故郷に錦を飾る
さて、先日のことである。
精霊使いランリ・ガオと竜騎士ケイ・マースーが、Aランクハンター虎威狐太郎に暴言を吐き、さらに大公の代理であるリァンに対しても侮辱や攻撃をしたことにより、リァン自ら手討ちにした事件。
その折に、ランリやケイと一緒に護衛候補としてその場にいた悪魔使いブゥ・ルゥは、回り回って狐太郎の護衛ということになった。
ではもう一人の護衛候補。
Cランクハンターピンインはどうなったのか。
話は、そこから始まる。
※
あの場から迷うことなく逃げ出したピンインは、あわてて部族の者を招集し、そのまま自分の足で逃げ出した。
なにせ彼女は最初から冷やかし目的で、そもそも護衛の仕事を請け負う気がなかった。
その上、あの場で何をすればいいのかという話であろう。
リァンが怒ってケイを殺そうとしたのであって、狐太郎がモンスターから狙われたわけではない。
であれば一目散に逃げだすことも、職務上は問題がない。そもそも仕事ではないのだから。
とはいえ、逃げている間、前線基地からカセイへ戻っている間に、彼女の頭も冷えた。
冷静に考えれば、現在の自分は褒められた状況ではない。
今回の話は大公が絡んでおり、このまま逃げれば自分はカセイどころかこの国にもいられなくなる。
そう判断した彼女は、Cランクハンターらしいことをした。
つまり、正直に、偽りなく、その状況を大公へ報告したのである。
当たり前だが、一目散に逃げたピンインが、一番最初にカセイへ到着した。
強化属性まで使って全員でダッシュして、その足で大公の下へ向かったのである。
その後の騒動は特に言及する必要がないのだが、彼女に対して大公は謝意を示した。
大公は彼女へ結構な額の迷惑料を支払い、謝罪し、何の落ち度もないことをはっきりと申し渡したのである。
それは、この後の話である。
※
非常に今更だが、ピンインとキョウショウ族は雇用関係であって主従関係ではない。
キョウショウ族は彼女に戦力として、一流ではないものの戦える男を送り出す。
ピンインは見返りとして、報酬の何割かを給料として支払いつつ、彼らの身元を保証しているのだ。
そのピンインはキョウショウ族に対して加害者である。
なにせ本来の契約に入っていない討伐隊への参加を自分から言い出した挙句、騒動に巻き込んでしまったのだ。
大公からすれば彼女は被害者だが、キョウショウ族からは愛想をつかされても不思議ではない。
だからこそ彼女は、しっかりとけじめをつけることにしたのである。
今回受け取った報酬を全部使い切って、キョウショウ族の故郷に錦を飾ることにしたのだ。
「久しぶりだね~~族長!」
「おお、ピンインか。少し前に戻ってきたばかりなのに……ずいぶん早いのう。それに……その大量の山羊や羊、牛はなんじゃ?」
「ああ、これかい。もちろん手土産さ! 受け取ってくれるだろう?」
現金よりも現物、貴重品よりも食料品。
普通の人間が寄り付かない危険地帯な森林地帯に居を構えるキョウショウ族のところへ、ピンインは大量に買い込んだ家畜を連れてきた。
言うまでもないが、明日には全員天国へ旅立っているだろう。
「おお……こりゃあ凄い! よしお前達! 近くの連中も呼んで来い! 今日は宴会だ!」
いいや、今晩を超えることもできまい。
家畜とは、そういうものである。
さて。
ピンインはこの地の亜人、キョウショウ族と契約を結んでいる。
それは書面で契約を結んだわけではなく、完全に口約束であり、具体的な数字やら割合やらを決めたものではない。
悪く言えば当事者の気分次第であり、よく言えばきちんとした信頼関係によって成立するものである。
そしてそれは、亜人同士も同じこと。
厳密で具体的な契約はなくとも、周辺の集落と良好な関係を作るには、普段から仲良くしたうえで、いざという時には利益を分け合わなければならない。
もしもそれを惜しめば『富の不均一』に激怒した周囲から物理的にたたかれてしまう。しかも、誰も助けてくれない。
いざという時のためには、余裕があるときに周囲へ貸しを作る。それはそれで、一種の政治であり外交。
決してバカにできたものではない。
キョウショウ族は周辺の亜人に声をかけて、家畜を捌く手伝いをさせながら宴を催した。
普段は狩猟をしている周囲の亜人たちも、人間の家畜が食えるのなら文句はない。
誰もが慣れた手つきで解体し、そのまま調理していく。
そして、これまたピンインが買い込んだ大量の酒を味わいながら、夜を楽しく騒がしく過ごしたのだった。
