一期一会
「……」
名前を名乗らない相手、というのはただそれだけで警戒を深める。
ホワイトは緊張した面持ちで、じわじわと人ならざる者から距離を取ろうとする。
彼は冷静だった。確かに自分はハンターで、目の前の相手はモンスターだ。
だがしかし、ホワイトはDランクハンターであり、その仕事はあくまでも樹皮の採集である。目の前の彼女が危険な存在だったとしても、わざわざ戦う義理がない。
そもそもここはレッドマウンテンの奥地であり、人里から離れている。逃げたところで誰にも被害は及ばないし、少なくとも彼に責任はないだろう。
問題なのは、逃げようとして逃げられるかどうかだ。
逃げるということは相手に背を向けることであり、単純に隙を見せることである。
ある程度戦ってから逃げるべきか、それとも最初から全力で逃げるべきか。
選択肢が掌中にあるからこそ、彼は悩んでいた。
「やれやれ、驚かせてしまったかな? だが安心して欲しい、僕に敵意はないんだよ。赤裸々に明かせば、人恋しかったぐらいなんだ」
「……人恋しい?」
「そうなんだよ……いったいどれぐらいさまよっているのかもわからないぐらい、誰にも会っていないんだ。頭がおかしくなるかと思っていたら、ようやく君に出会えたというわけさ」
彼は、改めて彼女を見る。
その姿は、どう見ても文明人のそれである。彼女自身が人ならざるものだったとしても、その服を作ったのは明らかに人間だ。
それも、人間を殺してはぎ取ったわけではない。最初から彼女に合わせてあつらえられていると、素人でもわかってしまう。
「……誰かに飼われていた、ということか」
「それもわからないんだ、恥ずかしいけど赤ん坊同然でね」
しぐさが妙に芝居がかっているが、それを抜きにしても困っていることは明らかのようである。
彼女は本当に自分が何者かわかっておらず、そのうえで遭遇したホワイトと関わりたがっていたのだ。
「ただ……僕が何かのために作られたこと、それだけはわかっている。義務感や使命感、運命を感じているのに、何をすればいいのかわからない。こう見えてとても焦っているんだけど……いや、これは君に言っても仕方ないか」
「ああ、そうだ。仕方がないんだよ、だから俺に関わるな」
「つれないなあ……もしかして、僕は好みじゃないのかな?」
彼女は困った顔、寂しそうな顔をしながら、ホワイトの顔色を窺っている。
「……待て、お前まさか、俺がモンスターを好きだとでも?」
「……もしかして、君の中でモンスターを好きになるのは、その……特殊性癖扱いなのかな?」
「ぼかした言い方をするな! モンスター相手に興奮なんぞするか!」
がび~~ん。
という音が聞こえた。
彼女は落雷に打たれたかのように驚き、慄いていた。
「そ、それは、もしかして、その……一般常識なのかな?」
「そうに決まってるだろうが」
「な、なんてことだ……」
あまりにも露骨に驚いていることに、ホワイト自身が呆れてしまう。
何が何だかわからないが、このモンスターは人間相手に発情するらしい。
とんでもなく危険であり、同時に関わりたくない相手だった。
「じゃあな」
背を向けて去ろうとするホワイト。
「待ってくれたまえ!」
その背後に追いつき、後ろから抱き着いてくる彼女。
その敏捷性に、改めてホワイトは慄く。
「君がモンスター相手に情愛を抱かないことはわかった! 強制するつもりもない! しかし、ようやく言葉が通じる相手に会えたんだ、せめて人がたくさんいるところへ案内してくれ!」
「ふざけるな!」
人間に対して性的興奮を覚えるモンスターが、人のたくさんいる場所を聞く。それは狼が牧場の場所を聞くような物であろう。
はっきり言えば、そんなことをしたら人類の裏切り者である。
「僕は本気だ!」
「そういう意味じゃない!」
狼が牧場の場所を聞くのなら、それはもう本気だろう。
なにせ人生がかかっているのだから。
それが食欲であれ性欲であれ、当人は真面目だろう。
だがしかし、それを拒否する側だって真面目である。
「お前自分がモンスターだってわかってるのか?!」
「わかっているとも! わかっているうえで、人間の傍にいたいと思っているんだ!」
だが、必死だからこそ、彼女も食いつくのだ。
「僕はモンスターだけど、モンスターの中で暮らしたいと思っていない!」
そして、ホワイトは取り合わない。
「だからなんだ!」
モンスター同士で手を組んで、仲良く人間を襲うということはほとんどない。
むしろモンスターにとっては、おなじ魔境にいるモンスターこそが競争相手なのだ。
それはホワイトを襲おうとしたファイアリカオンを、オイルトードが食べたことから明らかである。
「俺はハンターだぞ! なんでモンスターに優しくすると思ってるんだ!」
「そ、そんなことを言わないでくれ! 僕は役に立つよ! 君も見ただろう、僕には特別な力がたくさんあるんだよ! 僕はきっと、人間の役に立つために生み出されたんだ!」
本気だと、ホワイトにはわかった。
思い出してしまったのだ、忌々しい相手のことを。
(似てる……!)
