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第60話 ワインのお味は

 パーティーの音楽は聞こえなくても、王宮内のさざめきは伝わってくる。


「なぜ、私が招かれないのだ!」


 一息に飲み干したグラスをダンっと卓に叩きつけるように置きながら、アルトは独りごちた。


「オレをバカにしやがったな」


 戦勝記念というのであれば、王太子として下々を労う立場だ。密かにスピーチの原稿も用意していたのに、誰も呼びに来ないことにショックを受けた。それどころか、専属メイドが数名残っただけで、後はパーティーの仕事に駆り出されている始末だ。


『私は王太子だぞ! 国王陛下がご病気なら、私が代わりに出るに決まっているだろう! 本来の主賓だ! それなのに、のけ者にしおって』


 うっぷんに任せてテーブルのワイングラスをなぎ払った。ガチャンと高価なワイングラスが砕け散る。


 慌てて近寄ったメイドは「今、片付けます」と言いつつ、チラッとワインボトルについたままになっている「小さなリボン」を見て仰天した。


『これって、国賓用の秘蔵ボトル!』


 文字が読めないメイドがいても間違えることがないように、それぞれのワインにはメイドだけが知っている記号として、ボトルごとに小さな目印になるリボンが付いている。通常は、テーブルにサーブされる前にソムリエが外しておくモノだ。


『と言うことは、この方は自らワインセラーに入り込んで持ち出したんだわ。おそらく勝手に』


 ワインセラーはソムリエの牙城である。厳しい修行をくぐり抜けて、ワインセラーの温度を一定に管理するために、人の出入りを極端に制限している場所だ。


 俗に「王侯貴族の入れぬ場所は、ワインセラーに、女風呂」などと庶民が俗謡にするほどなのだ。もちろん、庶民にとっては「ワインセラー」などというものは一生かかってもお目にかかれない場所であるが、この俗謡は「無理なこと」のたとえとして使われるものだ。


 庶民(男)が入りたいと願うのは「女湯」であり、王侯貴族は自らワインを選びたくともソムリエの牙城には入れないものだというのが世界の決まりのようなモノだ。


『ワインセラーに侵入して勝手に国賓用の秘蔵ボトルを持ち出すなど、王族と言えどもあってはならないことです』


 その程度の判断ができないと、王宮のベテランメイドとは呼ばれないのだ。


 メイドがボトルをじっと見つめていることに気付いたアルトは少々慌てた。


「なに、これはだな…… 王宮にあるワインをしっかりと私に教えないのが悪いのだ。王太子に向かって、王弟ごときに出していたのと同じワインを出すなど不敬であろう」


 実は、アルトとてワインセラーがタブーの場所であるのは知っていた。だが、皇太子の立場であるのに、王宮の中ではごく普通の、つまりは自分がかつて飲んだことのあるレベルのモノしか供されないことへの意趣返しのつもりだったのだ。


『王太子に出すべきワインがあるだろ!』


 もちろん、ソムリエ側にアルトを貶める意識は毛頭無い。王弟から王太子となったアルトを軽く見てのことでは無くて「国王陛下も含めて、普段の王族に出すべきワインをお出ししている」という程度のつもりなのである。事実として、王宮の3等級と言えば、庶民の給料が半年分ほど飛んでしまう品質だけに、決して粗末なモノでもなかっただ。


 現在の王も「これでは贅沢すぎないか」と何度も言っているほどだ。そんなワインを出しているのに「不敬だろう」とは難癖以外の何ものでもないだろう。


 メイドの不満が顔に兆したのを察知したのは、長らく「人柄良し」と言われてきたアルトだけはある。


「すまぬな。手が滑った」


 王太子が「詫び」た。実はこれも帝王教育をしっかりと身につけてない哀しさである。王族はめったなことで謝ってはならないのである。ここで最大限に譲歩するならば「手間を掛ける」という感じでねぎらう言葉が適切だった。


 しかし、メイドは、そこまで考えることなく機械的に答えるのみだった。


「めっそうもございません。今、代わりのグラスをお持ちしますので」


 三十代半ばの中年メイドがペコペコしながら片付ける。ベテランだけに、その手際は水際立ったものであったのだが、実は、このメイドに対しても不満があった。


 アルトは「なんで、こんな年増を付けるんだ! 王宮にはもっと美しくて若いメイドがいるだろう!」と思っていたのだ。


 だが、現実の問題として言えば、高位貴族の当主や王族に「そっちの目的」もないのに若い-したがって技術の拙い-メイドを付けることなどありえないのである。


 片付けるメイドの年齢ゆえの豊かな尻の肉を見ながら、アルトには別の怒りが湧いてきている。


『くそぉ~ ミネルバビスチェを妻にと指定したはずだ。無視しやがって。何でオレが妻にと決めた女が、家臣の妻に、それも第三夫人にするだと? ありえない。それとも徹底的に王族を軽視するって言う宣戦布告か?』


