金は天下の回り物
今回の話は、短めの予定です。
前線基地で暮らす狐太郎たちは、多くのことに慣れつつあった。
食事環境や住環境も大幅に改善され、モンスターの襲撃があることを除けば楽しくやれていた。
何のかんのいって戦力の充実はありがたく、護衛であるブゥやセキトのおかげである程度安心もできていた。
そんな彼、および彼のモンスターに、ちょっとした事件が起こる。
そしてそれは、結果としてカセイさえも巻き込んでしまうのだった。
事の始まりは、そう。
本当に些細で、ありふれていて、どうでもいいことだった。
「こんにちは」
とてもやさしい顔をした、この世界においては小柄とされる女性。
先祖返りによる思想集団新人類のナンバー3、甘茶蝶花。
彼女はいつものように、にこにこと笑いながら狐太郎たちの前に現れた。
普段は三人一組で行動している彼女が、なぜここに一人で現れたのか。
それは狐太郎たちにはわからないことである。
(何をしに来たんだろうか)
ニコニコと笑っている彼女だが、テロ組織の中核であったことに変わりはない。
狐太郎は真剣に警戒しながら、彼女の意図を聞こうとしていた。
「いつもだったら、麒麟や獅子子と一緒なんだけど、今日は一人で来ました。実は、とても恥ずかしいことをお願いしに来たの」
蝶花は、今更だが美人である。
その彼女が笑っていると、何かの詐欺や勧誘を連想してしまう。
こんな美人がなんの裏もなく話しかけてくるはずがない。
狐太郎は、悲しいほどに正しい警戒心を持っていた。
「ねえご主人様、もしかしたら騙されちゃうかもしれないよ? ほら、大きな壺を買わされるとか」
(なんでお前は人間同士の詐欺に詳しいんだ)
なお、アカネも同じことを考えている模様。
「そうね……まず肉と酒のあるパーティー会場に案内されて、そこで前後不覚になるまで酔い潰されて、冷静さを欠いた状態で契約を強いるかもしれないわ。酔いつぶれるほどのお酒……騙される価値があるかも」
(こいつはダメだな……)
なおクツロは、相手が騙そうとしているかもしれないと察したうえで、想像上の肉と酒に屈しかけていた。無警戒で騙されるよりも、さらに質が悪いかもしれない。
「……ごほん。抜山隊の甘茶蝶花さん、なんの御用ですか?」
なお、自分で『こんな美人が俺に話しかけてくるはずがない』と思うのと、他人から『ご主人様に女の人が言い寄ってくるはずがない』と言われるのは全然別である。
「お金をください」
(……想像以上の直球だった)
もはや詐欺ではなく、ただの哀願ではないだろうか。
そう思ってしまうほどに、とてもストレートな要求である。
何かを買えとか、助けてくださいとかではなく、お金をくださいときた。
正直に言って、正直すぎて素直すぎた。
「なんでよ」
その素直なおねだりに毒気を抜かれたササゲは、つまらなそうに話の続きを促した。
もうこうやって切り出した時点で、蝶花に負けたようなものである。
「最初はお金を貸してもらおうかと思ったのだけど、返す当てがなくて……だからもう、くださいって言おうかと」
「いえ、そうじゃなくてね? 何にお金を使うのよ。まさかお酒代とかじゃないでしょう?」
(ガイセイなら自分で借りに来るしな)
狐太郎たちは、お金にはまったく困っていない。
高給取りであることもそうなのだが、そもそも欲しいものがない。
というか、売ってない。狐太郎たちが欲しいものは、一つもこの世界にないのだ。
特に、安全とか自由とか。
刺激と興奮を押し売りしてくるこの世界で、彼らは倦怠感に包まれていた。
その一方で、同じ世界から来た新人類の三人が、大量の金銭を必要とする理由がわからなかった。
狐太郎たちほどではないとしても、抜山隊に属している彼らはお金に困っていないはずである。
「ん……実は……」
「ご主人様、気を付けて! 大豆が欲しいとか原油が欲しいとかだよ! 大儲けできるとか言って、危ない投資を誘うんだよ!」
(だからなんでそんなに詳しいんだよ……)
大げさに警戒するアカネに対して、すこし恥ずかしそうに蝶花は答えた。
「大したことじゃないのよ? ただ……カレーを作りたいの」
「ご主人様、金庫のお金全部渡しちゃっていいよね?」
「お前ちょっと待ってろ」
判断が早すぎるアカネ。
なお狐太郎も断る気がなくなっていたが、それでも話を最後まで聞かなすぎる。
「でもご主人様! カレーだよ、カレー!」
「気持ちはわかる! 俺も食べたい! だからちょっと待ってろ!」
今にもよだれを垂らしそうな、火竜の王。
