慈愛と無償と盲目の愛 1
皐月の前にはチキンカツ定食が置かれている。はしっこの一切れを箸で持ち上げたまま、皐月は固まっていた。
眉間にしわが寄り、全身にはどんよりと影が差している。
「今日はまたどうした?」
真冬が隣から声をかける。皐月の視線が、真冬に向いた。
今日も真冬は派手な格好で、明るく笑っている。チラチラと見てはひそひそと話す、他のテーブルの学生たちとは大違いだ。
「ごめん。大丈夫だよ、なんでもないから」
持ち上げていたカツに口をつける。
「そう? ……まあ。言いたくなかったら言わなくてもいいんだけどさ」
真冬の前にも、皐月と同じチキンカツ定食が置かれていた。騒がしい食堂のすみで、二人は静かに食べ進める。
「もお~、一緒に食べようって言ってるじゃん。さみしいでしょ? 声かけてよ~」
千恵美たちが合流し、皐月たちの周りはすぐに騒がしくなる。一瞬で、どこのテーブルにも負けないほどにぎやかになった。
いつものように千恵美が皐月の隣に座り、他の学生同士の会話がひっきりなしに続いていく。適当にころころと変わる話題に、皐月があえて口をはさむことはない。
皐月は今、それどころではなかった。瑠璃に気持ちをぶつけたあのときのことを、ずっと引きずっている。
どうすれば瑠璃にもっと心を開いてもらえるのか、どうすれば瑠璃に自分の気持ちがちゃんと伝わるのか、どうすれば言い負かされず話し合えるのか――。
皐月の中で、答えは出てこない。
「そういえば坂本、最近は早めに来てるよね? 遅刻怒られたのめっちゃひきずってんじゃん」
「いや~、あれ以来早起きして一本早いバスに乗るようにしたからさ~」
皐月の隣で、千恵美がぽややんと笑う。
「あ、そうそう、今日もね、スーザンの前で三美神を見たよ」
その一言に、学生たちはここぞとばかりに盛り上がる。
「やっぱなんか事件起こってんだよ~」
「やばいよね。ずっと張り込んでるってことなんじゃないの?」
三美神の話題に、皐月はチキンカツを食べながら聞き流す。なにか聞かれたとしてものらりくらりとかわせばいい。皐月が三美神とかかわりがないことは事実なのだから。
「それとね、奇麗な女の子も一緒だった」
千恵美が無自覚に皐月を刺した。ただでさえ瑠璃のことに悩んでいた皐月に、追い打ちをかける。
「すごく派手な子で~、身長が高くって~、芸能人みたいだった」
「あー、それってあれじゃない? 西園寺のお嬢様じゃない? 黒髪で、エレガント~って感じの……」
「服装はギャルっぽかったけど、まあ、黒髪だったかな」
「なんかぁ、西園寺の後継者になるかもしれないって言われてるんだよね」
皐月は顔を伏せ、食事の手をとめる。
そんな皐月に気づいたからか、御三家の情報に詳しい真冬が話を広げるそぶりは見せない。
女子の会話に反応した男子が、皐月に声をかけた。
「百合園はさ、そのお嬢様と会ったことあんの? 」
周囲の視線が、皐月に集中する。皐月は必死に、ぎこちない笑みを浮かべた。
「あ……まあ、そうだね。同い年だし、親戚みたいなものだから、昔から交流はあるよ」
一緒に住んでいる、とは口が裂けても言えない。好奇の目で、踏み込んだところまで質問されるに決まっている。
「めっちゃ美人? スタイル良い? 今彼氏とかいんの? 」
食い気味に聞く男子に、女子がつっこんだ。
「もう~、何きいてんの? バカじゃないの? 困らせんなよ~」
「だって、芸能人レベルなんだろ? 気になるじゃん」
「だとしても、あんたが付き合えるような相手じゃないからね?」
