第32話 冬の終わり
たぶん「帰ってきた」という安心感があったのだろう。
周りを包む雰囲気というか、空気感みたいなモノ。それが緊張し続けていたオレの心を溶かしてしまった。
だから、いつの間にか膝枕されても、ちっとも目が覚めなかった。昨日まで、50メートル向こうの小枝を踏む音で瞬間的に目が覚めるオレがだぜ?
アンビリバボー
それとも、ウチの嫁達は「眠りの魔法」でも使えるんだろうか?
目覚めた瞬間、そんなばかなことを考えてしまうほど熟睡してしまった。
『あれぇ、空が狭い』
巨大なモノに上空の視界を遮られてる。でも、誰の膝にいるのか直感的にわかってしまうんだよね。
「おはよ」
「おはようございます」
声で「やっぱり」って感じ。
「脚、痺れちゃったね」
体感的に3時間くらいは膝枕をしてくれていたはずだ。
視界を塞ぐ巨大な塊の上で、顔を横に振った気配が伝わる。
「特権ですから」
どうやら「第一夫人の特権を使った」と言いたいらしい。でも、普段なら第一夫人として、どっちかというと自分が我慢する方を優先させる子だ。
もちろん、これは照れ隠しだよね。
今回だけは優先権を使った…… 使ってくれたんだ。愛情が伝わってくる。
「ありがとう、メリッサ」
「いえ。こちらこそ。みんなには申し訳なかったのですけど、今回だけはお譲りすることを我慢できなくて」
そう言ってくれるけど、今回はメリッサがしてくれるのが一番平等に思えたんだろうってことも同時にわかる。だって、これが最適解だもん。他の誰がしてくれていても、わだかまりが出るはずだ。
『リーゼなら別だろうけど、さすがに、あの細い脚に膝枕は無理だもんね』
思わず、笑いそうになってしまった。だから、やっぱり女性同士のことは「お任せ」で大丈夫ってこと。信頼できるぅ~
ただ、それよりも何よりも、愛情という名のフレーバーが付いている膝の感触は最高だ。
『悪いけど、あとちょっとだけ』
そんな風に思いながらメリッサの優しさに甘えていると、優しい手が頬を撫できた。
体をややかしげて、オレの方を覗き込む美しい顔には愛情と、気遣う優しさが浮かんでる。
脚がジンジンして、身動きするのも辛いはずなのに、それすら嬉しいと感じてくれるのが伝わってくる。
これが、オレの妻だ。生涯、オレにだけ愛情を…… いや、子ども達には別の愛情ができるんだろうけど、ともかく、夫への愛は独占できる相手だ。
なんて嬉しいんだろ。そして、待ってくれている人は他にもいる。なんて嬉しいんだ。
「みんなが待ってるね。そろそろ下に行くよ」
「はい」
と言っても、痺れた脚だ。立ち上がれるはずがない。
有無を言わせずお姫様抱っこ。
メリッサは、いっさい抵抗することなく、オレと息を合わせてピトッと胸にもたれてくれる。まるでくっつき合ってデザインされたみたいに、二人は一つになる。
何時間も膝枕で甘やかしてくれるのも、こうやってお姫様抱っこを素直に受け入れるのも、今まで通りの信頼関係があるからだよ。
腕の中にいてくれる、羽のように軽い温かさが、家に戻ってきた実感なんだね。
狭い階段も、メリッサの軽さなら全然負担にもならない。大広間の大階段まで出ると、みんなの嬉しそうな視線が向けられてくる。
みんな、待っててくれたんだ。
母上に抱かれるようにして、体を横にしているのはバネッサ。
そこに毛布をかけて、優しく見守ってくれるのがミィル。
お仕着せのメイド服の上に珍しいカーディガンを羽織っていると思ったら、下には汚れや土が付いているらしい。おそらく防衛のお手伝いに走り回ってくれたんだろう。バネッサの側にいるために、上に羽織っているんだね。
メロディーは、リーゼを胸に抱えてくれてる。細い腕でしっかりと。オレのいない間に、二人がしっかりと信頼関係を作ってくれたんだって、それだけでも丸わかり。
目が合ったら、優しく微笑んで小さく頷いたのは、抱いているリーゼを起こさないようにするためだ。
本当に心の優しい妻だよ。
ニアは勇ましくパンツにブーツスタイル。手に画板を持って、何か書き付けていたから、きっとカクナール先生の助手でもしていたんだろう。
