よく殴る話
箱崎の体は半回転し、地面にたたきつけられた。箱崎は頬に手を当てながら急いで体を起こす。
殴った張本人は、軽蔑的な目で箱崎を見下ろしていた。
「男が女を殴ろうとしてんじゃないわよ」
ドスの利いた瑠璃の声が、高架下に響いた。箱崎の頬は瞬時に腫れあがり、鼻血がたらりと流れ落ちる。
「てめえ……女のくせに……」
「女のくせに、何? 女のくせに殴って来たもんだから自分のプライドがへし折れたって? あらあらそれはお気の毒様」
瑠璃は鼻で笑う。
「悔しかったら、私のこと殴りかえしてみなさいよ。また私に殴られて終わるだろうけどね。あんた達もよ」
瑠璃は、鶴岡と滝田をにらみ付ける。まるで蛇のような鋭い目つきに、二人は震え上がった。
「なに?殴ってこないの?絶対に自分には敵わない相手に殴りかかるほどは馬鹿じゃないってことね? さすが偏差値七十越えの中学生。どこで頭使ってんのよ。しょーもないんだから」
瑠璃は新名に顔を向けた。
「よかった、間に合って。スマホも無事?」
新名は安心したように何度もうなずく。
「じゃあそれ、あとで私たちに提出お願いね」
瑠璃は新名を背に、少年たちに向き直る。
よろよろと立ち上がる箱崎を一瞥し、すっかり怖気付いた鶴岡と滝田を見た。
「お、俺、関係ないですから」
滝田がおそるおそる声を出す。
「箱崎にやれって言われてただけだし」
「は……?」
突然の裏切りに、箱崎は目を見開いた。
鶴岡も、滝田に同調して、へらへらと言う。
「やらなきゃ俺たちがやられるから……」
「おまえ……!」
「桜庭が死んだのも、きっと箱崎が薬を捨てたからだし。俺たちは人殺しにつながるようなことは何もしてないし」
鶴岡の言い訳は続く。
「悪いのは箱崎ですよ。俺たちも被害者です。飛び降りの時だって、飛び降りるか校内を裸でまわるかって脅してたのは、箱崎だし」
「はは、何を今さら。……ダサいなぁ」
さげすんだ瞳で瑠璃は笑う。
「好きなだけ言いたいこと言えばいいわ。でもこっちには証拠があるから」
鶴岡は震え上がり、その場から逃げ出そうと瑠璃に背を向けた。その瞬間、木製バットがななめに空を切り、鶴岡の喉に直撃する。よくわからないうめき声を出した鶴岡は、背中から地面に倒れ込んだ。
青い作業着姿の女性が、バット片手に般若のような形相で、鶴岡を見下ろしている。
「箱崎ってのはどれ……?」
瑠璃のそれとは比べ物にならないほどの、恐ろしく低い声だった。あまりの出来事に混乱する鶴岡は、鼻血を流す箱崎を、震える指でさししめした。
女は箱崎をぎろりとにらみつける。大股でずんずんと近づき、まるでボールを打つかのように、箱崎の腹部にめがけてバットを振った。くの字に曲がった箱崎の体は、そのまま地面に倒れ転がる。
鶴岡と滝田は逃げようと背を向けた。
「逃げるな!」
女は叫ぶ。その怒号に、二人は足がすくんだ。おびえた真っ青な顔で女を見る。
「次はおまえたちだ。どうなっていくかちゃんと見ておけ!」
女は木製バットを大きく振り上げ、倒れている箱崎の体に勢いよく落とす。何度も、何度も、振り上げては下ろし、殴り続けた。バットが体に当たる鈍い音。ひねりだされる短い悲鳴。鶴岡と滝田が生唾を飲み込む音。静かな高架下で、異様に響いている。
女の行動を止めるでもなく見つめていた瑠璃は、ふと、堤防に視線をやった。堤防では哲が仁王立ちで、和也と一緒に高架下のようすを見つめている。遅れてきた健一は、哲の隣で同じように視線を向けてきた。三美神の後ろでは、一組の夫婦がいぶかしげに高架下をのぞきこんでいる。
瑠璃は、新名に顔を向けた。哲達のほうに行け、と顔を揺らす。新名は三美神の存在に気付き、そそくさと静かに堤防へ上がっていった。
作業着姿の女は、なおもバットを箱崎に振り落としている。箱崎はか細い声で、「ごめんなさいゆるしてください」を繰り返していた。
「あんたたちはどうせ、貧乏そうなくそばばあが勝手にとち狂って暴れてるって思ってるんでしょ?自分たちのしてきたことを棚に上げて!」
女は、動きを止める。肩で息をしながら、言った。
「……あんたたちは良いわよね。親が欲しいもんたくさん買ってくれて、食べるものにも困らなくて、勉強の環境もちゃんと整えてくれるんだから。誕生日に望んだものを買ってもらえない、好きなものもろくに食べられない、そんな恵まれない環境で必死になったことなんてないんでしょ」
女はバットで箱崎の体をたたきつける。苦しむ箱崎の横で、女は続けた。
「こっちはね、朝から晩まで働いて、貧乏生活なのよ。子どもに塾も行かせてやれなかったわ。それでもあの子は独学で勉強して、奨学金を借りて、必死に頑張ってたのよ!」
涙を零しながら、恨みつらみをバットにのせて、再びたたきつける。何度も、何度も。
「それなのに!あんたたちは!そんな息子を!殺したんだ!あんたたちが!殺した!あんたたちのせいで!息子は死んだ!」
「うう……いてぇえ、いてえよ……」
うつぶせで痛みにもがく箱崎の頭を、女は髪をつかんで引き上げた。感情のない顔を近づけ、氷のように冷たい声で言う。
「知ってるのよ。あんたの父親が何者かくらい。助けてほしいならパパを呼んだらどう?でも無駄よ。今の私はね、あんたの父親のことも殺す覚悟ができているの」
「ひぃ……」
箱崎は震え上がり、恐怖で顔をゆがませた。女は話を止めない。
「ずーっとずーっとずーっと我慢してたのよ。三年よ、三年。息子は三年間もあんたたちのおもちゃになって耐えてきた。親として何とかしてやりたかったし、学校をやめてくれてもよかったのに。せめて中学を卒業するまではってあの子が言ったの」
箱崎を見つめる瞳は、殺意に満ちていた。
「高校は別のところを受験するつもりだった。別の高校に通えば、この地獄から逃げられる。そう思ったのに。あんたたちは、わざと息子の内申点を低くするようなことをさせてたのよね?」
女の体は、わなわなと震えだす。
「この恨みも惨めさも絶望も復讐心も、あんた達にはわからないでしょうよ。息子が死んで、警察が捜査したら、さすがに学校がいじめを認めるんじゃないかって思ったわ。でも、何もなかったですって?ふつうの学校生活だったですって?」




