人の尊厳を踏んでつぶす
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女は痛みを抱える体を引きずっていた。早くこの場から離れなければ。
車を停めた場所へと急ぐ。
「くそっ……くそっ……くそっ……! 絶対に殺してやる! 医者んとこ行って適当になおしてもらったら……すぐにでも。あいつら、覚えてろよ……」
ふと、女の視界に、白いスラックスと白い革靴が入ってくる。顔を上げると、首元で揺れる水色のリボンタイが目に入った。その男は、感情のない切れ長の目で、女を見下ろしている。
女は目を見開き、青ざめた。
「あんた……百合園、だね?」
手加減されたとはいえ、深手を負った女が相手にするには酷な男だ。今この場は、逃げるが吉。和也の気を損ねないように気を付ける。
が、時すでに遅し。
「兄さんはそうでもないんだろうけど。……僕は怒ってるの」
感情のない無機質な声だった。
「僕はね、兄さんと違って許してあげない。絶対に見逃してあげない」
哲よりも冷淡で、哲よりも強い殺気。
女は、本能で敵わないことを悟る。恐怖におののきながらゆっくりと後ろに下がった。
「わ、私を殺したら、ボスが黙っちゃいないよ? あたしのボス、知ってるだろう? そ、それに……あたしはあんたの息子を殺しちゃいないよ」
尻の上に、何かがのせられた。もう、後ろに下がることができない。後ろから、くだけた口調の男の声が落ちてきた。
「ボスだって、皐月にやられてすごすご戻ってくるようなやつ、いらないんじゃねえか? 」
女の尻に片足を乗せた健一は、いたずらっぽく笑った。
「そういや、あんた、またあこぎな商売してるって? 人殺し真っ最中のテープが、闇市場に出回ってるって聞いたけど? ん? 」
「そんなこと、僕には関係ない」
和也がレイピアを抜き、女に近付く。
「僕にとって大事なのは、この人が皐月を殺そうとしたってこと」
「ま、待って!」
女は声を張り上げる。和也の動きがぴたりと止まった。
「話す!話すから! あたしが関わった事件のこと全部。あたしに指示してきたやつのことも、関わってるやつのことも話すから」
後ろにいる健一が悩まし気に言う。
「うーん……それはそれで気になるけど。別にそこまで知りたいってわけじゃ」
「どうでもいいよ」
突き刺すような冷たい声。
「そうやってすぐしゃべろうとするなんて、信用できない。適当なこと言って逃れようってのが見え透いてるね。そんなやつに、大事な情報は流さないと思うよ」
「そんな……あたしは、本当のことを話すよ。だから……」
「どうでもいいんだってば」
女を見下ろす和也の瞳はどす黒い。本当に殺すつもりなのだと、あきらめざるを得なかった。死の恐怖に直面した女の体は、がたがたと震え始める。
和也の口から放たれる声は、相も変わらず無機質だ。
「裏に関する情報についてはおまけで手にはいれば十分。僕たちの仕事は殺人鬼を殺すこと。不特定多数の人間が死ぬような犯罪者を、殺すこと」
レイピアの切っ先が、女の頬にあてがわれる。
「何より、皐月に手を出そうとした罪は重いよ。言ったでしょう? 見逃してあげないって。例えあなたが、今から何をしようと、絶対に許してあげない」
和也の顔には、徐々に心酔しきった笑みが浮かんでくる。美しく、気味の悪い笑みだった。興奮を抑えがたいようすで、息を吐く。
「兄さんからは、ちゃんと許可をもらってる。和也の好きにしていいって」
唇を指先でなでながら、楽しそうに言う。
「そうだな……。見せしめになるようにしよう。肉片が残らないようなことはしない。顔はそのままにして……変態が喜ぶような体にして売り飛ばしてあげよう」
和也は笑顔のまま、レイピアを逆手に持って振り上げる。
女は、自分の命に終わりを告げた。いや、違う。終わるのは、人間としての生、だ。
「これなら十分、三美神には手を出すなって牽制になるよね、健一くん」
笑顔の和也に、健一も柔らかい笑みを浮かべた。
「ああ……十分すぎるくらいだろ」
女の体に、レイピアが振りおろされる。
女がどのような体になって、どこへつれていかれるのか、これから知る由はない。




