説教 2
「俺が生き延びたのは、俺が、男だったからです。犯人は、女性の殺害を優先していました。……殺害している、自覚はなかったでしょうけど」
「それで?」
皐月は腹の前で手をぎゅっと組みながら、続けた。
「瑠璃ちゃんが同じように中に入れば、父が助けに入るころにはすで殺されていたはずです」
頭を金づちで割られた女性の光景が、フラッシュバックする。体が震えているのを自覚しながら、しっかりと声を出した。
「ここの学生ではないからこそ、瑠璃ちゃんを殺すのに時間はかけなかったのではないかと。なおさらあの格好では……」
「そうか。少なくともさっきよりはマシな主張だな。……どう思う?」
哲の視線が、階段周りをうろついていた和也に向く。和也はにこやかに顔を向けた。
「瑠璃が入っていれば、おまえが入ったころにはすでに殺されてたと思うか?」
返事はない。和也は笑みを崩すことなく皐月を見て、その後ろに来ていた瑠璃を見る。
やがて、いつもの穏やかな声を出した。
「そうだね。皐月の言うとおり。瑠璃ちゃんだったら分が悪かったと思う。……武器もなにもない状況であそこから出るのは、不可能だったと思うよ」
「よくわかった。……おまえたち親子が、そうとう瑠璃を見くびっていることをな」
「そう言うなら、実際に入って見てみたら? 僕の言っている意味が分かると思うよ」
和也はあくまでも柔らかく笑っていて、哲も表情に感情を出すことはない。
和也の視線が、健一に向いた。
「二人とも、見ないの? この中」
階段へと顎をしゃくる。
「少なくとも、僕たちに協力してくれたあの警官には、二人ともお祈りしてあげたほうがいいんじゃない? はやくしないとほかの刑事が来て、できなくなるかもよ」
哲が健一と顔を見合わせた。視線を和也に移し、うなずく。
「そうだな」
皐月を一瞥し、地下へ続く階段に足を踏み入れる。そのあとに健一が続いた。
皐月の緊張が、ようやく解ける。
パトカーのサイレンが、先ほどからずっと鳴り響いていた。あんなにも閉鎖的だった女子大に、今では男性警官がずかずかと足を踏み入れている。事情聴取を強行する刑事たちに、女子寮前に立つシスターたちは従わざるを得なかった。
「……帰ろう、瑠璃ちゃん」
階段を見下ろす瑠璃に顔を向ける。疲弊しきっている皐月はもう、瑠璃と一緒に帰って寝たかった。
皐月に顔を向けた瑠璃は、冷静に返す。
「私は帰れるけど、皐月は帰れないでしょ?」
「え?」
皐月が目を見開くと、瑠璃は指をさしながら続ける。
「あなたは重要参考人。帰りたくても、このあと刑事さんにいろいろお話しなきゃいけないから」
皐月は裏口に続く小道へ顔を向ける。スーツ姿の刑事が、茂みのそばで皐月が来るのを待ち構えていた。瑠璃と長い時間話し込む暇はなさそうだ。
瑠璃が手を差し出す。
「銃、私があずかろうか?」
皐月は握りっぱなしでいた銃を瑠璃に渡そうとした。が、瑠璃の手の上でぴたりと止まる。
そばにいた和也をチラリと見て、ゆっくりと手を下ろした。
「……いや、大丈夫。俺のだから」
「そう」
手放すのも不安で、瑠璃に渡すのも嫌だった。これは、皐月にとって、必要なものだ。
皐月はリュックに銃を入れ、背負いなおす。
「ごめん。私のせいだよね」
瑠璃の謝罪に顔を向けた。瑠璃は目を伏せ、淡々と声を出す。
「まさか皐月が、こんなことをするとは思ってなくて」
瑠璃の顔に、失望は浮かんでいない。しかし感謝もない。
しいて言えば、皐月に対する申し訳なさが、かすかにあるだけだ。
瑠璃のために身代わりとなった皐月だが、とたんに恥ずかしく思えてきた。瑠璃を助けるどころか、父親に助けられる青年の姿は無様だ。もし瑠璃が懐中電灯と銃を持ってあの場に入っていたら、皐月のようにもたつくことはなかっただろう。
「あ、謝らないで。俺が来たくて来たんだから、瑠璃ちゃんのせいじゃ、ないし」
笑いながらついたため息は、少し震えていた。この姿を見せることすら恥ずかしい。
なんとかごまかすために、皐月の口は言葉が流れ出す。
「ほんと、この中ひどくてさ。俺、歩き回っただけなのに血だらけになっちゃうし、臭いもすごくて……これお風呂入ってもしばらく消えないかも」
から笑いの皐月を、瑠璃は神妙な顔で見すえている。
いたたまれず、目を伏せた。
「ごめん。邪魔して。余計なこと、だったよね」
瑠璃はかすかに首を振る。とはいえ、ほんとうは哲のように叱り飛ばしたいことがあるのだと、皐月は感じ取っていた。
「怒らないで、瑠璃ちゃん。中に入ったのが、俺で良かったんだよ。俺だったから生きてここから出られたんだと思うし。……その格好の瑠璃ちゃんだったら、何をされてたのか、わかんないし……」
皐月は待っている刑事に視線を向ける。その表情から、しびれを切らしているようすが見て取れた。
「じゃあ、行くね。……無理しないで。はやく、帰ってきて」
瑠璃を見て、和也を見たあと、皐月は歩き出す。刑事のもとへ向かい、ともに裏口のドアから出ていった。
残された瑠璃は額に手を当て、弱弱しく息をつく。そんな瑠璃を、和也はほほ笑みながら見下ろしていた。
「今、兄さんと同じようなこと考えてるでしょ」
返事はない。
「皐月が余計なことをしなければ……自分が中に入れば順調に解決したのにって?」
「ごめんなさい」
瑠璃は静かに、冷静に続ける。
「皐月を巻き込むつもりはなかったの。ほんとうに……」
「わかってる。僕は別に、怒ってないよ。皐月が簡単に死ぬことはないって、信じてるし。……それに、皐月がさっき言ってたように、瑠璃ちゃんのほうが危険だった可能性は、否定できないよね?」
瑠璃はまた、返事をしなかった。
二人の目の前にある地下からは、叫び声と、それに対する怒鳴り声がかすかに聞こえてくる。捜査に勤しむ刑事たちの、真剣な声だ。
「稀にみる、異常殺人だよ」
和也は穏やかな声で続ける。
「きみのお父さんは、きみに大学の中を見てほしかっただけで。この地下にいれられることは想定してなかったと思う」
表情も雰囲気も柔らかくて品がいい。しかし、その言葉はずっしりと瑠璃にのしかかる。
「あんまり勝手してムチャしないで。きみの悪い癖だよ。もう少し……きみのことを大事に思っている人たちのことを考えないとね」
瑠璃は返事をせず、地下に続く階段を見すえる。その先は、果てしない闇がうごめくばかりだった。




