よく走る話
箱崎は女子生徒の顔を、感情に任せて蹴りあげた。倒れ込んだ女子生徒の鼻から血が流れ落ちていく。ぼたぼたと、床に血痕が広がっていった。
「んとにきたねぇな」
箱崎は舌打ちをして、そのまま教室を出て行った。
あの動画がネットに流れたらさすがにまずい。それは箱崎にもわかっていた。一度あの動画が拡散されれば、さすがに父親の権力も通用しない。
箱崎は不機嫌に顔をゆがませながら、階段を急いで降りていく。階段を上がってくる男性教師とすれ違った。学年主任だ。
チャンスとでも言いたげに、学年主任を呼び止めた。
「あ、先生!」
呼び止められた教師は振り返る。
「おお、どうした、箱崎」
「それが……その……告げ口みたいになるから、言いにくいんですけど……」
「何かあったのか? 言ってみなさい」
箱崎は、優等生の顔をして、遠慮がちに口を開いた。
「その……隣のクラスの新名さんのことなんですけど」
心の中で、意地悪くほくそ笑んだ。
†
新名は走るスピードを落とすことなく、靴箱へ移動した。
急いで靴を出し、履き替える。
「新名!」
低く威圧的な声。学年主任だと気付いた。声のしたほうに顔を向ける。
学年主任は、鬼のような形相で新名に近付いてきた。その後ろでは箱崎たち三人が、ニヤニヤ顔でこちらを見ている。
「おまえ、学校内で自撮りしてネットにのせるなんて、この学校の生徒として恥ずかしいと思わないのか! 没収するから出せ! 職員室に来い! ネットには危機感を持てと言っているだろう!」
教師が最後まで言い終わらないうちに、新名は背を向けて全力で走り出した。後ろから呼び止める教師の声に、屈することはない。新名は全力で走り続けて、校門を飛び出した。
瑠璃はまだ校門の脇に立っている。新名は瑠璃を気にすることなく走り去った。瑠璃は新名の姿を目で追うだけだ。
新名の姿が見えなくなったころ、学校のほうからばたばたと足音が聞こえてくる。瑠璃は、ゆっくりと、校門の中央へ移動し始めた。真っ先に校門から出てきた鶴岡とぶつかる。
「キャッ」
鶴岡は瑠璃のことを気にずるそぶりも見せず、立ち止まって顔をきょろきょろとさせた。遅れてきた滝田と箱崎は、顔を真っ赤にさせ、大きく息をしている。
「あいつどこ行ったんだよ!」
「やべえよ。はやく取り上げないと俺たちやべえよ」
「うるせえ!はやく見つけ出せ!」
箱崎が叫ぶ。
謝罪の一言もないのかよ、と瑠璃は胸倉をつかみたい気分に襲われたが、おしとやかな笑みを浮かべた。
「あの……もしかしてさっきの女の子、探してるんですか? さっきの女の子、すごい速さで走っていったから……。河川敷のほうに走っていったみたいですけど……」
少年たちは互いに顔を見合わせて、うなずき合う。瑠璃への謝罪は一切なく、滝田と鶴岡は走り出した。箱崎が勝ち誇ったような笑みを浮かべて、瑠璃に言った。
「ありがとうございます。助かりました」
それだけ言うと、箱崎は二人の後を追う。その後ろ姿に、瑠璃は皮肉たっぷりのほほ笑みを向けていた。
†
新名は、時々後ろを振り向きながら全速力で走る。向かったのは、桜庭が亡くなったあの河川敷だ。河川敷に下りて高架下に入る。辺りを見回して、追手が来ていないことを確認した。
汗だくになるまで走り続けた新名は、太ももに手を当てて、ぜえぜえはあはあと荒い呼吸を繰り返す。新名の心臓はばくばくと激しく動いていた。
しばらくして呼吸が落ち着くと、新名は川岸に視線を向ける。
新名が最後に見た桜庭の姿は、痛みにもだえながら川岸に進もうとしている姿だ。助けを乞うように新名たちを見上げていたというのに。それに気付いていたはずの新名は、友達に言われるがままに一緒に逃げだした。
新名は、川岸へゆっくりと近付く。川のすぐ手前で立ち止まり、つぶやいた。
「ごめんね。つらかったよね。見捨ててしまってごめんね」
その言葉は、ただただ水面に落ちていく。謝ったところで命は帰ってこない。
新名の瞳が、徐々に潤んでいった。
「てめえ、やっぱりここにいたのかよ」
背後から聞こえた恐ろしい声に、勢いよく振り返った。いつの間にか箱崎たちに囲まれている。中央に立っている箱崎は肩で息をしながら、笑っていた。
新名は混乱する。なぜ三人がここまで追いつくことができたのか、理解できなかった。何度も後ろを見ていたし、さっきもついて来ていないことを確認したはずなのに。新名の落ち着いた心臓が、再び大きく動き出す。
少年たちはじりじりと新名に近づいていた。新名のすぐ後ろは川。
恐怖で顔を引きつらせる新名を見て、箱崎は勝ち誇ったように言う。
「おまえもかわいそうだよな。逃げ込んだところがこんなところで。ここで桜庭が死んでたんだよな。どうして死んだのかおまえらわかるか?」
箱崎から話をふられた鶴岡が、ふざけるように返事をした。
「えー?知らねえなぁ。箱崎が薬を川に捨てたからなんじゃねえ?」
「飲まなきゃ死ぬって知らなかったんだから、しょうがないじゃん? それに勝手に死んだのはあいつだから。俺に責任転嫁されてもさ」
「なー。いい迷惑だよな」
反省も何もない姿に、新名はふつふつと怒りがこみあげてくる。唇を噛みしめながら、少年たちをにらみ付けた。
「なんだよ、その顔は。文句あんのかよ!」
イラ立った様子の箱崎が走り出し、新名は胸倉をつかまれた。こぶしが今まさに振り落とされようとしている。
衝撃に耐えるために、新名は硬く目を閉じた。
箱崎の肩を、後ろから誰かがつかむ。
「ああ?なんだよ?」
振り返るよりも先に、肩におかれた手の爪が食い込んだ。新名から体を引きはがされ、箱崎の頬に重たいこぶしが撃ち込まれる。




