過ちを認めぬこと、これを過ちという
当然だが、この前線基地には公女リァン以外にも治癒属性の使い手はいる。
普段は役場近くの治療所に勤めている職員に処置を終えてもらえば、アルタイルの折れた指はすっかり治っていた。
まあ、折れたというか、自分で折ったのだが。
「あ、あの……大丈夫かしら?」
「問題ありません、己の不覚ですので」
もはや完全に平静さを取り戻しているアルタイルなのだが、彼の平然としている姿を見るシャインは幽霊を見るような目だった。
確かに言っていることはまともで、所作もまともで、先ほどまでの記憶を引き継いでいるかのようなしゃべり方をしている。
まるで自分の記憶がおかしいかのような錯覚を覚えるシャインだが、彼の言動はそれを否定している。
切り替えが上手なのか下手なのか、まるでわからない。
「思った以上に、コゴエ殿は強大で素晴らしい精霊でした。アレではランリが取り乱すのも不思議ではない」
「そ、そうよね~~。狐太郎君のモンスターは、みんなとっても強いものね~~」
むしろシャインの方が慌てていて、言葉が普段通りになっている。
あまり良くないことだが、アルタイルは咎めなかった。
元より彼女は自分の部下ではないし、今回は泊めてもらえることになっている。
自分の醜態を思えば、許せる範囲内ということだろう。
もちろん、釣り合いという意味では、己の方がはるかに酷いという自覚があった。
「あれだけの精霊を従えることができれば、その力を一時でも借り受けられれば『大将軍級』、貴方がた風に言えばAランクハンターに達する力を行使できるでしょう」
「そ、そ、そうでしょう~~?」
「むろん、文字通り借りものの力。到底自慢できるものではありますまいが、借りてでも発揮したい力ではある。少なくとも私には、ランリを軽蔑する資格がない」
あの場でアルタイルがランリと同じことを言えば、それこそランリ以上の大問題である。
なにせ後輩が既に死罪となっているのに、規範となるべき男が同じ轍を踏めば、まさしく精霊使い全体が自制心を持たぬ者の集まりということになってしまう。
精霊使いの名誉を挽回するどころか、汚名がさらに上乗せされる。おそらく、この国に精霊使いの居場所はなくなってしまうだろう。
「その点に関しては、コチョウへ謝らなければなりません。後で、謝罪をさせていただきます」
「そ、そう……」
「とはいえ、名誉を回復させることはできませんが」
元々アルタイルは、ランリの姉であるコチョウへ文句を言いに来たのだ。
個人的に腹を立てていたこともそうだが、厳しい男だと噂されている自分が咎めたことを知れば、精霊使い達も留飲を下げると思っていたのである。
個人的に腹を立てていたこと、弟の教育がなっていなかったこと。それに関しては、先ほどの醜態を思えば撤回せざるを得ない。
しかしだからと言って、『ランリは悪くなかった』などと言えるわけがないのだ。
「魅了の類を受けていたならともかく、コゴエ殿の力に感動しただけならば、余人の知っていることと何も変わりますまい」
「そうですよねえ……」
世間におけるランリの評価は『Aランクハンターの飼っている精霊を、貸してくれるようにねだった精霊使い』というものである。
歪曲された噂ではなく、ただの事実だった。ランリ以外の精霊使いでも同じような欲求を持ってしまうことは証明されたが、それは何の慰めにもならない。
これをアルタイルが喧伝すれば、それこそ精霊使い全体がとんでもなく失礼な奴らだと、世間一般に認識されてしまうだろう。なお、狐太郎たちは既にそう認識している模様。
「強大な精霊に精霊使いが惹かれるのは仕方がないことですが、それはつまり貧乏人が大金に目がくらむも同義。仕方がない、では済まされない。厳罰もやむを得ないでしょう」
「そ、そうですよね……」
身も蓋もない例えだが、そこまで間違っていないだろう。
もしもアルタイルが同等の精霊を持っていれば、あるいは少々見劣りするとしても十分と言える精霊と契約していれば、ここまで焦がれることはなかった。
