第一部 第三章 アルキス城(後編)
公務宮殿にある図書室の扉を開けるまで、ユナは給仕以外の人物に会うことはなかった。
ラクスに会わなかったことに関してもホッとできることだったが、議会の議員に会わなかったこともユナを安心させていた。
かつてユナの推進派だった議員は会う度に王族への復帰を進言してくるし、ケルス推進派だった議員には嫌味の一つも言われてしまうからである。
ユナが図書室の扉を開けて中に入ると、そこはひんやりとした空気に包まれていた。本が痛まないように、日光はどうにか本の題名が判別できるくらいまで極力弱く入るようにしてあるし、部屋の照明もわざと弱くしてある。
また、そこにある書物は全て貸し出しを禁止している。
王宮の図書室には貴重な書物が多く、王宮の図書室にのみ存在する書物も少なくない。その代表的なものが、アクトに関する書物である。
アクト排除法成立時、製造法の書かれた書物は全て焼かれるなどして処分されたが、一部処分を免れた書物は全て王宮の図書室に収められた。
たとえ製造法の書物ではなくとも、アクトに関する書物が持ち出されれば再びアクトを制作しようとする者が現れないとも限らない。よって、それまでは申請書の提出のみで閲覧できた王宮の図書室も、申請書を議会に通すことが義務付けられるようになった。たとえ可能性が低くても、可能性があるうちは警戒しなければならないからである。
図書室の中にラクスの姿はなかった。ラクスの部屋はユナの部屋よりもさらに私宮殿の奥にあって別れ際のラクスはそちらに向かっていたし、ユナは自分の部屋に入ってからさほど時間をおかずに部屋を出て図書室に向かったのだから、それもそれで当然なのかもしれない。
それならば、たとえラクスが図書室に来たとしても、出会う前に図書室を出て行くことができるかもしれない。
その安心感が加わって、ユナは図書室の入り口近くの席で仕事をしている司書に声をかけ、鍵を借りて特別室へと向かった。アクトに関する書物は、図書室の中でもさらに別室として設けてある特別室の中にあるからである。
特別室の中はさらに厳重な警備が備え付けてある。そこにある本を特別室内から持ち出すと警報が鳴る仕掛けが、どんなに薄い書物にも取り付けてあるのである。もちろん、それを取り外そうとしても警報が鳴る。
このように、アクト排除法成立以来、アクトに関しては様々な厳重処置が取られている。
しかし、それでも製造法以外の書物が残されているのは、サスカーがアクト本体は排除しても知識だけは残そうとしたからである。アクトに関する書物の中には、アクトを製造するまでに必要だった医学や生命工学に関するものもある。それを焼いてしまうことは、医学界や生命工学界に波紋を投げかけることにもなりかねなかったのである。
ユナは特別室に入ると、アクトに関する書物が並べられている棚からまず刻印について書かれたものを手に取った。ルシアの肩にあった刻印が本当にアクトのものかどうか、確かめたかったからである。
その結果はすぐに出た。
ユナが手に取った本のページを一枚めくると、そこにはルシアの肩にあったものと同じ刻印が、一ページ丸々使って掲載されていたのである。
それについてさらにページをめくると、こう説明がなされていた。
【アクト制作の最高峰と言われるラニア研究所の刻印。刻印のモチーフは天使の片翼。
これほどきめ細かい刻印を施せるは、現在同研究所以外ではほぼ不可能と言われている。それは同研究所が持つ高い技術力と、他の研究所とは違い、アクトの製造法を一切公開していないという事実があるためでもある。
ただし、同研究所のように多角形ではない刻印の技術に成功した研究所も出てきている。
また、同研究所で制作されたアクトは一番人間に近いと言われているが、同研究所は女性型のアクトのみを制作している。
同研究所制作のアクトは年間を通して数体のみ。それは、制作費として普通のアクトの数倍の費用がかかるためと考えられているが、詳細は不明である。
同研究所は、非常に謎の多い研究所である。】
記述の最後には、ラニア研究所で実際に制作されたアクトの写真が掲載されていた。女性型で設定年齢は17,8歳くらいだろうか、髪と瞳の色は薄い茶色だが、体格はルシアと似ていた。
これでルシアがラニア研究所で制作されたことは、本当に確かなものになってしまった。刻印、人間らしさ、全てがラニア研究所の持っていた特性と一致する。
アクトは制作するための完璧な施設が整っていても、家一件建つくらいの費用がかかると言われている。ラニア研究所で制作されたアクトがその数倍であるということは、その制作費がとてつもない額であることが、金銭感覚のそれほどないユナにもよくわかる。
