被虐者は高潔な仮面をかぶる 3
「言うこと聞かない学生は、悪魔がとりついてるんだって考え方をしてたんです。バカげてるでしょう? でも、それが普通だった」
シスターは地下の奥を見すえる。闇に染まり、なにも見えないその場所を、じっと見る。
「寮生だった彼女は、ひときわ反抗的でした。当然、罰も人一倍受けました。もう少しで、死んでしまうのではないかと、はらはらしたものです。でも、突然、彼女は変わった」
「目覚めましたか」
哲の声に、顔を向ける。
「……ええ。まさしく、その言い方がふさわしいのでしょう。だってほんとうに、なにもかもが変わってしまったのだから。聖書も暗記し、祈りも毎日欠かさず、誰よりも模範的な学生になり、自分から神に仕える存在になりたいと、申したくらいです」
悲哀に満ちた声だった。憐れむように、目をつぶる。
「本人が言うには、死を覚悟したときにきいたそうですよ、神の声を」
ちらりと、哲たちの反応を見る。誰も否定的なことは言わず、神妙な顔でシスターを見るだけだ。
シスターは、かすかに笑う。
「ほんとうにそうなのかは私にもわかりません。でもそこから彼女が変わったのは事実。シスターになるための修練も必死に耐え、奉仕活動の熱心さも買われ、異例の若さでベールをかぶることになりました……」
再び、地下への階段に視線を落とし、ため息をつく。ゆがめた顔を隠すよう、片手で覆った。
「だから、どうしても、彼女がそんなことをしただなんて信じたくなくて。あの子は誰よりも、痛みを知っているのだから……」
「痛みを知っているからといって、人を傷つけないわけではありませんよ」
シスターの見開いた目が、哲に向く。哲は相変わらず冷ややかな顔で、情がない。
「殺人鬼はみな、自分の痛みには敏感です。……だから、自分以上に誰かが傷つくのを見なければ気が済まない。彼らにとって罪を赦すことは、苦行でしかないんです」
ずしりとのしかかる重い言葉に、シスターはまばたきを繰り返しながら言い返す。
「でも、あの子は、とても、優しくて。みんなに、優しくて……」
「虐げられた恐怖が、簡単に消えるとお思いで? 延々と、自分の中でくすぶり続けるものですよ」
「でも、彼女は……そんな感情は一切、見せたことはなくて。そんな彼女に、シスター一同だって心を動かされて、学生をもっと守ろうと」
無情なため息が響き渡る。
「何をおっしゃいます。しょせん学生なんて、この大学では都合のいい存在でしかないのでは? ストレスのはけ口でしかなかった昔も、極端に縛り付けて管理しようとする今も」
シスターの顔から、血の気が引いていく。哲の言葉は容赦なく続いた。
「彼女はただ、自分と同じ苦しみを与えたいだけなのかもしれない。自分よりも幸せそうで、自分よりも弱い者たちに。……誰かがとめなければ、ずっと続く」
ここまでくれば、シスターは完膚なきまでにたたきのめされる。シスター・クリスティナが殺人鬼であるという事実にも、それを生み出したのがこの大学だということにも。
シスターの目が、うつろなものへと変わる。地下への階段に顔を向け、小さく口を開いた。
「そう……なのね。ほんとうに、あなたが……」
頭を抱え、よろよろと不安定になるシスターを、瑠璃が駆け寄って支えた。
「地方から出てきた子たちを。ここなら大丈夫だと、親御さんに任せられた子たちを。我々で守っていこうって言ってたじゃない……。保護者の方々への対応に、心が痛いって言ってたのに……。それも全部、ウソだったのね」
悲痛な声は、決して地下には届かない。
シスターは涙をこぼすまいと、片手で両目をふさぐ。
「天罰が下るのは、私たちのほうだわ……。神に仕える私たちが、悪魔を生み出したのだから」
鼻をすする音が小さく響いた。
シスターを尻目に、哲は健一に顔を向ける。
「警察に連絡を入れろ。すぐ来るはずだ。検視官も鑑識も呼んでおけ」
「やっぱり、もう生き残りは」
「二カ月も出てこない学生がいる時点でお察しだ。……希望はない」
シスターの嗚咽が、ひときわ響いた。瑠璃が支えながら背中をなでる。
スマホを取り出して裏口へ向かう健一を、哲は見送った。健一が小道に入っていったところで、シスターに向きなおる。
「シスター。……もう一つ、お聞きしても?」
シスターは深く息をつき、涙を拭いた。弱弱しくうなずく。
「なんなりと」
「行方不明になった学生のことを、シスターはどれくらいご存じで?」
質問の意図に、シスターはすぐ気づいた。
「ええ。もちろん知っているに決まっているではありませんか。ここは学生の数が、多いわけではありません。目立つような子はなおさら……」
「では、彼女たちの最後の行動も、わかるわけですね」
シスターはしばらく哲を見つめ、顔をしかめた。
「全員とまでは、いきませんがね。いなくなる直前、この大学構内にいたことは、確実です。きっと、シスター・クリスティナに呼ばれているところを見た子も、いるんじゃないでしょうか……」
やはり大学にいる人間はみな、意図的に口をつぐんでいた。自分が消えることの、ないように。
「……ここはもう、終わりね。……やっと、終わる」
震えるシスターの目から、一筋の涙が頬を伝う。
「本来、神というものは、どんな人間であろうとお救いくださる存在です。……信じればこそ、三美神のことも、我々のことも、きっと……。神はすべてを、お認めになるはずで……」
言葉に詰まり、渋い顔をした。
神を利用し、学生を縛る大学にとって、これほど都合のいい言葉はないだろう。
「神は全ての人間をお許しになられる。でも、試練に向き合わなかった我々よりも、三美神のほうをほめたたえることでしょう。言うことを聞かなければ罰せられるだとか、殺されるだとか、そういうことでは、なかったはずなのに……」
髪を染めようと、奇抜な服を着ようと、質素な生活でなかろうと。愛にあふれた善の魂を持てばよい話だったのに。
身をささげて信仰を行うシスターと、宗教教育の中で育つ学生では、立場が違うはずなのに。
「……神よ……お許しください……」
シスターは礼服の胸元をぎゅっと握る。
「こんなことになってもなお……なにもできない私のことを……」




