持っていてほしかっただけ
「とりあえず、着て。タイはしなくてもいいから」
スリーピース一式を、和也に渡される。皐月の足もとに白い革靴を置かれた。和也は皐月に背を向ける。
皐月は、もやもやとした感情を抱えたまま、言われるたとおりに着替え始めた。
皐月がスリーピースを着るのはいつ以来だろうか。皇室や行政が関わるような公的なパーティに出席するとき以外、着る機会はない。
御三家の人間にとってスリーピースは正装だが、三美神の象徴にもなるので着用は避けられている。そのため、それに腕を通すことは、皐月にとって三美神の仕事を認めることと同じ。
(それでも、瑠璃ちゃんが、現場に出なくて済むのなら……)
恋は盲目、とはよく言ったものだ。今はまだ、自分を犠牲にできるほど瑠璃のことが大事だと思える。
「着替えたけど……? 」
皐月が声をかけると、和也は振り返る。
「……うん、いいんじゃない?」
和也は穏やかにほほ笑んだ。
スーツには、意外と伸縮性があった。皐月は体をひねってみる。体にフィットして、非常に動きやすかった。しかも丈夫だ。さすが高級品なだけはある。革靴もきつい感じがしない。
「本当はテイラーに採寸して仕立ててもらったほうが良いんだろうけど、当分はそれで我慢してくれる?」
当分は、ということは、これから先もこうやって三美神に協力させられることがあるということなのか。
和也は皐月に近付いて、腰に手をまわし、細めのベルトをくくりつける。ベッドの上に置かれていた日本刀を二本持ち上げ、皐月につけたベルトに差し込んだ。打ち刀と呼ばれる通常の長さのものと、脇差しと呼ばれる短めのもの。
「皐月のために用意したものだから、受け取って」
有無を言わさぬ行動だった。
二本も日本刀を下げられた腰が、ずっしりと重く感じる。本物だから当然だ。
「皐月、言っとくけど。僕たちはこれで人を殺してほしいだなんて思ってないから」
和也は皐月の腰に下がった刀の柄に触れる。
「使うときは、自分を守るために使って。誰かを殺すとか、誰かを守るためじゃない。自分が生きるために使うの。いい? 」
和也は真剣な表情で皐月を見つめる。皐月も真剣に見つめ返し、ゆっくりとうなずいた。
「その格好のときは、常に身に付けておいて。僕たちもそうしてる。座る時は礼儀として外してたほうがいいかも。特に目上の人の前では。僕もそうしてる」
実際に三美神会議では、和也はレイピアを自分の後ろに寝かせている。和也にとって目上の哲が、同じ空間にいるからだ。もちろん、時と場合によって異なることはあるが。
皐月にとって腰にぶら下がる重みは、しばらく慣れそうになかった。むしろ慣れてしまうことが恐ろしい。
しかし皐月にとっては、銃よりも扱いやすいものであることには違いないなかった。
†
「おお……いいんじゃないか?」
会議室に入った皐月を見て、ソファに腰かけている健一がはにかんだ。哲は興味なさそうにロイヤルミルクティーを飲んでいる。
「拍が付いたな。似合う似合う」
けらけらと笑う健一の対面に和也が座り、その隣に皐月が座った。二人とも、武器は後ろに置く。
和也はすぐさま、皐月の前に置かれたティーカップに紅茶を注いだ。
「兄さんのほうに柄が向くように置いてね。切っ先は向けちゃダメ」
いっちょ前に父親らしいことを言う和也を、健一がによによと見つめていた。明るい口調で和也に言う。
「これで、狙われにくくはなったな」
「危険なことには変わりないでしょ」
和也が冷たい声で返す。紅茶を注いだあと、皐月に取り皿を渡した。机の上にはティースタンド。その中に、色とりどりの茶巾絞りと、深いあずき色の羊羹がのせられている。勝手にとって食べろということらしい。
百合園で和菓子がふるまわれるのは、ひどく珍しいことだった。皐月は専用のトングで、緑色の茶巾絞り一つと、羊羹を一切れよそう。
哲がティーカップをソーサーに置いた。
「……それじゃ、皐月も着替えたことだし、始めるか」
哲の一言で三美神会議が始まる。事件の話が進んで行くたびに、皐月は三美神に協力する身であることをじわじわと自覚させられる。もうここからは引き返せないのだと、覚悟を決めざるを得なかった。
†
夕方。瑠璃はリビングでソファに寝転びながら、スマホを触っていた。集中しながらゲーム画面を見つめていると、玄関から慌ただしい音が聞こえてくる。スマホを置いて上体を起こし、身構えた。
どたどたと激しい音は、すぐに止む。顔色一つ変えない瑠璃は、物音を立てないようゆっくりと立ち上がった。警戒しながら廊下に出る。
玄関から入ってすぐ隣にあるのは皐月の部屋だ。整理整頓された部屋だった。パソコンが置かれたデスクとベッド以外、余計なものは一切ない。。もちろんゴミが散乱することもない。




