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三美神の鎮魂歌  作者: 冷泉伽夜
EP.2 神のいるこの場所で
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天罰の果て 1




 皐月はゆっくりと目を開く。


 硬い床の上に横たわる皐月は、ぼうっとした頭で瞬きを繰り返した。


 目の前は真っ暗で、ここがどこなのかわからない。意識がはっきりしてくると同時に、皐月は自分の手足が縛られ、口にテープが張られていることに気づいた。


 全身に筋肉痛のようなだるさが襲ってくる。一番はっきりと痛むのはうなじだ。やけどに似た、ひきつるような痛みだった。


 ゆっくりと体を起こす。幸いにも手首は前に結ばれていた。暗闇に慣れた目で結び目を確認し、落ち着いて解いていく。


 細めできっちりとしたロープだったが、その結び方は素人そのもの。皐月の手にかかればなんてことはない。昔教わった方法を思い出しながら、緩めていく。


 ロープを外すと、手首には跡がついていた。触るとでこぼことし、ひりひりと痛む。


 ふと、皐月は鼻を何度か鳴らした。口のテープを勢いよくはがし、顔をゆがませながら鼻をふさぐ。


「うええ……なにこのにおい……」


 頭が覚醒した今、嗅覚が正常に稼働し始める。皐月の鼻を、とんでもない腐乱臭が突き刺していた。


 腐った卵や生魚、傷んだエビやカニなどの甲殻類、油や糞尿といった、ありとあらゆる臭いをごちゃ混ぜにしたような――いや、それよりもひどい。ここにいるだけで病気になるレベルの強烈な臭いだ。この季節だからこそ、というのもあるだろう。


 ひどい臭いと、何かのしかかっているように重い頭のせいで、何も考えられない。負けじと声を出し、頭を回転させる。



「えーっと……俺はスーザンに来てたはずだ。瑠璃ちゃんを探すために。それで……大学の周りを歩いていたときに襲われた」


 同時に足を縛るロープを外すため、手を動かす。


「俺だけじゃなくて、女性も一人いたんだ。外は、夜だった。首が痛いのは、たぶん、スタンガンをあてられたから」


 足元のロープが外れた。


 背中に手を回す。リュックは背負ったままだった。背中からおろし、中身を一つずつ触って確認する。


「俺がいまからやるべきことは、ここから外へ出ること。それから、助けを呼ぶこと。瑠璃ちゃんがつかまった可能性は……どうだろう……そのときは助けなきゃ」


 特に持ち出されたものはないようだ。気絶させられたあと、すぐにここへ運びこまれたらしい。


 スマホを取り出し、誰かに連絡しようと画面を開く。


 圏外だ。助けを呼ぶことはできない。GPSが生きていれば、三美神が見つけてくれる可能性もあったというのに。


「……たぶん、ここは、スーザンの敷地内。犯人は内部の人間で間違いない。外よりも中に隠すほうが都合いいもんね。俺が犯人でもそうする。まずはここから脱出するべきなんだろうけど……なかなか難しそうだな」


 スマホをリュックに入れ、代わりに拳銃と懐中電灯を取り出した。懐中電灯は片手で握れる細長いタイプだ。


 皐月は周囲を警戒しつつ立ち上がり、リュックを背負う。この暗闇では何があるのか見当もつかない。


 懐中電灯のスイッチを入れ、前方を照らしてみる。


「わぁ、びっくりしたっ」


 横たわっている女性を見つけた。栗色の巻き髪にグレーのシャツワンピースを着ている。人がいることに安堵あんどしつつ、声をかけた。


「あの、大丈夫ですか?」


 一歩進むと、びちゃり、と嫌な音がした。足元を照らすと、赤黒い水たまりに足を踏み入れている。


「……え?」


 皐月は再び、横たわる女性を照らした。


 よく見れば、女性はぴくりとも動いていない。もっとよく見れば、ワンピースから出ているはずの両腕と、両足が、見当たらなかった。


「あ……え……?」


 目の前の状況に、皐月の頭が追いつかない。


 懐中電灯を、左右にゆっくりと向けてみる。


 そこかしこに飛び散った大量の血。破れた服の布切れ。ネイルがはがれかけた手足。どこの部位かもわからない肉片。零れ落ちてそのままにされた臓物。こちらを見る目玉。


 皐月の脳の動きが停止する。目の前のそれらを作り物だと思い込もうとした。


 しかし思考は無理やり回りだす。失踪した学生たちの居場所も、死体が見つからない理由も、さきほどから困っている臭いも、この状況ですべて納得できた。に落ちたとたん、込み上げてくる胃液。


「う……げえぇ……」


 少量の胃液が、血だまりの中で跳ねる。


 皐月の呼吸はわかりやすく乱れ、手と膝が震えていた。再び辺りを照らす勇気はない。


 自分もこうなるかもしれない恐怖と、事件に首を突っ込んだ後悔が押し寄せる。


 足元を照らしていた皐月は、このとき気づいた。誰のものかもわからない血が、全身に、べっとりとついていることを。


「あ……ああ……あああ……」


 この事件を、皐月は簡単に考えすぎていた。ただの失踪事件で、このような悲惨な光景を目にすることになるとは、だれが予想できただろう。

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