天罰の果て 2
気を抜かすと、その場に尻をつきそうになる。自身を落ち着かせるように、必死に呼吸を繰り返した。
恐怖が、絶望が、脳を支配していく。まともに考えられなくなる。
「ふー……大丈夫……ふー、ふー……大丈夫。俺が身代わりになるのは、間違ってない、これが、正解だった」
もし、瑠璃がここに来ていたら、すぐに殺されていたかもしれない。しかし男である皐月も、すぐに殺される運命にあるはずだ。目の前のような惨劇の一部に、なってしまう。
「しっかりしろよ……瑠璃ちゃんが殺されるくらいなら、こんなの平気だろ……」
口ばかりで呼吸をしていると、よだれが次々と床に落ちていく。気づいた皐月は口元をぬぐった。
「……そうだよ。俺は、瑠璃ちゃんが死ななければそれでいい。他の人が死のうが、どうでもいい」
落ち着かなければ。今のこの状況を受け入れなければ。ここからなんとか抜け出して、瑠璃に会わなければ。
皐月はここで、野垂れ死ぬつもりはさらさらない。
「ふー……」
懐中電灯を握りしめ、皐月は再び周りを照らす。
怖い。汚い。気持ち悪い。無意識に涙が浮かび、震えとともに吐き気がこみあげてくる。目の前の光景は、決して夢ではない。
「……絶対。ここから出てやる」
皐月にできることを、するしかない。とりあえず先に進まなければ。とにかく、ここをでなければ。
震える足を無理やり前に進めた。床を照らし、なるべく肉片を踏まないよう進んでいく。
とはいえ、この散らかりようでは無理な話だ。何度も何かを踏んで、嫌な感触に襲われた。決して慣れることはなく、顔をゆがませたまま進む。
やがて、皐月は体を震わせながら止まった。
ライトで照らされたそこには、さび付いたトラばさみが刃をむき出しにして設置されている。
皐月は辺りを見渡し、近くに落ちていた手をおそるおそる拾いあげた。
爪がすべてはがされた手だ。青紫に変色したそれは、ひんやりとして、異様に硬くなっている。切断面にはウジ虫がついていた。
「ふー……ごめんね」
皐月はその手を極力見ないようにし、トラばさみの中へ投げ入れた。
中に入ったとたん、トラばさみは音を立てて飛び跳ねる。指が数本、どこかへ飛び散った。
本物だ。用心して進まなければ、皐月の足が使い物にならなくなる。
「ほんと、趣味が悪すぎるだろ。イカレてる……」
他にも設置されているトラばさみに気を付けながら、先を進む。それができるのも、皐月が懐中電灯を持っているからこそだ。何も持っていない学生たちは、逃げ惑う中で、いとも簡単に引っかかってしまうのだろう。
再び皐月は立ち止まった。肉片の中に、小さいリボルバーが二丁落ちている。警官が所持する五連弾リボルバーだ。
皐月は罠を疑いながら、ゆっくりと近づいていく。しゃがんで拾い、弾倉を開けてみる。二丁とも、弾は入っていなかった。
「一発でも残ってたら心強かったんだけど……」
リボルバーをもとの位置に戻した。
「あれ? ていうか、なんでここにこんなものが?」
ふと、壁側から気配を感じた。顔を向けると、何かが座っているシルエットが、ぼんやりと浮かんでいる。
懐中電灯を、向けた。
「……っ!」
男性が、天井にまでのびるパイプに背を付け、足を開き、首を傾けている。青い制服を着た男性警官だ。腕は背中のパイプに回され、手錠をかけられていた。
死んでいるのは、一目でわかった。
顔の原型が、ない。強く殴られたのか、ゆがんだまま固まっている。開きっぱなしの口をよく見ると、歯が何本か抜けていた。
皐月はさらに近付き、状態を見る。
全身血だらけで、いたるところに撃たれた痕があった。二丁のリボルバーで、すべての弾の、的にされている。そのうちの一発は、目を撃ち抜いていた。これが致命傷なのかもしれない。
「この人かな。行方不明になった、警察官って……」
皐月は彼の前に膝をつき、胸の前で十字を切る。頭を下げて、しばらくのあいだ目をつぶっていた。
「こんなことしかできなくて、ごめんなさい……」
悲哀のある声を出し、ゆっくりと目を開く。
皐月は警官の顔に手を伸ばした。撃たれていないほうの目を、そっと閉じる。
皐月の視線が、警官の腰に向かう。警官が必ずつけているはずの警棒が、ない。周りを見渡しても落ちていない。
そういえば、と自分が襲われたときのことを、もう一度思い出す。あのとき、フードをかぶった不審者の持っていたもの。
あれは警棒だ。
「銃じゃないだけ、マシだな……。全弾ここで使われたのは、不幸中の幸い、なのかも」
かすかに震える手で、銃のグリップをぎゅっと握る。
どんなに恐ろしくても、皐月はここを出なければならない。どんな状況だろうと、行動しなければここから出られない。
皐月は息を吐きながら立ち上がる。警官の遺体に背を向けて、ゆっくりと、しかししっかりと歩き始めた。




