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第41話 雑巾

 ブラスコッティが病床に呼ばれたのは、ちょうど、宮中で花瓶の割れた時だった。


 ベッドの横に置いてある椅子に座ったが、何となく居心地が悪かった。いつになく、メイド達が一人も顔を見せなかったし、何よりも、人が全く見えないのに微かな気配が、そこここに感じられるのだ。


「感じ取れるようになったとは、お前も成長したな」


 声に力は入ってないが、目には光りが戻っている。


「安心しろ。お前がゾワゾワしているのは影の者達だ」


 つまり、スコット家の影に部屋を見張らせているということだ。


「お館様、一体、何を?」

「最後の最後で醜態をさらしたな」

「そんなことは断じて!」

「よい。今日伝えるべきは三つある」

「はっ」


 すぐに切り替えられるのがブラスコッティの美点だ。


「一つは、ゲールだ。裁判を引き延ばせ。半年もすれば自然と死ぬ」

「お館様が何かを?」

「いや、私は何もしないし、誰も何もしない。おそらく最初の兆候はひと月もかからぬはずだ」


 こういう「予言」が外れたことはない。だからこそ「王国の耳」なのだ。


「わかりました。裁判を引き延ばします」

「二つ目はアルト殿下が嫁を求めている件だ。シュモーラー家のトゥフテーシェを婚約者扱いで紹介できるように交渉しろ」


 その言い方が微妙であることに違和感を感じるというよりも、アルト殿下が嫁を求めているなどという話は初耳だった。


『嫁を求めているということは、ノーブル様が交渉に行った、王太子の件は通ったと言うことか』

 

 父の言葉から、裏を読むのは子どもの頃から厳しく躾けられてきたことだ。この程度は当たり前に読み取る。

 

「そうだ」


 息子の表情から、自分の言いたいことを理解したのだと察知したリンデロンは、満足げに頷いた。


「婚約者扱い、というのは?」


 言い方が微妙だ。普通なら結婚相手とでも言うべきでは無いか。


「2年だ。その後、お前と結婚させることを引き換えにすれば、コーナンは飲むはずだ」

「え? 私と結婚? あの、私には婚約者がおりますが」


 もちろん、忘れているとは思えないが、シュメルガー家の分家の娘と婚約中だ。西への特別任務さえ無ければとっくに結婚していただろう。


「公爵家が妻の2人や3人、抱えられずにどうするのだ」


 ささやかな反論をにべもなく撥ね付けるリンデロンだが、自身はハーモニアスしか妻としてないのは問題と考えてないらしい。


「ということは、アルト様に婚約はさせるが、2年後に解消させると?」

「彼女は王妃教育を受けている。家格として問題ない。国内がこういう時期だからということで、婚約式も内々ですませるということで押し通す。彼女には気の毒なことではあるが、さしあたり他に手がない。お前が何とかするんだ」


 無理難題である。一応、顔くらいは分かるが、まさか「王太子となるオッサンの婚約者のふりをしろ。代わりに2年後にオレがもらってやる」なんてことを本人が交渉するのはあまりにも厚顔無恥な振る舞いになってしまう。


 しかし、こういう命令は常に「王国のためになる」ということを知っているのもブラスコッティだ。国のために、を考えるときに自分のことは計算外にしろというのはスコット家の教えだ。拒否などできるわけが無かった。


「わかりました。全力を尽くします」


 満足げに頷いたリンデロンは「最後に」と言った。


「はい」

「私は、本日でスコット家家長を辞する。とはいえ、お前では若すぎる。家長はお前だが、法相はアーサー殿を頼め」

「え! あ、あの、えっと」


 さすがに狼狽える。驚くことが多すぎた。一番の驚きは、法相にアーサー殿を指してきたことだ。


 変人アーサーを法相に?


 王国中の貴族がひっくり返るだろう。


「大丈夫だ。アーサー殿は、機が熟せばお前に地位を渡してくる」

「いえ、そういう部分では無くてですね!」

「高位貴族家の家長として経験を持ち、現時点で自家の問題を抱えず、世俗の欲にとらわれない方だ」


 確かに、それはその通りであるが、問題は本人が「変人」であることではないのだろうか? 彼に法相などできるのであろうか?


「ついでに教えておくとノーマンも宰相を降りる。ヤツの場合は息子に任せるまでには時間がかかる。分家のノーチラスを指定することになっている」

「えぇっとハノーバー家の? あの方は男爵でしたよね」


 言葉を返しながら、父親が「なっている」という言い方をしたことにブラスコッティは気が付いた。


「まさか、この事態を予想してノーマン様と事前に話し合われていたのですか?」

「多少、想定とは違うが、我々が殺されるケースは常に想定しているのは当然だぞ。同時に殺された場合は、エルメスが処置することになっていた」

「ひょっとして、エルメス様がアマンダ王国で戦後処理をなさって、戻られないのも何か関係が?」

「我々三人が同じ場所にいれば、偶然が働くこともあるからな。その意味ではキヤツが、あそこに行ったのは偶然だが、分かっているからこそ戻ってこないというのはあるのだろう」


