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Evergreen  作者: 奈良 早香子
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第一部 第二章 アクト

 第二章 アクト



 その日、ユナとルシアはいつもと同じように薬草を摘むために家を出た。

 その道程がいつもと違うことにルシアが気がついたのは、家を出てからだいぶ時間が経過してからだった。

 ユナの家から少し離れると、同じ景色ばかりが続く世界となる。ルシアが道に違うと気付いたきっかけは、歩いた時間の長さであった。

「ねえ、ユナ。いつもと道が違うみたいだけど……」

 ルシアは道が違うことに気付いてから、更にまた時を置いてユナに尋ねた。

 ユナが道を間違えているとは思えなかったが、聞かないと不安が募った。

「今日はこれでいいのよ。今までルシアが農作業とか薬草を摘むのを手伝ってくれたから薬草もだいぶたまったの。だから、今日はお休み。かわりに、素敵な場所に連れて行ってあげるわ。ラムルには、内緒よ。」

 ユナは歩みを止めずに、横にいるルシアに笑いかけながら言った。

「素敵な場所?」

「着いてからのお楽しみ。ルシアもきっと気にいると思うわ。」


「わあ……」

 ルシアは目の前に広がった景色を見た瞬間、思わず感嘆の言葉が口からこぼれ、それ以上何も続けられなくなった。

 ルシアとユナの目の前に広がった景色の主役は、広く透明な湖だった。

 それなりに深い湖であるのに、底が見える。その証拠に、湖底に広がる石が水の揺らめきに合わせて転がっているように見える。

 また、日の光が水面に反射して周りの木々たちに水面の様子が映し出されている。水が透明であるのに加え、湖の形がうまく作用しているせいだろう。

「きれいでしょう。夕方の方がもっときれいなのだけれど、家から遠いからその時間まではなかなかいられないの。家に帰る頃には真っ暗になってしまって、ラムルが心配するから。乾季の日が長い時期になれば平気だから、その頃になったらまた見せてあげるわ。」

「本当に、きれい……」

 ルシアはまだ感動が収まらなかった。

 記憶を失ってはいるが、きっと失った過去でも見たことのないようなすばらしい景色だと、ルシアは感じた。

「この場所を誰かに見せたのは、ルシアが初めてなのよ。ラムルにも、他の誰にも見せたことがなかった、私だけの秘密の場所。」

 この場所は、ユナがディバの森に移り住んでまもなく、木々たちから教えてもらった場所だった。慣れないことで失敗続きだったユナを慰めるために、木々たちがしてくれた精一杯のことだった。

 ユナもこの場所に初めて来たときは、ルシアと同等、それ以上に感動した。

 この湖を見たことによって、ユナは森で生活を続ける決心がついたようなものである。

「どうしてこの場所をわたしに?」

 ルシアはまだ感動していたい気持ちを抑えてユナに尋ねた。

「どうしてかしらね。なんとなく、ルシアに見せたいと思ったからかしら。ううん、ルシアに見てもらいたかったから、かしらね。一緒にこの湖を見たかったの。」

「ありがとう。教えてくれて。」

 ルシアは心からの感謝をユナに捧げ、ユナもそれに笑顔で応じた。

「ねえ、ユナ。前から聞こうと思っていたことがあるんだけど、聞いてもいい?」

「いいわよ。何かしら?」

 ユナは平静を装ったが、その質問の内容が自分の力についてではないかと、一瞬心臓がドキリとした。

「ユナってすごく言葉遣いが丁寧よね。お金持ちの家なの?私を養ってくれるだけの十分な余裕もあるし……その、ラムルさんが働いているわけでもないのに。」

 ユナはその言葉を聞いて、

『そのことか。』

 と、心の中でホッと息をついた。

「ずっと前の話だけれどね。」

 そう前置きして、ユナは話し始めた。

「この世界がアルキス王国という王朝に統一されていることは、知っているわよね。」

「うん。1000年以上続いているのよね。」

「そう。アルキス王家は血筋によって1000年以上国を守り、動かしてきたわ。私はそのアルキス王家の、王女だったの。」

「王女……」

 ルシアはユナが想像以上の大物であったため、表情に隠しきれないほどの驚きを表した。心の中でも大きく動揺している。

「王女といっても、元王女だから。王族から籍を抜いてもう隠居した身だから権力は何もないのよ。国庫の中から私たちの生活資金が出ていたり、年に3回くらい国の行事に呼ばれて形だけ参加したりはするけれど。もし私が希望すれば王女の身分に戻れないことはないけれど、そのつもりは全くないの。今の生活が、とても気に入っているから。」

