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三美神の鎮魂歌  作者: 冷泉伽夜
EP.3 よくある話
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よく浸かる話

 哲の上質なスーツを、女性はちらりちらりと見やる。哲のスーツはイタリア製のオーダーメイドで、腕時計は誰もが一度は耳にする、高級ブランドの製品だ。


 女性は町工場でパートをしている身。仕事中、突然哲に呼びだされた。三美神の西園寺哲が来たとあって、事情を察した上司たちが休憩をくれたのだ。


 自分にはもう縁のないような喫茶店につれていかれ、自分では絶対に買わない値段のコーヒーを飲んでいる。安月給で働く女性にとって、「御馳走ごちそうします」と言われなければ、絶対にこんなところには来ない。


「わかった。少し急ぐ。……そっちは瑠璃が最後まで面倒を見ろって言っとけ」 


 哲は電話を切ると、しばらくスマホの画面に指を滑らせた。


 女性は気長に待ちながら、ちびちびとコーヒーを飲み進めた。


 やがて、哲はスマホから顔を上げる。申し訳なさそうに口を開いた。


「すみません、早急にしなければならないことが増えたものですから」


 哲はスマホをジャケットの内ポケットにしまうと、もうぬるくなっているコーヒーに口を付けた。


 待たせていた女性に向かって言う。


「それで、話の続きなんですけど」


 女性は、ゆっくりとうなずく。


「もし、子どもを死なせた犯人を、その手で殺せるとしたら、どうします?」






          †






 教室の床は水浸しで、少年たちの下卑た笑い声だけが響いている。


 掃除用のバケツに入った水に、女子の顔がつかっていた。髪の毛をつかんでいた滝田が引き上げる。ぶはあ、と間抜けに息を吸う声に、再び笑い声が上がった。


 椅子に座って女子を見下ろす箱崎が、顔をゆがめて吐き捨てた。


「きたねえなぁ、ブス。もう少し奇麗な顔できねえのかよ」


 隣で立っている鶴岡が、けらけらと笑っていた。


 箱崎たちの次の標的は、少しふくよかで、ぱっとしないタイプの女子生徒だ。親は、桜庭と同じように、会社勤めの共働き。敵にまわしたらめんどうくさい職種ではない。


 標的にされた女子生徒は、光本と桜庭が今まで受けていたことをひととおり経験した。財布を盗まれ、ひどい言葉を教師に向かって言うよう脅される。給食は自分のところだけ配膳されない。身に覚えのない罪を知らぬうちにかぶせられ、教員に内申書に響くぞと怒鳴られた。


 担任は助けようともせず、他の生徒は自分じゃなくてよかったと胸をなでおろす。女子生徒は早くも限界を迎えていた。


 無理やり髪をつかまれ、バケツの水に顔を押し付けられる。抵抗しようにも、男子の力には敵わない。バケツをたたいても、滝田が片手でしっかりと持ち、抑え込んでいる。


 鼻と口から空気の泡が逃げていく。死ぬほど苦しい思いをしながら、本能的に呼吸をしようと、鼻から水を吸う。水が気道に入ろうとする前に、タイミングよく引き上げられた。女子生徒は「うぉえ」と大きくえずいて、水を吐き出す。


「うっわ、きたねえなぁ。きれいになるまで洗ってやれよ」


 箱崎の言葉で、女子生徒は再び水に顔をつけられる。女子生徒はばたばたと手足を動かしていた。


 そのようすが面白いのか、箱崎は笑う。


「桜庭もこんな感じで死んだのかな?あーあ、死ぬのがわかってたら、死ぬところをちゃんと見届けてあげられたのになぁ」


 その言葉は、女子生徒の耳にまで届いていた。このままでは殺されてしまう。女子生徒はひときわ大きく暴れた。滝田に支えられないほどの力が出たようで、バケツが横に押しのけられる。バケツは水をまき散らしながら、弱弱しく転がっていった。


 女子生徒は、はあはあと、苦しそうに肩を上下させる。鶴岡が顔をゆがませて言い捨てた。


「あーあーあー。どうすんだよ、おまえよ。こんなにちらかして」


 箱崎がにやにやと笑いながら、鶴岡に言う。


「なめて奇麗にさせたらいいじゃん。奇麗に掃除できたら帰らせようぜ」


 女子生徒は青白い顔で、箱崎を見上げる。箱崎はますますおかしそうに、ゆがんだ笑みを浮かべていた。


 滝田が無理やり髪をつかみ、水浸しの床に顔をたたきつける。ぐりぐりと執拗しつようにこすりつけた。滝田は明るい口調で、女子生徒に言い放つ。


「ほらほらはやく飲めよ。これ全部飲み干したらもう帰っていいってよ?」


 箱崎がうんうんとうなずいた。


「別に裸になって写真を取らせろって言ってるわけじゃないんだから。それに比べたら簡単だろ?」


 女子生徒はプルプルと震えている。選択肢はなかった。言われたとおり、舌をちょろりと出して、床の水をなめとる。


「げええええええ、のんだぁああああ」


「きめえ!」


 鶴岡と滝田が大げさに声を出す。箱崎は上を向いて、げらげらと笑った。


「あはは! 本当にやったよ、こいつばかだな~」


 滝田は女子生徒の顔を、床にますますこすりつけた。


「ほら、全部飲めよ!飲みきるまで帰れねえからな!」


 ひどい屈辱の中で、女子生徒は言うことを聞くしかない。再び舌を出して水をなめとる。


 その瞬間、電子音が大きく響いた。同時に教室の扉が開く。


 箱崎たちの視線が、いっせいに扉に向かった。そこに立っていたのは、隣のクラスの新名だった。


 新名はスマホを教室に向けてかざしている。その姿に、箱崎たちは怪訝けげんな表情を浮かべた。


「あんたたち、いい加減にしなよ」


 その声は、震えて、上ずっている。新名はこんなふうに誰かを強くとがめることに、慣れていなかった。


「今の、動画に取ったから。これ、ネットに流したら、あんたたちも、あんたたちの親も、ただじゃすまないんじゃない?」


「は?」


 箱崎が間の抜けた顔で、間の抜けた声を出した。


 滝田は女子生徒の頭から手を離し、麻耶のほうに走り出す。


「それを渡せ!」


 麻耶はスマホを素早くカバンに入れて、走り去る。鶴岡と滝田は、慌てて自分のカバンを抱え、後を追った。


「待て!逃げられると思ってんのか!」


 二人は必死な形相で麻耶を追いかける。麻耶は時々後ろを振り向きながら、階段を下りていった。


今ここでつかまるわけにはいかない。ただひたすらに、必死に走る。


 教室に残された箱崎は、自分のカバンを持ちあげた。悔しさをこらえきれない表情で、唇をみしめる。


 女子生徒が床に手をついて、体を起こす。どことなく安心したような表情を浮かべて、ため息をついた。その姿が箱崎の視界に入り、八つ当たりの言葉を吐き捨てる。


「くそっ。てめえのせいだ!てめえが早くきれいにしねえからだよ!」

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