 何とも凄まじい読みだった。自分の死をも前提とした計画まで立てねば、王国の舵取りというモノは務まらないのであろうか。


 ブラスは、あの死地でも感じなかった「背筋が寒くなる」と言う体験をすることになったのだ。


「それに軍関係はショウ君に…… ショウ閣下に任せられる上に、今は軍事よりも政略ターンだからな。嫡男に国軍を任せていても、問題ないと思っているはずだ」

「わかりました」


 そこまで喋ったリンデロンは、力が尽きたのだろう。ズルッと身体を滑らせる。慌てて手を添えて、寝る体勢へと手伝うブラスコッティである。


「頼んだぞ。執務室を今日から使え。金庫の鍵は、お前だ」


 そう言って、力尽きたのか、ガクッと枕に頭を沈めた。


 一瞬、慌てかけたが、これは「疲れ」によるモノだと見極めて、宿直のメイドを呼ぶに留めた。一晩中、ランプを灯し、見守る役目だ。


『それにしても、金庫の鍵が、オレ? どういうことだ?』


 執務室の話は分かる。そして、金庫とは重要書類が入っている巨大なヤツのことだろう。しかし、その「カギ」が自分であるという意味が分からない。


 寝てしまった父を起こすことなどできない。


 ともかく、カギを探さないことには話が始まらなかった。


 家令のヘンリーを呼ぶことも考えたが、宝石等のスコット家の財産に関わる金庫ならいざ知らず「執務室の金庫」ということは例のアレに違いない。王国の暗部に関わる書類が入っている場所だ。どれほど信頼できる家令であっても、人に教えるほど楽天的にはならないだろう。


『ここは考えどころだぞ』


 重厚な設えの部屋は、実用側に傾いてはいても、美的感覚を疎かにしているわけでも無い。書類入れ、本棚に至るまで、職人が丹精込めて作ったモノが使われている。


 ブラスコッティは、部屋の二重鍵をきちんとかけてから、内側からのセーフティーロックを掛けた。万が一、二重鍵を解錠されても、特注のセーフティーロックを外すのは容易ではない。


 たとえ「影」であっても忍び込めないだけの備えをしてあるのがこの執務室だった。


 迷うことなく奥へと進む。


『金庫って言うのは、これのことだよな?』


 金庫の場所だけは、嫡男として認められた時に教えてもらっていた。


 作り付けの本棚の奥から3番目。下から3番目の棚に収まる本を抜き取って良く見ると、壁紙に微かな切れ目がある。


 そこを思い切ってグッと押すとカチッと小さな音を立てて、壁に穴が開いた。中には持ち手の付いた水平ハンドルがあって、そこをグルグルと回していくと、横の本棚が、本棚の最下段を残したまま、少しずつ前に出てくるのである。


 けっこう努力の必要な作業であるが、辛うじて人の入る隙間ができるとブラスコッティは、スルッとそこに体を入れた。


 やはり同じような壁紙しか見えないが、ちゃんとドアのサイズで切れ目があり、鍵穴だってあるのだ。


『ここが、金庫ってことだろうな。後はこのカギか…… う~ん、カギはオレ? 指を入れるとか? いや、それじゃ鍵にならないよな。魔法でもあれば、オレの顔を見て勝手に開いてくれたりするんだろうけど』


 いったん、本棚の空間から執務室に戻って、周りを見渡した。


 その時、気が付いたのだ。


「父上、こんな物を飾ってくださっていたんだ」


 気付かなかった。


 王国のためなら家族のことを後回しにする父親の執務室に不釣り合いなモノがあったのだ。


「これは、メロディーが初めて刺繍したやつだろ? こっちがリズムのヤツだ。あ、懐かしいな、これは王立学園で初めて作った革のポーチではないか。いやぁ、我ながらひどい造りなのに、こんな物を飾ってくれていたなんて」


 仕事に関しては一切の妥協も、家族ゆえの甘い顔も見せなかった父の執務室をゆっくり見たのは初めてだった。しかし、重厚な造りの執務室に、そこだけは「家族」を持ちこんでいたのだなと、嬉しくなったブラスコッティである。


「家族か。父上が執務室に家族のモノを、しかもオレ達の、こんな未熟な初めての作品を飾ってくださるなんて……」


 慌てて駆け寄ると、ポーチを開けた。


「これか! なるほど。カギはオレ、ってことだったのか」


 自分が王立学園に入って初めて作ったポーチを、妹たちの「初めての刺繍」と一緒に飾ることで、まさか、と思わせたのだろう。


 長時間、ここを捜索できるなら別だが、盗人が短時間で探し回っても隠し金庫のギミックも、まして「子どもが作った幼稚な作品」を探すこともしないはずだ。


 そして、ブラスコッティは「自分の作品」にカギを隠してくれた父親の愛情に触れた気がして嬉しくなったのだ。


 心がほわぁ~とした息子は、早速カギを使った。


 その晩、王国の暗部を記した数々を知ったブラスコッティだった。


「人としての温かさ、なんてことを考えたら、絶対に父上の後なんて継げないのだな」


 父親が常にまとっていた()()()()()()を、初めて理解できたブラスコッティであったのだ。


「汚れた場所を綺麗にしてくれる雑巾は、自分が汚れを引き受けるからってことなんだよなぁ」


 どれほど綺麗に使おうとも雑巾は、しょせん雑巾なのである。決して食事の時のナプキンには使えなくなる。


 その時ふと、考えた。


「ノーマン様は復帰を考えられるのと、父上が復帰を考えられないってのは、このあたりの差なのかもな」


 窓の外はゆっくりと明るくなってきた。


 自分は、サスティナブル王国の雑巾になるのだと、一人の才能ある若者が心に決めた暁であった。


 




  

リンデロンが退職を決めた同じ日に、ノーマンは「休職」を決めていました。

職務上、宰相の政治判断には様々なスタッフで検討し、プランを作る必要がありますが、リンデロンの「影の仕事」の方は、秘密を背負う人が少ないほど利点があります。その違いは大きいようです。だから法相としての「表」側をアーサーに任せて、暗部を息子に引き継がせたわけです。

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