存在しない利害 1
昼休みの食堂で、皐月は箸が止まっていた。前に置かれた生姜焼き定食は、すでに冷めてしまっている。
「元気ないね? 」
隣に座っていた相川真冬が、皐月の顔をのぞきこんだ。
「朝からずっとそんな感じじゃん? 」
シルバーヘアに、色素の薄いカラコン。派手な柄のシャツ。どこかアーティスト性を感じる男子学生だ。
黒髪に無地のシャツという皐月の格好とは、正反対だった。
「また、何か言われた? 」
真冬が辺りを見渡す。他のテーブルから、好奇な視線がちらちらと皐月に向けられていた。
「あ、いや、そんなんじゃないよ」
百合園家の人間として、皐月の顔は広く知られている。後ろ指をさされるのも、ひそひそと陰口をたたかれるのも慣れていた。今さらそんなことを気にしているわけではない。
先日、和也と会ったときのことが、頭の片隅にずっと引っかかっていた。あれからずっとリュックに入れて持ち歩いている銃が重い。
普通に過ごしていれば、こんなもの、絶対に使う機会はないはずなのに。
「あはは、二人ともこんなところにいたんだ~」
皐月の耳に、女性の高い声が入ってくる。真冬と座っているテーブルに、ぞろぞろと人が集まってきた。
明るい声の主は、集まりの中心にいる坂本千恵美だ。ピンクのパフスリーブがついたひざ下ワンピースを着こなしている。そのかわいらしい見た目もあって、周囲には絶えず誰かが取り巻いていた。
学生たちは同じテーブルに次々と座っていく。誰もが明るい髪に派手な格好だ。皐月は目に見えて浮いていた。
「学食で食べるんだったら声かけてよね~」
皐月と同じ定食を持った千恵美は、意気揚々と隣に座る。ニコニコした顔を皐月に向けていた。皐月も一応、笑みを浮かべてみせる。
学生たちは皐月の周りで、思い思いに話しはじめた。
「次の課題やったー? 」
「あの先生、最悪だよね」
「おまえそれだけしか食わねぇのかよ」
「いや、腹減ってねえし」
一気に騒がしくなる。皐月が話に入っていくことはなかったが、愛想のいい笑みをキープすることに努めていた。
「ってかさー、今日千恵美遅刻してきてんじゃん」
「もう、その話やめてよ~」
「授業始まってんのに気まずそうに入ってきてんの。で、結局ばれて怒られてるし」
千恵美のドジに、学生たちは笑い声をあげる。
「だって~、まさか遅刻するとは思わなかったんだも~ん」
不満げな表情で、ご飯を口に運んでいった。咀嚼して飲み込み、グチグチと続ける。
「ちゃんといつもどおりにバスに乗ったんだよ? でもいつもより人も車も多くて、全然進まなかったの。なんか、スーザンで事件? があったらしくて」
「ああ、あのスーザンね。お嬢様大学の」
「そう。あそこの前にパトカーが何台も停まってたの。それが原因っぽいんだよね」
学生たちの中で、化粧の濃い女子がニヤニヤと尋ねる。
「もしかして殺人事件なんじゃない? あのスーザンだからね~、何が起こっててもおかしくないじゃん? 」
聖スーザン女学院大学の存在が知れ渡っているのには、お嬢様大学や学則が厳しいこと以外にも理由がある。
女子たちがきゃっきゃっと盛り上がり始めた。
「あそこって昔からヤバいウワサが耐えないし」
「夜になるとうめき声が聞こえるとか、悪魔がうろついてるってやつでしょ?」
「気味悪いよね」
ずっと昔からささやかれている、不穏なうわさ。
「え? 悪魔なの? 私は吸血鬼が出るって聞いたけど」
「呪いの儀式してるんじゃなかった?」
「あ、それもきいたことある。夜に大学に近寄ると、いけにえにされるんだって」
どれもこれも眉唾物で、誰かがふざけて作ったようなものばかりだ。それでも長い年月の間、色あせることなく語り継がれてきた。
「いやいやしょせんウワサだろ。実際に見たヤツいるのかよ」
「そりゃいないけどぉ……。私の親も知ってるくらいの噂だし。実際あの辺に住んでる人、夜に出歩いたりしないらしいよ。夜にあそこに近づくと、連れ去られちゃうから」
「ばかばかしい。そんなのただの注意喚起だろ。夜中に出歩くなっていう」
聖スーザン女学院大学は女の園。男子はなにがあろうと入ることは許されない。保護者であっても気軽には入れない。外部からの教員も厳正に審査されている。
よくないうわさが後をたたないのは、そういった閉鎖的なイメージが結びついているからだろう。
「スーザンって、毎朝の礼拝は絶対に出席しなきゃいけないんだって。寮暮らしの子なんて、毎晩、聖書の勉強するらしいよ」
「服装とか髪型も細かいんでしょ? マジであそこ行こうとは思わないよね」
「住んでる世界が違いすぎるでしょ」
男である皐月には縁のない場所だ。適当に聞き流してみそ汁をすする。
隣で千恵美が思い出したように声を上げた。
「あ、そうそう。それでね、スーザンの前でね、三美神を見たの~」
皐月の手が止まる。反対どなりに座る真冬が身を乗り出した。
「はあ? まじで? なんで?」
「お、出たね~。真冬の三美神オタクっぷりが」
千恵美が茶化すとおり、真冬は生粋の三美神オタクだ。三美神がかかわった殺人事件はすべて把握している。下手すれば皐月よりも持っている知識は多い。
「でもね、何をしてたのかまではわかんないの。ただ、門の前にいたのを見ただけで」
千恵美の話に、他の学生たちが乗ってくる。
「やっぱ中で事件が起こってるのかもよ?」
「こっわ~」
皐月は生姜焼きを口に入れ、ご飯をかきこんだ。咀嚼しながら、父親と会ったときのことを思い出す。
会う場所にわざわざ礼拝堂を指定したのは、スーザンで何か捜査をしていたからかと合点がいった。