「どうして隠居したか、聞いてはダメ?」

「構わないわ。」

 ユナは少し微笑んで、ルシアを安心させてから言葉を続ける。

「権力争いがあったの。私と、現国王のケルス王と、どちらを王にするかで。もう5年前ね。ケルス王は私の実の叔父に当たるの、父の弟だから。私が男だったら、どんなことがあっても私が王になるはずなのだけれど、女だったからケルス王と私とに王になる権利が同じだけあったのよ。私が成人していなかったせいもあってね。それで、父が亡くなったとき、争いが起きてしまったわ。議会が分裂してしまって。それが1年くらい続いた後、私は全ての権利を捨てて隠居生活を選んだの。もともと私には王になる資質がなかったことも、ケルス王にこそその資質があったことも、十分にわかっていたから。それでも、最初はなかなか踏ん切りがつかなくてね、結局1年も先延ばしにしてしまった。だから、この森に来て4年になるの。」

「そう、だったの……」

「でも、私は王宮にいた頃よりも、今の生活の方がずっと好きよ。ここはとても空気がきれいで、自然も土地も豊か。時間が止まったような、こんな空間も大好き。それに比べて、王都は空気が澱んでいるから。」

「やっぱり都会は緑が少ないの?」

「そうね。自然はどんどん破壊されているわ。それがわかったのも、ここに来てからだけれど。都会にいるときは、文明の力で自然のことがほとんど目に入らなかったのよ。それが当たり前だと思っていた。文明は進んでいるけれど、自分の首を自分で絞めているようなものね。精霊たちがいれば、そんなことはなかったのでしょうけれど。」

 ユナはかつて自分のいた都会を思い出し、少し遠い目になった。しかし、そこに懐かしさはない。

「ずいぶん昔に精霊がいなくなったのよね?」

 ルシアの言葉で一瞬遠い場所へ行っていたユナの心は、元の場所に戻ってきた。ユナはすぐにルシアの言葉に応える言葉を口にする。

「ええ。100年くらい前という話だから、実際に精霊がいて魔法が使えて、というのを見て知っている人もいるかどうかわからないくらいだけれど。ただ、精霊がいなくなる前と後では自然破壊の速度が全然違うという話よ。今では、数字でしか知ることが出来ないのが残念だわ。」

 木々がユナに語るところによれば、精霊は人に近しい姿をしているが、その姿を人が認識することはできず、声のみが人に届くのだという。普段は人間とは別の世界で暮らし、人を助けるために精神だけ人間の世界に来ていた、という表現が近いらしい。なので、正確に言えば精霊が人の世界から消えたのではなく、精霊が人の世界に来なくなった、ということらしい。

「どうすることも、できないのかな?」

「精霊がいなければ……どうにもならないと思うわ。今更文明を捨てることなんて、出来ないと思うから……さあ、しんみりした話はこのくらいにしましょう。それに、そろそろ暗くなり始める時間だわ。できれば夕暮れの景色を見せてあげたいのだけれど、その時間までいると真っ暗になってしまうから。」