足を折った自分を、抱えて運んだ火竜アカネを思い出していた。
本心から、人間に奉仕するのが当然だと思っている生き物の顔だった。
「僕は君の役に立つさ! 決して損はさせないよ!」
「……何ができるんだ」
ホワイトは、状況の異常さを理解した。
もしもこのモンスターが、狐太郎のモンスターと同等の存在ならば、Aランク相当の力を持っていても不思議ではない。
「そうだね……僕は、吸収能力があるのさ!」
興味を持ってもらえたことが嬉しいのか、露骨にアピールする彼女。
確かに先ほど炎を吸い上げる力を見せたので、その点に関しては嘘ではないだろう。
「炎を吸収した力か……」
「そうだけど、そうじゃないんだよね」
「は?」
「僕は、どんな攻撃も吸収できる」
誇らしげな彼女に対して、ホワイトは理解が追い付かなかった。
(どんな攻撃でも吸収できる? 何を言ってるんだ? そんなの無敵じゃないか)
明らかに精霊ではない彼女が、炎を吸収するところは見た。
しかし炎の精霊ならばできることであり、それ自体はおかしくない。
だがもしも本当に、ありとあらゆる攻撃を吸収できるのだとしたら。
それはAランクどうこうではない、無敵の存在だろう。
「少しは、興味を持ってくれたかな?」
嬉しそうに笑う彼女だが、ホワイトはやはりそれどころではない。
(……どうする? どうするのが正解だ?)
優等生である彼は、本質的に反社会的な行為をしない。
彼女が本当に見た目通りの存在、自分で主張している通りなら、ホワイトの手に余る。
と同時に、このまま放置もできない。
(……確かめるか)
表向きだけでも友好的な彼女の能力を、可能な限り確かめる。
最悪死んでも誰も困らないのだから、実際に試してみるべきだろう。
「実際に攻撃してみていいか?」
「もちろんだとも!」
妙に自信満々な、名前も知らぬ彼女。
その所作から感じる、得体の知れなさ。
不気味に感じながらも、ホワイトは技を放った。
「プッシュクリエイト、ビッグハンマー!」
Bランクモンスター相手にも通用する、押し出す力。
巨大な鉄槌の如き、具現化したエナジー。
それを前にして、彼女は無防備に立っている。
ただ立っているだけの彼女に、間違いなくビッグハンマーは命中した。
「コユウ技、アルティメットドレイン」
命中したことは確実だった。
だがしかし、彼女自身の体に吸い込まれていく。
「クリエイト技を本当に吸収した……吸収属性か?」
事前に彼女が申告していただけに、渾身のクリエイト技が吸われたことも驚かなかった。
なによりも、実際に見てみれば同じようなことができる力に思い至る。
(相手のエナジーを奪う吸収属性なら、俺のクリエイト技を呑み込めるか? いや、無理だ。そんなに強いわけがない。相手の体から直接力を奪い続けて、技の発動を未然に防ぐのならわかる。だが……いや)
先ほど自分がやったことを思い出した。
オイルトードの舌が命中した瞬間に、体の内側から押す力を発生させ攻撃を弾く。
それと似たようなことをやっているのであれば、今の現象も説明はつく。
(できるとしたら、最低でもBランクの上位だぞ?)