つまり貧乏人が一生掴めない大金を前にして、舞い上がってのぼせ上がることと変わりはない。
「私と同じ精霊使いへ内密でもこれを伝えようものなら、精霊使いの中でもさらに劣る恥さらしが、大挙してやってきかねません。それだけは避けなければ……」
なんのかんの言って、彼の言っていることはまともだった。
とても論理的で、視野を広く保っている。専門家の視線を持ち、軍人の視線を持ち、第三者の一般人目線も持っている。
とはいえ、先ほどまでの彼を思うと、やはり正気を疑ってしまう。
「とはいえ、私個人としてはやはり謝らなければなりません。彼女はまだ傷ついているでしょうし、今後も傷つくでしょうが、今だけは、私だけはそれを軽くする義務があります」
「そうですか……お願いします」
※
一つの要素が有るか無いかによって、世界は見え方が異なってくる。人はそれを、認識と呼ぶ。
まったく同じものを見て聞いても、立場が違ったり情報を知っていなかったりで、感じ方は著しく異なってくる。
認識の差が著しいことを温度差が激しいともいうが、蛍雪隊隊長シャインはそれを体験していた。
「……私は、コゴエ殿のお姿を拝見してきた。彼女は……彼女と呼ぶことがふさわしいほどに、整った精霊だった。私はその姿を見ただけで、彼女のとりこになっていた。彼女の戦うところさえ見たというランリが、乱心をしても私は咎められん」
「アルタイル様……」
「先ほどの叱責、どうか撤回させてほしい。散々偉そうなことを言っておいて、私は己の正しさを失いかけた」
アルタイルからの素直で謙虚な謝罪を聞いて、コチョウは涙ぐみながらも安堵していた。
冷厳なる鷲と恐れられる男が、叱責を撤回してくれた。
罪は罪だが仕方がないことだ、そう言ってくれるだけでも心は軽くなるものである。
誰からも理解されず共感もされず、世界中から咎められている気になっていた彼女は、心を救われていたのである。
なお、シャイン。
(……私がさっき見たのは、幻覚だったのかしら)
何一つ偽りはない。アルタイルは本当に真実を言っている。
だがそれは果たして、コチョウに伝わっているのだろうか。
もしも伝わっていれば、コチョウはこうも喜ぶまい。
「Aランク上位の精霊、それも氷属性。私も国内では最高の精霊使いだと思っていたが、目の当たりにしたのは初めてだった。正直に言うが……私は、見ただけで正気を失うところだった」
「そうですか……私は炎の精霊使いだったからか、そこまでは惹かれませんでしたが、アルタイル様でもそこまで……」
「危ういところだった。それほどに、目の毒だった」
危ういところだった、という言葉をどの程度コチョウは受け止めているのだろうか。
正気を失いかけたというのも、どれぐらい本気で聞いているのだろうか。
正気を九割九分九厘失ったあの醜態、見なければ信じられるものではない。むしろ、正気を失いかけたという表現さえ生ぬるい。
「情けないことだが」
(確かに情けなかったわ……)
「私は彼女に惚れこんでしまった。もちろんここで働くことはできないし、彼女を北方へ連れ帰る気もない。だが、彼女の戦うところを、最上位の精霊の戦いぶりを目にしたくなってしまった。その欲求に勝てず、明日の試合を観戦することを口実に、今日は泊まらせてもらうことになった」
(なんて素直なのかしら……素直なのに、逆に取り繕われているというか……)
あけすけすぎて、逆に醜態が隠されている。
もしかして逆に恥を知らないからこそ、ここまで開き直れるのではないか。
失礼ながら、シャインはアルタイルを恥知らずだと疑い始めた。
「無論、明日残ったところで戦うところを見られるわけもない。もちろん、この地をモンスターが襲うことを期待しているわけでもないが……いや、正直に言えば期待してしまっているのかもしれないな。ともかく、情けない話だ。今君には、私を軽蔑する正当性がある」
「いえ……乱心した弟を想えば、咎められません」
