よく売る話
「私はね、あんたたちをすぐに殺したくなかったの。生きているうちにこれ以上ないっていうくらい痛めつけて、生きていたくないって思わせたかったの」
女は箱崎に向かって、バットを放り投げた。バットは箱崎の折れた腕に当たり、大きな悲鳴が轟く。
「あんたたち、今すごく惨めだよ。だって三美神に救う価値のない命って言われたようなもんなんだからさ。私にはもうそれで十分。私はね、大人だから。あんたたちのことは殺さない。三美神が殺さないって言ったちんけな命だ。私が殺す価値もないんだわ」
女の言葉に、少年たちは痛みの中で胸をなでおろす。しかし、恨みつらみを含んだ声が、少年たちを刺してきた。
「でもね、覚えておいて。あんたたちが生きてる限り私たちは、絶対にあんたたちのことを許さない。一生許さない。ずーとずーっと許さない。罪を償って自分の息子の分まで生きろなんて、そんな生易しいこと私は絶対に言ってやらない。私の息子を殺した分、おまえたちは地獄を生きろ!」
女は哲に顔を向けた。もう十分だと、女の顔が言っている。
これで復讐劇は終わった。健一が箱崎の元に近寄っていく。
苦しそうな呼吸を繰り返す箱崎を、黒いスリーピース姿の健一が、冷酷なまなざしで見下ろした。
「俺は、大人がよってたかって子どもをいじめてるみたいで、こういうのは好きじゃない。不平等だと思う。でも、君だって同じことをしていただろう? 君の親が力を持ってるだけで、君自身はその辺の子どもと変わりゃしないってのに。君自身が優れているものなんて、何もなかったんだ」
健一の言葉に、箱崎の反論の声は上がらない。もう、声を出す気力もないようだ。
哲は作業着姿の女性と、夫婦に声をかける。
「本当に、殺さなくてもよろしいんですか?」
哲の問いに、もうこれ以上やる必要はないと、各々が黙ってうなずいた。
哲はほほ笑む。ひどく美しい顔立ちで、どことなくきらきらとしたオーラを放っていた。
「気が済んだのでしたら、そろそろ戻りましょう。お送りしますよ」
女性と夫婦はゆっくりとうなずき、少年たちに目をくれることなく歩き始めた。決して振り返ることなく堤防へ上がっていく。
それに続いて、瑠璃と和也、健一の順に、この場から立ち去っていった。
最後に残った哲が、まだ動けそうにない少年たちに言う。
「救急車くらいは呼んでやる。事情は自分たちで説明してくれ。それともパパに助けてもらう?」
哲はひどく楽しげな声で吐き捨てた。
「もうすぐパパは、都議会議員じゃなくなって、何の力も持たなくなるだろうけどね」
哲は少年たちに背を向けた。
†
洗練された紅茶の匂いと、上品なお菓子の匂いが、百合園邸の会議室に充満していた。ロイヤルミルクティーが一杯と、ストレートティーが三杯。ティースタンドにはさまざまな種類のプチケーキ。各々の前にあるお皿には、それぞれに食べたいものがのっていた。
部屋の隅にある大きなテレビが、ニュースを映している。女子アナウンサーの冷静で機械的な声が流れていた。
『……学校法人に巨額の援助をしていたことが発覚し、その正当性について追及が続いています。党内からも批判が相次ぎ、辞任を求める声も上がっています』
健一は紅茶とお菓子には目もくれず、不満げにニュースを見ていた。
『……援助に使った巨額の資金が、一体どこから捻出されていたのか。都の予算を横領していたのではないかとの声もあり……政務活動費の不正流用にあたる可能性が……』
哲は満足げに、ロイヤルミルクティーを飲む。健一に向かって声を発した。
「不服そうだな」
妖しく笑う哲に、健一は視線をうつす。
「……いや、なんか。俺たちがやったことって、あのガキどもと変わらなかったんじゃないかと思って」
健一は、自身のティーカップを持ち上げ、口を付ける。
「どこが?」
「ほら、権力をふりかざして痛めつけるってのがさ。結局、俺たちも自分たちの権力を十分に利用してるだろ?」
「おまえは見た目に反して真面目だな」
ただ会話を耳にしていた和也が、くすりと笑った。口を小さく開けて、上品にケーキを食べ進めている。
哲は、堂々とした声で言った。
「権力は使ってなんぼだ。自分の持っているものは使えるときに全部使う。それをどこで、なんのために、どうやって使うかが重要なんだ。今回の俺たちは、悪を懲らしめる正義のために使った。だから気に病む必要なんてこれっぽっちもない」
「正義のために使った……ね。遺族を駒みたいに使って、あそこまで痛めつけることが正義か?」
健一はまだ納得していなかった。下手すれば、あれはただただ大人げない暴力行為だ。
健一の心境を知ってか知らずか、哲は奇麗にほほ笑む。
「少年たちが悪いことを繰り返さないようにお灸をすえたと考えれば、俺たちがやったことは正義だろう? 」
「……そういうことにしておくよ」
健一は、再び紅茶をすすった。哲の言葉に納得するわけではないが、とりあえずうなずいておく。
和也と瑠璃に視線を向けると、ケーキが美味しいと仲睦まじく話をしていた。二人にとって、この件はもう過ぎたことらしい。
健一はテレビに視線を戻す。画面には、議会でヤジを飛ばされながら答弁を行う、箱崎議員の姿が映されていた。
哲はケーキを一口食べて、満足げにほほ笑みながら咀嚼する。そんな哲を健一はじっとりと見つめながら言った。
「あくまでも俺の勘だけど。もしかしてマスコミに情報売ったり、した?」
哲は、口の中のものを飲み込む。
「……いいや」
「あ、そう。てっきり俺は」
「でも捜査二課と検察にはタレこんだ。都議会と盤隆との間に金銭の不正流用があるか調べてみたほうがいいって」
健一はぱちくりと瞬きをする。哲は高慢に笑った。
「匿名だし証拠もないから、相手にされないと思っていたけどな。多分、前々から目をつけてはいたんだろう。俺のタレコミでせっつかれたってとこだ。このご時世、政治家の横領に敏感になってるってのもあるんだろうなぁ。日本の警察と検察は優秀だ」
その声色から、哲がとことん上機嫌であることはひしひしと伝わってくる。
「俺はいじめる子どもより、不正を働く権威ある大人を、引きずり落としたかっただけだ。あの親子はこれからが大変だな。しばらくはいろいろ言われてたたかれるだろう。でも、自業自得、因果応報、身から出た錆。全部自分でまいた種、だ」
「……そうだな。あんたはそういうやつだよな。俺の知らないところでなんやかんや、やってくれてたってことか」
健一は皮肉っぽく笑った。ようやくフォークを手にし、ケーキに突き刺す。




