終わった後、おもむろにバリトン様がテーブルに身を乗り出した。
「この度の御三家との交流について、カインザー家としては思うところなどないと明言しよう」
明らかにホッとした空気が流れたんだけど、オレは、聞き逃してないよ。「カインザー家としては」って言ったよね?
「すでに、カーマイン家からは多くの土産の品をいただている。これ以上は、既に儀礼の域を超えることになろう。以後、お気遣いなされぬよう」
「ありがとうございます」
「むしろ、アルミニウムについて、本当によろしいのだろうか? 我が家での独占販売などと。お分かりだと思うが莫大な利益というよりも、あれは格好の取り引き材料になると思うが?」
言っている意味はわかる。たとえば、前世でも、アルミを使って車体を軽くしていたように、馬車に使えば結果は目に見えてる。「軽い金属」の使い道は無限にあるんだよ。
それを「いち侯爵家」が独占して販売できれば、手に入れるためにあらゆる貴族は妥協を強いられることになる。相対的にカインザー家の政治的な発言権がデカくなるはずだ。
父上はシレッと答えた。
「はい。伯爵家には少々、手に余ります。身に過ぎた財貨はむしろ危険ですので、ぜひとも、お願いします。当面の取引量は大きくできない分、侯爵様にお任せすることで当家の安全も図れますので」
この辺りの返答はシミュレーション済みだ。
「なるほど。わかった。寄り親として全面的に引き受けることを約束しよう」
満足そうに笑ったけど、あれ? なぜ、オレを見る?
「当家としては、すこぶる満足のいく話であったが、逆に利益が莫大になりすぎる。だとすると寄り親としてのメンツも立てていただかなくてはならないな」
だから、なぜ、オレの方に向かって喋るんだよ!
「何を仰いますか。取り引きは当家にとっても十分に利のある話にございますので、お気遣いは「いやいや、そうもいかぬのは、おわかりいただけるな?」はい」
貴族同士の会話としては異例なことに、父上の言葉を遮ったバリトン様は、バンと両手でテーブルを叩いて、立ち上がった。
「度の過ぎた利益を子から得たと言われると、搾取する親だと宮廷で後ろ指を指されることになる。かといって、今すぐアルミニウムに匹敵するような利益を貴領に与えるのは難しい。そこで我が娘を差し上げたい。ショウ君と娘に子どもさえ生まれれば、両家は縁戚だ。誰も何も言えなくなる。そう思わぬかね?」
あ、これ、ダメなヤツだ。
瞬間的に悟ったよ。どーりで、バネッサちゃんが「お見合い風」にしていたわけだよね。
でも、そのまま受け入れるわけにはいかないから。
「恐れながら申し上げます。たいへんありがたいお申し出でございますが、こと、ショウのことになりますと、御三家との折衝が必要になりまして」
額の汗を拭いながら、父上が抗弁する。
頑張れ~ 父上。
実際、マジで公爵家への配慮も必要なんだよ。アテナちゃんとか、メリッサちゃん、メロディーちゃんのことがあるからね。
ただ、今のオレの意識の中では、そんなことよりも「前世の意識」のレベルでカチンと来ていたんだ。
「こういう問題は、何よりもバネッサ様にも意志がおありのはず。貴族家にとっては政略結婚も否定はいたしませんが、アルミニウムの代わりにやるというお言葉は、あまりにもだと思います。私はバネッサ様の意思を無視するような振る舞いはいたしたくありません」
チラッと見ると、ほら、バネッサちゃん、ハラハラしてるじゃん。いくらなんでも本人の意思を無視して下位貴族のところに嫁入りとかダメだよ。
でも、言っちゃった直後から、後悔しまくりだよ。親貴族にオレはなんてことを。
すると、バリトン様は案に相違して嬉しそうに父上に言ったんだ。
「なるほど。ショウ君は評判の通り、まことに見所のある若者だ。大変好ましい。そこでだ、まず、カーマイン家当主ガルフ・ライアン卿にお伝えしたい。我が娘は貴家に嫁ぐのではない。もちろん側妃であることも望まない」
「え?」
さすがの父上も、絶句した。なぜかというと、この言い回しだと、次に出てくる言葉が予想できたからだ。
「ショウ君の《《側室》》として差し出したいと申し出ている」
「そ、そんな! ありえませんぞ!」
父上の声が震えたのも訳がある。
バネッサちゃんを側室にするって、ありえないんだよ。
確かに、妃と室の使い分けは高位貴族ならではだし、最近は使い分けも曖昧になってるのが現実だ。
でも、家と家との婚姻関係が生命線となり得る貴族にとっては、小さいときから叩き込まれる話だから、その違いを知らない貴族なんていないんだ。