 ユナは暗くなっていた雰囲気と言葉を振り払うように、言葉の後半は少し大きな声で明るく言った。

「ユナがいればいつでもここには来られるから、景色を見るのはいつでも構わないわ。もっと日が長くなったときに、ゆっくり見たいとも思うし。さあ、帰ろう。」

 ルシアはそう言って、自らが先に帰り道の最初の一歩を踏み出した。

 と、そのとき。

 二人の視界を拳大の物体が右から左へと通り過ぎた。

「きゃあ!」

「いやっ!」

 ユナもルシアも突然の飛来物に叫び声を上げて一瞬目を閉じ、両手で無意識のうちに顔を保護していた。

 当の飛来物はというと、奇声を発することなく羽音だけ響かせ、ルシアの周りを飛び回って去って行った。

 その飛来物がルシアから遠ざかる直前、ルシアの左の二の腕に痛みと熱が走った。

「いたっ!」

 ルシアは痛みに声を上げるのと同時に左腕を抑えて座り込んだ。ユナは慌ててルシアに駆け寄る。

「たいへん!今のはディルだわ。毒はないけれど、傷口の化膿が早いの。今日は薬草がないから……とにかく、早く帰らないと。家に帰れば、薬があるわ。」

 ディルは小型の鳥で、鋭い鍵爪を持っている。その体の大きさとは裏腹に爪で握り込む力は強く、人の皮膚なら簡単に抉ってくる。襲われ方によっては傷が骨にまで達することもある。

 ディルは骨とまではいかなくともルシアの腕をかなりの深さをもって傷つけたため、傷口からはかなりの血があふれ出していた。ルシアの指の間から、絶え間なく血が流れ続けている。

 ユナは応急手当として、持っていたハンカチでルシアの傷口よりさらに上を服の上からきつく縛った。傷が深い場合、傷口を抑えるよりも心臓に近い部分を縛った方が血は止まりやすい。もちろん、ユナは別のハンカチでルシアに傷口を押さえさせることも忘れていない。

「立てる?」

「……なん……とか……」

 ルシアはユナに支えられて何とか立ち上がったが、今にも倒れそうだった。

「ラムルには医者の心得もあるわ。家に帰れば大丈夫だから、それまでがんばってね。」

 ユナはルシアの怪我をしていない右腕を自分の肩にまわさせて、夕暮れが近付く森の中、帰路を急いだ。

 その場には、ユナの肩にまわしたときにルシアが落としたハンカチと、流した血が残された。


[ディルは肉食で強暴だけれど、家畜を襲うことはあっても、人を襲うことなんてほとんどなかったはずだわ。確か、ディルにとって人の血液は猛毒だったはず……ディルもそれを知っていて、縄張りの中に入ったとしても巣を侵さない限り人を襲うことはほとんどないと聞いていたけれど……私たちはディルを刺激することなどしたかしら?]

 家路を急ぐユナの心の中には、一つの疑問が湧き上がっていた。



「おじいさま、大変です!ルシアがディルに襲われました。早く手当てを!」

 玄関のドアを開けるのと同時に、ユナは叫んだ。

 ルシアが満足に歩けないままの帰宅だったために、辺りはすっかり夜の雰囲気に包まれていた。

 明るい光の中に現れた二人の服には、血が飛び散っていた。特に、その中心となっていたルシアの左腕はひどかった。もとの服の色が白かったため、余計に血の広がりが鮮明に見える。

 ルシアの顔は蒼白で、まるで血が通っていないかのようだった。

「ディルに襲われた!?襲われたのはどのくらい前だい?」

 リビングでくつろいでいたラムルだったが、ルシアの出血の多さを見て驚き、一瞬言葉を失った後に続けて言った。

 ディルに襲われた場合、襲われてからちゃんとした手当てを受けるまでの時間が勝負となる。それをしっかりとユナに聞くところは、ラムルが慌ててはいても、我を失っていない証拠である。

「夕暮れの少し前くらいですから……手遅れになる時間ではないと思います。」

「わかった。早くルシアをソファーに寝かせなさい。儂は薬とお湯を持ってくる。」

 ラムルはすぐに席を立って薬箱を取りに走った。ラムルはすでに驚きから解放され、ユナには適切な指示をしていた。

 ユナはラムルに言われた通りルシアをソファーに寝かせ、そのとき初めてあふれていた自分の汗をぬぐった。

 ユナは次にルシアの近くで床に直接膝をついて座り、血にまみれたルシアの左袖を、近くにあったはさみで切り取った。

「ひどい傷……」

 ユナはこれほど酷い出血をした傷口を見たことがなかったので、少しだけめまいがした。ナイフで切られたのではなく、複雑な形をした爪で抉られたのだからその範囲も広い。

 それでもユナは気をしっかり持って、ルシアの肩口を縛っていたハンカチを外した。ハンカチを外しても、ルシアの傷口からはさらに多くの血が流れ出すということはなかった。範囲は広いが、そこまで深い傷というわけではなさそうだった。

