貧すれば鈍する
「なんかどっさりもらえたね~~、銀貨。こうやって皮袋に満載されてると、お金! って感じがるよね。古いゲームで、お金を手に入れた、って感じ」
(そういうのって、スコアに入るだけだけどな)
「あ~あ、これがゲームとかアニメだったら、酒場とかでいっぱいいろんなものを食べて飲んで大騒ぎなんだけどな~~。そういうお店、全然ないし」
役場からの帰り道、一行は使い道のない大量の銀貨を皮袋に詰めて、ぶらぶらと前線基地の中を歩いていた。
外から見れば堅牢な壁に守られた城塞のようなのだが、内部は完全に地方都市という感じである。
物々しい雰囲気の建物があるわけではなく、ただ民家が並んでいるばかりだった。
その中には基地内で働く人のための食堂なども見えるが、お世辞にも美味しそうな臭いは漂っていない。
おそらくは、狐太郎たちが食べているものよりも、さらに悪いものしか売っていないのだろう。
「瓶詰があるかないか、という程度の文明だものね。この立地では鮮度のいい魚や野菜が手に入るわけもないし、運搬もそこまでの頻度は望めない。過酷な世界だわ」
真剣な顔で、街の人々を憂いているクツロ。
確かにこの『街』は、あまりにもさびれていた。
生きている人に、活気がない。なさすぎる。
狐太郎も四体も、ここまで活気のない人々を見たことがない。
一人二人はいたかもしれないが、活気のない集団など想像したこともなかった。
「そういうのは止めなさいよ、クツロ。それともなに、見下して優越感に浸っているの? 実際には何もしないしできないのだから、放っておきなさいよ」
「ササゲの言うとおりだ、クツロ。哀れみの目は蔑みと変わらない、それはただの陶酔だ」
しかしそれでも、それを見てどう思うかで反応は異なる。
アカネなどは最初から大して気にしておらず、クツロは哀れみ、コゴエとササゲはわかったうえで口に出さないように配慮していた。
憐れんで施しをすることもできるが、それは根本的な解決にならないと分かっているのだ。
おそらくだが、彼らは飢えてはいない。わざわざこの危険な街で生活しているのは、監禁されているからではないだろう。
ここは、食えるだけマシ。そうでなければ、流石に長く住めない。
彼らの目が死んでいるのは、危険だとか安全だとか、貧乏だとか裕福だとか、そういう一つの要素ではないのだろう。
もちろん危険で貧乏なので、それは確かに解決してほしいのだろうが。
「救わないなら関わるな。我らにそんな余力はないと、お前も分かっているはずだぞ」
(コゴエの言うとおりだな……今の俺たちは、栄養摂取さえもままならない。特に俺は、この基地でも一番餓死に近い。そうでなくても、栄養失調を起こすだろう……なんで異世界に来たのに、精神よりも先に体が壊れるんだろう)
今の一行では、救えたとか救えなかったとか以前に、救おうとする余裕がない。
狐太郎たちは、元の世界に帰るとかこの世界で生きるとか、そういう自分の方針すら決めることができずにいる。
ある意味では、この基地にいる誰よりも『主体性』がないのだ。
力はあり、仲間もいる、だからこそ狂乱も破綻もしていないが、それは海に浮かんでいる船のようなものである。
どこにでも行けるが、どこにいけばいいのかわからない。
とりあえず島が見えたので停泊しているというだけで、そこには選択が欠けている。
ここがどんな海なのかわからないので、とりあえず現地人とかかわっているだけなのだ。
今ここにいるというだけで、明日ここにいる保証さえないのだ。
ここに居たいからいるわけではなく、ここに居なければならないわけでもない。
物凄く極端なことを言えば、食料を買い込んでそのままこの基地を出てもいい。
無計画極まりない話ではあるが、『物理的に、絶対に不可能』なわけではないし『社会的に、心理的に嫌』というわけですらない。
合法の範囲でさえ、この基地を出てぶらぶらして、適当に帰ってくることも一応は可能なのだろう。