どういうことかというと、通常、同格の貴族の娘が「すでに妻のいる男」に迎えられるなら、第〇夫人と呼ばれる。貴族は何人と結婚しても、家と家が納得していれば問題ないからだ。もちろん、既に収まっている妻の同意は必要だ。
そして、第一夫人よりも家柄が落ちて釣り合いが取れない場合は「側妃」と呼ばれる立場で迎え入れるんだ。
結婚式ができないという制約はあるが、実質的な立場も家庭内の力も、妻と妃は同じなんだよ。
しかし側室は違う。
迎え入れられてから、妻達よりも格下の扱いを受けることを甘んじて受け入れ、なおかつ、妻のいる場には同席できないというマナーすらある。場合によっては同居すらしないことだってある。
前世に似たものを言うなら、ちょっと大げさだけど「妻に公認された愛人」って感じだな。
『そりゃ、確かに側室ってことなら公爵家に断る必要は無いけど、でも、そりゃあんまりだろ』
側室を迎え入れるのに「妻の承諾」はいらない。
夫は好きなだけ迎え入れられるし、それを非難するのは妻としてはしたない振る舞いだとされているからだ。
(妻をアレ的な意味で「満足」させていることが条件だけどね)
「でも、バネッサちゃんをオレなんかの側室なんて! って、あ、す、すみません」
ついつい、頭に血が上ってしまった。あの可愛いバネッサちゃんが「側室」なんて扱いを受けて良いはずがないんだよ。
ん? 目の前のバネッサちゃんが、真っ赤な顔を両手で押さえてる? えっと、この反応?
「ショウく~ん」
アネッサ様が、甘やかな声を上げてゆっくりと立ち上がったんだ。
「ねぇ? ショウ君は、娘のことをと~っても大切に思ってくれてるみたいね。ありがとう。母親として、とっても嬉しいわ」
一同が凍り付いた状態で、カツ、カツ、カツとアネッサ様の靴音だけが響く。
「でも、バネッサの気持ちは考えてくれたかしら? わたしぃ~ 母親として、娘の意志を無視したことなんてしないわよ。もしも、あの子が嫌がってるならぁ」
突然、バリトン様の方を向いた。
「ね、レイ。私、絶対に認めなかったわよね。あのぴーの連中に差し出すなんて」
「そうだな。だからこそ、こうしてショウ君に提案しているのだから」
えっと、これって、オレが断ると王子に差し出されると? そして、おそらく、それはバネッサちゃんにとっては良くない結果を生むと思ってるってことか?
頭の中で考え巡らせているオレの耳にアネッサ様が口を付けて囁いてきた。
「ちゃ~んと君の視線を知ってるぞ? 女って男の人がどこを見てるかすーぐにわかっちゃうからね?」
え? マジ?
とっさに、バネッサちゃんの方を見たら、オレの視線を受け止めて、そっと右手を胸に当ててる。それは「胸がドキドキしてまーす」という仕草に見せかけているだけだ。
「見てるでしょ?」
バネッサちゃんは、そう言ってるんだ。
あらら、知られてた。
ガクッとしたオレを見つめながら、手に持った扇でニヤリとした口元を隠してアネッサ様は高らかに言った。
「一度でも、あの子は嫌がる素振りはあったかしら?」
目の前で、胸を押さえてる少女の頭からは湯気が噴き出ているのがありありと伝わってくる。
オレの負けだ。
ゆっくりと立ち上がって、正面のバネッサちゃんに言ったんだ。
「バネッサ」
「はい」
「アルミニウムなんかの代わりじゃない。でも、オレは君が欲しい」
バンっと令嬢らしからぬ勢いで立ち上がったバネッサちゃんは「末永くよろしくお願いします」と頭を下げたんだ。
パチパチパチパチ
おめでとう
その晩、カインザー家の私邸に泊まることになったオレ。
明け方のベッドは、二人だととっても温かった。
なお、貴族家の習慣により、赤い印の付いたシーツは領館の屋上に翩翻とたなびくことになったのだ。
どんな罰ゲームじゃい!!!
カインザー家にとっては、結婚式ができない以上、公にするのが難しく、お手つきにされることで「厄除け」としたかったわけです。バネッサちゃんは、愛する人と一緒にいられて大満足。かなり痛かったみたいだけど、健気に我慢してくれました。この世界の女の子が痛みに強いのか、それとも女の子ってそういうものなのかはわからないけど。
そしてオレは、念願のパフパフが……
すんません (>_< )
なお、物語の前半で、騎士団長や家臣達が微妙な顔をしているのは「みんなのアイドルであるバネッサちゃんが、こんなやつに! しかも、側室かよ!」って思いがあったみたいです。
シーツのシミをご近所にひけらかす習慣は中世のヨーロッパやイスラムの国々でホントにあった風習だそうです。今でも、一部の地域では残っているんだとか。ヤバっ。
「側妃」と「側室」、前話との違いを覚えておいていただけると幸いです。