悪魔憑き 1
皐月は異様な場所に立っていた。
ライトを向けた壁側には棚が設置され、のこぎりやクワなどの農耕道具が目につく。農耕には関係ないチェーンソーやカンナも置いてあった。
床を照らせば、白いペンキでかかれた魔法陣。アニメや漫画に出てくるような黒魔術をほうふつさせる、円形の図式だ。
「儀式、か……。そういうウワサも、聞いたことあるな」
魔方陣のちょうど中央に寝台があり、女性が四肢を四隅で縛られている。皐月と一緒に襲われていた女性だ。
皐月は床に気を付けながら、寝台に近付く。
口にテープを貼られた女性は動かない。トップスがめくれ、見えている腹には、赤い塗料で大きな十字が書かれていた。胸が上下しているのを見るに、まだ息はあるようだ。
ベッドに銃を置き、懐中電灯を口にくわえた。四隅に結ばれたロープを外していく。
すべて外し終えると、皐月は銃と懐中電灯を持ち直し、女性の肩をゆすった。
「ねえ、起きて! 大丈夫? 起きて!」
女性の顔にライトを当てる。目がゆっくりと開き、しばらくまばたきを繰り返す。皐月の存在に目を見開き、くぐもった悲鳴を上げた。
逃亡を図ろうとした女性は、勢い余って寝台から落ちた。
「ちょ……大丈夫? 」
皐月の声掛けに応じることなく、口のテープを外し、周囲を見渡す。
なぜここにいるのか思い出したのだろう。女性の呼吸が激しくなっていった。
「ああああああああ! だめだめ! いやだ! 逃げなきゃ! 殺される!」
女性は手足をばたばたと動かしながら後ろに下がる。背中に、寝台の足が当たった。
「ひい! なに! やだ! もう帰らせて! 」
下に描かれた魔方陣が視界に入り、さらに体をがくがくと震わせる。
「おかしいよ、ここ! なんでなんで! あたしがこんな……」
「落ち着いて! 大丈夫だから!」
駆け寄った皐月を見て、女性はさらに顔をゆがませる。その視線が、皐月の手に移動した。皐月が握っているのは、銃だ。
「ひぃ! やめて! 殺さないで! 」
「あ、違う。これは……」
女性は震えながら、頭を抱えだした。
「やだやだやだやだ……もう! なんでよ! なんでぇ! なんで男がここにいるの! もう無理だ! 違う! あたしのせいじゃない! あたしのせいじゃないんだから!」
とても会話ができる状態ではない。無理やり話しかけたところで、女性はもっと混乱するだけだ。とはいえ、皐月は一刻も早くここから脱出したかった。
懐中電灯で部屋を隅々まで照らし、観察する。ここに皐月や女性がいるということは、必ず出入りする場所があるということだ。
「……あ」
部屋の壁に、上へ続く階段を見つけた。大人が二人並んで入れるほどの幅だ。ここからでは階段の奥が暗く、先がどうなっているのかわからない。
「ねえ。ちょっと、あそこに……」
女性に顔を向けたときだった。女性は立ち上がり、皐月を押しのける。
「え? なに?」
体格の差もあり、突き飛ばされることはなかった。女性は一人で部屋の奥に向かっていく。
肉塊だらけの奥のほうに。
「不審者の男が言うことなんて信用できるか! 私は家に帰るの!」
「だめだ! 危ない!」
女性が行く先へライトを向けると、悲鳴が響き渡る。
「ぎゃああああああ! なんなのよ! なんなのよ、これえ! 」
体の一部や血が散らばる光景を前に、女性は腰を抜かす。吐き気をこらえきれず、太ももの間に胃液を落とした。
「うえええぇえええ……やだやだやだやだ。死にたくない。ここから出してよぉ……」
皐月は女性に近寄る。触れることはせず、穏やかに声をかけた。
「ねえ、落ち着いて。とりあえずここから早く出ないと」
「うるっせえよ! 男のくせに! おまえのせいで! 逃げられたはずなのに! おまえがいたからだ! おまえが、男のせいで……あたしはまた……うわああああああああああああ」
反響する女性の金切り声に、皐月の中で張りつめていたものが破裂する。
「はあ? もとはといえばそっちがぶつかってきたんだろ! こっちは助けようとしてたのに!」
無理もない。皐月だってさまざまな感情を抑えながらここまで来たのだ。
しかし皐月は、これ以上の文句をぐっと我慢した。言い争ったところで、なんの成果も得られない。
「あのさ、混乱するのはわかるけど、こんなところでずっとそのままでいる気? 死にたくなきゃ、立って移動するしかないだろ! あっちに出口がありそうだけどどんすんの? 行くの? 行かないの?」
女性はそのまま床につっぷして泣きじゃくる。皐月の言葉を聞いてくれない。
この場所を知っているか。ここはどこなのか。どうしてこの女性がつかまってしまったのか。本当はいろいろ聞き出したいこともある。でもできない。聞き出せる状況ではない。
「この学校、おかしいよ! なんで私がこんなことされなきゃいけないわけ? あいつらに何の権限があってこんなこと……うわああああああああああん、パパあああ、ママああ……」
部屋中に、女性の泣き声が響き渡っている。皐月は顔をしかめた。
このまま置いていこうか本気で悩む。なぜなら彼女は、瑠璃ではないのだから。
「きみを襲ったやつがどんなやつかは知らないけど。そいつが戻ってくるのも時間の問題……」
小さな音が、皐月の耳に入り込む。一定のリズムを刻む硬い音だ。だんだん、大きくなっていく。女性も気づいたのか、泣き声が止まった。
皐月は階段にライトを向ける。階段の奥から、ランタンを持った黒い何かが姿を見せた。皐月のライトがまぶしいのか、顔を背けて立ち止まる。
皐月がライトを消すと、代わりに淡いオレンジの光が周囲を照らし始めた。光とともにおりてきたのは、黒い修道服とベールに身を包んだ、年若いシスターだ。
上品な顔立ちをしたシスターは、皐月と女性を見すえ、笑った。
ランタンを持つ手とは反対の手に、何かを持っているようだ。うまい具合に修道服の影に隠れ、皐月からはよく見えない。
「いや、いや、助けて。殺さないで……シスター……」
床に座り込んでいた女性は、シスターに対して手を組み、懇願する。
「違うんです! 私は彼とはなんの関係もなくて! 逃げたことは謝ります。だから……だから……」
歯を鳴らす音が続き、それ以上の言葉を聞かせなかった。女性の目から、ボロボロと涙があふれ出てくる。
恐ろしいのは、体の一部がごろごろと転がるこの場所で、シスターの笑みがまったく崩れないことだ。シスターを刺激しないよう、皐月は銃を背中に隠した。
「まあ、なんてこと」
この場に似つかわしくない、優しい声だ。
「あんなに厳重に縛っていたのに、もう抜け出してしまっただなんて。……今度は、退治するのが難しそうですね」