この街にも不満だらけなので、そうならないとも言い切れない。
決定的ななにかがあるわけではないので、ただいるだけなのだ。
(ある意味自由だけども、自由にあこがれていたわけじゃないしなあ……それはこいつらも同じなわけで……)
救いがあるとすれば、温度差はともかく、狐太郎の認識を仲間全員が共有していることだろう。
四体のモンスターも狐太郎同様に、意図せずに異世界へ送り込まれたので、とりあえず何とかしようとしているだけだ。
その連帯感だけは、疑いようもなく本物である。
「……そうね、コゴエ。私が悪かったわ」
この基地にいる人々を憐れんだクツロも、自分たちの今後を狭めかねないかかわりは避けようとしている。
もしもの時に、共倒れを避けるためである。自己保身だけではない、相手のことを思いやってだ。
今の彼らは、一応無価値だ。だが狐太郎たちとかかわりを持てば、利用価値が生じてしまう。
「クツロ、俺はお前がまともで嬉しいよ。アレを見て誰も何も思わなかったら、それはそれで寂しいからな」
「はい、ご主人様……お気遣い、ありがとうございます」
長々とどまったが、とにかく何もしないほうがいいというだけであった。
まさに現状を表している。
狐太郎たちは様々なものを抱えており、何も持たずにここに居るわけではない。
知恵も力も連携もしっかりしている。だからこそ、長々説明して、宙ぶらりんである。
「俺も、お前と一緒だ」
「はい……!」
宙ぶらりんには、宙ぶらりんの辛さがある。
それを共有できることも、仲間のありがたさであろう。
「あ、ああ、勘違いするなよ、コゴエもササゲも。お前たちは正しいからな、反対してないからな」
狐太郎にこそ、一番余裕がない。
今狐太郎は、仲間のこと以外に考える余裕がなかった。
「慈悲を忘れないご主人様こそ、我らが主です」
「その通り、何を見ても何も感じないようじゃ、一緒にいても面白くないわ。私に抱きしめられたらうろたえて、モンスターに囲まれたら怖がって、強がっていても隠せないのがいいんですよ」
「コゴエはともかく、ササゲはいい加減にしてくれ」
仲良きことは美しきかな。
微妙に嫌な理由ではあるが、気に入られているのは悪くない。
狐太郎は仲間との信頼関係に少しだけ安心していた。
(まあ……お世辞抜きで、クツロの言う通りかわいそうだと思うし、ササゲやコゴエの言う通りで関わらないほうがいいと思う。俺だって嫌なことがあった時に、助けてくれないのに哀れまれてたら嫌な気分にもなるしな)
もちろんかかわった全員が、敵になるとか味方になるとか、そんな極端なことになるとは思っていない。
しかし避けられるリスクは避けるべきであるし、できるだけ相手を不快にさせないほうがいいのだろうとは思う。
(それを想うと、さっきのおばさんは大概だったな……夜背中から襲われたりしないんだろうか、暴力的に)
先ほどもめごとを起こしていた連中は、まさに分かりやすく荒くれ者だった。
彼らが根にもって夜道にでも襲い掛かれば、彼女は命が危ないだろう。
相手が相手だけに、ありえないとは言い切れない。
(人の振り見て我が振り直せ……か。俺は調子に乗らず、堅実に、小者らしく……)
「おう、そこのお前!」
唐突に、いきなり、後ろから声をかけられた。
「え?」
「そうだよ、お前だよ!」
声をかけられた、どころではない。
とんでもなくわかりやすく、喧嘩を売られていた。
「……さっきの、東風隊の?」
「その通りだ! 東風隊、隊長! バージとは俺のことだ!」
体中に包帯を巻いている、なんとも痛々しい姿の荒くれ者たち。
その彼らは、怪我をしているとは思えない元気さで、狐太郎たちをにらんでいた。
「あ、さっきの人たちだ。あの、Fランクの!」
狐太郎をかばって前に出つつ、心無いことで相手を傷つけるアカネ。
その一言を聞いて、東風隊の全員が怒り狂っていた。
「ああ、そうだ! 難癖付けられて、Fランクにされた東風隊だよ!」
あのタイラントタイガーを倒したという、実力だけならBランクに相当するハンターのパーティー。