「血は止まったかい?」

 薬箱をお湯を持って再びリビングにやって来たラムルの声に、ユナは少し驚いて後ろを振り返った。立ち上る湯気によって、ラムルの顔が少し霞んで見える。

「ええ、ほぼ止まっています。それに、幸いまだ化膿は始まっていないようです。」

「それならば、ちゃんとした手当てをすれば大丈夫だ。」

 ラムルは慌てていた表情を幾分緩め、ユナとルシアの方へと歩みを進めた。

 ユナはラムルに治療位置を譲り、ラムルの肩越しに治療の様子を見守った。


 しばらくして、手当ては無事終了した。

 傷口が広かったために手当てに時間がかかりはしたが、ユナの止血の効果もあって輸血が必要ということはなかった。

 麻酔を打っているので、ルシアは静かな寝息をたてて眠っている。

「もう大丈夫だ。麻酔の効果が切れて、意識さえ戻れば明日にでも軽い運動をするくらいになれるだろう。」

「そうですか……ありがとうございます。」

 ユナはやっと心から安心してホッと息をつき、体中を縛りつけていた緊張を解いた。無理な姿勢を保ってルシアを見つめていたため、緊張を解いたとたん、ユナは背中の疲れを感じた。

「久しぶりに医者として動いて疲れてしまったな。すまないが、後片付けを頼むよ、ユナ。」

 ラムルは額の汗を袖でぬぐいながら言い、立ち上がった。

「はい。おじいさまはもう休んでください。」

 ユナは自分の疲れをラムルに感じさせないよう明るく言い、立ち位置をラムルと交換した。ラムルが自分より疲れているのは、ラムルを見ていれば十分過ぎるほどわかる。

 ユナは治療道具をある程度片付けた後、血にまみれているルシアの腕を、傷口を刺激しないように丁寧に拭っていった。

 と、そのとき、ユナはルシアの腕に奇妙な痣があるのを見つけた。

 それは止血のためにハンカチを巻きつけていた位置よりもさらに上の、肩口辺りにあった。今まで服に隠されていて気付かなかったが、見れば見るほど、それはより奇妙なものであるとユナには感じられた。

 というのは、その痣が自然につけられたものに見えなかったからである。ルシアの肩にある痣は、ちゃんとした形を成しているのである。

 親指と人差し指で作るくらいの輪の中に、天使の翼のような肩翼が描かれている。それを描く線は細く、痣というよりは刺青のような感じさえした。しかし、そうは見えても刺青とはまた異質のもののようにも感じる。

 また、ユナはその痣をどこかで見たことがあるような気がした。

「おじいさま、すみませんけれど、ルシアの肩を見ていただけませんか?」

 ユナは部屋のドアを開けかけていたラムルを呼び止めた。

 ラムルはゆっくりと振り返り、柔らかい視線をユナに向ける。

「どうした?別の傷でもあったかい?」

「いえ、そうではないのですけれど……これが……」

 ユナは血を拭き取ってきれいになったルシアの肩にある痣を指差した。

「どれ……」

 ラムルは再びルシアの近くまで来て、ユナが示すルシアの痣を見た。その瞬間、ラムルの表情が凍りつくのをユナは見てしまった。

「……どうかしましたか?」

 ラムルが今のような表情を見せるときは、決していい結果が起こるときではない。ユナはそれを知っているので、ラムルから答えを聞くのが怖かった。しかし、聞かずにはいられなかった。