現在でもアクトには高額な懸賞金がかけられているが、一体制作する費用には程遠い。
パラパラとページをめくってユナが本を読み進めてみると、ラニア研究所以外の工場や研究所で制作されたアクトについて、その刻印・特徴が何種類も掲載されていた。子供を失った人のための幼児タイプ、生活を補助するためのヘルパータイプなど、実に様々な種類のアクトがいたのだとユナは初めて知ることとなった。
ディバの森ではルシアがいる手前、ラムルにあまりアクトのことを聞くことができなかったので、ユナはここで出来る限りアクトについての知識を頭に入れておきたかった。
ユナは手にとっていた本を棚に戻し、別の本を探し始めた。資料的な書物ばかりなので、たった今棚に戻したものと似たようなタイトルばかりが本棚に並んでいる。
アクト排除法成立以来、アクトに関する書物は全て出版を禁止されているため、本自体痛んでいるものも少なくない。内容が全て現在形で書かれているのも、アクト排除法の力を物語っている。
それでもかつては裏の世界でよく出版されたりもしたが、そんな場合は、著者はもちろん、出版を手助けした者、さらには買った者にまで厳罰が下った。そのため、いつの間にかアクトに関する書物を出版する者は、ほとんどいなくなった。
今でも極わずかではあるが、アクトに関する書物が裏の世界で売買されている。しかし、アクトを制作するまでには至っていない。それなりの施設を建設するだけでもかなりの費用がかかり、アクト排除法により協力する人もわずかで、現実問題としてアクト制作は不可能になっていた。
ユナは気になった本を手に取って少し読み、またそれを本棚に戻して別の本を探すという作業を繰り返した。せめて部屋まで本を持ち出すことができればいいのだが、それも不可能なので、まずはじっくり読みたい本のあたりを付けてそのタイトルを記憶することにした。
ユナがおおよそ20冊目の本を手に取ったとき、ユナの背後の扉が開く音がした。
ユナが本を胸に抱えたまま振り向くと、そこにはラクスが立っていた。
目の前にいる人物がラクスであるとわかった瞬間、ユナの心臓は1回大きく鼓動した。本に集中していたため、ユナが考えていた以上に時間が経過していたらしい。
「ラクス王子でしたか。突然扉が開いたので驚いてしまいました。」
ユナは胸に抱えていた本を棚に戻しながら言った。その行動をすることで、ユナは早くなる心臓を抑えようとしていた。
「こちらの部屋にいたのですか。捜してしまいました。『アクトの存在意義』ですか。ユナはアクトのことに興味があるのですか?」
ラクスに持っていた本のタイトルを見られたことでユナは動揺してしまった。たとえタイトルを見られなかったとしても、本を戻した位置でユナが持っていた本のジャンルは伝わってしまうわけだが、動揺が抑えきれないせいでユナはそこまで考え至らなくなっていた。
「ええ、少し。あの、ラクス王子はもしアクトが発見されたらどうなさいますか?」
ユナは尋ねないと決めた質問を、あえてラクスにした。ここであえてアクトの話題に触れないのはおかしいかもしれないと考えたのに加え、先ほど尻切れになってしまった結婚のことに話題を向けさせたくなかったからである。
「アクトですか……そうですね、法に則ってやはり破壊するでしょう。しかし、個人的には破壊したくはありませんね。」
「え……どうしてですか?ラクス王子は保守的な立場をとられているので、絶対に破壊すると、そうおっしゃると思っていました。」
ユナは驚きを声に表した。全く予想していなかった答えだっただけに、余計である。
「確かに僕は保守的な立場をとっています。今のこの国が好きですから。しかし、アクトに関しては少し違います。アクト排除法は祖父が独断で決めたものだと聞いています。いくら王といえども、議会の意見だけではなく、国民の意見も無視して法律を作れば、国は乱れます。そういう法律を王位を継いだからといって無条件に守る必要があるのかどうか、考えてしまいますね。あまりいい意見とは言えませんが。」
言葉の最後に、ラクスは少し苦笑した。
ラクスの意見はユナにとって意外なものだったが、ありがたい意見でもあった。不可能だと考えていた、ラクスを通してのケルスの説得ができるかもしれない。
しかし、ケルスは自分というものをしっかりもっている。ユナはすでにアクトのことをケルスに話してしまっているのだから、ラクスまでも突然ケルスを説得しようとしたら、他人を利用して説得するなどとは、と余計に説得が不可能になることも考えられる。