目が合って微笑んでから、照れ隠しみたいに画板に何かを書き始めてる。
「ただいま」
「「「「「おかえりさない!」」」」」
みんなの声が一つになった。
メリッサをソファにそっと降ろすと、母上の前に跪く。
「ただいま戻りました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「怪我はありませんでしたか? また、無理したのでしょう? 大事ありませんか?」
自分のことよりも、オレの体を気遣ってくれる。
「はい。一眠りして疲れも吹っ飛びました」
「良かったです。あなたの妻達に世話になりました。いっぱい褒めて上げて下さいね」
「はい。母上のお役に立てたなら、何よりです」
みんなが嬉しそうに見つめてくれる。涙の母にハンカチを渡してくれたのは、バネッサだ。
チラッと聞いたけど、大事に育てられてきた令嬢である母は一度も「怖い」とも「辛い」とも言わなかったらしい。その代わり「ショウ」という言葉を口にした時だけは、心配そうな表情だったらしい。
母上にとっては、オレがどんな活躍をするよりも、ただひたすら「無事に帰ってきて」という思いだけがあったんだ。
そして、それはみんなも同じ。
あれ? 母上がモノ言いたげにオレの後ろに目をやってる。
「ん? 忘れちゃった? アテナだよ」
「え? あ! な、なんで、男の子の格好なの」
忘れてた。男装のアテナに慣れすぎてたか。普通は驚くよね。
メリッサが驚いた様子じゃなかったのは、オレが寝ている間にアテナと顔を合わせてたからだろう。オレを起こさないように会話はしてなかったけど、おそらく、オレが寝ている間の様子を見て事情を察したんだろうね。
「それについては、今度ゆっくり説明するよ」
その時、リーゼが目を開けた。
「あれぇ…… おにぃ、ちゃま! ゆめ?」
「ただいま、リーゼ」
スッと手を伸ばしたら、スポッと胸に入ってきた。
チビちゃんの特権だよね。てらいもためらいも、立場なんてモノも関係なく、ただ、ひたすらに飛び込んでくるだけで癒してくれる。
幼女のニオイをついつい、クンクン。
『あ~ リーゼだぁ、幼女だぁ、癒されるぅ』
聞きようによっては危ない人みたいだけど、だって。マジで癒されちゃうんだもん!
まだ女性になってなくて、ミルクっぽさを残しつつ、そのくせ、しっかりと女の子のニオイだよ?
こんなニオイを吸ったら、ふわふわさせられちゃうに決まってるじゃん。
すぅ~
あぁ、リーゼだぁ。
保護欲をそそるニオイに癒されながらも、否応なく「仕事」を思いだしてしまう。そう、愛する人達を…… オレを愛してくれる人達をきちんと守るのがオレの役目だ。
ギュッと抱きついてくるリーゼをそのままにして「とりあえず、まだ、外を片付けないとだよ。でも、今回は2、3日で帰ってくるし。父上には家にいてもらうから。もう心配ないからね」
みんなの心配そうな顔に心惹かれる部分はあったけど、いくら「貴族は丸投げで良い」と言っても、ここは頑張りどころだ。オレが前に立ってこそ、士気が上がるんだからね。
「アテナ」
「はい」
「3時間だ。休んでくれ。その間に準備するから」
「わかりました」
こういう時、ミィルが全部手配してくれるから、頼む必要すら無いんだよね。
アテナも心得たもので、躊躇なくミィルと一緒に歩き出したよ。
「久し振りぃ」
「あのぅ、ありがとうございました」
「いーの、いーの。独占しちゃってた。ごめんねぇ」
肩をちょっとすくめて見せて、おどけた表情をしながら楽しそうに歩いて行った。
オレが「休め」と言って素直に行ったのは、ちゃんとこの後のコトがわかっているからだ。
ゴールズのメンバーは、ツェーンがしっかりと休ませてくれていた。
だから、邸の守りの点検をして、鉄条網をたっぷり出して後のコトをカクナール先生に依頼した。
それにしても、ケガ人はたくさん出たけど、まさかの死者ゼロは嬉しかった。マジでありがとう。
ソラさん達が頑張ってくれたらしい。ガラスビン、贈らなくちゃかな?
