逃がしてほしかっただけ
闇の中を生きてきたような瞳。薄汚れた体。でも、あり得るのだろうか。あんな子どもが、次々と妊婦を襲うだなんて。胎児をぐちゃぐちゃにする残虐性を持ち合わせているだなんて。皐月には少女が犯人だと信じたくない気持ちもあった。
健一がつぶやく。
「……殺さないまでも、とりあえず早急に見つけたほうがいいな。あの死体の娘ならなおさら。手分けして探そうか? 」
和也が何かに気付いたように、ゴミ捨て場のほうを向く。穏やかにほほ笑んでいたが、その瞳には狩人のような鋭さが備わっていた。
「その必要はないんじゃない?……ほら」
皐月は和也の視線の先を見る。ゴミ捨て場の手前に、こちらを見つめる髪の長い少女が、いた。着ている服は、皐月が以前見かけたときのものと変わっていない。その手には鈍色の包丁が握られ、黒いごみ袋をさげていた。
大人の男たちに見つめられ、威圧されたのだろう。少女は背を向けて走り去っていく。
「あ……待って! 」
皐月は追いかける。少女を捕らえても何をするべきかわからなかったが、体が勝手に動いていた。
走っていく皐月の後ろ姿を、その場に残る三美神は見つめる。健一があきれたようにつぶやいた。
「あーあ、行っちゃったよ……。どうする? 俺たちも行く? 」
哲に顔を向けると、哲は短く息をつく。
「……和也、まかせてもいいか? 俺たちはもう少し調べてから行く」
哲の言葉に、和也は何か言いたそうな顔をしていたが、穏やかに口角を上げた。
「もちろん、そのつもりだったよ。放っておけなんて言われたらどうしようかと思った」
「そんなこと言うわけないだろ。あいつを危険な目に合わせるつもりはないんだから」
哲は少女と皐月が走っていった方向を見つめ、口を開いた。
「情状酌量の余地があるなら生かして捕らえろ。皐月に危害を加えたり、反省の色が見えない場合は……わかってるな?」
無慈悲で無機質な声だった。反対に、和也は柔らかい声で言う。
「うん……まかせてよ」
腰に下げているレイピアの持ち手を、優しくなでていた。
†
こぢんまりとした公園のそばに、ごみ捨て場が併設されている。薄汚い格好をした髪の長い少女は、黒いごみ袋に入れた何かを、雑に放り捨てた。包丁は持ったまま、公園に入る。
ブランコと小さい滑り台くらいしかない、狭い公園。遊んでいる子どもは、一人もいなかった。少女はブランコに座ってゆっくりとこぎ始める。ブランコが揺れてきしむ音が、虚しく響いていた。
少女のあとをついてきていた皐月は、公園に入る前にゴミ捨て場を見る。少女が捨てたごみ袋に何が入っているのか想像し、顔をゆがませた。
公園に入って、ゆっくりとブランコに近付く。少女の隣に座っても、少女はもう逃げる様子を見せなかった。
少女からは、何日も風呂に入っていないような獣臭さが漂う。それでもさきほど嗅いだ腐臭よりはマシだ。
少女の長い髪は脂っぽくギトギトとしていて、絡まっている。少女の体には、茶色いものがいたるところにこびりついていた。風呂に入って体を洗ったらきっと見違えるはずだ。
皐月が少女になんて声をかけようか考えあぐねていたとき、少女のほうから声をかけてきた。
「お兄さんは、わたしを遠くに連れていく人なの?」
「え?」
皐月は目をぱちくりとさせ、少女を見つめる。
「ママが言ってたの。部屋からでたら、嫌な大人につかまって、遠くにつれていかれちゃうんだって」
少女はブランコをこいだまま、空を見上げている。澄んだ水色の空だ。
「連れて行ってほしいよ。ここじゃない遠いところ……私だけじゃ、いけないから」
少女の片手には、鎖と一緒に包丁が握られている。しかし少女から殺意は一切感じなかった。
「君が……ママを殺したの?ママのおなかから、赤ちゃんをとったの……?」
少女はブランコをこぐのをやめた。ピタリと止まって、皐月に顔を向ける。
その瞳は、純粋で、ゆがんでいて、絶望に満ちていた。
「ママね、いつも言ってたの。私を産まなきゃよかったって。子どもなんて、いらなかったって。子どもなんて、ママを不幸にさせるだけなんだって」
少女は、自分の足元を見つめた。使い古されたサンダルを履いている。明らかにサイズが大きくて、少女のものではなさそうだ。
「でも、ママの体に赤ちゃんができちゃったの。だからママがかわいそうって思ったの。だって、ママは子どもなんていらないんだもん。子どもは不幸にさせる存在なんだもん。子どもが産まれてきたら、またママが不幸になっちゃう。だから取り出したの」
少女は、再び皐月に顔を向ける。
「ママがお酒をたくさん飲んで寝てるときにね、やったの。ママが途中で起きて暴れたけど頑張ったの。最初はうるさかったけど、首を刺したら静かになって……そのあとは簡単だった」
少女の語りはひどく静かで、恐ろしかった。しかし、その顔からは悲壮がにじみでている。
「ママはもう起きてこなくなった。だんだん臭くなっていって。だんだんママじゃなくなっていった。私はただ、ママにこれ以上不幸になってほしくなかっただけなのに」
「どうして……ママだけじゃなくて、ママと同じような人たちを、たくさん殺したの? 」
皐月はおそるおそる尋ねる。
少女は、目を伏せて答えた。
「ママが動かなくなってから……初めて外に出たの。今まで窓から外を見ることしかできなかったから、嬉しかった。少しずつ歩き回るようになって……おなかが大きい人をたまに見かけるようになったの」