結局、自分で直接ケルスを説得するのが一番いい、という結論にユナは達した。
「私は祖父のことをよく覚えていませんけれど、祖父は身勝手な人だったのでしょうか?」
ユナはそのまま話題を続けた。このまま話題を反らせ続けられれば、という思いが強く作用している。
「いえ、決してそのような方ではなかったと僕は思いますし、父もヴァリス様も、祖父が身勝手な人であったとは言っていませんでした。もちろん、アクト排除法のことを除いて、ですが。」
ラクスはユナの言葉の後、すぐに否定の言葉を述べた。
よくよく考えてみれば、ユナがかすかな記憶を辿っても、サスカーのことを語る父も母も、批判したのはアクト排除法以外のことでは思い当たらない。
サスカーが死んだとき、ユナは8歳だった。ユナが忙しかったサスカーと話す機会はほとんどなかったが、わずかに話した記憶の中では、やはり身勝手だという印象は残っていない。
そこを考えても、サスカーが身勝手だったということはなさそうだった。
「祖父が生きていた頃、僕も幼かったですからあまりよくは覚えていませんが、祖父はとても厳格であり、優しい方だったと思い出せます。今思い返すと、善と悪をはっきり分けているような、そんな方でした。」
「父も母も、ラクス王子と同じようなことを言っていました。それだけに、アクト排除法の成立が祖父の独断であったことが腑に落ちなかったようです。」
「僕の父も同様です。祖父は多くを語る方ではなかったようですから。父もヴァリス様もかなり祖父を問いただしたそうですが、結局祖父の口からは何も語られなかったそうです。」
サスカーが王になる以前、アルキス王国は議会と王族の癒着が激しく、賄賂が飛び交い、腐敗が国を覆い尽くそうとしていた。
クーデターの噂が流れ、軍事部門が強化され、国民の王に対する不信感は募るばかりだった。王国1000年以上の歴史がもう終わるのではないか、と誰もが思い始めた頃、サスカーが王位についた。
サスカーは王位につくと同時に、王族と議会の腐敗を一掃することから始めた。議会の議員のうち5分の3がまずサスカーによって一気に首を切られた。全て賄賂などの疑いがあった議員たちだった。その後もさらに首が切られ、合計で4分の3の議員が辞職へと追い込まれた。
次にサスカーがやったことは、首を切った議員からの隠し財産の徴収だった。ただし、賄賂によって私腹を肥やしていた分の回収であったので、生活に必要なだけの財産は元議員たちの手元に残された。
これにより、赤字続きだった国庫も黒字へと転化することとなった。
その他、サスカーは全てを厳しく取り締まった。しかし、それは全て国民のことを考えての取締りであったので、国民には支持されていた。
また、サスカーは新しくなった議会の意見や国民の意見を多く取り入れ、政治に反映させていた。
もしサスカーが王位についていなかったら、もしくは5年遅れて王位についていたら、アルキス王国は滅んでいただろうと街中ではささやかれた。
そんなサスカーが突然議会や国民の意見を無視してアクト排除法を制定したときは、誰もが怒りを感じる以前に驚きを感じた。サスカーの95%という絶大な国民からの支持率も、このアクト排除法により半減した。
ただ、アクト排除法以外は全くと言っていいほど、サスカーの政治は非の打ちどころがなかったので、最終的には支持率も75%前後までは回復した。
サスカーはアクト排除法制定の理由を誰にも語ろうとはしなかったため、サスカーのアクト排除法に対する思惑は結局誰にもわからなかった。
「ユナは祖父がなぜアクト排除法を制定したのだと思いますか?いくら考えても、僕にはわかりませんでした。」
「さあ……私にもわかりません。ただ、宗教的な理由やアクトに対する憎しみがあったということで、アクト排除法を制定したのだとは思えません。」
それさえわかっていれば、きっとユナがケルスを説得できる糸口もつかめるだろう。しかし、今のところその糸口の片隅すらユナには見えない。
それにしても、こうしてラクスと話しているとやはり話し易さを感じる。
幼い頃よく一緒にいたせいか、2人を取り巻く雰囲気をすぐに同化することができるのかもしれない。
「あの、私そろそろ部屋に戻ります。夕食の時間も迫っていますから。」
後に続く言葉をユナもラクスも言わなかったので、ユナはこれを機にラクスから遠ざかろうとした。どうしても、自分の結婚のことに話題を向けたくなかった。
「待ってください、ユナ。」