だが今のホワイトを相手にそれをやったということは、少なくともオイルトードより上位のモンスターである。
つまり、ホワイト本人よりも強いということだった。
「驚いてくれたかな?」
「……本当に、どんな攻撃でも吸収できるのか?」
「ああ、本当だ」
「なら……!」
腰に下げている、普通の剣に手をかけた。
戦闘用の剣で、エフェクトを込めることもなく普通に斬りつけた。
「これはどうだ?」
吸収するもなにもない、普通の物理攻撃。
これが透過する、あるいは弾く、というのならわかる。
しかし吸収することは、できないはずだった。
「それも、今は効かないんだよ」
体を鍛えているホワイトの、普通の斬撃。
それはCランク相手なら、余裕で切り刻める攻撃だった。
しかし単純な運動エネルギーさえ、彼女は己の力に変換していた。
「……?!」
自分で確かめたからこそ、信じられなかった。
物理攻撃を吸収するモンスターなど、聞いたことがない。
衝撃を吸収するとかではなく、自分のエネルギーとして吸収する。
それは、明らかに世界の常識に反していた。
「言っただろう? 僕はどんな攻撃も吸収することができる、この力でこの人外魔境でも死なずに済んだのさ」
相手の体を食らい、血肉に変える。それはほぼすべてのモンスターに共通する、動植物として当然のこと。
一部の悪魔はエナジーを生物から吸収し、精霊たちは自然環境そのものの力を糧としている。
しかし、物理攻撃をそのまま養分に変換するモンスターなど、存在するわけがなかった。
(コイツ……本当に無敵なのか? いや、そんなことは……だが少なくとも……俺じゃあどうにもならない!)
最強のモンスターは存在する、英雄でなければ倒せないモンスターは存在する。
しかし、無敵のモンスターなど存在しない。していいわけがない。
だがしかし、確実なことはある。今のホワイトでは、絶対に勝てないということだ。
「そんなに怯えないでくれ……驚かせたかったけど、怖がらせたかったわけじゃないんだ」
悲し気になりながら、彼女は敵意がないことを示していた。
「自分で言うのもどうかと思うけど……僕にだって弱点はあるし、負けたことだってあるんだ。というか今まさに、逃げ延びているところなんだよ」
ホワイトに怖がられていることが本気で悲しいらしく、彼女は自分を卑下し始めた。
「情けないことだけど、僕の最初の記憶は空腹と……敗走なんだ。僕は何が何だかわからないうちに、他のモンスターと戦って……勝てなくて、逃げて……気づいたらここに居たんだよ」
「無敵じゃないのか?」
「そうさ、僕はどんな攻撃でも吸収できるけど……無敵じゃない。それでも見ての通りお役には立てるよ」
負けて、逃げて、ここに来た。
その言葉は、少なからずホワイトに響くものがあった。
「それに……無敵だったとしても、ここにずっといるのは辛いんだよ」
あらゆる攻撃を養分に変換し吸収する能力を持った、無敵とさえ思えるモンスター。
その彼女は、おそらくどんな極地であっても生存できるのだろう。
だがしかし、この孤独には耐えかねているようだった。
「何だったら、君のペットになってもいい。盾代わりに使っても構わない、だからさ……一緒に連れて行ってくれないかい?」
その懇願を、改めてホワイトは整理する。
(こいつが本当に無敵だったとしても、万能じゃない……よく考えたら、俺に人里へ案内して欲しいと言っている時点で、こいつはまず道に迷っていたんだ)
彼女の言葉を信じるまでもなく、この状況こそ一番つらい状況なのだろう。
人間に対してどんな感情を抱いているとしても、人間を見つけることができていない。
しかし、ここは魔境の奥地ではあっても、物理的に閉鎖されているわけではない。
迷っていれば、そのうち人里にたどり着く可能性があった。
いやそれ以前に、もしも他のDランクハンターに見つかればどうなるか。
(もしも程度の低い連中にも同じような態度を取ったらどうなる?)