とはいえ、まだ民間人のみなさんに、しばらくの防衛をお任せだけど、敵をこっちに近づける気はゼロだ。
ヘクストンには、みなさんに小金貨を渡すように言いつけて、ついでに一人一箱、非常用のパンをお持たせだよ! ちなみに小金貨は前世だと100万円くらいだけど、庶民にとっては、一家が10年は働かなくてもいい金額。おそらく1億円分以上の価値だよ。
傭兵って考えると高すぎるけど「ウチの家族のために命がけで働いてくれた感謝の気持ち」としては安いくらいだ。
オレ個人の資産から払っても、全く問題ないしね。いや~ 貧乏伯爵家の息子が、こうなったなんて、感無量だよ。
と、あれこれ指示をしていたらアテナが出てきた。
「じゃ、行こうか」
「はい」
「ツェーン、出発だ。敵のメインを追撃しつつ、バラけた敵を壊滅させる」
「ガッテンで」
もちろん、目の前にはゴールズのみんなが揃って、出発を今か今かと待ちわびてる。
「野郎ども、追撃戦だ。一人も生かして帰すな!」
「「「「「おぉおお!」」」」」
一気に走り出したオレ達に、城壁の上から、降り注ぐような拍手が浴びせられたんだ。
それから2日。
メインストリームの敗残兵を包囲殲滅した後は、5人組に分かれて徹底的に「狩り」出したよっていうか、民間人のみなさんが勝手に探し出してきてくれるんだよね。
どうやら、ウチを狙った「敵」に怒り心頭だったらしい。オレ達が手を下すまでもなく、地元の若い衆に袋だたきに遭うケースが続出したよ。
えっと、市民のみなさん、あまり危ないマネは……
って思ったらさらに強力な民間組織が現れた。ブロンクスを始めとする商人達が、自家の護衛を積極的に投入して探し出してくれたんだ。
領民達にとって、こんなに居心地の良い領地に手を出すのは許せなかったらしい。
たぶん、9割6分は潰せたので、残りはじっくりとやっていくってことでいったん戻ることにしたんだよ。
既にカーマイン邸は、臨戦態勢をだいぶ緩めていたっていうか、予定通りに「カーマイン家の大逆の疑いは解けた」との急報が入ったってことで、もう安心。
同時に、東部方面騎士団の「役目」は解かれたので、彼らの困惑と言ったらなかった。
とりあえず、彼らも命じられての行動だ。いったん王都に戻らせて、話は後でゆっくりだよ。
『ドルド様達が上手くやってくれたってことか』
そこで、少し落ち着いたら、オレの前にソラさんの仲介で「就職志願者」が現れたんだよ。
それも女性だ。
「ショウ様」
「えぇっと、先生に様とかつけられると、ちょっと落ち着かないんですけど」
ネムリッサ先生がオレの前で頭を下げてきた。
「いいんです。オレンジ領では女性も仕官できるとうかがったのですが?」
「先生が来てくださるなら嬉しいです」
気立てが良くて優秀な人らしいし。あれ? なんでモジモジしているんだろう。
「よかったら。あの…… 年もあれで、あのぉ、得意なのも体の方ばっかりなのですけど」
「え? 先生、ちょっと、今、そっちは増やすつもりはないのですけど……」
確かにネムリッサ先生は高位貴族の家系らしく美女だよ? 年齢も気にするつもりはないけど、今のところ妃を増やしてる余裕なんてないもん。
「あ! 違うの、違うの! むしろ、それは困るの」
チラッと横を見ると、そこにはソラさんがポリポリと頬を掻いてる。
「あ、な、なるほど」
いつの間に……
「ソラさん」
「はい」
「なんだったら、独身用のお家から、世帯向けに移ります?」
「そ、それは! ちょっと気の早いって言うか、その、あの、あ、えっと、移らせていただきます」
ネムリッサ先生まで、真っ赤な顔して「ありがとうございます」とお礼を言ってくれたよ。
ま、後で家財道具はプレゼントするとしよう。
どうやら、もともとお互いに気になっていたのを、今回一緒に戦って、すっかり盛り上がってしまったらしい。
あ~ これは、他にもあるかも!
まあ、12月も半ば。もうすぐ年も明けるし、spring has come(春が来ましたね)だぜ!
戦ってくれた人々には、一様に小金貨をお渡しして、貴族家の関係の人には、少し色をつけました。チョコレートを付けたら、むしろそっちに喜んでくれた人が多数います。
それと、ソラさんだけじゃなくて、一緒に戦った仲間に恋が芽生えるのはありがちですよね。ミチル組のみなさんとトビー(ミルメェル)、ジョン(チハクロル)、ケント(ルミ)が「約束」をしたようです。ただし、一人前になって久しく「早く結婚しろ!」と言われているソラさん、ネムリッサ先生と違って、学園生組は親の許可を得なくてはいけません。でも、ショウ君が仲立ちしたら、親もダメとは言えないですよね。
あれ? そう言えばサムは? と言えば、ちゃんと「感謝のお手製刺繍」をご褒美にいただいてニコニコです。あ、もちろんカーマイン家とは庇護関係が結ばれ、本人はゴールズの一員に抜擢もされました。良かったね!
……え?