閉められた特別室のドアに向かって歩き出そうとしたユナは、ラクスの言葉で立ち止まらざるを得なかった。ユナとドアとの距離はユナの歩幅で五歩程度あったため、聞こえない振りをして部屋を出て行くわけにもいかなかった。
「先ほどの、廊下での質問に答えてはくれませんか?」
「私よりも、ラクス王子の方が結婚を考えるべきではないのですか?」
ユナはどうしてもラクスの質問をはぐらかしたくて質問に質問で返し、それに言葉を続ける。
「陛下からいろいろお見合いの話を持ちかけられているのではありませんか?王族で20歳ならば結婚を考える頃です。」
「確かに、そんな話はいくらでもあります。」
ラクスはユナのようにはぐらかさずに答えた。
「やはりそうでしたか。きっとラクス王子に相応しい女性が現れます。」
そう言ってラクスに背を向けたユナは、突然背後から抱きしめられた。
「はぐらかさないでください、ユナ。」
せっかく正常に戻りつつあったユナの心臓は、再び大きく鼓動を始めた。胸の上にあるラクスの腕に、その振動が強く伝わっているのではないかと思えるくらいに。
「ユナが気付いていないのならば、はっきりと言います。僕はユナが好きです。愛しています。ずっと、前から。」
ユナの想像は当たっていた。廊下でのあの言葉は、間違いなくユナに向けられたプロポーズの言葉だったのだ。
ユナを絞めつけるラクスの腕と首筋に感じる呼吸とが、ユナに今の状態が現実であることを奇妙に実感させていた。
ユナは胸元にあるラクスの腕に手をかけようとしたが、手が震えて感覚がつかめず、実行することはできなかった。
また、手だけではなく足も震えているのがユナ自身でわかるのだから、ラクスにも心臓の音と同様に震えが伝わっていることは確かである。
「あの……私は……」
言葉を作ろうとしても、ユナは頭で考えている言葉の100の1も口にすることが出来なかった。
そんなユナを差し置いて、ラクスは言葉を続ける。
「震えていますね。すみません、怖がらせるつもりはないんです。ただ、ちゃんと話を聞いてほしかったんです。でも、安心してください。これ以上のことはしませんから。」
ユナの耳元で静かに、しかしはっきりとラクスは話す。ユナの震えがラクスに伝わっているとわかったことで、ユナはもう言葉を口から発することが出来なくなっていた。
「ユナは、なぜ僕がこんなにも突然にプロポーズするのだろう、と思っていますよね。ずっと好意は示していたつもりでしたが、気付いていないのだろうとも思っていましたから。」
ラクスの言葉があまりにも図星過ぎて、ユナは心の中ですらラクスに言い返すことができなかった。
「本来ならもっと時間をかけて想いを伝えるつもりでいました。でも、僕ももう成人してしまいましたからね、今まで未成年を理由に見合いを断り続けていたものが、もう断り切れなくなってきているんです。ユナに気持ちを伝える前に見合いなど……僕には出来ない。」
それを聞いてユナは、ラクスもラクスで覚悟を持って自分と再会したのだと気付いた。ユナ自身、短い時間でケルスを説得しようと覚悟を持って王宮に来たように。今まで自分のことしか考えていなかったことに気付き、ユナは自分を恥じた。
また、隠居後のこれまでのラクスの自分に対する態度を思い出し、それは王宮に居辛さを感じるユナに対する思いやりでしかないと思っていたことにも気付いた。思い返してみれば、必要以上にラクスは自分と一緒にいてくれていた。あれには思いやり以上のことが含まれていたのだ。
「今すぐ返事を、とは言いません。祝賀祭が終わる日、夕食の後ここで待っています。僕のプロポーズを受けるのであっても、断るのであっても必ず来てください。はっきり断ってくれれば、もう二度とこんなことはしません。」
そこまで言うと、ラクスは腕の呪縛からユナを解放した。
ユナは解放されるのと同時に、その場に座り込んでしまった。足の震えが止まっていなかったために、立っていられなかったからである。
ラクスは座り込んでいるユナに立ちあがるよう手を貸すこともなく、そのままユナに背を向けて特別室を後にした。
特別室に残されたユナが再び立ちあがることができたのは、それからしばらくたってからだった。しかし、時間が経過してもユナの心臓は高く波打っていた。
その日の夕食の席で、ユナはどうしてもラクスと目を合わせることが出来なかった。
「夕食のとき、ユナはずいぶんお前を避けているように見えたが、何かあったのか?」
その日の夕食の後、ラクスはケルスに呼び出されて謁見室よりはだいぶ小さい応接室で向かい合っていた。
こうしてラクスがケルスに呼び出されることは、そう多くない。それだけに、話の内容は重要なものである場合が多い。
