気付いてほしかっただけ
アパートに着くと、すぐに裏に回り込んで、少女の姿を探した。しかしそこには誰もいない。雑草が生い茂る地面が広がるだけだ。
皐月はアパートに顔を向けた。ドアが四つ、等間隔に並んでいる。どの扉も薄汚れていて、近付くのをためらわせた。もしかすると、少女はこの部屋のどこかに入ったのかもしれない。
(……あれ?)
皐月はすんっと鼻を鳴らし、ひとさし指で鼻をこする。ふと漂ってきた臭いに、顔をしかめた。
その瞬間、後ろから手首をつかまれる。
「うわっ」
「皐月!勝手な行動しないで!兄さんからも言われたでしょう?」
怒った父親の声が、その場に響く。強く手を引かれながら、表に移動した。
皐月はアパートに顔を向ける。アパートはやはりお世辞にも奇麗な外観とは言えなかった。窓にはカーテンが閉められ、中のようすを知ることができない。
和也は皐月の手首をつかんだまま、ずんずんと進んでいく。
「父、女の子が、いたんだ」
和也は立ち止まり、振り返る。しかめっ面で皐月を見つめた。家でもあまり見せることがない表情に、皐月は戸惑いながら口を開いた。
「女の子がいて……。その、こっちを見てたから」
「そりゃあ、近くに警察が何人も来て捜査してるんだから、興味持って見に来る子どもはいるだろうね」
怒りを隠すつもりがないらしい。和也は語気を強める。
「僕たちから離れたりしないで。何かあって大変なのは皐月なんだよ?」
「ごめん……でも嫌な予感がして。交通事故でムカデを見たときと同じような感じがして……」
皐月は顔をふせ、ジャケットのえりをぎゅっと握った。
和也は脱力するようにため息をつく。木造アパートに視線を向けるが、皐月の言う少女の姿は見当たらない。
皐月は和也の顔色をうかがうようにちらちらと見ながら、たどたどしく言った。
「それと……父は気付かなかった? ……あのアパート……なんか……」
「気付いてるよ」
まさかの回答に、皐月は目を見開く。
「臭い、でしょ?すぐに気付いた」
和也は平然と言った。皐月はぎこちなくうなずく。
「う……ん。変な匂い。何かが腐ったような……そこまでひどくはなかった、けど。あの臭い、どこかで嗅いだことがあるんだ。あれは確か」
スーザンだ。スーザン女学院で嗅いだ臭いだ。ということはあの臭いの正体は。
皐月が口を開くよりも先に、和也が言う。
「たぶん、もうすぐ、ここの住人たちが大騒ぎするだろうね」
それ以上、和也は何も言わなかった。くぎを刺したのだ。これ以上首を突っ込むな、と。
臭いの正体を、確認することだってできたはずだ。二人ともそれはしようとせず、ごみ捨て場に戻っていく。自分たちには何も関係ない、とでも言わんばかりに。
皐月だって、これ以上嫌な事件に巻き込まれるのはご免だ。だから和也と一緒に気付かなかったふりをする。それが人間として間違った行動だったとしても、皐月個人ではもうどうしようもなかった。
†
それから一週間弱。皐月が見下ろすのは、マンホールの隣で横たわる女性の死体。
三美神と一緒に、見よう見まねでお祈りをささげる。鑑識が遺体の写真を撮り、現場保存を進めていた。
女性のバッグを調べているベテラン鑑識に、健一が声をかける。
「また妊婦か?」
鑑識が顔を向けて言った。
「ああ……母子手帳が入ってる。例の通り遺体の中に子どもはいない。またどっかに捨てられてるんだろうな。……かわいそうに」
もうすでに、見つかった妊婦の遺体の数は二桁になろうとしている。皐月は初めて妊婦の惨殺死体を見たときよりも、明らかに耐性が付いていた。慣れてしまった、といえばそれまでだ。慣れていくのと同時に大事な何かが失っていくのを感じていた。
それでも、自分が協力することになってよかったと思っている。瑠璃にこんなひどい光景を見せることを、阻止できたのだから。自分がここに立って代わりに行動できたなら、瑠璃はこんな仕事をしなくて済むのだろうか。
皐月と一緒に遺体を見下ろす哲は、顎をさわりながら考え込んでいる。そんな哲に、健一が話しかけた。
「妊婦に対して強い恨みを持つ者の犯行、とか?」
「確かに、妊婦そのものに対する怨恨も考えられるが……」
含みのある言い方だった。健一は首をかしげる。
「他にも何かある、と?」
「妊婦だけじゃないような気がするんだよな……。この執拗さはなんだろう……。妊婦から胎児を出すことに、なぜこんなにもこだわっているんだろうか」
遺体の状況は毎回同じ。腹部以外に大きな損傷は見られない。腕や他の場所に傷は見られるが、それはかばったときや抵抗したときについた傷だ。
哲は顎をなでながらつぶやく。
「妊婦を殺すことではなくて……胎児のほうが目的なのか……?」
なでる手がぴたりと止まった。哲はゆっくり顎から手を離す。
「健一、東悟に連絡を入れろ。あいつらに頼みたいことがあるんだ」




