正直者がバカを見る
先日ガイセイと戦って倒れていたクツロも、既に復帰を果たしている。
四体の魔王を引き連れたAランクハンター虎威狐太郎は、目の前でソワソワしている御仁を見て、異常に嫌な予感がしていた。
アルタイルなる精霊使いは、狐太郎の家の応接室で座っているのだが、見るからに位の高い軍服を着ているにもかかわらず、まるで子供のように落ち着きがない。
もしも何も知らない者が彼をみれば、『ははあ、どこぞかのいい家で生まれた出来損ないに、お母ちゃんがいい服といい地位をくれてやったんだな』と勘違いするだろう。
黙っていれば美人、大人しくしていればモテるという言葉もあるが、アルタイルは正にそれなのだ。
だが狐太郎にとって、その仲間にとって、この状況はものすごい既視感のある光景である。
「あの……」
「はっ……はい!」
見た目としては、三十代から四十代だろうか。
この世界の住人は背が高く、肩幅なども大きい。顔つきなどもいかついので、中々年齢がわからない。
だがそれでも、彼がベテランの軍人だとは分かる。そのうえで、表情や所作はあきらかに浮ついていた。
もちろん、この場は戦場でも公的な会議でもないので、多少気が緩んでいるのかもしれない。
いや、無理があった。
いくら公務ではないといっても、初対面を相手にここまで取り乱すわけがない。
素面のまま舞い上がっている理由など、今まで一つしかなかったのだ。
(この人も、コゴエが欲しくてたまらないのか……)
彼の隣に座っているシャインの表情を見れば、今の彼が平常ではないことを察せる。
玄関でコゴエを見たときから、こうなってしまったのだろう。
(流石に最初からそのつもりだった、とは考えたくないな。もしもそうなら、流石にシャインさんも配慮してくれるだろう)
狐太郎がAランクモンスターからカセイを守っているように、カセイを治める大公も狐太郎を周囲から守ろうとしている。
現に先日はケイやランリを、公女自ら殴り殺している。
もしもこの場の彼が最初からコゴエをくれと言いに来ていたのなら、シャインは全力で止めていただろう。
彼が誰でも、公女が殺しに来るからだ。
(公女様は友人でも殴り殺すからな……この人も殴り殺される……いや、一灯隊も殺しに来るな……)
目の前の彼がどの程度偉いとしても、公女や大公よりは偉くないだろう。
つまりマースー家や精霊学部の二の舞を踏むことになる。
それだけは、流石に避けたいところだった。
「わ、私は、アルタイルと申します。風と氷の精霊を操る精霊使いで、北方の国境地帯で防衛を担っております!」
「そ、そうですか、ご丁寧にどうも。私は虎威狐太郎と申します。こちらの四体を従える魔物使いでして、このシュバルツバルトの前線基地で、カセイを防衛する役割を担っております」
「ご丁寧に、どうもありがとうございます!」
定型文の挨拶を交えると、アルタイルはいきなり黙った。
ただ黙っただけではなく、顔を赤くしたり青くしたりしながら、喉にもちがつっかえたような振舞をしていた。
口を開け閉めして、焦点の定まらない眼球をせわしなく動かして、ちらちらとコゴエを見ては視線を切っている。
「ぶふぅ」
「ササゲ、失礼でしょ」
「だ、だって……!」
その所作を見て、ササゲは思わず吹き出した。
それを見かねてクツロが注意するが、しかし彼女は中々収まらない。
「だって……だって……す、すごくない?!」
確かに他人事なら笑えるだろう。
屈強な軍人が、まるで思春期の少年のように振舞っていたら、当人が極めて真面目であることも手伝って滑稽である。
だがそれは、他人事だからである。今彼と向き合っている狐太郎は、途方に暮れていた。途方もなく途方に暮れていた。
彼の隣に座っているシャインも同様で、どうしていいのかわからない。
(どうしよう)
(どうしよう)
完全にテンパっているアルタイル。
おそらく現在の彼を映像記録に残して後で見せれば、自決さえ選びかねないほどの醜態である。(むしろその行為そのものが殺人に等しいのだが)
その彼へ話しかけたら、失礼に当たるのではないか。
真剣さゆえの滑稽を極める彼へ、狐太郎はなんと言っていいのかわからない。
もういっそ、ササゲのように笑ってやって、笑い話にしてあげるべきだろうか。
それとも聞かなかったふりをするべきだろうか。誰にもわからないことである。
「づ、づづづ! ぬん!」
ぼきりと、何かが折れる音がした。
それが何かを悟る前に、汗まみれのアルタイルが話を再開する。
「大変お見苦しいところをお見せしました、申し訳ありません」
「あ、はい……」
「この醜態、いっそ笑っていただければありがたいほどです」
「はぁ……」
何かの術を使ったのだろうか、いきなり平静になるアルタイル。