ケルスは椅子に座っているが、ラクスは座るべき椅子の横に立ったままでいた。
「ええ、少し……」
嘘をついてもわかってしまうとラクスは知っているので、肯定の言葉を口にした。
ユナの夕食の席での態度は、ケルスではなくても明らかにラクスを避けていると感じられるものであった。おそらく食事の席にいてそのことに気付いていない者は、ユナ本人以外ではいないだろう。
ユナは自分の気持ちをはっきり現わすことは少ないが、素直な性格のせいか、嘘がつけない。
「それが何かは言えるか?まあ、聞かなくともだいたい想像はできるがな。」
「あえて、伏せさせていただきます。」
「今までずっと見合いの話を断り続けてきたことと関係があるのだろう、とだけ余の口から言っておこうか。しかし、いつまでもそうくすぶっていては仕方がないだろう。お前も成人してこれからは政治の中心に入って来ることになるのだから、ユナとお前のことはそろそろ決着をつけなければならない時期でもある。余が言わなくともわかっているだろうが、王族として早く世継ぎを決めなければならぬのだ。お前が結婚しなければ話は進まない。」
「決着は、もうすぐつきます。はっきりとユナに断られれば、僕は見合いをすると約束します。父上がこれはと思った相手を決めてください。ユナでなければ、僕にとっては誰でも同じです。」
そう言い切ったラクスを見て、ケルスはラクスが自分と似ているな、と感じていた。ケルスの妻であり、ラクスの母でもあったレスカが亡くなった後、ケルスに後添えをという話も少なくなかったが、それを全てケルスは断っている。ラクスにとってのユナはケルスにとってのレスカに近いのかもしれない。
「そうか。ならばそのことについては何も言うまい。」
「父上はそのことについてだけで僕を呼び出したのだと思っていましたが、まだ他に何かあるのですか?」
ラクスはケルスの微妙な言葉の言い回しに気付いて尋ねた。
ケルスもそれを待ったいたように、言葉を続ける。
「ああ。気にするほどのことでもないと思っているのだが、ユナにアクトのことについて質問されなかったか?」
「ええ、されました。
『もしアクトが発見されたらどうしますか。』
と訊かれましたが。」
ラクスはユナが図書室でアクトに関する本を読んでいたことは伝えなかった。図書室でラクスとユナが会っていたことがわかれば、必然的にユナが夕食時に明らかに態度が変わっていた原因が、時間的に考えて図書室での出来事にあったのだとケルスに伝わってしまう。
ユナがアクトのことを気にしていたのをラクス自身も気付いている、という事実が伝われば十分だとラクスは考えた。
「余も同じ質問をされた。他にもいくつかされたが、ユナの質問にお前がどう答えたかは問題ではない。問題は、なぜユナがそんな質問をしてきたか、だ。」
「そうですね。僕もそのことは気になりました。ユナが王宮にいた頃、アクトの破壊についてなどの質問はされたことがありませんでした。アクトに多少の興味はあったようですが。」
「幼馴染みのお前が言うのだから、それは確かなことだろう。」
そう言ってからケルスは頭の中で考えをまとめ、それを口にする。
「余はユナに多くの書物を送ったが、王宮内より持ち出しを禁止しているアクトについての書物を送ったということは、絶対にない。それに、あのディバの森の中では密売書を手に入れることも不可能であろう。しかし、ユナは余と顔を合わせるとすぐにアクトの処遇を改善させるように言ってきた。実は、夕食の後でお前がいなくなった後にも同じようなことを言われたのだ。それが少し気になってな……」
「ラムルを呼び寄せてみてはどうでしょうか。」
ラクスはケルスにそう提案した。そして、その言葉の理由付けを続ける。
「ユナと一緒に暮らしているラムルならば、何か知っていると思います。そうでなくとも、ユナがディバの森に行ってからラムルは一度も王宮には戻っていませんから、いい機会ではないでしょうか。」
「そうだな……定期的にユナの暮らしぶりについての報告書は届いているが、余に伝えていない何かがあるのかもしれぬ。よし、そうしてみることにしよう。祝賀祭が終わった頃ここに着くよう手紙を出させることにする。ラクス、明日から祝賀祭があるのに呼び出して悪かったな。」
「いえ、久しぶりに2人だけで話ができてよかったです。」
「明日からは忙しくなるからな、疲れるだろうから、もう下がって休みなさい。」
「はい。そうさせていただきます。」
ラクスはケルスに向かって少し頭を下げると、そのまま応接室を後にした。




