被虐者は高潔な仮面をかぶる 2
「その姿で中に入るのは自殺行為です! おやめなさい! だからその服装はだめだと申したのです。どんなことをされるかわからないというのに……」
静かにするよう言っていたのはシスターなのに、シスターの声が静寂の中を響き渡っていた。
先ほどまでとは違う必死な形相のシスターに、瑠璃は面食らう。シスターの肩に手を置き、穏やかに諭した。
「大丈夫ですよ、シスター。わたしも三美神の端くれですもの……」
シスターは震えながら首を横に振るだけだ。困惑する瑠璃の横から、和也が口をはさむ。
「やっぱり、男がいったほうが安全ですか?」
穏やかにほほ笑む和也に、シスターの顔が向いた。不安に満ちた青白い顔で、うなずく。
「ええ。……少なくとも、このような女性が入るよりは……」
「じゃあ、僕が行こうかな」
一瞬、哲の顔がゆがむ。それを見逃さなかった和也はほほ笑んだ。
「これだけシスターが引き止めてるんだもん。無理に瑠璃ちゃんをいかせるわけにはいかないよ。……兄さんは、そう思わないの?」
「ずいぶんと瑠璃に甘いな、おまえは」
「そう? 兄さんが厳しすぎるだけじゃない?」
和也は余裕しゃくしゃくと、階段に足を踏み入れた。
「和也」
哲の声に、振り返る。
「皐月は素人だ。……あまり派手なことをしてみせるな」
変わった指示に和也は目をぱちくりとさせた。が、すぐに満面の笑みを浮かべてうなずく。
その顔を、シスターに向けた。びくりと震えたシスターに、穏やかな声で尋ねる。
「あの方のお名前を教えてくれますか? 処刑の前に必要だから。できれば本名も」
シスターはためらいがちに、小さく、答えた。
「彼女は……シスター・クリスティナ。本名は……高倉貴世です」
「シスター・クリスティナ。高倉、貴世、ね」
和也は上を向いて、シスターの言葉を頭に入れ込んでいく。
「うん、覚えました。感謝します」
純真な笑みを向ける和也に、シスターは返事をしなかった。複雑そうに顔を伏せる。
和也は気にすることなく階段を下りていった。背をかがめながら慎重に進んでいく。和也の姿は次第に闇へ飲まれていき、足音も聞こえない。
シスターは渋い顔で、階段を見つめる。苦々しい表情で、ずっと。
その姿に、瑠璃の声がかかった。
「多くの命を救うための犠牲は、つきものですから」
顔を向けるシスターに、瑠璃は堂々と続けた。
「ご自身の判断を、後悔なさらないで。賢明な判断でしたよ。少なくとも、これで、これ以上学生が消えることはないのですから」
「……彼女を葬るよう、三美神を送ったことには変わりありませんよ」
「だとしても、神を騙る悪人から学生を救おうとしたあなたを、責める神がおりましょうか」
シスターは顔をゆがめ、目をつぶる。細く息をついて、声を出した。
「私も、罰せられるべき人間です。長いこと何も、できなかったのだから」
健一の真剣な声が続く。
「彼女が犯人だと、知ってたってことですか?」
「……いいえ」
シスターは健一に顔を向け、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「でも学生たちは……特に寮生は……彼女が犯人だと気づいていた子もいたのかもしれません。彼女は寮生たちの生活指導を担当していましたから。呼び出し、連れ出すのも、簡単にできたでしょうね」
シスターの視線が、女子寮へ向いた。瑠璃から離れ、寮に体を向ける。
「彼女は、潔白すぎたんです。不自然なほど。でもそれが彼女の魅力で、救われる人も多かったんですよ。だから、変だと思うことがあっても、なにも言えなかった……誰も……」
女子寮の窓は、すべての窓でカーテンが閉められている。すでに消灯時間は過ぎており、学生もシスターも寝ているようだ。
シスターは目をつぶり、ぎこちないため息をつく。
「私が確信したのは、昨日です。……炊き出しのために同じ部屋で早い時間に寝ていたのですが、夜中に目が覚めてしまって。……そのとき、部屋を動き回る彼女を、見たんです」
失望を帯び、弱弱しい声だ。
「彼女は私服で、ランタンをつけて、出ていきました。寝たふりをして、薄目でしか見ていませんけど、確かです」
額に手を当てて、疲弊したため息をつく。健一を見て、先ほどよりもしっかりとした声を出した。
「私一人だけがとめようとしたところで、無謀でしょう。大学全体の意識を、変えないことにはね。わたしにできることをやるしか、なかったんです。せめて、これ以上、傷つくものが出ないようにと、ね」
ランタンを揺らして見せる。
「……ただの気休めかもしれませんが、なにもしないよりはマシだと思ったものですから」
哲と健一は顔を見合わせる。眉尻を下げる健一に対し、哲はいつもの冷血な表情だ。
視線をシスターに移し、口を開いた。
「彼女と鉢合わせれば、あなたが、殺される可能性もあったのでは?」
シスターは動じることなく、うなずいた。
「もちろん考えましたよ、それも。……でもね、あの子だって人間ですから、説得すれば罪を償ってくれるものだと……。悪魔に、心を完全に乗っ取られたりはしていないのだと、信じていたかったのです。……だって彼女は、痛みを知っている子だから」
目を伏せ、思い出すようにとつとつと続ける。
「彼女はね、この大学の出身なんですよ。当時はまだ、短大でしたけど」
シスターの目が、哲と健一のほうへ向いた。
「……お二人はご存じでしょう? 当時、ここがどういう場所だったか」
二人は返事をしなかった。それでも、シスターは静かに、感情を殺すように話を続けた。
「変なウワサがたつのも当然ですよ。それくらい、ひどかったんですもの。大学になる前は、体罰も日常茶飯事だったんですから。……寮生にとっては地獄だったでしょうね」
思い出すのも酷なことだ。シスターは顔をゆがませ、ため息をついた。
「人格否定の暴言は当たり前。鞭でたたき、一晩中聖書の内容をたたきこむ。あまりにも反抗がひどければ食事は一切取らせない。そのための部屋が、ここです」
オレンジ色の光が照らす、地下への階段。
シスターにとっても、大学にとっても、この先は永遠に封印しておきたい場所だった。




