彼女のためにできる最善策 2
皐月が顔を向ける先から、敵意や殺意は感じない。皐月はリュックの尻から手を離した。
「瑠璃ちゃん……?」
返事はない。おさえめの声量だが、この静かな環境では届くはずだ。
そのとき、かすかな足音が皐月の耳に入ってきた。塀の向こう、大学の中からだ。
嫌な予感が皐月を襲う。心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、こぶしを握りしめた。そのまま、目の前の街灯に向かって、ひかえめに声を出す。
「それ以上こっちに来ないで。わかってるんだよ、瑠璃ちゃんが、おとりになるつもりでいることくらい」
あいかわらず、返事はない。皐月は続ける。
「何が起こってもそこから出てきちゃダメ。中に入ったら、出られなくなるから!」
皐月は耳を澄ます。塀の中から聞こえる足音は、どんどん近くなる。同時に、焦燥感のある呼吸がかすかに聞こえていた。
時間がないことを悟る。
「いい? 今日、ずっと、ここにいたよね? 瑠璃ちゃんも、三美神も、いろんな人に会って、いろんなこと言われたと思う。いい? 思い出して。その中に、怪しい人はいなかった? 」
塀の中から聞こえていた足音が、止まった。
皐月の声に、存在に、気づいたのだ。それを理解してもなお、皐月はやめなかった。
「目に見えて怪しいとかじゃなくて、他の人たちとは明らかに違ってる人! 考え方とか振る舞いとか、話してる内容とか、他の人たちとは違う……そう、明らかに浮いてた人!」
後方から、扉を強くたたき締める激しい音が響いた。
皐月は振り返り、次の角に立つ街灯へ走る。明かりの下を通って曲がろうとすると、何かにぶつかった。
「ぅわっ」
皐月は平気だが、ぶつかってきたそれは派手に転んだ。
警戒しつつ、目を凝らしてそれを見る。地面でうごめくそれは、若い女性だ。上下ともスウェット姿で、靴は履いてない。
「大丈夫?」
皐月は近づき、しゃがんで手を近づける。
よく見ると、女性は腕を背中にまわされ、手首をロープで縛られていた。なんとか体を起こして皐月を見上げた女性の口には、テープがはられている。
「んんんんんん~~~~!」
女性は、皐月の後ろを見て、必死に首をふる。同時に、皐月は背後から殺気を感じた。迫りくるなにかに、体が勝手に避けていた。
警棒が、空を切る。相手は体のバランスを崩し、足をもたつかせた。
体勢を整えた不審者の姿を、街灯が真上から照らす。スウェットパンツで黒いパーカーのフードをかぶり、顔は影に覆われて見えない。男なのか女なのかすら把握できない。
不審者は女性に向かって警棒を振り上げた。頭に直撃する手前で、皐月が握り止める。衝撃が伝わり、手がじんじんと痛んだ。
警棒をひきぬこうと抵抗されるが、皐月は決して離そうとしない。
「はやく! 今のうちにほら! 逃げてきたんだろ! 早く立って逃げろ!」
女性は震える足でなんとか立ち上がり、もみ合う二人に背を向ける。
瞬間、不審者のほうから、電気の音と閃光が皐月の頭に向かってきた。すれすれに避けたものの、警棒を握る手が緩む。
そのすきに警棒を抜き取った不審者は、女性を追った。
「あ……くそ……」
自分がおとりになるために捕まるのは構わない。しかしせっかく逃げ出してきたのなら、女性には逃げ切ってほしかった。
皐月が追いかけるも、間に合わない。女性の背後から不審者は警棒を下ろす。後頭部を打たれた女性は、白目をむきながら倒れ込んだ。
今度は皐月に、警棒が向けられる。やはりその顔を見ることは難しい。
背中のリュックには拳銃が入っているものの、今から取り出して構える余裕はなかった。この場は素手でなんとかするしかない。
暗闇の中、警棒を振り上げて襲い掛かる相手をかわす。かわす。やみくもにたたこうとするのをすべて避けた。相手がイラ立っているのを感じとる。
「……なるほど」
もう一度振り上げたところで内に入り込み、襟をつかんで背負い投げた。
「え?」
思った以上に軽い。予想していた場所よりも離れた場所で、不審者の背中がたたきつけられた。
そのすきに、女性のもとへ駆け寄る。不審者は後だ。とりあえず女性を避難させなければならない。
女性は気を失い、しばらくは起きそうになかった。抱きかかえるよう女性の体に腕を回した瞬間、背後で察した気配。かわす余裕もなく、強烈な衝撃がうなじを襲う。
「あ……ぐっ」
全身に広がっていく、刺すような痛みとしびれ。体が動かず、末端の筋肉まで震える。
意識が遠のいていく皐月は、女性の上に倒れ込んだ。
それを見下ろす不審者の手にはスタンガンが握られ、バチバチと音が漏れている。
「汚らわしい……この悪魔どもめ」
憎々し気に落ちた声は、女性のものだった。




