よく舐める話
新名はおずおずと瑠璃を見つめる。瑠璃は冷たい声で言い放った。
「スマホは持ち歩いてる?助けを求めたいなら自分で警察に通報すればいいじゃない」
「持ってるけど……そもそもスマホ持ってくるのは校則違反だから、使ってるの先生に見られたら内申にも響くし……それにこういうので警察を呼ぶのって……」
「はあ?」
瑠璃はぎろりとにらみ付けた。美しい端正な顔立ちだけあって、ひどく恐ろしい形相だ。
「だからたまたまここにいた私に助けてほしいって? また死人が出るかもしれないから?」
新名の行動が、どうしても気に入らなかった。ここに瑠璃がいなければ、新名はいけしゃあしゃあと、何事もなかったように家に帰っていたはずだ。警視庁に一人で来た勇気を認めていた瑠璃だったが、それを撤回してもいいくらいには不快だった。
「じゃあ、代わってあげたら?」
「え……?」
新名は目を丸くする。徐々に顔が青ざめていった。
「あなたが代わりにいじめられるようになれば、その子は助かるでしょう? 」
「そんな……」
「まあ、できるわけないか。結局自分の身がかわいいものね。それができないなら放っておけば?」
突き放すように言い捨てて、瑠璃は新名から視線をそらす。
「大人の世界だってそうよ。教師達だってそう。大きな力の前ではぺこぺこしておくしかないの。いじめがあってもなかったって言わないといけないの。余計な正義感は自分の身を滅ぼすことになりかねないから」
瑠璃は、ほほ笑む。その表情は、高慢で、華々しくて、実に強かった。
「知らん顔して今度も逃げたらいいじゃない? 誰も責めないわよ。何もしなければ自分に害はないんでしょ? 最後まで戦う覚悟がないのなら、変に正義感出さないほうがいいと思うけど」
新名の顔から冷や汗が流れ落ちる。確かに、このまま見て見ぬふりを続けたほうが無難だ。少なくともあと三年、目立たないように過ごせばいい。
新名は瑠璃に背中を向けた。校門を通って、校舎にフラフラと戻っていく。
瑠璃は、新名の背に声を放った。
「どうするの?」
「代わります」
新名のか細い声が、瑠璃の耳に小さく届いた。正義と覚悟と、おびえを感じさせる声だった。
「私は隣のクラスだから。代わっても、そこまで一緒にいるわけじゃないから。授業中はちょっかいかけてこないだろうし」
新名は、自分を落ち着かせるように深くため息をついた。
「あのとき、桜庭君にかけよっていたら助かっていたのかもしれないのに、逃げてしまったんです。せめて今までのことをちゃんと話して、警察に調べてもらおうって警視庁まで行ったのに。私の話をろくに聞こうとしてくれなくて悔しかった」
新名の声はだんだん震えだした。
「私がいじめを代わって、もし、万が一、私が死にかけるようなことがあれば、そのときこそ警察は動いてくれると思う」
はたしてそんな簡単にうまくいくかしら、という言葉を瑠璃は飲み込む。ほとんどの刑事は権力に屈することはないだろう。とはいえ、権力者の身内が関わっていると知るや否や、消極的になる刑事がいることも事実。
瑠璃は、冷静に言い放った。
「……私が言っといてなんだけど、簡単に自分のこと犠牲にしないほうが良いと思うわ。下手すれば一生、あいつらに舐められて、人生を狂わされるかもしれないのよ? それでもいいの?」
「……じゃあ、どうしたらいいんですか。三美神は、助けてくれないくせに」
瑠璃は虚空を見つめて考える。しばらくして、堂々とした笑みを浮かべた。
「そうね、じゃあ、いじめの代わり方を教えてあげるわ」
「え……?」
新名は振り返る。その顔色は青白く、今にも恐怖で倒れてしまいそうなくらい、弱弱しかった。
「あなたが今、犠牲になったところでぼろ雑巾になるまで痛めつけられるだけ。警察だって当てになるかはわからない。だから、そうならないために、私がアドバイスをしてあげる」
新名はぎこちないまばたきを繰り返す。瑠璃は尋ねた。
「あなた、足は速い?自信ある?男の子に勝てそう?」
新名はきょとんとした顔で、おそるおそるうなずいた。
「なるほど、自信あるのね。じゃあ、私がアドバイスする代わりに、二つ約束しなさい!」
瑠璃は二本の指を立てて見せた。
「それはね、校則を絶対に破ることと、教師の言うことは絶対に聞かないってことよ!」
「え……?」
新名は間の抜けた顔になる。
瑠璃は高慢に笑って、新名のもとに歩み寄った。耳元に顔を近付けて、事細かに「代わり方」を説明する。
新名は、驚きつつもその説明に納得したようで、うなずいた。瑠璃に背を向け、校舎に向かっていく。その後ろ姿は、さきほどよりも堂々としていた。
新名の姿が見えなくなったころ、瑠璃は悩ましい表情を浮かべ、めんどうくさそうに吐き捨てた。
「あーあ、あの二人怒るだろうなぁ。急な予定変更だから……。とりあえず和也に相談しよう……。お父さんも健一君も勝手なことするなって、小言がしつこいからな……」
瑠璃はひどく気が滅入り、頭を抱えた。
†
テーブルに置かれた哲のスマホが震えている。画面には、百合園和也と表示されている。
「申し訳ありません、出ても良いですか?」
目の前に座る青い作業着姿の女性に、哲は言った。女性は静かにうなずく。
チェーンの喫茶店は人が多く、ほどよくにぎわっていた。女性は目の前に置かれたコーヒーを持ち上げて、おそるおそる口をつける。
「どうした?」
哲は怪訝な顔で電話に出る。静かに相槌を打ち続けていた。その姿を、女性はぼんやりと見つめている。
女性の見た目は四十代といったところだ。顔からは疲労が感じられ、喫茶店になじめていないようすでおどおどとしている。艶がない茶髪は、後ろできつく結ばれていた。
「……お前な。そういうのは瑠璃本人から連絡させろ。……うん、まあ、そうだけどな。……ああ、いや、構わない。でも少し早すぎる。……健一には俺から連絡しておく。どうせあいつ連絡したがらないんだろ。……あいつはしないって言ったら絶対にしないからな」