「……これは、アクトの刻印だ。」

 ラムルの口からは、無情の答えが零れ落ちていた。

「アクトというと……あの擬似生命体ですか?20年前に排除法が成立した……」

「そうだ。その、アクトだ。」

 ユナは電気が体を通り抜けるような感覚に包まれた。

 そしてそれと同時に、ユナはなぜディルがルシアを襲ったのかがわかった。

 アクトは人間に近いとは言っても、人間ではない。ディルにとって猛毒の人間の血液は、アクトには流れていない。ディルはルシアから毒の匂いを感じなかったのだ。つまり、ディルにとってルシアは人間ではなく、家畜と同じだったということである。

「人間とアクトは、見た目ではほとんど区別がつかないが、一つだけ見分ける方法がある。それが、アクトの体のどこかに刻まれている刻印だ。刻印にはアクトを起動させるためのプログラムが内蔵されているから、アクトならば必ず記されているものだ。同じ模様の刺青を人間に施すことは禁止されているし、たとえ刺青を入れたとしても、刻印のこの濃い紫色は刺青で出せるものではない。そして、ルシアの肩にある刻印は、ラニア研究所のものだ。」

 ラニア研究所は最も高いアクト制作技術を持っていた研究所の名前だと、ユナは思い出した。

 ラニア研究所で制作されたアクトは、質は最高のものであったが、数が少ないことでも有名だった。アクト制作が最盛期だった頃でも、制作数は年に数体ほどだったという。また、制作数が少ないということから、一番最後に破壊された研究所でもあった。

 アクトに施される刻印は、各工場、研究所で異なり、星型や多角形が主流だった。それは、刻印の制作技術もアクトの制作技術に比例するからだった。こと細かな刺青のような刻印が制作できたのは、ラニア研究所以外では2,3の研究所だけであったという。

 ユナがまだ王宮にいた頃、アクトと人間との見分け方を教えてもらったことがある。その頃はまだ、数は少ないにしろアクトが捕らえられて処刑されていたし、アクトの刻印にどのようなものがあるかを教えることが義務教育みたいなものだった。

 そのときに、ユナはいくつかの刻印を写真ではあるが見たことがあった。ルシアに刻まれている刻印は、おそらくそのときに見たものだろう。

「ルシアに名前以外の記憶がなかったのは、失ったのではなく、もともと名前以外の記憶が存在しなかったためだろう。失うものが初めから何もなかったのだよ。信じられないことだが、名前以外の記憶がないということは、起動したのは極最近ということになる。いつ製造されたのかは別として……だが、気になるのはルシア自身にアクトの自覚がないという」

「おじいさまは、薄々気付いていたのではありませんか?」

 ユナは力のない声でラムルの言葉を遮った。ユナの頭の中には、昨晩の会話でラムルがとっていた態度がありありとよみがえっている。

「まあ……違うといえば、嘘になるだろう。アクトは友として人に寄り添うよう、警戒されないよう設計されている。ユナはルシアに友として心を許し、普段話せないようなこともルシアになら話せたりしたのではないかな?実際、儂にもその感覚はあった。昔、王宮にまだアクトがいた頃を思い出したよ。ましてや、ルシアはラニア研究所の作品だ。人の心に入り込む調整力は、儂が知っているアクトの比ではないだろう。」

 言われてユナはルシアとの会話を思い出す。

 自分が元王女であることを明かしたことも、ラムルにも教えていない秘密の場所に案内したことも、ルシアに感じていた親近感がユナにそうさせた。その親近感はそうなるように仕向けられていたから生まれたものなのか?

 しかし、ユナはすぐにその考えを振り切った。たとえ仕向けられたものだとしても、ルシアを友と思う気持ちに偽りはない、そう思い至った。

「そうですか……それで、おじいさまはルシアを殺すのですか?」

 ユナはあえて”破壊する”ではなく”殺す”という単語を使い、その質問について何も言わないラムルに向かって言葉を続ける。

「アクト排除法はもう20年も昔の法律です。私は前々からこの法律が果たして正当なものかどうか、疑問に思っていました。なぜアクトを殺さなければならないのか、私には理解できません。それに、この法律は祖父が独断で決めてしまったものだと聞いています。そのような法律を守る必要が、果たしてあるのでしょうか?」

