被虐者は高潔な仮面をかぶる 1
蓋が開いたままになっている地下の入り口へ、オレンジ色の明かりが近づいていく。
年配のシスターが、階段を照らして見せた。
「……ここだろうとは、思っていました」
ひっそりと、しかし厳かな声だった。
シスターの隣で腕組みをした哲が、おさえた声量で尋ねる。
「ここは?」
「なんでしょうね? 私たちは自習室、と言っていました。もう今は、使われていなかったはずなのですが」
歯切れの悪い言い方に、哲の視線が向いた。
「ここに、学生たちがいる、と?」
「そう、思います。誰一人、出てきてはいませんけれど」
「中に入って確認しようとは思いませんでしたか」
当然の質問だ。シスターは顔をゆがませ、細長い息をつく。
「私には、入る勇気がありません。ここに勤めている古株は、みんなそうでしょうね」
ふと、シスターは体を震わせる。来た方向へ顔を向けると、先ほどよりも大きく震わせた。
瑠璃のとなりに立つ和也が、シスターを見すえて口角を上げている。穏やかな笑みとは噛み合わない威圧的な脅威を、漂わせながら。
「じゃあ、この中に、僕の子どももいるわけですね?」
シスターの顔に、困惑の色が浮かぶ。
「は? ……え? なんと? いえ、そんなまさか」
「あれ? 先ほど中につれていかれたのをご存じない? 夜回り、なさっていたのに?」
戸惑いながらまばたきを繰り返すシスター相手に、和也は笑みを崩さない。
健一がそれ以上はひかえるよう手で制す。が、和也は続けた。
「あなたとよく一緒にいた彼女は、今どちらに?」
一瞬震えあがったシスターは目を伏せ、沈黙する。健一が思い出したように声を上げた。
「……ああ、あの若いシスターのことか?」
「そう、その人。自分だけは違うって善人ヅラしてた人。彼女だけ、クサかったよね?」
哲に同意を求めるよう目を向ける。哲は表情を変えず、和也を見つめ返していた。
和也の視線が、沈黙を続けるシスターに移る。
「わかるんだ、僕たち。変な推理なんてしなくても。人殺し特有の匂いってやつが。職業柄」
和也にしては珍しく、あざけるような笑みを浮かべた。
「さっき皐月が必死に犯人について話してくれてたけどね。皐月は僕の話だけで、犯人にたどり着いたって感じだった」
健一がげんなりとした顔で返す。
「おまえなぁ……なんでもかんでもぺらぺら話すなよ。瑠璃のこともそうだけどさぁ」
「だって。まさかあの皐月が現場に来るとは思わなかったし、僕が来いって言ったわけでもないし」
自分が話した体を貫く和也に、哲が冷ややかな声を放つ。
「でもおまえが皐月に話したせいで、皐月が連れこまれるハメになったわけだ」
和也の顔から笑みが消え、視線を階段に向ける。その姿に、哲は息をついた。
「まあいい。さっき皐月はなんと?」
和也の視線が哲に向かう。
「……僕たちに、大学で浮いてる人がいなかったか聞いてたんだよ」
和也は口元にこぶしを添える。穏やかな笑みを浮かべ、低く甘い声で続けた。
「大学関係者の中で僕たちに友好的だったのは、最初から彼女だけだったよね? いつもあんな感じなのか、僕たちの前だからああだったのか……どちらにしても、目立ってた。でもおかしいよね?」
視線をシスターに向け、追い打ちをかけるように語気を強める。
「これだけ閉鎖的な場で、閉鎖的な考えで、独裁的な学校なら、不満があっても従わざるを得ないのが普通でしょ? 形だけでも取り繕わなきゃ、自分が一気にたたかれることになる。あなただってそう。なのにどうして彼女だけは、正義ヅラできたんだろう?」
シスターは顔を伏せたまま、眉間にしわを寄せていた。ランタンを握る手が、強くなる。
「あの子は、いつもあのような振る舞いをしていますよ。典型的な聖職者というか……正義感と慈愛にあふれているというか……。この大学で、ひと際目立っていたのも、事実です」
決して、三美神に顔を向けようとはしない。ぎこちなく、言葉を選ぶように続けていく。
「もし、あの子がかかわっていたとして。あなたがたは彼女を、処刑……なさるのですか?」
シスターの言葉に、否定する者はいなかった。三美神はそのために事件を捜査し、そのために犯人の前へ姿を現すのだ。悪人を見逃すことは、ない。
「……シスター。あなたも、ほんとうはわかっていらっしゃるのでしょう?」
シスターを見下ろす哲の目は、いつもどおりに力強く、圧がある。シスターは叱られる子どものように、ただ顔を伏せることしかできない。
「彼女がすでに、多くの過ちを犯していることを。それこそ、聖書の教えに反する行為をしているのだと。だからこそ、我々をここまで案内したのでしょう?」
小刻みに震える手で、シスターは口を覆う。哲の言葉は容赦なく続いた。
「彼女は、罪を犯すことを選んだ。学生たちを、殺すことを、選んだ」
シスターの喉が、ひゅっと鳴った。どこかそうだと思っていた。しかし信じたくなかった。それでも突きつけられた現実に、動揺を隠せない。
片手で顔を覆い、こらえていた気持ちをすべて吐き出すようにため息をついた。
「それこそ、神へのこの上ない裏切りであり、冒涜、なのではありませんか?」
あまりにも無情で冷徹な声に、叩きのめされる。
「殺された学生を、次は自分だと脅える学生を、そしてあなた方を。我々以外に救えるとお思いで?」
無言で耐えていたシスターは、顔から手を離す。目を伏せたまま、すべてを諦めたような声で、返した。
「神は、悲しんでいらっしゃるでしょうね、彼女のことを。……これもまた、神の思し召し、なのでしょう」
三美神による処刑を。一緒にいた彼女の罪と死を。シスターは受け入れざるを得ないのだ。
哲の視線が、瑠璃に向く。
「おまえが行け。銃は俺のを貸してやる」
ジャケットの内側からリボルバーを取り出し、差し出した。
「最初からおまえが行く予定だったからな」
瑠璃が手を伸ばしたそのとき。
「いけません!」
荒々しい声と同時に、シスターは駆け出す。瑠璃の手をつかみ、声を張り上げた。