 考えてみれば、あの時のノーブルの顔は変だったと思い返してしまう。少しも仲間意識など持っていないに違いない。むしろ、こちらと隔意があるのを隠してない感じだった。


 そこまで考えると、酔いも手伝って怒りのメーターが振り切れてしまった。


『くそぉ、こうなったら、こっちにだって考えあるぞ!』


 国王陛下が御不例となった現在、あらゆる国事において「代わり」となるのは王太子であるというのは、どんな貴族でも常識だ、それを利用しようとアルトは考えていた。


『オレが王太子だってことを、お前達は忘れているんだろう。あるいは「アルトごとき」、後から何でも言うことを聞かせられると思ったか?』


 立太子の式を経て以来、正式に王太子となったのだと、立場を強く自覚しているのがアルトだ。


 次の国王が自分である以上、サスティナブル王国の中心は自分であるに決まっているのだと思うアルトは、つい先日「国王陛下の代理」の書類に玉璽まで押したことを綺麗に忘れていたのである。


 王国法において、王太子は「次の王」になるまでは何の権限もない。これが歴然たる事実であることを、誰もアルトには教えてくれなかったのだ。いや、多くの貴族も「王太子には一切の権力も権限もない」と言われてもピンとこないはずだ。


 しかし、王国法においての王太子権限というものは「国王陛下の委任を受けたときに」という但し書きが常に付いているのである。あるいは、国王陛下が身罷られれば、臨時で権力が生じる。ゲールがかつてそれを悪用したように、事実上の「国王」と同じ権力を握れる。


 だが、その事実の裏を返せば「国王陛下がご存命であり、何の委任を受けてない王太子ができることなど何も無い」というのが法的な解釈であった。しかも唯一の特権と言っても良い「国王代理」を務める権能は既に自ら手放しているのである。


 知らないとは幸せなことなのであろう。


「へへへ、早くオレの所に頭を下げに来いよ。王国の予算も、アマンダ王国の扱いも、オレが全部止めてやるからな。泣いて詫びるまで、絶対にサインなどせぬぞ」


 そこまでブツブツと呟いたとき、ようやく代わりのグラスが届いた。


「遅くなりました。こちらを」


 テーブルにグラスを置いたのは黒服の男であった。


「ん? そちは?」


 その男こそ、メイドに囁かれて慌てて飛んできた筆頭ソムリエである。自身が命よりも大切にしていたワインセラーから「盗み出されたワイン」がテーブルに載せられていることに、忿怒の表情となっていた。


「殿下。そのワインでございますが」


 さすがに気まずい。しかし、王太子たるもの、このような下々に弱みなど見せられるモノかと、自分を励まして強気に出るアルトであった。


「うん? そちが予を見くびってケチなワインしか出さぬからだぞ? こんなに美味いワインを隠して、いっこうに出さぬとは実に不敬であろう」

「殿下にお出ししているワインは、国王陛下にお出ししているモノと同一でございます」

「しかし、普段出されているモノよりも高級なモノがあるというのは……」

「そのワインはまさに幻のビンテージと言われておりまして、値段など付けようも無い貴重なものでございます。よって国賓用にせよと、国王陛下より命じられていることにございますが?」


 ソムリエの声には明らかに非難の色が強い。アルトも開き直ってムクれたのだ。


「その貴重なワインを買う予算も、予が認めぬと通らぬことを知っておくのだな」


 ふふん、と鼻で笑って見せたのは、アルトなりの精一杯の嫌がらせでもある。


「わかりました。今後、ワインの予算はいただけないのでございますね?」

「そちの振る舞い次第だぞ?」


 ニヤリと笑って見せてから「逆に予算を増やしてやるのもやぶさかではないんだぞ」と余裕の表情で己の権力を見せつけようとした。


「そうでございますか。ワインの予算はないということでございますね。承知いたしました」

「いや、そんなことは言っておらぬ。あくまでも、そちの態度次第だと言っておるのだ」

「ワインセラーの温度管理ができませんでしたので、今後、お出しできるワインは少々味が落ちますことをご理解ください。拙子わたしには質の変わってしまったワインを、いくらお金を積まれても戻すことなどできませぬので」


 深々と頭を下げた職人気質のソムリエは、それ以降、アルトに対するときは能面のような表情になったという。


 ただし、職人のプライドとして、わざと味の変わったワインを出すようなマネだけはしなかったのだが、アルトは「いつ、酸っぱいワインを出されるのだ」とヒヤヒヤしていたのだという。


 華やかなパーティーの舞台裏で起きた、小さな小さな大事件であった。




 以前、あまりにも制限の多い「卒業式の国王代理のスピーチ」を嫌ったために(あえて、ビビらせたノーブルのやり口のエグさもありますが)自ら「国王陛下の代理」を委任する書類を作ってしまったアルト殿下は、まだ、その事実に気付いていません。もう少し経つと、誰も決裁書類を持ってこないことに気付くと思います。当たり前ですが、予算を決める権限どころか、ゴールズに予算を充てるため、大幅に王族の宮廷費(生活費)が切り詰められることを、まだ知らない……


 冷蔵庫も、エアコンもない中でワインセラーの温度管理をするのはムチャクチャ大変です。

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― 新着の感想 ―
取り敢えず後書きの誤字報告から >もう少し立つと 立つと→経つと 王太子殿下……もう少し思慮深ければ蔑ろにされても同情を寄せられたでしょうに… まあ蔑ろにされても読者が気に病まないキャラだというのは…
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