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第14話 恩賜実験農場の人達

本作品はカクヨム様で先行公開中です。


 ミィルは考えた。


「若様のお部屋が臭かったのは、ずいぶん前のことになりますよね」


 お年頃だから、お部屋が生臭くなるのは仕方ないと侍女頭のアザリン様から言われたけど、これは絶対に違うと思った。


 デビュタントの後で、()()()を果たしてから「アレはやっぱり違ったのね」と確信した。だって、ちっとも嫌なニオイじゃなかったもの。むしろ胸がわくわく、ドキドキする素敵なニオイだと思った。


『じゃあ、あの時、いったい、なんであそこまで生臭かったのだろう」


 あの夏の日にお部屋が臭かった理由は、いまだにわからない。


 だって、あの時は若様がお出かけの後、みなで大掃除する必要があったほどだ。


 一緒に掃除をしてくれたエルが言ってた。


「実家が農家なんだけどさ。なんだか、肥料を作ってる時のニオイに似てるわね」

「農家って大変なんだね」


 エルは「ううん」とかぶりを振って笑った。


「慣れちゃえば、どうってことないんだよ。それに、ここから美味しい野菜ができるんだなって思ったら、ちっとも苦じゃなかったわ」


 そういうものなんだろうか?


 そんなことを思いながら、今日も若様の下着を洗ってる私だ。洗濯係のメイドはちゃんといるけど、お役目を果たした晩以来、これだけは私の仕事にしてる。


 最近はアテナ様が来て「させて」と仰ったけど、それだけは丁重にお断りした。


「奥方様が殿の下着を洗うのは、お手が付いてからだとうかがっております。その暁まで、お譲りするわけには参りませぬ」

「そっか。私の所有者様は、メイド達からも慕われているのね。とっても嬉しいわ」


 アテナ様は、カラリと優しい笑顔を見せてくださった。


 ()()()()が正妻様になるかは私達のあずかり知らぬ所だけど、候補の姫君すべてがお優しいのは、やっぱり若様のお人柄なのだなと、嬉しく思った。


 