間違いなく、玉手箱を目にした時より興奮している。
「……カレーですか。確かにこの世界では見てないですね」
「そうなのよ。私も食べたいし、麒麟や獅子子にも食べて欲しいんだけど……カレー粉とかカレールーがないじゃない」
カレーという料理が簡単か否か。
材料と工具さえあれば、子供たちでも作れるとされているほどの、簡単な料理ではある。
問題なのは、その材料であろう。カレーの主役、カレールー。これがなければ、カレーを作る難易度は劇的に上がる。
特に、カレーという概念がない世界では。
「でも少し前にカセイへ行ったとき、スパイス屋さんがあったのよ。唐辛子とか、生姜とか、そういうのが売っているお店だったわ」
「……流石大都市ですね」
「ええ、お店の人も外国の人だったし、たぶんこの国で採れるものじゃないわ。だからとっても高くて、手が出せなかったの」
カレールーの材料、つまりスパイス。それが高額であることを、この場の全員は誰も不思議に思わなかった。
ある時代においては、黒コショウが砂金と同じ扱いを受けていたという。
遠くの国で採れたものというのは、ただそれだけで高額になるのだ。
「じゃあお金があればカレーが作れるんだね!」
「それがそうもいかなくて……どうにもそのお店はスパイスを売っているけど、調味料じゃなくてお薬として売っていたのよ。だから何をどう混ぜたらカレーになるのか、全然わからなかったわ」
かつては、砂糖でさえ薬扱いだったという。
それを想えば、スパイスが漢方薬扱いされても全く不思議ではない。
そして、薬を混ぜたらどんな料理になりますか、なんぞ薬屋が知るわけもない。
「自分で言うのもどうかと思うけど、私は料理が趣味だったけどレシピを見ながらだったし、カレー粉の調合なんてやろうと思ったこともないの。だからお金があって材料があっても、作れる自信がないのよね」
どうやら蝶花も、最終的には狐太郎たちと同じ結論に達したらしい。
レシピがないと料理が作れない。当たり前のことだった。
とはいえ、そこで諦めるかどうかが、彼女の人間たるゆえんなのかもしれない。
「でも、材料があるのなら試してみたいじゃない。一度で上手くいくとは思えないし、完成しても市販品やお店のお料理にはかなわない素人料理でしょうけど……麒麟や獅子子に、美味しいものを作ってあげたいのよ」
諦めない心が大事なのだと、彼女は全身で体現している。
なお、費用は狐太郎だよりの模様。
「上手くいくかはわからないし、うまくいっても美味しいとは思えないし、作れても料理として売り出すわけじゃないから、お金を貸してなんて言えないのよ~~」
(返済プランが無いけど、お金のかかることがしたいと……普通なら諦めるところだな)
「もちろん上手にできたら半分以上お渡しするし、レシピも上げるから……お願い」
しかし、狐太郎も金を大いに余らせている男である。
仮に砂金と胡椒が同等の価値を持っていたとしても、全く問題にならない程度にため込んでいた。
「ササゲ、クツロ、コゴエ、俺はお金を上げてもいいと思う。上手くいけば今後もカレーが食べられるし、投資だと思えば悪くないと思うんだ」
「そうだよ、三体とも! カレーだよ、カレー!」
重量感のあるボディで弾むアカネ。
はっきり言ってまた踏まれそうな恐怖を覚えるが、とりあえず喜んでいることは良いことだ。
「この際玉手箱と交換してもいいぐらいだよ!」
(カレー何トン分だよ……)
三体の返事を待つまでもなく、アカネは口の中をよだれまみれにしていた。
「私は賛成よ、流石にここの食事には飽き飽きだもの。少しでも希望があるなら、ちょっといい夢見させて欲しいじゃない」
三体の中で真っ先に賛成したのは、クツロではなくササゲだった。
どうやら彼女も、今の食事に慢性的な不満があるらしい。
「ご主人様がよろしいのなら、私もお願いしたいです。久しぶりにカレー……いいわねえ」
当然のように、クツロも賛成する。
アカネほど露骨に喜んでいないが、それでも喜びがにじんでいた。
「私も構いません。彼女なら、持ち逃げすることもないでしょう」
コゴエは皆が喜ぶことに賛同する。今回もまた同様であった。
「ありがとうございます、皆さん。お金を受け取ったからには、全力で頑張るわね」
「期待してますよ、それじゃあお金を……」
「持ってきたよ~~!」
どっさりと渡す、金貨の詰まった袋。
まさに現金、という重みが見るからに伝わってくる。
「ありがとうございます! これだけあれば、練習しながら作れるわ~~」
(一応投資だけども……雑だな)