「そういえばピンインよ。今回はまた、どうしてこんなに景気がいいんだ?」
「ああ、そう言えば今回の宴は、ピンインの持ち込みか……」
「人間同士で戦争でも起きたのか? ずいぶん武功をあげなきゃ、ここまで大盤振る舞いはできんだろう」
森の合間での宴会は、当然ながら高低差によって上座と下座がある。
最も高いところにいるのは、各部族の長達。その中に交じるピンインは、当然ながら浮いている。
しかし今回は彼女の『おごり』。どの亜人たちも、彼女を邪険に扱うほど愚かではない。
これだけ気前よく奢ってくれる相手を無下にすれば、次があるとは限らないからだ。
別に何かを要求されたわけではなし、厚遇するのも当然である。
その彼女へ、長達が話しかける。一体どうして、ここまで景気がいいのか。
そしてそれを自分たちにふるまうのはどういうことか。
真面目に聞いたわけではない。むしろまじめに聞く頭があるのなら、最初の最初に聞いている。
酔いが回って腹が膨れて、ちょっと気になったという程度である。
「……」
聞かれるべきだったことを聞かれて、彼女は青ざめながら酒を煽った。
「……シュバルツバルトに行ってきた」
彼女は大声で叫んだわけではない。
むしろ消え入るような声で、素面でも聞き逃すような声で、宴の喧騒の中でつぶやいた。
しかし長達は、その衝撃的すぎる言葉に目を見開いた。
「な、なんだと!?」
「あの森に行ったのか?!」
亜人たちの長とは、すなわち歴戦の雄。
暴れん坊ぞろいの若者を拳骨で黙らせる、恐るべき雷親父たち。
その彼らが、そろって叫んだことで、宴の席は静まり返った。
「ああ……行ってきた」
シュバルツバルト。
それは地獄そのもの、この世で一番恐ろしい魔境。
一度足を踏み入れれば生きて帰ることはできない、恐れ知らずの亜人たちでさえ恐れる土地である。
そこに行くだけなら愚者だが、帰ってきたというのは勇者であろう。
誰もが彼女の足を確かめて、生きていることを確認していた。
「よりにもよって、あそこでも一番の化け物、ドラゴンイーターと遭遇しちまってね……生きてるのが不思議なぐらいだよ」
彼女と共に死地に赴いた、故郷に錦を飾った男たち。
彼らもまた、神妙な顔をして頷く。
誰もが理解したのだ、この御馳走こそが証明であると。
「ドラゴンイーター……クラウドラインさえも食っちまう、伝説のバケモンじゃねえか」
「ああ、伝説中の伝説、化物の中の化物だ……」
「よく生きて帰ってこれたな……まさか討伐できたわけでもねえんだろう?」
誰もが腹を膨らませていたこともあって、食事の手は止まってしまう。
出稼ぎから戻ってきたキョウショウ族や、ピンインの話に耳を傾ける。
「元をただせばね、私らは新しいAランクハンターとやらの顔を拝みに行ったんだよ。やったことと言えば、そのケツを追いかけたことぐらいさ」
Aランクハンター。
その存在は、誰もが知っている。
もちろんピンインもCランクのハンターなのだが、Aランクは格が違うと知っている。
Aランクハンターとそれ以外のハンターは、百足とドラゴンイーター並みに開きがあると、亜人でさえも知っているのだ。
「そのAランクハンターってのはけったいなやつでね。本人はそこいらのガキよりも弱いんだが、従えているモンスターがとんでもない。四体のAランクモンスターを、護衛として連れているのさ」
広義において、亜人たちもモンスターということになる。
キョウショウ族をランクにすれば、およそCが適当だろう。
己の腕力に自信のある彼らや、それに負けぬ力があると自負している。
そのうえで、Aランクとは別の世界に生きていると知っている。
「……その四体が、ドラゴンイーターをぶちのめしたのさ」
正しくは三体が倒したのだが、そんなことは些細だろう。
「体を切り離しながら襲い掛かってくるドラゴンイーターを、焼き払って殴りつぶして氷漬けにしたんだよ。ありゃあ確かにAランクハンターだ」
はっきり言えば、立ち入ってはいけない世界だった。
同じく護衛候補だったブゥだけは正式に就任したらしいが、アレはある意味当たり前だろう。
彼もまた、Aランクに踏み込める人材だ。
「私は……Cランクでいいよ、マジでね」
どれだけの美酒、どれだけの肉、どれだけの金銀財宝。
それらを得ても、到底釣り合わない。
それほどに、Aランクモンスターは恐ろしかった。
「……」
やはり、というべきだろう。
既知の情報を聞く誰もが、シュバルツバルトの恐ろしさに身を震わせた。