皐月は笑みを浮かべつつ、瑠璃の話は一切しない。瑠璃の名前を面白い話題の一つとして、取り上げてほしくなかった。
「まあ、でもさ~」
皐月の隣で、千恵美がのんびりとした声を出す。
「大変そうだよね~。三美神と一緒に活動してるなら、当然、殺人鬼を処刑することだって、あるんでしょ? 」
「あ~、確かに」
女子も男子もうんうんとうなずく。
「美人だけど、浮気したら絶対殺されるよな。付き合ったら絶対男を尻に敷くタイプだろ」
「ってかその前に付き合えないから!」
学生たちの下卑た笑い声が、皐月の耳に突き刺さってくる。
「百合園くんと違って、うちらみたいな庶民のこと下に見てるんじゃない?」
皐月は、彼らと理解しあうことはできないのだと、痛いほど思い知らされた。
「三美神の仕事一緒にしてるぐらいだからな。どうせ変わりもんだろ。並みの男じゃ付き合えないよな」
「普通に暮らすより、処刑の仕事のほうが好きなんだろうね」
平静を保とうにも、嫌悪で手が震えた。自分はよくても、瑠璃が悪く言われるのは不愉快だ。皐月の眉間に、しわが寄る。
「そんな人じゃな……」
「ああいう人だもん、大学にいたら絶対に浮くよね」
否定の言葉も、あっさりと遮られる。
皐月は瑠璃のことをすべて知っているわけではない。とはいえ、少なくとも彼らよりは彼女のことを知っている。彼女のことを知らないやつらに、好き勝手言われるのは耐えられない。彼女がけなされるような言葉は、聞きたくない。
「実際会ったら怖くて近づけないって」
「なんか、無駄にプライドだけが高そう」
「男はべらせてそうだよね」
実際は派手な顔立ちなのに落ち着いていて、ミステリアスに本心を隠すような女性だ。
その内側は、真面目で頑固で、意志が強くて、父親への反抗期が長引いていて――。
「え~、いいじゃん! 女王様タイプ! 骨抜きにされてみて~」
「やめろよ変態!」
人を簡単には信用しないし、そのくせ誰も理解できないような野心があって――。
「気に入らないことがあったらすぐ銃とかナイフ向けそうじゃない?こっわ」
「普通に拷問しそう。大昔にそういう女王様いたよね?」
本当は、死ぬことを恐れないくらいに、弱い。
「絶対に仲良くなれないタイプだよね! 自己中心って言うか~」
仕事を取って普通の社会に放り込めば、死ぬことを簡単に選べる女性だ。こんな世界で何も持たずに生きていくくらいなら、命を捨てるのも惜しくない。
千恵美の甘ったるい声が、毒々しく耳に入ってくる。
「でもさ、あれくらい美人だし、西園寺家の娘だもん。三美神もヒイキしたくなるよね」
「三美神のだれかとそういう関係とか?」
「あはは! ちょっと~! それはないでしょ!」
瞬間、その場の空気が凍り付いた。千恵美が皐月を見て、びくりと震える。
皐月は流れるような目で、千恵美を見据えていた。嫌悪と反感に満ちあふれ、下手をすれば今にも切りかかろうとする衝動を感じさせる。
皐月は湧き上がる怒りを抑え込むように、ため息をついた。
「……どうしたの? 続けなよ。瑠璃ちゃんの話」
平常心を保とうとすればするほど、声のとげとげしさはおさえられない。
「瑠璃ちゃんと、三美神が、なに?」
皐月の頭の中では、数多くの罵詈雑言が渦巻いていた。一度口にしてしまうと止まらなくなるような気がして、必死に抑え込む。
その場は静まり返り、誰も声を発そうとはしない。この状況で瑠璃の話題を続けられる猛者は、さすがにいなかった。
皐月はそのまま、もくもくと定食を食べ進める。周りもぎこちなく、食べ進めていた。徐々に、ちらほらと違う話題が噴出し、瑠璃の話はキレイに流れていく。