汗まみれであることが気になるが、それでも彼はなんとか会話ができるようになっていた。
「この度は、私の後輩にあたるランリ・ガオがご迷惑をおかけしたことについて、お詫びに上がった次第です」
「……あ、アレは、残念でしたね」
「ええ、残念です。私は彼に面識がありませんでしたが、コチョウ・ガオの弟である彼の噂も聞いていました。学部長が大公閣下へ推薦するほどなのですから、噂だけではなく本当に優れた術者だったのでしょう。ですが、その彼を姉や学部長は教え導けず、結果として大公閣下にご迷惑を……いえ、その顔に泥を塗ってしまったのです。とても残念なことでした」
今の彼を見れば、冷厳なる鷲だと分かるだろう。
それこそ『混乱が治った』と言わんばかりに、状態異常から復帰していた。
いったいどんな魔法を使えば、ここまで落ち着きを取り戻せるのだろうか。
「彼が殺されたことは、彼自身の非ではありません。魔女学園の精霊学部は、立派な教育機関です。遅くとも大公閣下へ推薦する段階になった時点で、礼儀や常識を教え込むべきでした。それを怠った学部長は、ランリ自身よりも罪深い」
「は、はい……」
「とはいえ、それは貴方には関係のないことです。結果が全てであり、申し開きなどできません。精霊学部の卒業生を代表し、謝らせていただきます」
椅子に座ったまま、アルタイルは頭を深く下げた。
「そ、そうですか……」
「貴方は不愉快な思いをなさったでしょう。如何にあなた自身が精霊使いではないと言っても、自分に従うモンスターの使用権をよこせなどと……護衛の範疇を大きく逸脱する上に、大変失礼なことです」
「え、ええ……」
「どうやら貴方と氷の精霊……コゴエ殿は、将と兵に近い……いえ、まさに王族と近衛に近い関係だと察します。ある意味では、通常の精霊使いと精霊の関係よりも難しいものです。それを考えずに自分の都合のいいような解釈をする時点で、彼は愚かだったのでしょう」
「ま、まあ、彼はその、社会経験が不足していたようですから……」
「護衛として推薦され派遣されてきた時点で、その言い訳は通じません。貴方とてハンターとしての経歴は短いと聞きますが、仕事の手抜かりが許された日はなかったでしょう。仕事に就くとは、そういうことです」
中々含蓄のある言葉だが、さっきの醜態を思い出して頭に入ってこない。
「聞けば、ルゥ家の当主は護衛として認められたとのこと。私はルゥ家の悪魔使いと轡を並べたことはありませんが、その武勇は窺っています」
「え、ええ! ブゥ君は、とても強いですよ! 来てくれて、助かっています! ここに試験で来たときも、タイラントタイガーを一人でやっつけてました」
「ほう、それほどですか」
アルタイルはとても冷静な目で、悪魔の王であるササゲを見る。
彼女は今でも腹を抱えて堪えているが、それでも一々怒ることはない。
「私には悪魔の力は測れません。ですがコゴエ殿と並ぶほどです、ササゲ殿もさぞお強いのでしょう。そのササゲ殿を見ても求めなかったのですから、力を持っているうえで分もわきまえているのですね」
(そうでもないような気が……)
「恥ずかしながら、私をしてコゴエ殿を初めて拝見させていただいた時は、喉から手が出そうになりました。魔物使いであればこそ、強力なモンスターには惹かれてしまうもの。傍にいてなお自制できるとは、正直尊敬してしまいます」
淡々と話しているアルタイル。
まるで自分の心中を面に出していなかったかのような話し方だが、実際にはまさに『恥ずかしながら』であった。
とはいえこの言い方ならば、ランリと違ってリァンに殺されることはないだろう。
なにせ『いや~~羨ましいですね~~、つい欲しいって言いそうになっちゃいました~~』と言っただけなのだ。一応誉め言葉である。
(多分本気で尊敬しているんだろうけども……ブゥ君には会わせないほうがいいかもなぁ)
強大なモンスターに惚れこみ、己に従わせたくなるという欲求は、狐太郎にもよく理解できない。
ブゥも狐太郎と同じようなメンタリティなので、アルタイルとは決定的に話が合わないだろう。
「失礼ですが、彼は今どこに?」
「ブゥ君なら、明日ガイセイと試合をするので、森で特訓をしていますよ」
「ほう、アッカ殿の後継者とされる豪傑……Aランクに近いと呼ばれる男ですか。彼と戦えるとは、ますますもって素晴らしい。それほどの実力をお持ちなら、ササゲ殿を欲しがることもないのでしょう」
上位のAランクモンスターをむやみに欲しがらない心。
それを得るには、自らの力でその高みに立つしかない。
そう解釈した彼は、淡々としながらも敬意を示していた。
「いえ、試合をするときはササゲの力を貸すことになっていますが」
「え?」
さすがのブゥも、今のガイセイと戦えるほどではない。
