どうしてもわかりあえない人たち 2
「……どうしてこんなところにいらっしゃるの? 」
「私たちの誰かを殺すおつもりかしら」
恐怖、不安、あざけり、侮蔑……さまざまな感情が、三美神に向けられる。
その空気を切り裂くように、柔らかい声が響いた。
「まあ……。どうされたのです。こんなところで騒ぎ立てて」
事務員の後ろから、黒い礼服を身にまとうシスターが静々と歩いてきた。見た目は二十代後半といったところで、優しさのある上品な顔立ちだ。
「シスター! あれをご覧ください! あの野蛮なものたちを!」
和也を見るシスターは、息を漏らす。事務員とは違い、毒もトゲもない声を出した。
「なんと……。おケガは大丈夫ですか? そんな、ひどい血の量……」
「シスター! あれは全部返り血です! 本人はぴんぴんしているでしょう! あんなやつらは人を殺すことはあっても、殺されることなんてありませんよ!」
シスターは眉尻を下げる。
「そんな悲しいこと、言わないで」
事務員に寄り添い、背中に手を添えた。厳しくも慈愛のある口調で続ける。
「そんなに興奮しないで。落ち着いて。こんな状況だから、無理もないでしょうけどね……」
事務員は不満げに顔をゆがめるものの、シスターへ反論はしない。
「こんなときこそ、淑女としてふるまうべきなのです。神のように、いかなる者にも、広い心で接しなければなりません」
落ち着いてうなずく事務員に、シスターはさらに続ける。
「いいですか? 最初から排除するような姿勢ではいけません。私たちは公平に神が守ってくださる、同じ人間なのです。男女ともに助け合う関係でいるべきなのです。ののしりあうのではなく……」
和也が鼻を鳴らした。切れ長の目をゆるやかに細め、口角をきゅっとあげる。
血まみれであることを忘れるほどに。いや、血まみれだからこそ神々しい笑みだった。学生たちが思わず立ち止まり、見とれるくらいには。
「神様も大変だね。信者がここまでば……頭のねじが外れてると」
「……はあ? 」
事務員のゆがんだ顔が、和也に向いた。顔に青筋が浮かぶ彼女を気にすることなく、和也は笑う。わざとらしく大きな声で続けた。
「神様から一体何を学んでるの? 服装を統一すること? 礼拝をすべきってこと? 神に背く人間は許されない存在だってこと? それなのに神様は男女とも公平に守ってくださる? ……ほんと都合がいい存在だね、神様って」
「なんてことを……! 」
「神様のために我慢して学ぶことってなに? 宗教教育って、てっきり、愛とか道徳の大切さを学ぶもんだと思ってたけど、ここでは違うみたいだね」
和也は口元は穏やかに笑ったままだ。しかしその目は、先ほど向けられた倍の侮蔑が浮かび、まっすぐに事務員を向いている。
「大学も、学生も、よくわかってない神様に縛られてるだけ。神を敬う自分たちだけが高潔だと思いたいだけ。神様を利用して自己顕示欲を満たしてるだけ、でしょ? ほんと、哀れだね」
「和也……」
健一が和也の腕を取って止める。
事務員は怒りに満ちた顔で、和也をにらみつけていた。
「くっ……この……無礼な! 神は信じる者こそ救うのです! 神を侮辱するような輩には天罰をお与えになるでしょう! 」
和也は意に介さず、ほほ笑んだままだ。隣にいた哲が前に出て、頭を下げる。
「部下が失礼いたしました。どうぞお許しください」
顔を上げ、事務員をまっすぐに見すえた。哲の黒々とした強い瞳に、事務員はぐっと身構える。
「こんなことで小競り合いをしたいわけではありません。われわれは、事件の捜査のためにお伺いしたのです」
その言葉に、場の空気が張りつめた。事務員の顔は青ざめ、何も言おうとしない。
「それ以外の目的はございません。できればもう少し協力していただきたいのですが……」
門を通っていく学生たちはもう、三美神に見向きもせず中へ入っていく。事務員は哲から目をそらした。
誰もが、哲の話に関わりたがらない。
「この規模の大学であの人数がいなくなるのはどう考えても異常です。いなくなった学生がみんな、学則を守っていないような子だったという点も、不審だとは思いませんか?」
「天罰ですわ」
事務員は、勝ち誇ったように笑う。
「なぜ、そうお思いに?」
「……はやくお帰りください。二度とここに近付かないで。あなたがたに協力する筋合いはございませんので! 行きましょう、シスター」
事務員はシスターの手を取り、礼拝堂のほうへ向かっていく。その際、シスターは振り向き、三美神に申し訳なさそうに頭を下げた。
二人の姿が見えなくなったあと、和也が口を開く。
「ごめん。兄さんに謝らせるつもりは、なかったんだけど」
先ほどとは打って変わり、和也は眉尻を下げていた。哲は首を振る。
「いや、いい。おまえがつっかかっていったのは想定内だ。ああいうのは嫌いだろ?」
「……そうだね。大嫌いだよ。見えないもので人を縛り付けようとする、あの考え方がさ」
和也の肩を、健一が優しくたたく。
「今日はもう帰れよ。また明日、キレイな正装で出直してくれば?」
「うん……そうする。これ以上迷惑はかけられないしね」
和也はため息をつき、哲を見据えた。
「……ねえ、兄さん。ひとついい?」
「なんだ?」
「どうして、この件に首をつっこもうと思ったの? いくら学生が失踪してるからって、死体が出てきたわけじゃないんでしょ?」
処刑人である三美神だが、事件の捜査を手伝うことは珍しくない。しかしそれにはまず、死体が発見される必要がある。殺人鬼を処刑すべきと判断できるような、異様な死体が。
「警察に協力を依頼されたからだ。それ以外に理由はない」
堂々とした哲の回答に、和也は眉をひそめる。本音を読み解こうにも、哲は表情の変化は乏しく、難しい。
「そう……。わかった」
ほほ笑みながらも、ため息が漏れる。門を通っていく学生たちに背を向け、その場をあとにした。