一切書面を交わさず、金貨の袋の数も確かめず、ただ適当に口約束をしただけで話が終わる。
これはもう、社会人、文明人にあるまじきことだった。
(この世界に来て、金銭の取引が全部雑過ぎて困る……)
なお、ササゲも似たような心境である模様。
「カレーは食べたいけど、何の邪気もなく話が進むのは何か嫌ね……誰か損をしないかしら」
※
それから数日後、前線基地に奇妙なにおいが漂い始めていた。
Aランクハンター狐太郎からの寄付金によって大量にゲットした香辛料が、少しずつ芳醇な香りを出している。
普段は肉と酒の臭いしかしない抜山隊の隊舎から、なんとも食欲をそそる未知の香りがただよってきたのだ。
「この匂い……カレーだね。蝶花がこの前街にいったとき、何かをどっさり買ったとは思ったけど、香辛料だったとは……」
蝶花は秘密にしようとしていたが、大量の香辛料を材料にしているカレーを試作しているのだ。どう頑張っても匂いでばれてしまう。
麒麟はあっさりと見破り、その一方で感心していた。
「ルーもないのにカレーを作る気なんて……凄いな」
元の世界の買い物ができる類のチートでも持っていない限り、異世界でカレーを作るというのはほとんど聞いたことがない話である。
それこそ素人でもわかってしまうほど、途方もなく困難な作業だとわかるからだ。
もちろん専門知識でもあれば話は別だが、蝶花にそれがないことは麒麟もよく知っている。
「おいおいおい……やたらといい匂いがするじゃねえか」
歩きながら肉を食べているガイセイが、麒麟の後ろに立つ。
その匂いを嗅いでいるだけで、肉が猛烈に旨くなっているかのような気がした。
「おい麒麟、蝶花の奴何を作ってるんだ? あんなに香辛料を買いだめして……偉い豪華だな」
「いえ、カレーという料理を作ろうとしているんだと思います。俺たちの故郷では、一般的な料理でした」
「へえ……豪勢なもんだなあ。あんだけ香辛料がいるとはな……店でも開きそうな勢いだぞ」
多種多様なスパイスを、大人買いを通り越した業者買いでかき集めている蝶花。
現在食堂には、数キロ単位の香辛料が、袋詰めにされて並んでいる。
確かに店を開こうと思えば、一日ぐらいは営業できそうだった。
「旨いのか?」
「ええ、美味しいですよ」
「そうかぁ~~旨いのか~~」
にやにやと笑うガイセイは、香辛料を潰している蝶花の後ろ姿を見てニタニタと笑った。
「麒麟~~お前モテてるなあ……んん?」
「ど、どういう意味ですか!」
「ありゃあきっとお前に食わせたいから作ってるんだぜ。愛だねえ~~健気だねえ~~」
「か、からかわないでくださいよ! 僕たちはそういう関係じゃないんです!」
「何言ってやがるんだよ、兄ちゃん。これはもう、出来上がった料理を召し上がって、そのままペロリってコースだろ、んん?」
わしゃわしゃと髪を掴んでくるガイセイ。
とても大きな手なので、頭を丸々掴まれているようだった。
「ぼ、僕たちは志でつながった仲間です! 男女の関係じゃありません!」
「今はそうでも~~」
にやにや笑うガイセイは、まるで酔っ払いのように絡みついて離れない。
「これから先はわからねえだろう~~?」
それがうっとうしくもある。
だがしかし、そこまで嫌ではなかった。
結構嫌だが、我慢できる程度だった。
「違いますよ……蝶花は、ちょっと事情があるんです」
麒麟は彼女から、新人類に入った経緯を聞いたことがある。
過激さのない彼女が、どうして組織に入ったのか。麒麟は麒麟なりに気になって、聞いたことがあったのだ。
彼女には、弟や妹がいた。父もいたし母もいた。
もちろん彼女自身は普通ではなかったのだが、それでも両親は弟や妹と変わらぬ愛を注いでくれた。
だが、弟や妹はそうではなかった。
彼女は弟や妹を愛していて、可愛がろうとした。しかし先祖返りである姉を、とても怖がっていたのだ。それに対して両親は叱ってくれたが、それで恐怖がぬぐえるわけもない。
蝶花は弟や妹を愛していたからこそ、離れる決断をしたのだ。
そして自分に怯えない、自分と同じ人の集まりに入っていった。
それが、そもそもの経緯である。
「蝶花にとって、僕は弟みたいなものなんですよ」
「弟と結婚することだってあるだろう? 血がつながってるわけでもないし」
「違いますよ」
「あっそ、まあ仲がいいのは結構だ」
ガイセイも麒麟も、その背中を見る。
大量の材料を相手に悪戦苦闘し、何とか人に喜んでもらえる料理を作ろうとしているその姿。
それが、色気とは違う女性の魅力を出していた。