亜人の中でも腕っぷしに自信のある者は、稀にシュバルツバルトを目指す。
なんの必要性もなく、蛮勇によって。
大抵帰ってこないが、帰ってきた者は誰もが口をそろえて言うのだ。
あそこは、地獄だ。絶対に行ってはならないと。
今回全員が生きて帰ってきたのは、奇跡と言ってもいい。
「人間に従うAランクモンスターか……それも、ドラゴンイーターを伸しちまうほどの……」
まさに、違う世界の出来事だろう。
否、そうであってほしいと願うことだ。
実際には、別の世界ではない。同じ世界の出来事だ。
だがどうにもならないことだからこそ、距離を取りたいと思ってしまう。
結局言い訳だ。分かっているが、関わらないことに変わりはない。
どう頑張ってもどうにならないことに手を伸ばすには、彼らは満たされ過ぎていたのである。
ある意味では、この場に集まったほとんどの亜人も、Cランクハンターと同様である。
もちろん、まじめに鍛えている。もちろん、まじめに働いている。もちろん、違法行為はしない。
彼らは一人前の戦士ばかりであり、Dランク以下のハンターなどに後れを取ることはない。
むしろ同ランクのモンスターに対しても、一歩も引くことはないのだ。それどころか、Bランクモンスターが相手でも勇敢に立ち向かえる。
だがそれは自分の肉体の性能を十分に発揮する、までにとどまる。
自分の限界を超えるために、過酷な鍛錬を己に課す。
あるいは大志を抱いて届かぬ夢を追い求める。
そういうものは、強者の中にもいない。
「その中に、亜人がいた」
そう、ほとんどは。
「亜人にしてモンスターの王様……魔王を名乗る化物がいたよ」
クラウドラインをして、アカネには最大の敬意を払った。
では亜人たちは、クツロに対してどう思うのか。
「デカい金棒をぶん回して、ドラゴンイーターをぶちのめしてたよ」
それは……ただ羨望を集めるだけではない。
「クツロっていう、角が生えた女の亜人だった」
ある、必然を引き寄せる。
「おいおい、本当かよ」「そんな強い亜人、しかも女がいるのか?」
「魔王……あの伝説の、モンスターを統べたっていう化物か……」「冠を頂く四体の王、実在したのかよ」
「そんな強いのに、なんで人間に使われてるんだろうなあ」「わからねえが……いやあ、しかし、よっぽど強いんだろうなあ」
「俺ぁ、若いころにAランクハンターを見たことがあるぜ。ありゃあ本当に強かった……!」「本人を見たわけじゃあねえが、一撃で砕かれた山をいくつも見たぜ」
二つの世界にまたがる魔王の物語。
その伝説は、違うことなく語られている。
つまり……魔王を討った者は、次の魔王になれる。
魔王の冠は強大な力を持ち主に与え、Aランク上位さえも倒しうる力を授ける。
それが実在し、所在が明らかで、能力も確かめられているのなら。
それは、欲する者がいても不思議ではない。
「その冠さえいただければ、俺達もAランクモンスター様ってか!」
「ははははは! そりゃあ無理だろ、お前じゃあな!」
雰囲気が切り替わる。
自分たちの代表が、強大な魔物をぶちのめしたのだと知って嬉しくなる。
一度は沈んだ宴が、さらに盛り上がることになっていた。
「ねえねえ母ちゃん、魔王ってそんなに強いの?」
「伝説の化物よりも、Aランクハンターよりも?」
「魔王様を倒したら、俺達も魔王になれるの?」
ちょっとは夢のある話ではないか。
魔王を倒し魔王になれば……自らが強大な力を。
それこそ、あらゆるモンスターを従えるほどの力を得られるのだから。
「ほう、そんなものがいるのか」
宴の席で、下座から上がってくる者がいた。
それも一人二人ではない、多数である。
モンスターの骨や皮を使った『戦装束』を身にまとった、武装さえしている一団。
彼女たちは無礼にも、男たちを押しのけて進んでいく。
「冠を持つモンスターの王……おとぎ話かと思ったが、実在するのなら話は違うな」
明らかに、酒の匂いがしない。
明らかに、肉の臭いがしない。
この宴の席で、酒も肉も食べていない集団。
それすなわち、宴に参加するつもりのなかった一団である。
場合によっては、そのまま宴をぶち壊そうとした集団である。
「もしも私がそれを手に入れれば、私が亜人の王というわけか」
屈強な亜人の女性たちは、そのまま上座に座るピンイン達の前に来る。
その彼女たちを見て、長たちは露骨に顔をしかめた。
それどころか、苛立たし気に立ち上がったのである。
「おいお前達。分を弁えろ、これは宴の席だぞ」
