それはすべてあなたのために
それから、いつもどおりに皐月は授業を受ける。
教授の話はそこそこに、頬杖をついて目を伏せていた。持っていたペンは、ルーズリーフに少し線を引いただけでとまっている。
上の空でいる皐月を、二つどなりに座る真冬は、チラチラと気にしていた。
いつの間にか、授業は終わる。出欠確認用のレポートに何を書いたのか、皐月はもう覚えていない。
教室を出て、目を伏せながら廊下を進んでいく。
「大丈夫なの? さっきから元気ないけど」
後ろから話しかける真冬に、皐月は振り返る。真冬は眉尻を下げ、皐月を見すえていた。なにか言おうとして口を開くも、ためらって声を出そうとはしない。
階段そばにある自販機が、真冬の視界に入る。
「あ、ちょっと待ってて」
真冬は駆け寄り、ペットボトルの水を二本買う。ついてきていた皐月に、そのうちの一本を渡した。
「……ありがとう。ちょうど喉乾いてたんだよね」
ふたを開ける皐月を、真冬は神妙な顔で見つめる。皐月が口をつけたとき、尋ねた。
「あのとき、なんで言い返さなかったの?」
「え?」
「俺、わかるもん。身内に何かあったときは、三美神に強力な捜査権が与えられるって。……西園寺家のお嬢様に何かあったら、強制的に三美神は中に入ることができるんだって」
「ああ、それね……」
御三家や三美神には、一般人とは違う特殊な規則が存在する。
その一つが、『御三家の人間が被害にあった場合、対象となる場所や人物に対して強制的な捜査ができるようになる』というものだ。
その際、多少強引な手を使っても構わない。極端な話、捜査をとめようとする者を切りつけてもいい。
これだけを聞くと、報復のための暴走的な行動を、国が容認しているかのように思える。しかし処刑人一族の御三家に害を与えた時点で、一般市民には手に負えない相手なのだ。その強引さは結果として社会のためにもなる。
「うん、もちろんわかってる。……でも、気づいちゃったから」
「なにを?」
皐月はもらった水を一口飲み、目を伏せた。
「三美神は瑠璃ちゃんをおとりにして、大学に攻め込もうとしてる。……それは、別に、いいんだ」
ペットボトルを持つ手が、かすかに震え始めた。それを隠すように素早くふたを閉め、背中に手を回す。
目を伏せたまま、続けた。
「でもきっと、その方法を考えたのは、三美神じゃなくて瑠璃ちゃんだ。瑠璃ちゃんに、三美神が流されたんだと思う。瑠璃ちゃん、三美神に比べて融通が利かないところがあるし、我が強いから」
皐月の目から見て、三美神は気難しい相手だ。高慢で尊大で、過激で、極端。そこに合わせられる瑠璃も当然、一筋縄にはいかない性格をしている。
少なくとも三美神は、身内を盾に使うようなことはしない。それが自分の子どもであればなおさら。瑠璃はそんな三美神の優しさを、平気ではねのけるようなことをするのだ。
「瑠璃ちゃんのこと、口にしたら、冷静に考えられないと思った。まだ、俺の中で、整理できてないことが、多くて」
瑠璃のことをずっと見ていた皐月は、瑠璃の気性をよくわかっている。はずだった。
わかっていたつもりで、すべてを受け入れたはずだった。
「ムチャしないでって、言ったのに……」
顔を伏せ、唇を噛み締める。
「自己犠牲とか、そんなキレイなものじゃない。瑠璃ちゃんは自分が正しいって思ったら曲げないんだ。それ以外に方法はあったかもしれないのに。瑠璃ちゃんはほんとに……俺の話を聞いてくれない」
皐月の感情はぐちゃぐちゃだ。
待つと決めたのに。それしかできないとわかっているのに。
瑠璃の行動一つ一つが腹立たしい。好きなのに吐きそうになる。苦しい。情けない。百合園家の人間なのに、何もできない自分が嫌いになる。
危険だってわかっていても。瑠璃の身に何か起こるとわかっていても、何もしてあげられない。
「俺がこんなこと言う権利も、ない」
真冬は何かを考えるように上を見つめる。柔らかい顔つきで、いつものように明るく言い放った。
「大丈夫だよ! さっき小森だって言ってたじゃん。何か起こっても、三美神がいるなら絶対になんとかなるって!」
以前なら、それでよかったのかもしれない。三美神の力を疑わず、瑠璃が帰ってくることを当たり前のように信じた。
瑠璃が嫌がるようなことは一切口に出さず、ただ一緒にいるだけで満足できた。普通の日常を、瑠璃と一緒にすごせるなら、それでよかったのだ。
和也に銃を、渡されるまでは。
「そう、だけど。このままじゃ、ダメなんだ……」




