36 選択した進路⑤
ビル・クラークは、校舎の回廊から卒業生が学び舎を去る姿を眺めていた。誰もが弾むような足取りで旅立っていく。
その中に、オフェリアとユーグの後ろ姿を見つけた。ふたりは仲良く並び、ときどき互いに顔を向けながら笑っているようだ。
同年齢に見える彼らが師弟関係なんて、ほとんどの人が気付かないだろう。恋人だと説明した方が納得するに違いない。
「ふっ、もう終わったことなのに情けない」
恋に区切りをつけたつもりだったが、正直まだ羨ましい気持ちは淡く残っている。
十五年ぶりに見たオフェリアは、出会った三十五年前から何一つ変わっていなかった。美貌も、純粋そうな性格も何もかも。
不老という呪いを受け、百年以上も経っているのに、オフェリアの芯は真っすぐなまま。普通の人間であれば荒み、自暴自棄になり、健全ではいられないというのに彼女の心は魂のように穢れていなかった。
クラークが惹きつけられたのは、容姿よりもオフェリアのそんな内面にある。
そんな彼女を救うべく自分が悪魔の闇を払い、本来の光を取り戻してあげたいと思っていた。
ただ、クラークでは間に合いそうもなかった。
「ユーグ君、これからが勝負ですよ」
そっと、小さくなっていく青年の背に呟く。
人間の時間の進行速度は、想像以上に速い。今は同世代に見える容姿も、油断していたらあっという間に離れていく。
そして自分に残された時間の少なさに絶望するのだ。恋の有効時間ではなく、生きていられる時間の短さの方に。
クラークも必死に魔法陣の研究を進めてきたが、果たして自分が生きている間に目標に辿り着くのか怪しくなっていた。年老いていくたびに、思考の鈍さも感じてきて、以前のような発想力も速い計算もできなくなってきている。
いよいよ、若い弟子を見つけて引き継ぐときが来たか――と腹を括った。こういう日が訪れることを想定して、優秀な魔術師の卵が集まるルシアス学園の教員になったという背景もある。
そして生徒らを品定めしながら待っていたとき、現れたのがユーグだった。
しかも、師匠はオフェリア。ユーグの実力は申し分なく、不老について隠さずに済み、呪いと魔法陣を絡めて教えられるところも都合が良かった。
『ぐんぐん成長していく姿を間近で見られて、非常に楽しかった』
オフェリアに語った言葉は本心だ。
自分がオフェリア救うつもりで長年続けてきた研究成果が、他人のものになってしまうことに、最初は自分で誘っておきながら心中穏やかにいられなかった。大人げない意地悪な言葉も投げかけた自覚もある。
しかしユーグと過ごしていくうちに、クラークのプライドは軟化していった。
寝る間も惜しんで徹夜で勉強に没頭するユーグの姿勢は心配になるほどで、彼が倒れてしまわないよう、気付いたときにはクラークからあれこれ世話を焼いていた。目の下の隈の濃さに驚き、強制的に眠らせたこともある。
『どうしたら、落ち着いた……余裕のある雰囲気の大人になれますか?』
不服そうにしながらも、どこか恥ずかしそうに聞いてきたときは愉快だった。
クラークが恋心を拗らせて五十を過ぎても独身だというのに、恋愛相談してくるとは夢にも思わなかった。オフェリアに好かれたくて背伸びする姿は非常にいじらしく、他でもない自分を頼ってきたことが嬉しかった。
想いを寄せる人のために脇目を振ることなく、一途にこれだけの情熱を見せられて、絆されない方が難しいだろう。自然とユーグを応援している自分がいた。
魔法も処世術も、教えた分だけ余すことなく吸収していく子どもの姿を見るのがこんなにも楽しいのかと、不相応ながら父親になった気分を味わうこともできた。
だからオフェリアに「クラークさんと私で育てた子どもみたいね」と言われたときは、研究に捧げた人生が報われたように感じてしまった。
恋が叶ったわけでも、彼女との間に子が生まれたわけでもないが、ユーグという共通の教え子を通して夫婦気分を一瞬でも味わえただけで十分幸せだ。
だから願う。
「オフェリア殿、次はあなたの番です。どうか、報われんことを」
クラークは踵を返し、研究室へと向かう。この先も可愛い教え子が頼れるよう、さらに魔法陣について追い求めるために――。





