聞かせてほしかっただけ
†
夜七時。この時期の空は、もう暗い。
住宅街の細道で、電柱に背を預けて座り込む女がいた。その腹はぱっくりと開いており、臓器が出かかっている。
女は顔を上げて、荒い呼吸をくりかえす。か細い声で、何かをぶつぶつとつぶやいていた。
「あ、あかちゃん……わたしのあかちゃん……」
女はまだ息がある。地面にほおったまま動かない手のひらには、スマホが乗っていた。
「……わたしのあかちゃんは……どこ……どこ……」
スマホからきこえるのは、居場所を必死に尋ねる男性の声。画面には、一一九の数字が表示されていた。
†
哲が知らせを受けたのは、突然のことだった。突然のことすぎて他の二人に連絡する余裕はない。
それに男三人で押しかけるのも酷だろう、と一人で出向く。
妊婦連続殺人事件の生存者が、病院に運ばれたというのだ。病院にたどり着いた哲は、先に受付にきていた東悟と合流する。
「一足遅かったな。先に捜一が病室に向かっていった」
「そうか、いや、しかたない……。被害者はどんな状態なんだ?」
「体は動かせないが、話はできるらしい。さすがに長い時間は無理だろうな」
東悟とともに、生存者がいる病室に向かう。病室の手前で、女性の泣き叫ぶ声が二人の耳に突き刺さってきた。自分の子どもを失った絶望は、母親にとってひどい苦痛だろう。腹の中の子どもを守れなかった罪悪感も加わり、なおさら生きた心地はしないはずだ。
泣き声のする部屋から、捜査一課の刑事が二人出てきた。室内に向かって礼儀正しく頭を下げると、静かに扉を閉めた。
どちらも三十代後半の中堅刑事だ。片方は気難しそうな顔をした男で、片方は若々しい体育会系の男だった。
気難しい顔をした刑事が哲に気付き、ニヒルな笑みを浮かべた。
「これはこれは三美神様ではないですか。話を聞きにいらしたので?」
哲も負けじと口角を上げる。もちろん、その瞳は笑っていなかった。
「ええ、でも。あなたがたが話をお聞きになったのでしょう? 」
「お先にすみませんねぇ。これが三美神案件だと知らなかったものですから」
「いえ、構いません。刑事として当然のことをしたまででしょうから」
どことなく、壁のある会話だった。けっして分かり合うことはなく、うわべに言葉を並べているだけのような、ぎこちなさを伴う会話だ。
お互いに、表情を崩すことはない。哲は柔らかい口調で言った
「もしよければ、お願いしたいことがあるのですが……」
「なんでしょう?改まって」
「さきほど被害者の女性からお聞きした話を、我々に教えていただきたいのです」
刑事二人は、目を丸くする。哲の隣にいる東悟も、意外そうに哲を見つめていた。
見た目の若い刑事が言う。
「いやいや、ご自分でお聞きになったらどうです? 三美神ならいろいろ話してくれるでしょ? 」
「この状態の被害者に聞くべきですか?」
廊下にまで響く泣き声は、いまだに続いている。哲は困ったように眉尻を下げて笑った。
「もう一度事件の全容を思い出して話してくれ、とは、いくらなんでも酷だと思うのですが」
気難し顔の刑事は、皮肉たっぷりに笑った。
「西園寺哲という男は、血も涙もない冷血漢だとお聞きしていたのですが……どうやらずいぶんとお優しい方のようですね」
哲はにっこりと、美しく笑う。
「殺人鬼を殺すときはもちろん容赦しませんよ。でもこう見えて、実はとっても優しいんです」
拍子抜けした、とでも言うように、気難し顔の刑事はため息をついた。
「……承知しました。良いでしょう。三美神案件ですから、そちらの捜査が優先されますもんね。私がお聞きしたことはすべてお話ししましょう」
哲は妖しい目つきで刑事の顔をじっと見つめ、頭を下げる。
「ご協力、感謝します」
†
「子ども……?」
三美神会議室に、和也の声が響く。和也は隣に座る皐月に、紅茶を入れてあげていた。
腕組みをして座る哲が言う。
「ああ。そう言っていたらしい。暗闇でよく見えなかったが、小学生ほどの子どもだったと。子どもがふいに近付いてきて……夜なのに子ども一人でおかしいなと思った瞬間、バカでかい包丁でおなかを切り付けて来たんだと」
子ども、と聞いて、皐月の脳裏にあの少女が浮かぶ。木造アパートの陰に消えた、あの少女。やはり、嫌な予感はあたっていた。
皐月はティーカップをみつめながら、悩ましげにため息をつく。そんな皐月を、和也は複雑な表情で見つめていた。
哲は情報が詰め込まれたタブレットを操作しながら、口を開く。
「そういえば。処刑管理課で頼んでいたことがあってな」
タブレットをテーブルに置く。
「被害者の殺害場所と胎児が遺棄されていた場所を、地図にまとめてもらった」
健一と和也、皐月は画面をのぞき込む。画面には地図が表示され、殺害場所には赤い星、胎児が遺棄された場所には黄色い星がついていた。




