地獄からの脱出 1
シスターの体がわずかに揺れ、動きが止まる。その視線が、腹へと落ちた。
「あ……あ……」
細いレイピアが、腹から背中にかけて貫通している。レイピアの護拳は宝石がはめ込まれており、精巧で繊細なデザインだ。皐月が、見慣れているものだった。
シスターの呆然とした声が、耳につく。
「……どうして……」
レイピアを見ていた皐月は、背後から漂う禍々しい気配に気づいた。血の気が引くほどひんやりとした殺気だ。振り向く勇気すら奪い取る。
いつのまに来ていたのだろう。皐月もシスターもその男の存在に、まったく気づかなかった。
「心臓か、頭を一撃、でもよかったんだけど。処刑にもルールがあるから」
声は甘く、穏やかだ。
皐月の背後で、殺意に満ちた瞳がシスターをとらえる。皐月とそっくりな切れ長の目は、あまりにも冷酷で、ゴミを見るかのようだ。
皐月の肩に、白手袋をはめた手が置かれた。
「皐月。よく、頑張ったね」
穏やかで、優しい声だった。その声色に反し、決して逆らってはいけない圧を感じさせる。
銃をシスターに向けたままの皐月の手に、和也が自身の手をのせた。
「……あとは、僕にまかせて」
和也がゆっくりと、銃ごと皐月の腕を下ろす。
同時に、皐月の全身から急激に力が抜けていく。和也が来てくれた安堵からか、それとも今以上に非道な光景が予測できたからか。どちらにせよ、これで皐月が死ぬことはなくなった。
シスターが、おびえる目を和也に向ける。皐月に向けていた目つきとは、明らかに違っていた。
震える唇から、か細い声を絞り出す。
「どうして……どうして……どうしてよ……」
その手から、ナイフが床に落ちる。
「あ、ありえない……。この私が、悪魔にしてやられることなんて……ありえない……」
「まあ、僕は、悪魔じゃないからね」
皐月を後ろに移動させた和也は、平然とほほ笑む。刺さっているレイピアの柄をつかみ、シスターを足で押さえて引き抜いた。
鮮血が、弧を描いて落ちていく。
「う、うう、ううう……」
シスターは腰を抜かし、腹を抱え込むようにもだえた。荒い呼吸を繰り返し、声を出す余裕はない。
それを見下ろす和也の顔は、相変わらず、キレイな笑みを浮かべていた。
「どうしたの? 痛みなんて感じないんじゃなかったの? さっき肩を撃たれたときは平気だったでしょ。……神のご加護が、あるんだから」
和也はレイピアの血を振り落とし、鞘に納めた。この血みどろの空間の中、その白い姿は誰よりも清らかに見える。
「名前……なんだったっけ。一応決まりになってるけど。ぼく、これ、得意じゃないんだよね」
うずくまるシスターを気遣うそぶりも見せず、思い出すように上を見る。
「えーと。シスター・クリスティナ……だっけ? 本名は……えーと……たかくら……。ごめん、忘れちゃった。とりあえずきみは、悪魔祓いという名目の拷問で、多くの女性たちの命を奪った。そうだよね?」
和也の視線が、床に散らばる女性たちの残骸に向かう。
「体を切り刻み、爪をはぎ取り、内臓を取り出し、毛髪をはぎとり……中世の魔女狩りよりも恐ろしく、残酷なことをしでかした。……うん。動機なんて、僕にはどうでもいい」
和也の足元で、シスターは首を振る。
「……違う。……私は、彼女たちのためを思って」
「ああ、大丈夫。きみの話なんて聞くつもりないから。今から殺すきみの話を覚えておく必要がないからね」
和也はおもむろに、胸の前で十字を切った。その光景に、シスターは目を見開く。
「な、なにを……」
目の前で、和也は胸元で手を組み、目をつぶる。
「なにをしているのですか!」
ひときわ大きい怒号が響いた。和也はしぶしぶ、片眼を開ける。
「聖職者なのに、知らないの? お祈り」
両目を開いて、手を下ろす。
「お祈り……ですって? 私を殺さんとするあなたが……祈る、と?」
「そう。きみが死んだあと、ちゃんと、地獄に落ちますようにって」
和也は、にっこりと笑った。対して、シスターは憎々しげににらみ付ける。
「き、鬼畜な、悪魔どもめ……」
「だから悪魔じゃないってば。それに、殺人鬼のシスターにそんなこと言われてもね」
先ほどまでのシスターとは違って、取り乱すことも品のないふるまいも、和也とは無縁だ。浮かべる笑みはいつだって、神々しいほどの慈愛に満ちている。が、シスターの目には悪魔の卑しい笑みにしか見えないのだろう。
「皐月」
和也の後ろで、皐月の心臓が跳ね上がる。ばくばくと続く激しい鼓動。
そんな皐月に、和也はシスターを見下ろしたまま尋ねた。
「君には今、この状況で、どちらが悪魔に見える? 十何人も惨いやり方で殺した彼女? そんな彼女を今から殺そうとしている、僕?」
皐月は答えられなかった。ただただ目の前の光景を見つめることしかできない。
「……あ」
シスターが必死に腕を動かし、落ちたナイフを握りしめる。
もちろん、和也はそれを黙って見逃すような男ではなかった。シスターがナイフを振り上げたその瞬間。
「ああああああああああ」
シスターの振り上げた腕は、固まる。ナイフを握るその手首に、レイピアがまっすぐ突きささっていた。
ナイフを握っていられないほどの激痛。レイピアは床にまで突き刺さり、手はまったく動かせない。
固定された手首と激しい痛みでパニックになったのか、シスターの悲鳴はおさまらなかった。
「うーん……ちょっと刺しただけなんだけどな。いつもだったら手なんて切り落としてるし。……今日は優しくしてあげてるほうなんだよ?」
おちゃめな声が、悲鳴と重なる。
「きみがしたみたいに、警棒でぶん殴って、金づちで頭をたたき割って、生贄の儀式よろしく刻みに刻んでも構わないんだよ?」
これっぽっちも、心が痛んでいるようすはない。皐月とは違い、ためらいを感じさせなかった。
「でもね、ただでさえおびえてる自分の子どもの前で、さらにおびえさせることはしたくないわけ。ほら、人の親って、そういうもんでしょ? ……兄さんにも、するなって言われてるしね」
シスターを見下ろす瞳は鈍い光を放ち、毒々しい狂気がにじむ。
「だから、すぐに殺してあげる。きみは運がいいよ。これ以上苦しまないで楽に死ねるんだから」