狐太郎たちの知る人間とは、一線を画する猛者たち。
彼らは明らかに、狐太郎たちを憎んでいた。
「ふざけた話だ! ええ? こんなくだらねぇところになんざ、来るんじゃなかったぜ! おかげで当分はFランクの仕事しか受けられねえ! Dランクに戻るまで、何年かかるかもわからねえ!」
「だから? 私たちには全然関係ないじゃん! 怪我をしてるんだから、どっか行って寝てなよ!」
「関係ないわけ有るか! お前らが持ってる銀貨の袋はなんだ?!」
彼らが見ているもの、それは狐太郎たちが受け取ったばかりの報酬である。
見るからに大金であろう、どっさりとした『現金』だった。
「これは、私たちの報酬だけど? さっき森に入って、タイラントタイガーを狩ってきたからもらったんだけど……」
「それをよこせ!」
「なんで?」
(いや、ホント、なんでだよ)
中々聞き返しにくいことを、あっさりと聞いてくれるアカネ。
それに対して、東風隊たちは勝手な理屈を並べていた。
「いいか、俺達はあの森に入って、お前たちと同じようにタイラントタイガーを倒した! だってのに、俺達はタダ働きで、お前らだけがそんだけ金をもらってる! ふざけた話だろうが、ええ?!」
「だからって、私たちからお金を取ることはないじゃん! 役場の人に言いなよ!」
「言ったらFランクにされたんだろうが!」
「だから? 私たちは私たちのお金をもらっただけだよ?」
「役場からもらえねえんなら、持ってるやつからもらうまでだ……!」
不満はわかるが、ただの難癖であり、カツアゲであり、強盗である。
(無茶苦茶だ……!)
まさか一切かかわりのない相手から、金を持っているというだけで狙われるとは思っていなかった。
しかも、白昼堂々、街の中で。
「それは泥棒だよ!」
そんな彼らへ、アカネは人道を説いていた。
「もらうって言ってるけど、寄越せって言ってる時点で、それは泥棒だよ!」
(まあそうかもしれないけども、泥棒に泥棒って言ってどうするんだよ!)
火に油を注ぐ発言を繰り返すアカネに、狐太郎は困惑を隠せなかった。
「ぷふ」
そして、さらに燃料を追加するのはササゲだった。
「は、初めて見たわ、こんな露骨で典型的な、貧すれば鈍するを地で行くような、底辺の底辺の、開き直った大馬鹿は……!」
おそらく、この世界に来て、一番の笑顔だった。
道化や喜劇をみて大笑いしている、そんな笑いだった。
「強気なのに、みじめ! みじめさを感じさせない強気さ! 正真正銘のFランク、納得の最低ランクね!」
あまりにも馬鹿にされ過ぎていて、東風隊も固まってしまっていた。
「すごい、すごい滑稽だわ……どこにでもいるようで、私が今まで見られなかった、クズの見本だわ! 夢みたい!」
悪魔が、悪魔らしく笑っていた。
まさに悪魔、困っている人をみて幸せな気分になっている。
「ねえご主人様? 特に今日は、欲しいものも無いわよね?」
「あ、ああ、まあ……」
「だったらいいじゃない、今日の分ぐらい上げましょうよ。いいでしょ、私が狩ったタイラントタイガーの報酬なんだし」
「ま、まあ……悪くはないような……」
「決まりね、ああ、いいものを見たわ。クツロ、アカネ、その銀貨を上げましょう。私、とっても満足したわ!」
理屈としては、金をよこせと言ってきた相手に、はいどうぞとお金を渡しただけである。
「体をはったギャグをどうもありがとう! 人生がどん底でも、笑いと勇ましさを忘れちゃだめよね! これからも頑張りなさい」
だがしかし、彼女の行動が東風隊を満足させるはずもなく……。
「ふ、ふ……ふざけんな!」
東風隊は、完全に戦闘態勢に入っていた。
巨大なモンスターを倒すためであろう、巨大な武器を軽々と持ち上げて、一斉に襲い掛かる。
「スラッシュエフェクト! ライトエッジ!」
「ブレイクエフェクト! ロッククラッシャー!」
「ヘビーエフェクト! ジャイアントスタンプ!」
