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三美神の鎮魂歌  作者: 冷泉伽夜
EP.5 連れて行ってほしかっただけ
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おまけの話

 いつも窓から眺め見ていたのは、きゃっきゃと騒ぐ子どもたちだった。


 様々な色のランドセルを背負った少年少女たち。ゴミまみれの部屋の窓から、羨ましさをおびた瞳で見つめる。


 室内は、それなりの値段がする香水のにおいと、ためこんだ生ごみのにおいが混ざり合っている。ペットボトルが転がり、安物の弁当箱やお菓子の袋が散らばっていた。


 母親がゴミを捨て忘れた日なんかは最悪で、次のゴミ出しの日まで足の踏み場がなくなってしまう。


「学校なんて行かなくていいの!行かなくても役に立つ場所じゃないんだから。お金ばっかり払わされてさ!」


 学校にも遊びにも行けなかった。母親の許可がないと出られなかった。


「あーあ、ほんと、なんで子どもなんて産んじゃったんだろう。ただの金食い虫だし、邪魔なだけだし。ただただ私が不幸になるだけじゃない。こうなるんだったら産まなきゃよかった」


 母親はいつも華やかな化粧をし、派手な服装に着飾る。若くて、髪の色も明るく、奇麗なほうだった。子どもがいるようには見えない。


「ご飯は棚の中にあるから勝手に食べて。ちゃんと食べ物用意してるだけでも偉いと思うわ、私。ほんと、子どもって手間がかかって嫌になるわ」


 ご飯、といっても、カップ麺やレトルトの類だ。それでも貴重な栄養源だった。母親の機嫌が悪いときは、何も食べられないこともある。食べ物があるだけ、ありがたかった。


 夜になると母親はいつも出掛けていく。仕事のときもあれば、デートのときもある。酔っぱらって帰ってくるときもあれば、二日ほど帰ってこないときもあった。


 たまに部屋がきれいになったかと思えば、知らない男を連れ込んで、外に追い出された。事が終わるまで、玄関前に座ってじっと待つ。母親の下卑た高い声に、耳をふさぎながら。


 そんな生活を続けて、それでもなお、母親のことは嫌いになれなかった。母親しか、頼れる者がいなかったから。


「私がいないときに部屋からでちゃだめよ。怖い大人があんたをつれさって、遠いところにつれていっちゃうんだから」


 母親は笑っていた。


「ママと離れて暮らすことになってもいいの? ママはあんたがいなくなったほうがいいけどね。あんたがいないほうが自由に動けるし」


 母親の言うことを律儀に聞いていた。母親にとっては邪魔で、不幸にさせる存在で、産まれなければよかった存在なのだ。これ以上母親に迷惑をかけないよう必死だった。母親の機嫌を損ねないようにすれば、いつかきっと自分の存在を認めてくれると信じていた。


 いつの日からか、母親が昼間に出掛けることが多くなった。夕方ごろに帰ってくる母親は、明るく上機嫌。そしていつものように派手な化粧をして出かけていく。


 母親の体調がよくないときもあり、そのときはたいてい不機嫌だった。なるべく怒らせないように大人しくしていたし、八つ当たりをされても耐えていた。


 ある日の深夜、母親は酒の匂いをぷんぷんさせながら帰ってくる。そのころにはもう母親のおなかは少し膨らんでいた。


 母親は虫の居所が良かったようで、寝ていた少女を楽しそうに起こした。少女の細い腕を引っ張り、膨らんだ腹に手を当てさせる。


「うふふ、わかる? 赤ちゃんがいるの、赤ちゃん。もしかしたらママ、結婚できるかもしれない。誰の子かわかんないけどね。でもうまくいけば……」


 赤ちゃん。その一言で、頭が真っ白になる。同時に、少女の中で、何かが崩れ落ちていく。今まで必死に積み上げてきたものが、勢いよく崩されていく。


 どうしてどうしてどうして。それは、母親からの裏切りのようなものだ。


 産まなきゃよかったと言ったのに、また産む気なのだろうか。不幸にする存在だと言ったのに、また産む気なのだろうか。


「ほんと、かわいいのよね、赤ちゃんって。ちょっと成長するとぎゃあぎゃあ泣くし金もかかるし面倒だしかわいくなくなるけど。小さくていい匂いがして、すごくかわいい」


 少女は悟った。自分が愛される機会はもう、二度とこない。どんなにがんばったところで、報われない。


 母親は幸せそうな笑みを浮かべて、横になる。寝息を立てているのを確認して、少女はふらりと流し台へ向かった。棚を開けて、一本だけ刺さっている包丁を抜いた。


 少女は母親に肯定されたことなど一度もない。それなのに、これから自分はお腹を愛でる母親の姿を毎日見なければならないのか。産まれてきた赤ちゃんをかわいがる母親を見なければならないのか。


 産まれてくる子どもが赤ちゃんじゃなくなれば、どうせかわいがらないくせに。産まなきゃよかったって言うくせに。いなきゃよかったって言うくせに。


 子どはいずれ、母親を不幸にする存在なのだから。母親がそう言ったのだから。いずれは母親から愛されなくなる命なのだから。それが絶対なのだから。


 それなら、産まれてこないほうが良い。産まれてくれば、結局母親も子どももかわいそうな目にあうのだから。






 ――どうして私は産まれてきたの?




 ――私はママを不幸にするだけの存在。




 ――産まれて来なければよかった存在。




 ――それなら、産まれてこないうちに殺してくれたら良かったのに。




 ――産まれてこないうちに死んだほうが、幸せだったんだ。

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