・・・・・・・・・・・



 畑仕事にも限界を感じてた。そもそも気持ちが付いてこない。


 残った畑は人を雇うほどの広さはない。でも、コノナド村一番の「緑の手」と言われる私でも、女手一つでは、できることが限られる。


 それに、もう生きる甲斐なんてなかった。


『怨みはしないけど、寂しいんだよぉ、あんたぁ。あの子を連れて、先に逝っちまうなんて。あたしゃ、何のために生き残っちまったんだろうね』


 夫のことも可愛かった息子のことも考えない日はなかった。


『いっそ、あの時一緒に死ねば良かったんだよ。もう、生きていくことに、価値なんてないのさ』


 夫と二人で耕してきた農場も、年を追うごとに少しずつ荒れていく。頑張っているつもりだが、一人では中々行き届かないのだ。


 どんなに新しい野菜でも、絶対に育ててみせる。それが私の生まれついて得意なことのはずだった。


 夫と二人の時は色々と作ってはみたけれど、もう、挑戦する気力も湧かない。


 ブロンクスという商人から誘いが来たのはそんな時だった。


「新しい作物と、子ども達を育てる施設に来てみないか?」


 私は、一も二もなく話に乗った。


 見たこともない野菜と子ども達を育てるという二つの仕事があるらしい。一体何がどうなるのかはわからなかったけど、野菜の方は何とかなると思った、


 金の話もしていたようだが、正直どうだって良かった。お貴族様の趣味の農場みたいだし、食べる分くらいは何か作れるだろう。


 野菜のことは、正直、後回しだった。


 私の関心は子ども達のことだ。


「孤児達を育てることになるよ」


 それを聞いたら放っておけない。お貴族様の腰巾着みたいなヤツが引き受けたら、子ども達がひどいことになるのはわかってるからね。


 せめて、私の目の届くところだけでも子ども達を飢えさせたくない。ただ、ひたすら、それだけの気持ちで引き受けたのだ。


 領都「エド」の郊外の農場は広びろとしていた。土も肥えてる。


「これなら何でも作れるじゃないか」


 ホッとした。


 引き会わされた孤児達はどの子も痩せていた。ろくすっぽ食べさせてもらえなかったんだろう。涙が出ちまうよ。


 10歳を頭にして、ピヨピヨの餓鬼どもが、痩せこけた姿をしているのは見ていられない。


 とにかくイモを植え付けさえすれば、何とか生きていくことはできる。後はどれだけ援助してもらえるかだ。


 ここで、金の話をしていなかったのを後悔した。


『給金を出すとか言ってたみたいだけど、どうせ、そこから色々と天引きするんだろ? こういう所は、みんな同じさ』


 だから、何とか手元に取っておいた種を育てて、この子達を飢えさせないようにしよう。思い出の農場も売り払って、半年分の食費も手に入れた。もう、あたしは後に残さなきゃいけないモノなんてないんだ。せめて、子ども達がお腹を空かせて絶望する顔を見たくないんだよ。


 そのためならなんだってする。この子達を、ぜったいに何とかしてみせるって誓ったんだ。


 そして顔を合わせた大人連中は悪くなかった。むしろ、農場を一緒にやるなら最高のメンツかもしれない。


 婆さん達と、それに私と同い年の女は、みんな名前を聞いたことがあった。近隣の村々で、私に優るとも劣らない「緑の手」の人達だ。特にクニ婆と呼ばれる長老がいたのは驚いた。


 この人は、私なんかじゃ及ばない生粋の農家、というよりも農業の女神と言われた人だ。こんなすごい人が混ざってるなんて。


 話を聞いてみたら、息子夫婦と孫が相次いで倒れて、絶望してここにきたらしい。


 目的は私とそっくりだ。心強かった。


 ただ、若い女が三人いた。リン、メグ、アイ。騙されて、悪所に売られそうになったところをブロンクス()()が助けたのだという。


 確かに私から見ても見た目は悪くない。これならそこそこの商人が愛人にしたがるに違いない。そっちの方がよほど良い暮らしができるだろうと思ったけど、生き方は本人の自由だ。


 愛人をするよりも、畑を耕して生きたいと思うのは自由。それに子ども好きなのは一目見てわかったし、働き者の手をしてるのも好ましかった。


 一生懸命に生きようとしているんだから、その手助けをしてやろう。

 

 それにしても、女ばっかりになっちまったね。まあ、男の子もいるから、5年後を楽しみにしておこうか。


 そして肝心の雇い主。


 初めて会った「ご領主様の坊ちゃん」は、ちょっと頼りない感じだったけど、優しそうな雰囲気だった。


 しかも、私なんかに、直接話しかけてくれる気さくさだ。


 雲の上の存在なのに、なんて良い方なんだろう。もう、その瞬間から尊敬する気持ちになったよ。


 ありえないこに私達の安全を気に掛けて家紋を農場に使ってくださるらしい。


 正直、愕然とした。


 そんな光栄を受けるなんて! 領主様の家紋を掛けた農場? そんなところで働けるなんて考えたこともなかったよ。


 しかも、騎士様が警備までしてくださるとおっしゃってる。至れり尽くせりとはこのことだよ。


 厳しい口調で、ブロンクスさんに申し渡している言葉が聞こえてきた。

  

「建物は、当面あり合わせでも良いけど、絶対に寒くないように暖房をケチらないようにすること。それと衛生面を気に掛けて」


 え? 私達なんかの暮らしまで気にしてくださる? 伯爵様の若様か? こんなにお若いのに?


 神様のお使いじゃないのかって、本気で思ったね。


「君がアンか」


 え? 私に聞いてるの? これって答えちゃっていいのかな? 相手はお貴族様だよ。気安く答えたら、いきなりバサッとかないよね? 