「スピードエフェクト! ロックンロール!」
ササゲ一人だけではない、他の全員に向かって突撃する。
街中であるにも関わらず、一切躊躇せずに、雄々しく襲い掛かっていた。
「シュゾク技、陽気な悪魔」
だがしかし、ササゲが全身から黒い波を放った瞬間、全員が地面に倒れていた。
「あがっ?!」
「ご、ごおお?!」
「う、ぐぐ……!」
屈強な男たちは、しかし立ち上がることもできず、地面に這いつくばっている。
「私は悪魔。一応回復や補助の類も使えるけれども、適性が高いのは即死攻撃、相手の弱体化や妨害ね」
地面に縫い留められている男たちのところへ、銀貨の袋をもったササゲは、優雅に説明をしていく。
「悪魔特有のシュゾク技、陽気な悪魔。これは『重武装している相手』に対して、最も有効に働く技なの」
東風隊の男たちは、品性や素行はともかく、実戦経験豊富なハンターである。
彼らは自分に何が起こっているのか、なんとか把握していた。
「よ、鎧が……重い!? 鎧だけじゃねえ、武器も……!」
上から強力な力で押さえつけられているようだったが、実際には違っている。
彼らの体を守っているはずの鎧が、異常に重く感じられた。それが証拠に防具の薄い下半身などは、なんとか動かせている。
腕力そのものが弱体化させられているのかとも思ったが、取り落とした巨大な武器が地面にめり込んで沈んでいる。
武器防具が重く感じられているのではない、武器防具が実際に重くなっている。
「よくできました」
にっこり笑って、這いつくばっている彼らの背中に、銀貨の袋を落としていく。
「ぎゃああああ!」
彼女の手元から落下した銀貨の袋は、彼らの体に触れた瞬間、その重量を増していた。
東風隊にしてみれば、拘束された状態で、巨大な岩を落とされたようなものだろう。
「一時的に、相手の所持品の重量を増す呪い。それが陽気な悪魔」
とても嬉しそうに、一人一人に施しを与えていく。
「どう、嬉しいでしょう? お財布がずっしりと重たいのは」
「ふざけやがって……! この呪いを解け!」
「大丈夫よ、すぐに解けるわ。この技は強力で成功率や効果範囲も広いけど、その分有効時間は短めだもの」
悔しそうにしている顔を満足げに眺めて、ササゲは去っていく。
「楽しませてくれたお礼だもの、そのお金は施しじゃなくて、報酬よ。狩りの報酬じゃなくて、私を笑わせてくれた報酬だけどもね?」
ササゲが言った様に、彼らを縛っていた武器への加重は、一瞬で解き放たれていた。
もちろん最初からの重さはそのままなのだが、それでも彼らが持ち上げて振り回すには不自由のない重さである。
「て、てめえ!」
全員が屈辱に震えて、背中に乗っていた銀貨を落としながら立ち上がる。
地面に半分埋まっていた武器をつかみ、再び戦闘態勢に入る。
「ああそうそう」
彼女は、振り向かないまま言葉をつづけた。
「私は底辺のクズは嫌いじゃないけど、長々付きまとわられるのは嫌いなの」
背後から見てもわかるほどに、嗜虐の笑みを浮かべていた。
「私の呪いが凄いことはわかったでしょう?」
それは東風隊に、不吉を確信させるには十分すぎる笑いだった。
「私が優しいうちに、得をしているうちに、とっとと帰りなさい。自尊心と心中したいのなら、止めないけどね」
次は、完全に無力化される。
永遠に解けないであろう、あらゆる尊厳を奪いつくす呪詛をかけられる。
それを理解した東風隊は、もはや悔しそうな顔をするしかなかった。
何も言えないまま、取り落としそうになる武器を抱えたまま、その場を動けなかった。
(えぐい……)
まさに徹底して、もう関わりたいと思わせない振る舞いだった。
なにせ見ているだけの狐太郎でさえ、ササゲに関わりたくないと思うほどだったのだから。
「ご安心くださいな、ご主人様。私はご主人様の味方ですから」
(こんなのが味方なのが、普通に嫌……)
嫌そうにしている狐太郎を見て、なおもニコニコと笑っているササゲ。
他の三体も、なんとも言えない顔になるばかりであった。