 ラムルがユナの祖父である先々代の王・サスカーの時代から王宮に仕えていて、誰よりも国に忠義を払っているのを知っていて、ユナはあえて酷なことをラムルに言った。

 国を取るか、ユナを取るかでラムルの心が揺れ動いているのが、ユナにはよくわかっていた。ユナはそこをついてさらに言葉を続ける。

「アクトは決して人に害を与えたりすることはなかったと聞いています。アクトが人を襲ったなどという記録を、私は知りません。それに、アクトは擬似とは言え生命体であることは人間と変わりません。それを意味もなく殺してしまうことは、本来してはいけないことではありませんか。」

 沈黙を続けていたラムルは、ここでようやく口を開いた。

「ユナは、ルシアと暮らしていきたいのだね?」

「はい。ルシアは大切な友人……いいえ、親友ですから。」

「では、1つ条件を出そう。」

「何でしょうか?」

 ユナはラムルの言葉に多少の驚きを感じながら、言葉を続けた。

「儂がユナの祖父であるサスカー陛下の時代から王宮に仕えていたのは知っているね?儂は誰よりも国に忠義を払っているし、王には忠実でいたい。確かに、アクト排除法は20年前の法律だ。儂もサスカー陛下がなぜアクト排除法を制定したかは知らんし、当時儂はアクト排除法の制定に反対していた身だ。」

 ユナはラムルの言う条件がなかなか見えてこなかった。

 ユナはどういう表情をしていいのかわからず、ただラムルを見上げていた。

「それに、今はケルス陛下の時代。アクトをどうするかを決めるのはケルス陛下だ。ゆえに、ケルス陛下がアクトを生かしておいてもよいと言うか、アクト排除法を廃止したのならば、儂はルシアを破壊したり国に売り渡すことはしないと約束しよう。」

 ラムルはユナがわざと”殺す”という単語を使った代わりに、わざと”破壊する”という単語を使ったが、ユナは驚きでそれどころではなかった。

「本当……ですか?」

「儂が嘘ついたことがあったかな?」

「ありがとうございます!!」

 ユナはうれしさのあまりラムルに抱きついていた。ラムルはよろけながらも、しっかりとユナを受け止める。

 ユナの顔には心からの喜びが表れていた。

「うれしいようだね。」

「もちろんです。」

「こんなにうれしそうなユナを見るのは、いつ以来だろうな。」

 ユナ自身もそれは感じていた。木々たちと話している以外でユナが心からうれしいと思い、それを表現したのはいつだったか、思い出せないくらい昔になっている。

 ユナはラムルの首にまわしていた腕を解き、少しの距離をとってラムルと再び向かい合った。

「ユナは今すぐにでも王宮に行きたいだろうが、それは少し待ちなさい。」

「どうしてですか?」

「ユナは半年近く王宮に顔を出していないし、国の行事以外の私用で王宮に帰ったことは、ここで暮らし始めてからは一度もなかっただろう。それが、何の行事もないときに王宮に行けばおかしいと思われるかもしれない。」

 ユナが前回王宮に帰ったのはケルスの戴冠記念日であった。それは、ケルスから直々に王宮に戻って式に参加するよう要請があったためで、そうでもなければユナが森を離れることなどなかったし、離れたくなかった。

「戴冠記念日までは時間があるが、幸い1ヶ月後に建国記念日がある。そろそろ招待状が届く頃だ。それに合わせて行ってはどうかね?」

「そうですね……ルシアの傷もその頃には良くなるでしょうし、その方が自然ですね。」

「アクトの自己修復能力は人よりも高い。流れ出た血液も自動生成される。刻印が傷つきさえしなければ150年は生き続けるから、焦る必要もないだろう。儂はいつもと同じように、ここに残っているから。」

「えっ……でも……」

「大丈夫。ユナがケルス陛下から返事を聞いてくるまで、ルシアをどうこうしようというつもりはない。」

 不安そうな表情を見せたユナにラムルは優しい笑顔で言い、ユナの不安を取り除いてあげていた。

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