 優しそうだから、いきなり本人が「無礼者! 手打ちじゃ!」とかはないと思うけど、お付きの騎士様達が、どうなさるのかわからない。


 戸惑っていたらニコッと微笑まれた。うわっ、心を奪われちゃう笑顔だ。

 

「大事な仕事を任せるんだ。これからは必要なことはどんどん話してくれ。敬語もいらん」

「へ、へぇ。ありがとうごぜぇやす」


 良かった。いきなり切られたりはしなくてすむらしい。


「とりあえず、支度金を渡しておく。他の農場員には後でお前から渡してやれ」


 え? 直接、お金を受け取るの? だって、手が触れてしまうよ? こんなの、普通の御貴族様なら家臣けらいにやらせるもんだろ? 


 手をおっかなびっくり出したが、グッと掴まれて小銀貨を渡された。


 うわわわわわ。お貴族様に手を触れてしまったよ!


「そんな、もったいない」

「かまわない。孤児達は手伝いに雇っているが、お前の子どもだと思って大切にしてやること」

「はい。子どもは大事にします」


 お優しい。これだけいただけば、ここにいる子ども達も向こう三ヶ月は余裕で食べていける。


 でも、まだ、安心しちゃだめ。


 ここから色々と天引きされて、気付いたら逆に借金を背負うとか言うことだってあるんだ。さっきは、三人娘を…… 特にアイを見ていたよね? ひょっとしたら、お手付きになさるおつもりかしら。


 お貴族様だから、そのあたりは仕方のないことだし名誉なこと。だけど子ども達の見えないところでしていただけるといいね。それは、どのタイミングでお願いしたら良いんだろう?


「必要なことがあったら、どんどん申し出ること。子ども達に、ケチケチしないで腹一杯食わしてやってくれ」

「もったいないお言葉」


 あぁ、そうか。お貴族様だと、このお金でどれだけの間、子ども達に食べさせられるのかわからないのかもしれない。


 決して少ないお金ではないけれど、子ども達の服だって、いつまでもボロボロのままでは可哀想だし、色々と物入りになる。


 それをどうやって稼ごうか?


 その時、きっと私は金勘定を頭の中でしていたのがバレていたのかもしれない。


「給金は、銅貨30枚で、農場長には50枚とする。子ども達は月に5枚だな」

「ありがとうございます」


 良かった。どうやら、借金漬けにするつもりは無いらしい。それどころか、給金までくださる? しかもそんなに? 子ども達にも銅貨5枚って、そんなことありうるの? それに「月に」ってことは、毎月くださるおつもりなのかしら? まさかだよね。ピヨピヨの餓鬼に月に銅貨5枚だなんて。そんなばかな話あるわけない。

 

「それと食費は、一日分を銅貨30枚で何とかしろ。毎日、ブロンクスの方から届くようにさせる」

「え?」

 

 戸惑った。


 いったいどういうことだろう。


 食費が毎日、届くって言ってるよね。


 え? じゃあ、あの小銀貨は食費じゃないの? 支度金ってことは、子ども達に服なんかを買ってあげられるの? っていうか、ホントに給金がもらえて、それ以外に食費が出る? そんなバカな待遇無いよ。


 天国みたいな場所はありえないもん。


 そっか。みんなの給金から引くって意味なんだよね、きっと。落ち着け。ちゃんと確かめておかないと。後で、子ども達の泣き顔を見るのは嫌だからね。


「あの、お給金から、どのように引かれるのですか?」


 それだって、待遇が良すぎだけど、ひょっとして、お貴族様の情けで、そんな好待遇にしてくれるのかもしれない。みんなの分の給金を足せば、子ども達にもお腹いっぱい食べさせてやれるかもしれないよ。


「ん? 食費は経費だから、給金とは別だよ? 子ども達も働く以上、少ないけど多少はお金を得る体験をさせておいた方が良い。管理は任せていいな?」


 ウソだろ? 本気で言ってる…… 仰ってるの? アタシ達みたいな者に? いやいやいや、ひょっとしたら、子ども達をこき使うことが前提かも。


「そ、それは、もう。あの、子ども達をどのように?」

「それは、お前が考えて好きなように使え。ただし、子ども達を働かせて良い時間は、日が昇ってから真上を過ぎたあたりまで。昼飯もちゃんと食わせろ」

「え? 昼餉を食わせていいんですか?」


 大人は我慢できるけど、子どもって朝晩だけでは絶対に腹が持たない。子育てをした母親ならみんな知ってることだ。けれども、働かせる方は「そんな時間があったら働け」が普通だ。


 だのに「昼飯もちゃんと食わせろ」だなんて!


