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第25話 情けは人のためならず

 戦いから10日が経った。


 トーラクとルークは、敗戦の報せを届けるためにとにかく急いだ。おかげで山中を急がせた馬は半日で乗り潰すことになった。


 その後は自分の足で走った。鎧も兜もかなぐり捨てて、ひたすらに走った。


 たどり着いた街では「王宮からの後払いだ」と言い値で馬を買い求めては、また半日で乗り潰す。そして、次の街で同じ事を、の繰り返し。


 寝る時間も食べる時間すらも惜しんで走り通した結果、男山の山中から7日で王宮を目の前にした。5万の兵で進んだ往路に平地で20日、山岳地帯で10日を要したことを考えると、正しく、破天荒な記録と言っていいだろう。


 歴とした騎士である二人が、今度ばかりはマナーを無視した。


 強行軍の果てに、すえた臭気を放つ身なりとなったまま、御前にまかり出たのだ。しかし、その姿を見ただけでクルシュナは全てを悟ったのかもしれない。


 いつもの気さくさすら演じる余裕のないクルシュナ王に、最悪の報告を奏上した。


『大敗を超えた惨敗。遠征軍の大半が捕虜となった模様』


 最悪な報告をした二人は、恐る恐る王を見上げた。すると、怒り狂うかと思ったクルシュナは、案に相違して「ご苦労」のひと言をかけると謁見の場から立ち去り、ひとり自室に閉じこもってしまった。


 報告した二人からすれば、思っていたのと真逆の反応にどうしていいのか分からない。


 しかも、クルシュナ王は、そこから一週間も出て来なかった。フェフォや幼い頃から使えた(仕えた)メイド達が差し入れる食事には、時折、少しだけ手を付けているが、垣間見る姿は幽鬼のようなあり様らしい。


 側仕え達の心配がピークとなって王宮を満たす頃、ボロボロな姿となった士官が三人で帰ってきた。水も食糧も馬も与えられて解放されたそうだ。


 その士官達はサスティナブル王国からの要求書を持たされていた。


 賠償の品と金とを引き換えに、三万以上もの捕虜を返還するとあった。


 始めは無視しようとしたクルシュナであったが、あろうことか「捕虜返還」の話が戦いの詳細とともに、国内各所で漏れていたのに驚かされた。


 ボロ負け、ということと「捕虜返還」がセットになった情報だった。時には看板に貼られ、あるいは店先に貼られる形で各都市にバラ撒かれていたのだ。


 もしも、これを見たのがサスティナブル王国民であれば「あ、またビラビラだ」と、珍しくもないだろう。だが、この国では初めて見る形の「ウワサ」だけに多くの民が話題にした。


 もちろん、ボロ負けというのも衝撃的だが、民にとっての最大の関心は「多くの兵が捕虜となった」ということ。兵に取られた夫が、父が、息子が敵に捕らわれてしまった。


 そして、ウワサの末尾には「王の配慮により捕虜の返還交渉が始まった」とある。


 家族が帰ってくるかもしれない! クルシュナ王のお陰だ!


 そんな期待が各都市に溢れかえったのだ。


 クルシュナにとって、どれほど、それが不本意なことであったとしても、無視も拒否も不可能だっただろう。


 要求は、南部のこの一帯で採れる麦と賠償金、軍馬だった。


 驚くべきことに、触れを出す前から人々が「供出」を申し出てくれた。もちろん、自発的なものでは足りるわけがない。だが、それこそは、民の「無事に帰ってきてください」という願いそのものだ。


 前世である「日本人」の記憶を持っている以上、その気持ちを無視することはできなかった。


 クルシュナが、執務室に再び現れてから最初に出した命令は「和平交渉に最優先で応じる」という命令だ。


 かくして、寒冷な夏のせいで、まだ収穫期を迎えられない農村地帯から、なけなしの食糧をかき集め、国庫を空にする勢いで金を持ちだすことになった。


 軍馬は各地の貴族家が抱える軍馬を少しずつ供出させた。


 特に食糧は痛かった。十万の兵を優に半年間は養えるだけの量だ。


 それは屈辱以外の何物でもなかった。


「いつか、必ずあの国を滅ぼしてやる」


 心の底で復讐を誓うクルシュナであったが、本当は別のことを気にするべきだったのだ。


 秋の収穫が大幅に遅れていたことを。その収穫が例年の半分にも満たないものであるという恐怖を。


 現代の日本人の意識があるクルシュナにとって、冷害による不作が食糧不足と直結するという現実は、あまりにもかけ離れていたからだろう。まして、それが「餓死」につながるという連想をどれだけできたであろうか?