(コチョウちゃん……貴女はその人を軽蔑していいのよ、本当に)
もしもあの現場にコチョウがいれば、さぞ軽蔑していただろう。それぐらい、酷い醜態だった。
シャインはランリと会っていないので、彼がどれぐらいコゴエに執着したのかわからない。しかし、たぶん、あそこまでは酷くなかっただろう。
「それにしても……正直驚いている。明日の試合では、ルゥ家の当主が最上位の悪魔の力を借りて戦うとか……」
「この基地に長く勤める古株のハンター、ガイセイさんの稽古という意味合いが強いのですが、ブゥさんの実力を確かめる意味もあるそうです」
「そうか……羨ましく思ってしまう。最上位の力を借り受けて試合ができるのなら、この上ない幸福だ」
(本気で羨んでいたのよね……)
思わず自分もここに残って狐太郎の護衛になる、とか言い出しそうだった。
あそこまで言いかけて言わなかったのだから、まあ大したものだったが。
「聞けば試験の日にも、ブゥさんはササゲさんから力を借りたそうです。弟はそれを見て例の条件を思いついてしまったのでしょうが……そこが、最大の罪でしょう」
ランリは『コゴエさんを僕に預けてください』とまで言った。
ブゥがササゲの力を借りたところを見て、自分も許されると思ったからだろう。
もしかしたら、実際に貸してくれたかもしれないのだ。主を変えることはともかく、一時的に力を貸すだけなら許されていただろう。
狐太郎も他の四体も、他人に力を貸すことへ忌避感はないようだった。
だがそれでも、許されるべきではない線がある。
「ランリは……権利を求めてしまった。条件として申し出るということは、コゴエさんを使うことに正当性を持たせたかったということです」
ブゥはササゲの力が欲しいとは言わなかったし、ササゲを預けて欲しいなどとは一言も言っていない。
ササゲがブゥに力を貸すのは、常にササゲの都合である。ある意味では、悪魔使いというよりも悪魔憑きに近い状態だった。
だがしかし、この形式だからこそ、ブゥはササゲの力を使うことが許されている。(当人が望んでいるかどうかはともかく)
「欲が出たのでしょう。狐太郎さんの護衛になれば、コゴエさんの力を借りられる機会を得られたかもしれない。その可能性は十分にありました、ですがランリは、いつでも自分が使える状態であることを望みました。可能性がある、では満足できなかったのでしょう」
狐太郎の護衛になれば、コゴエの力を借りる機会を得られただろう。
だがもしもなんの交渉もせずに護衛になっていれば、その機会は幻に消えた可能性もある。
最初の段階で要求していなければ、体よく使われて終わっていたかもしれない。
ある意味では誠実で、ある意味では素直だったのだろう。だがしかし、それは一線を越えていた。
アルタイルがなんとかこらえた一線を、ランリは無思慮に越えたのだ。
「ランリはこの好機を逃したくない余りに、確約を求めたのです。書面上でしっかりと、『ランリ・ガオには氷の精霊コゴエの力を使う権利がある』と書いてほしかったのです。力を貸してもらえなかった時に、『自分に力を貸さないのは契約違反だ』と主張したかったのです」
「……気持ちはわかるが、愚かだ」
「ええ……殺されても文句が言えません」
名馬を飼っている金持ちに、善意で時々乗せてもらうのと、書面上で『飼い主は馬を貸す義務がある』と書いてもらうのとではまったく違う話だ。
なにが全く違うのかと言えば、そんな失礼な奴は雇われないという話である。
ランリは権利を欲しがっていたくせに、それを要求することがどれだけ厚かましいか考えていなかったのだ。
金庫番が資産運用の権利を主張するようなものである。
焦る乞食はもらいが少ない、とは正にこのことであろう。
「であれば、私もその一線だけは越えまい。後ろ髪をひかれる想いだが、明日を区切りとして帰ることにする。できるなら……叶うなら、冬まで待って、彼女の本領を目にしたかったのだが」
「アルタイル様……」
(よっぽど見たいんでしょうねえ……)