「それに参加しないどころか、武器をもってここに来るとはな……」
「殺すぞ」
「死ぬか?」
宴の席とは、政治の席。
公共の祭であり、外交の場でもある。
それをぶち壊すということは、参加した全員を敵に回すに等しい。
ケイやランリをリァンが殺したように、長達は彼女たちを殺すつもりだった。
いいや、既に殺すと決めていたのかもしれない。
仮にこの場で彼女たちが引き下がって、宴が再開したとしても。
彼女たちは、明日の朝を迎えられないかもしれない。
「やってみるか?」
だがそれは、彼女たちも同じことだった。
彼女たちはランリやケイとは違う。
そもそもこの場で口だけの文句を言ったり、厚かましい要求をしに来たわけではない。
最初の最初から、武力を恃みにここへ来たのだ。
(強いね)
亜人同士の諍いである。加えてこの場には、長がそろっている。
であればあえて場を荒らすまいと、ピンインは黙り込んだ。
その一方で、彼女たちを評価した。
(こいつらは……Bランクだな)
Cランクだが、Bランク相当の実力者。
そう呼ばれるピンインは、彼女たちを格上と評価した。
(私たちはたしかに、Bランクのモンスターだって狩れる。護送の最中で戦ったことだってあるし、少なくとも無様に負けることはない。だけど、日常的に戦うのと、たまに遭遇した相手と戦うのは全然別の話だ。こいつらには……Bランクのモンスターと日常的に戦う覚悟と、そのために鍛錬を重ねる志がある)
彼女たちは天才ではない。
もちろん才能がある者もいるだろうが、それだけなら大したことではない。
亜人の肉体を持って生まれたうえで、鍛えている。
それこそ、あのクツロのように。
「退け、老いぼれ。酒が入った老骨を折る趣味はない」
「あんだと?」
その中でも際立って強いものがいた。
この集団の中では小柄に分類される、巨大なモンスターの頭蓋骨をすっぽりとかぶった、顔を隠している女性。
彼女こそ、この場で最強の存在だった。
「拾われた分際で偉そうなことをほざきやがって……今この場でぶち殺してやろうか?」
「やってみるか」
火花が散る中で、思惑が飛び交う。
長が殴られれば、どの部族の者も黙っていない。全員で襲い掛かるだろう。
如何に彼女たちが強く武装しているとはいっても、この場の亜人全員に襲われればたまったものではあるまい。
しかし、それでもただでは済まない。
戦いになれば、彼女たちを倒すことができたとしても、この場の全員が手傷を負うだろう。
それが果たして、部族のためになるかどうか。
長達は舐められないようにしつつも、心中では損得勘定をしていた。
「で、何が望みだ」
用件次第では殺す、犠牲もやむなし。
そう判断した長の一人が、短く問う。
「王冠だ」
集団をまとめるであろう顔の見えない女性は、やはり短く答えた。
「そのクツロとかいう、人間に仕えている女から王冠を奪い……私が亜人の王になる!」
その言葉を聞いて、長は笑った。
「お前が?」
一人の長ではない、全員の長が笑った。
「お前が、亜人の王になる?」
それが波及し、全員が笑い出す。
「ははははは!」
「ははははは!」
「ははははは!」
酒の手伝いもあって、全員が嘲り、大いに笑う。今目の前にいる、武威を持った女性を、集団を率いている女性を笑う。
先ほどまで、居もしない、会ったこともないAランクモンスターにおびえていた者たちが、彼女たちを笑うのだ。
無理もない。
彼女たちが一段上の力を持っているとしても、まだどうにかなる範疇だ。
この場の全員がその気になれば、倒せてしまえる相手だ。
戦う前から諦めざるを得ない、近づくことさえおぞましい、Aランクモンスターとはわけが違う。
罰を下せる範囲の相手が、伝説のモンスターを相手に何かしようなど、笑わせてくれる。
「……ふん」
顔も見えない彼女は、笑われても動じなかった。
彼女自身、笑われると分かって口にしたのだから。
「姐さんを笑うたあいい度胸じゃねえか……!」
「アタシらの姉さんを笑うとはいい度胸だ……!」
「よせ」
彼女を取り巻く女傑たちは、自分たちの長が笑われていることに憤慨している。
顔を隠している女性は、それを制していた。
この場で全員殴り倒しても、なんの意味もないのだから。
「私が王になり、この亜人を統べてみせる。それが私の宣言だ」
亜人社会は男尊女卑。
それに反発する若き女傑たちで構成された、一種の不良集団レデイス賊。
その頭目、覆面の女戦士は、静かに己の志を立てていた。