ホワイトは、忌避感を覚えた。
彼女だけならまだしも、Dランクハンターの実力しか持たない者が、彼女の飼い主になれば。
それは、どうしようもなく悪い思い出を沸き立たせる。
(いや、アイツはまだマシだった。ひ弱で何もできなかったが、悪人じゃあなかった……もしもそうなら、俺だってアイツをもっと嫌いになれた……だが、Dランクでくすぶってる連中がこいつを手に入れたら……)
出した結論は、やはり同じだった。つまり、自分の手に余る。
そのうえで、このまま放置することもできない。
だれか信頼できる相手に、相談する必要があるだろう。
「おい、お前」
「うん?」
「お前の弱点を教えろ。それが本当なら、お前を一時連れ歩いてやる」
「本当かい? そんなことでいいのなら、喜んで教えるよ!」
邪気のない、心底から嬉しそうに笑う中性的な美少女。
彼女は無敵と誤認されるほどの吸収能力の、その弱点を惜しみなく明かした。
※
(んなバカな!)
説明を聞いて、実際に確かめて、ホワイトは確かに弱点を把握した。
しかしだからと言って、簡単に倒せるとは思えなかった。
(無敵じゃないだと? とんでもない、こんなの無敵も同然だ!)
否、絶対に勝てないと理解していた。
少なくとも、事前の知識なしで相対すれば、Aランクハンターでも勝つことはできない。
そして仮に事前知識があったとしても、勝てるとは言い切れなかった。
(一対一なら、スロット使い以外じゃ勝てないぞ!)
弱点は、確かに弱点だった。
だが少なくとも、今のホワイトにそれを突くことはできない。
とはいえ、知った今なら対策は立てられるだろう。
(これが野生のモンスターなわけがない……こんなものが、自然に生まれるわけがない。確かに、何か目的があったはずだ)
明らかに、作為を感じる。
彼女が自分の意志で後天的に作り上げた力ならまだしも、自然と先天的に備わるわけがない。
(こいつは、人間が作ったモンスターだ……!)
弱点を知って尚、ホワイトは慄いていた。
「で、どうかな? 僕との約束は……」
「……約束は約束だ。ただ、俺の命令には従えよ?」
「もちろんさ!」
その一方で、無敵に思える能力を明かした彼女は、極めて楽観的だった。
自分が殺されてしまうかもしれないと分かったうえで、大喜びでホワイトの腕に抱き着いている。
それだけ、孤独がつらかったのかもしれない。しかし、それだけとも思えなかった。
心のどこかで、彼女を警戒しなければならないと、まじめなホワイトは考えていたのだ。
「ふふふ……今日はとてもいい日だね! 僕は今日まで嫌なことばかりだったけど、今日という日が来たことに感謝しているよ!」
「ずいぶんのんきだな、お前……俺に教えなかったら、無敵でいられたかもしれないのに……」
「ん? あはは、気にしなくていいよ。僕は全然平気さ!」
ホワイトの腕に抱き着いて、彼から温かさを受け取っている、厚手の服を着たモンスター。
彼女は底の知れない無邪気な顔で、にっこりと不思議な笑みを見せる。
モンスターパラダイス2のラスボスは、まさにラスボスという他ない悪意の塊である。
システムの根幹を根こそぎ否定するコユウ技を備えた、プレイヤーを打ち負かすためだけに設定されたモンスターである。
ただ難しくすればいい、ただ倒すのが難しければそれでいい。
というのはゲームの根底を否定する。少なくとも、対象年齢に反する。
彼女という『初見殺し』が不評すぎたため、原石麒麟たちは適度に弱く設定されてしまった。
そして彼女にとって、無敵に思える吸収能力などコユウ技の一つでしかない。
「ところで君。年上と年下、どっちが好みだい?」