普段から力を貸しているセキトだけではなく、ササゲからも力を貸す予定だった。
むしろ、セキトとササゲの力を借りたブゥが、どこまで戦えるのかを確認する意味合いが大きいのだ。
しかしそれを聞いたアルタイルは、目を丸くして硬直する。
どうやら言葉の意味が理解できなかったらしく、脳が情報を整理しているようだった。
「ば、バカ! 狐太郎君!」
「あ……っ」
狐太郎は正直に話しただけだったのだが、シャインが慌てるほどに言ってはいけないことだった。
「え、えええ?!」
思わず立ち上がるアルタイル。
その姿を見て、いよいよ噴き出すササゲ。
もう諦めて、ササゲを抱えて部屋を出るクツロ。
そして、逃げられない狐太郎。
「な、え、え?!」
「あ、あの……」
「……ぬん!」
ぼきり、という音がした。
興奮して話もできなかったアルタイルは、何かをして再び言葉を取り戻す。
「し、失礼ですが、狐太郎様の護衛になったブゥ・ルゥ殿は……ササゲ殿のお力を借りられるのですか?!」
「は、はい……」
「そ、そんな?!」
物凄くびっくりしているアルタイルだが、本当にそうなのである。
なにせ最初に会った時既に、ササゲは狐太郎を守るためとはいえ、ブゥに力を貸していたのだ。
むしろランリはその光景を見てしまったからこそ、あんなことを言ってしまったのかもしれない。
「き、狐太郎殿の護衛になったら……モンスターの力を借りられる……?!」
まるで少年のような目で、アルタイルはコゴエを見る。
とても冷ややかで、感情の乏しい目を見てしまう。
その彼女から、自分がどう見られているのか、どうしても考えてしまう。
だがそれが気にならないほどに、邪な願いが口から出そうになる。
「き、狐太郎殿!」
「は、はい!」
「わ、私も……!」
一体何を言おうとしているのか。
まるで走りすぎて喉が焼けた男のように、彼は喉元まできた言葉を呑み込もうとしていた。
「ぬん!」
そして、狐太郎とシャインはようやく気付いた。
彼がさっきから、何をして冷静になろうとしていたのか。
彼の左手の指が、なんか変な方向に曲がっているような気がする。
「あ、アルタイルさん?! ちょ、ちょっと、指が……!」
「ご、ご安心ください……まだ七本も……!」
(魅了されかけた人がやるようなことしてる?!)
自傷行為によって正気を取り戻そうとしているアルタイルだが、それでも興奮が収まっていない。
体がどれだけ痛くても、心の炎が燃えているのだ。
「そ、それよりも狐太郎殿……!」
「は、はい!」
自分で自分を傷つけている男から、話をされる狐太郎。
アカネはその痛みを想像して青ざめているが、話しかけられている狐太郎はなお怖かった。
「わ、私も……!」
非常に今更だが、この国には信頼できて実力もある者はたくさんいる。
しかし既に重要な役職に就いているからこそ、うかつに動かすことができないのだ。
その最たる例こそが、他でもないアルタイルなのだろう。
もしも彼が抜けたら、北部の国境はどうなるのか。
他でもない彼自身こそが、一番それを知っている。
「私も……それを拝見してもよろしいでしょうか?」
「も、もちろんです」
「……本当はこの挨拶が終わり次第帰途につくつもりでしたが……明日は勉強させてもらいます……」
指が偉いことになっているのに、彼はそんなことも気にせずがっくりしていた。
言いたいことが言えない、願っても叶えられない悲しみで、とてもがっくり来ているのである。
「シャイン殿……よろしければ、宿の手配を……」
「わ、私の隊舎でよろしければ!」
「ご迷惑をおかけします……。狐太郎殿にも、ご迷惑をおかけしました……失礼します」
足早に去っていく二人。
未練がましくコゴエを何度も見ているアルタイルだが、その彼の手を見て慌てるシャインが引っ張っていった。
残されたのは、狐太郎とコゴエ、そしてアカネである。
「あの人……変態さんなのかな?」
(否定できねえ)
暴走しそうになる己を抑え込むことに失敗しかけていたアルタイルを、アカネはドン引きしながら評した。
当人にその気はないのだろうが、コゴエへ恋愛感情を抱いていると誤解されそうな振る舞いだったのである。
「アカネ、それは失礼だぞ」
「あの人の行動の方が失礼だったじゃん」
「それでもだ」
物凄く気色の悪い言い寄られ方をしかけたコゴエは、淡々とアカネを諭す。
「せめて、特殊性癖と言え」
「同じじゃん」
(うん、同じだな)
誤解を招いたことは、彼も否定すまい。
狐太郎は自らのうかつな発言によって、生真面目な軍人に気色の悪い特殊性癖に染まっているかのような振舞をさせてしまったのだ。
「あはははは!」
「いい加減、黙ってくれ……」
なお、ササゲはずっと笑っていた模様。




