地獄からの脱出 2
シスターは和也の足元で、痛みをこらえながら浅い呼吸を繰り返す。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔に、笑みを浮かべた。
「神が私を、見捨てるはずがない……。私よりも信心深くて……敬虔な者はいないんだから……。あなたのような悪魔に、私は殺されたりしない……」
和也は笑みを浮かべたまま、無情な声で返す。
「……きみは敬虔な信者なんかじゃないよ。だって君は、神を利用してるんだもん。きみのような信者がいること自体、神への冒涜だよ」
「は……? 」
「ま、ようは、どんな言い訳をしても、きみの身勝手ってことさ」
シスターの顔に青筋が浮かぶ。腹や腕を貫かれた痛みより、和也に対する怒りのほうが勝るらしい。
「この……世迷言を……」
「じゃあ、ためしてみる? 僕が今からきみを殺してきみが生き返るかどうか。……そんな奇跡、起こらないよ?」
シスターの支えだったものをひとつひとつ折るかのように続けていく。
「純潔? 派手に着飾るな? 男に近寄るな? できなきゃ拷問で悪魔祓い? ……滑稽だよ。きみは、いつの時代の話をしてるの? 神も失望するレベルだよ」
「悪魔め……それ以上の言葉を慎めぇ……」
和也が神々しい笑みを崩すことはない。それどころか、喉を鳴らして小ばかにする。
「きみはさっきから勘違いしてるよ。僕は悪魔なんかじゃない。僕こそが神。……きみの魂は今、きみの言う神様じゃなくて、僕が握ってる」
「……何を言って」
和也は自分の顔を指さした。
「ほら。僕、三美神だから、ね?」
理解が追いつかないシスターは、引きつった顔で和也を見つめていた。
「あれ? ……わかんないかなぁ?」
優しく、諭すように、和也は言い聞かせる。
「三美神がつかさどるのは、権威、知恵、美貌。そのうち知恵をつかさどるアテナは戦の女神でもある。ぼくたちはね、そんな女神と同等の能力があると、認められたんだよ。……つまりね、僕たちが神を名乗るのも、神と呼ばれるのも、伊達じゃないってこと。名もない神の使いでしかないきみとは、違う」
涙と鼻水まみれになった顔が、どんどんゆがんでいく。歯ぎしりをしながら、鋭い目つきで和也をにらみつけた。怒りに燃えたぎるその表情は、まさしく悪魔だ。力を振り絞って、盛大に叫ぶ。
「ふざけるなふざけるなふざけるな! おまえみたいな悪魔が神を騙るなぁあ! この私が、どれだけ苦労して神の頂を知ることになったかも知らないで! ただ人をそそのかし殺すだけの悪魔が! てめえの祈りも殺しも、クソほどの価値もねぇんだよおおおおおおおお!」
とたんに訪れた静寂。そこから先の言葉は、シスターの口から出てこない。
「うーん……やっぱり簡単にやりすぎたかな」
シスターの手首に刺さっていたはずのレイピアが、頭頂部から床にまっすぐ突き刺さっている。頭のてっぺんから下あごまで串刺しだ。目は見開き、鼻から血が流れ、開きっぱなしの口からはよだれが垂れる。
「あ、しまった。意外とグロいな、これ」
シスターの頭に足を置き、レイピアを引き抜いた。シスターの体は力が抜け落ち、壊れた人形のように床に突っ伏す。もうピクリとも動かない。
「……まあ、いっか」
剣先を振って血を飛ばし、ゆっくりと鞘に納める。
和也は寝台に置かれたランタンを手に取り、皐月に向いた。
銃のグリップを握ったままの皐月は、目を伏せ、唇をかみしめている。
「自分で、殺したかった?」
和也の問いに、皐月はゆっくりと顔を向ける。眉をひそめ、不満げに返した。
「そんなんじゃ」
「だよね。殺さないで済むならそのほうがいい。どんな形であれ、一度人を殺せば、もう後戻りできないからね」
優しさを感じる声に、皐月は再び目を伏せる。自身の姿が視界に入った。
服は汚れきり、誰のものかわからない血がべっとりとついている。返り血一つない真っ白な姿の和也に比べれば、皐月のほうが殺したかのようにも見えた。
「父の、言うとおりだった」
「うん?」
「俺は、守られる側の人間だった。守ることなんて、できない。守られる側が、戦う人間に戦うのを辞めろなんて、言えなかったんだ……」
先ほど殴られていた女性に目を向ける。もう死んでいることは明白だ。少なくとも皐月が弾を外していなければ、死ぬことはなかったかもしれない。
皐月が瑠璃を守ることなど、当然、できない。
「……異常だよね。あの人が、瑠璃ちゃんじゃなくてよかったって思うんだ。普通はさ、目の前で死んでしまって、後悔とか、するものなのに。瑠璃ちゃんじゃないから、別に……」
暗く濁った眼を伏せる皐月に、和也はいつもと変わらない口調で返す。
「そういうもんだよ。僕だってそうだし」
「父と同じだって言われるのはなんか嫌。さっさとこんなとこ離れて瑠璃ちゃんのところに行きたい」
「そうだね」
と言いつつ、和也は奥のほうへランタンを向ける。皐月はあえて見ないよう顔を背けた。
散らばる血肉に、死体。手入れされた農工具。床に書かれた魔法陣。
和也は見下すような笑みで短く息をつき、階段のほうに向きなおる。
「皐月、ついてきて。気を付けてね。こっちにもトラばさみがあって」
「あの、さ」
歩き出していた和也は止まり、振り向いた。
「瑠璃ちゃんは、無事、なんだよね?」
目を伏せながら尋ねた皐月に、うなずく。
「もちろん。ぼくがついてあげてたんだから」
皐月は安どの息をつく。その表情は、徐々に不安の感情に染まっていった。
「でも、失望するよね、きっと。……こんな格好で、なにも、できなくて……」
手に持つ拳銃を見つめる。
武器を持っていても、使えなければ意味がない。ため息とともに、手を下ろした。
「瑠璃ちゃんの無事、自分の目で確認したいんじゃないの?」
和也のはっきりとした声色に、顔を向ける。和也はいつもどおり、柔らかい笑みを浮かべていた。
「きみは本当に、瑠璃ちゃんがすべてなんだね。僕が言ってもしないようなことを、きみは瑠璃ちゃんのためならできるんだもん」
和也は寂し気に、眉尻を下げる。階段のほうへ体を向け、再び歩き始めた。
「おいで。瑠璃ちゃんが外で待ってる」
ゆっくりと歩いていく和也のあとを、皐月は部屋の中を一瞥して、ついていった。