 迫り来るカタストロフィに気付いていなかった。


 しかし、ともかく、和平交渉は合意され膨大な労力をかけて食糧も金も、差し出すべき馬に乗せ、あるいは別の馬車を仕立てて送り届けられた。


 サスティナブル王国は、すぐさま約束を守ってきた。


 捕虜は即日、ファミリア平原南の山岳地において解放された。


 3日分の食糧と水を渡したのは、サスティナブル王国の破格の「厚意」である。解放した後の食糧を渡すなど考えられないことなのだ。


 考えてみると、サスティナブル王国での捕虜の扱いは、とても手厚いものだったのだ。


 この世界の常識で考えれば、虜囚の扱いは悲惨なものである。


 飢餓の一歩手前ほどしか食事を与えない。強制労働は危険で激しいものだし、怠ければ鞭と見せしめの死刑が待っている。それが「普通」なのだ。


 けれども、捕虜達の食事は民の水準から言えば「ひどい」と言うほどでも無く、作業は道路工事であるだけに危険な作業でもない。そもそもサスティナブル王国側の兵士と全く同じ労働であった。


 しかも、彼らは敵兵であったはずなのに、仕事の間に話しかけてきて、笑顔まで見せてきた。作業の合間に交流すれば、故郷の歌の一つも聞かせ合い、仲の良い捕虜にパンの一つも堂々と渡してくることだって珍しくなかった。捕虜達が驚いたのは、そのパンの美味いこと、美味いこと。


 貴族や富商の生まれならまだしも、貧しい農村や街の下働き出身の捕虜達は、今まで食べたことのない「甘いパン」であることを殊の外喜んだのだ。


 しかも、捕虜の工区を監督するのは同国人の中から「クジ」で選ばれた者であるし、作業が進んだグループには「美味しいパンという褒美」が出てくる仕組みだ。


 少なからぬ数で混ざっている元農民、元貧民達にとっては、故郷にいるときよりもよほど待遇が良いとすら思ってしまった。


 これでは反発しようもないし、わざとひねてみせる必要も無い。ろくに「看守」もいなかったが、空身で山越えを挑むよりも、解放される日を待っている方が利口なやり方に決まっていた。


 これは、サスティナブル王国としても「捕虜の管理を最低人数で行える」という最大の利点も生まれる。


 なお、この捕虜の待遇については、ショウ閣下より直々に「北風と太陽作戦」と命名されているのは、幹部以外には秘密であった。もちろん、作戦名を聞かされた幹部達も、その命名の意味については知らされてはいなかったのだが……


 ともかく、あれやこれやの「厚遇」のお陰だろう。捕虜達が「解放される」という知らせを聞いて、かつての敵同士が涙を流して別れを惜しむシーンまで見られたのは、いっそ喜劇であったのかもしれない。


 悲劇は、むしろ、その後に起きた。


 うかつなことであったが、シーランダー王国側で捕虜を迎える用意ができていなかったのだ。捕虜を受け取るためには何が必要なのかを考え、準備するだけの余裕がなかったとも言える。


 正直に言えば、捕虜の返還というのは遅れるものだ。絞れるものを絞ってからというのが常識だからだ。倒れるまでこき使ってから、たっぷりと嫌がらせのように期限を引き延ばしてから解放するものなのだ。


 まさか、ここまで素早く返還してくれるとは思わなかった。


 結果として、解放された捕虜を待っていたのは、後の世で言う「|帰国の地獄道《Hell's way home》」であった。


 人数が多いだけに、移動速度も遅くなる。帰還のための食糧も水も用意がない以上、捕虜達は、それを求めて次第に散り散りになるのは致し方のないこと。


 その分だけ「補給」が上手く行くわけがない。


 しだいにバラバラになった兵達は、途中にある村々にすがろうとした。


 けれども、村々の好意を頼った彼らは「敗残兵」として追い払われることになる。時には武力による衝突までもが起き始めた。


 そこで生まれるのは略奪と、そこからの自衛の戦いだった。


 無理のないことである。農民達は今年の不作を実感している。自分達の食料ですら危うい水準だ。とてもではないが「知らない人間」を助ける余力などないのだ。


 結果として、敵国で「厚遇」された兵達は、自国の領土を歩くうちに多くが倒れることになってしまったのだ。


 本当に皮肉なことだった。


 三万以上が解放されたはずが、故郷まで戻れた幸運な者は半分ほどであったという。途中で「むしろサスティナブル王国に戻りたい」とまで言い出す者が現れる始末だ。


 故郷に帰り着けた幸運な者達ですら、南国には珍しい「雪」が降った頃だった。


 痩せ細った身体が懐かしの村、懐かしの我が家に迎えられた時、もちろん家族は喜んだ。


 しかし、村のどこかで、小さく「ちぇっ」と舌打ちした者がいたのは事実だった。


 食糧を割り算する「分母」が増えてしまったことに気付いたからであった。

 





 2024年の6月現在の日本では、昨年収穫した米が足りなくなりつつあるそうです。7月には早場米が収穫できるので「米不足騒動」までは起きない見通しですが、もしも、今年台風で早場米がやられると、ちょっと困ることになります。米の品種改良も、そして保管技術も進み、栽培技術だって進歩した今日の日本でも、こんなことが起きるんですね。

 そして、この世界ではクニ婆が言う「ヒドリの夏はオロオロし」の地獄があちらこちらでフタを開けつつあります。


※ご存じだとは思いますが、本話のタイトルの元となる言葉は「情けは人の為ならず、巡り巡って己が為なり」と続きます。広辞苑によれば「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。」という意味です。鎌倉時代くらいに生まれた言葉のようです。


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