 良かった! 子ども達に「腹ぺこぉ」って泣かせなくてすむんだ! 


 食費だって、一日に銅貨30枚もくださるなら、十分すぎるほどに食べさせられる。毎日、お肉とか魚だって食べさせられるよ。


 子ども達に、美味いものを食わせられる。なんて幸せなんだ!


「腹一杯食わせろ。子どもは、いっぱい食べて、大きくなるのが一番の仕事だからな。農作業が終わったら教師が来ることになっている」

「きょう、し、ですか?」


 え? 子ども達が働くのが実質半日? 本当にそれで良いのだろうか? でも、今「大きくなるのが一番の仕事だ」って。そんな言葉、()()()()()()()()()()()()だ。


 私の心が感動で一杯になってるのに、そこにさらに、ありがたい言葉が降ってくる。


「そうだ。子ども達に文字と算術を教える。もちろん大人も学んでいい。子ども達の数だけベッドを用意する。この先増えたら、ちゃんとブロンクスに言うんだぞ」


 こ、この人は、神様だ。子ども達も、それに三人娘も、いや、私達だって文字が読めるようになるかもしれない。


 でも、喜ぶのは、まだ早かった。若様は、こうお続けになった。


「子ども達の体調もお前の責任だ。ちゃんと様子を見て、病の時はすぐに領館(やくしょ)まで知らせるように」


 え? 病気になったら知らせろってことは、お薬をいただけるということ? まさか、お医者様に診ていただけるとか? まさかだよね?


「あのぉ」

「なんだね?」

「子ども達が病の時は、ホントに医者に診てもらっても?」

「ん? 病気になったら医者に診せるのは当たり前だろ? ただ、医者に掛かると金が掛かるから、ちゃんと領館まで知らせろってこと。別経費でこっち持つ。でも、病気に負けないくらい、たくさん食べさせて元気に育ててくれ」


 そんな……


 孤児達だよ?


 なんで、そこまでしてくださるの!


 気が付いたら、私は「ありがとうございます」だけしかいえなかった。泣けて泣けて、泣けて。


 あぁ、そうか。私が生き残ったのは、《《この方にお会いするためだったんだ。》》


 きっと、きっと、お応えしてみせます。何をどうしても、どんなことをしても! 


 後ろのクニ婆達も、きっと同じ気持ちになったのだろう。拝んでいるけど、私だって、拝んでしまいたい気持ちだった。


 子ども達も、それは伝わったらしい。


 自分たちの幸運と、幸せをもたらしてくださった若様を仰ぐ気持ちでいっぱいだった。


 あぁ、三人娘はお年頃だねぇ。感謝の気持ちも溢れてるみたいだけど、お目々にハートが入ってるよ。


 うん、うん、機会があったら、お手付にしていただけるようなチャンスは作って上げるからね。


 頑張るんだよ。


 そう…… 頑張る。


 私達は、宝の山のような野菜クズの中を、丹念に、探し回ったんだ。


 今年の夏までに、若様になんとしても報いてみせる。


 一番小さなジムさえも、決意を込めて「やらなくっちゃ」と呟いている。


 そうだよ。


 人として、ここまでしていただいたんだ。そこに恩返ししようと思わないヤツは人じゃない。


 幸いにして、この「恩賜実験農場」に来た者は、全員が「人」だったらしい。


 奇跡を与えていただいたなら、奇跡を返して見せます。


 この「緑の手」の名にかけて!




ちなみに、この世界の庶民は、一ヶ月に銅貨30枚くらいが普通の男性労働者の給料です。労働者の一家4人の食費は一ヶ月に銅貨20枚くらいだとされています。

銅貨100枚で小銀貨デナリウスとなります。


なお「緑の手」というのは、今日の我々もよく使います。その人が植物を育てると、なぜか、上手く育ってしまうという事があり、そういう特技を持つ人のことです。

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