「出来上がったら、俺達にもちょいと分けてくれや。邪魔しねえように、下がってるからよ」
「はい」
この台所に、自分の居場所はない。
ガイセイはさっさと見切りをつけて、その場を去っていく。
「ああ……麒麟! 丁度いいところに来てくれたわ! ちょっと助けてくれないかしら」
残っている麒麟に気付いた彼女は、困った顔で麒麟を呼ぶ。
「さっきからずっと味見をしているんだけど……舌がピリピリして、カレーの味を忘れそうになってるの」
「それは大変だな……うん、普通に大変だ。僕も手伝うよ、味見だけでいいのかい?」
「そうね……スパイスを潰すのを手伝ってくれるかしら?」
狐太郎たちが試みる前から諦めていたことは、当然ながら苦難の道である。
それでも新人類の二人は、何とか形にしようと頑張っていた。
それもこれも、仲間であり家族である、みんなのためであった。
※
抜山隊の隊舎、調理場で始まった調理実験。
抜山隊の隊員はその匂いからして、さぞうまい料理が出来上がるのだろうと、この時点から期待していた。
蝶花の人柄の良さは知っているし、買い込んだ香辛料の量から言っても自分たちの分があることは確実。
どんな料理ができるのか楽しみにしながら、いつも通りに過ごしていた。
さて、では誰もが喜んでいたのか。そんなわけはない。
「ジョー様! この状況を、どうお考えですか!」
一灯隊の隊長、リゥイ。
彼はものすごい剣幕で、ジョーに対して抗議をしていた。
「あの新入り達が作り始めた料理の匂いで、基地内の誰もが浮足立ち、さらに馬や騎竜さえも戸惑っています……!」
「それはわかる。分かるが……ようは調理だろう? 調理の匂いに文句をつけるのは、あまり良くないと思うんだが……」
なお、ジョーが困っている。
「ですが、あんなに大量の香辛料を使う料理ですよ?! 金持ちの悪趣味じゃないですか!」
「そ、それは難癖だろう?」
「この街にいる一般の職員には、目の毒です! 配慮させるべきです!」
匂いがきつい、というのは確かにその通りだろう。
だがほとんどの人は特に気にせずにいる。
なにせ蛍雪隊では、夜な夜な怪しい実験が行われているのだ。それに比べれば、調理の臭いなど大したことではない。
「はっきり言って下品です! 金を見せびらかして歩いているようなものです!」
とはいえ、リゥイ達からすれば不愉快の極みである。
たとえるのなら、金粉をまぶした料理か、或いは金粉をそのまま練りこんだ料理のようなもの。
彼らの認識において、スパイスとは『金持ちが料理にかける、贅沢品』という雑な認識であった。
それがメインの料理とは、つまり成金趣味全開、あるいは周囲への攻撃であった。
「さすがにそれは言い過ぎだろう。彼らは異邦人で、故郷の料理を再現しようとしているだけなのだから」
「アイツらの故郷では、アレが普通だって言うんですか!? あんな高級品を、バカみたいに使う料理が普通だって言うんですか?!」
「ありえないとは言い切れまい。彼らの故郷が、香辛料の産地という可能性もある。それならこの周辺で買うよりは、よほど安く買えるだろう?」
例えば、山で暮らしている者にとっては、海の幸は高級品だろう。
反対に、海で暮らしている者にとっては、山の幸は高級品だろう。
しかし各々の暮らす場所では、それらはただの食料でしかない。
香辛料の産地なら、香辛料が安く手に入っても不思議ではない。
「それは……まあ」
「我々から見れば希少な高級品でも、彼らにとってはここの物価が高いだけかもしれない。思い込みで激怒するのは、あまりにもみっともないだろう」
「……すみません」
香辛料の値段や希少さを知っているため、リゥイは怒ってしまった。
しかし言われた通りで、実際に彼らへ『成金趣味なのか』と確認したわけではない。
勝手に思い込んで、勝手に怒っただけ。そう言われてしまえば、返す言葉もない。
「とはいえ、君の話にも一理ある。周囲の人からすれば、この匂いは刺激が強い。少し配慮してもらうように、私から言っておこう」
「ありがとうございます」
まだ出来上がっていない、出来上がる見込みもないカレー。
それは製造する前段階から、既に多くの人々の心をかき乱していた。
前線基地の内部で、噂が立つ。
役員だけではなく、一般の職員も、その匂いとともに事情を察知していた。
曰く、狐太郎たちが融資した。
曰く、故郷の料理を再現する。
曰く、玉手箱より価値がある。
曰く、大量の高級食材を使っている。
それが自分の口に入ることはないと知った上で、妄想や想像を膨らませながら、日々を過ごしてしまうのだった。




