光源氏物語
かくて、第一王女ダッキは鉄拳の前に沈んだ。
邪知暴虐の王女は、暴力によって倒れたのである。
人々の心に安らぎと安堵、そしてほんのわずかな『ざまあ』な気持ちが灯り、前線基地は優しさに包まれたのだった。
「むぅ……」
しばらくして気絶から立ち直ったダッキは、手当てをしてもらったうえで役場の応接室に案内されていた。
キンカクたちは護衛につく形で、すぐ脇に控えている。なお、リァンからの攻撃は完全に素通しであった。
そのことの不満もあって、ダッキは露骨に拗ねている。
しかし彼女の苛立ちを助長するのは、周囲の誰もが拗ねている彼女を気遣っていないことだろう。
第一王女のダッキとしては、この現状に納得できない。自分が拗ねて不機嫌なら周囲の誰もが慌てて、自分の機嫌を取ろうとするべきなのだ。
そうなっていないのは、明らかに異常事態である。彼女にとっては、周囲こそが理不尽だった。
もちろん、周囲にとっては彼女こそ理不尽である。
「はあ……お見苦しいところをお見せした」
「いえいえ、お年頃ですから」
しかも、叔父である大公は、自分の行いを恥ずかしがっていた。
そのうえで、大王でもない相手に謝っている。これはもう、おかしなことではないだろうか。
「えっと……」
さて、応接室である。
狐太郎は四体を従え、リァンや大公の隣に座っている。
お世辞にも現状を把握しているとは言えない彼は、改めて話を聞くことにした。
「あのですね、大公様。少々伺いたいのですが、国王陛下……じゃなかった、大王様が強権を振るって、私やアカネからとりあげるということはあるんですか?」
「それはない。この状況になっても、それは変わらんよ。いくらダッキが欲しがっても、こればっかりは曲げようがない」
(曲げてもいいんだが……)
狐太郎も四体も、既にうんざりしている。
大王が強権を振るうのなら、それを口実に全部くれてやってもいい気分だった。
しかし、それは無理であるらしい。
「仮に君がよかったとしても、兄上の周囲の者が全員反対する。君が犯罪者の類で、宝物を没収するというのならともかく、君は私の契約相手だ。その君から一方的に玉手箱を奪うなど、君や私が許しても他の王族が反対する。あまりにも外聞が悪すぎる」
「じゃあ、何かの宝物とかと交換しようとか……」
「それもない。玉手箱と釣り合うほどの宝と言えば、はっきり言って国宝だ。いくら何でも国宝を君に渡すことはできない、政治的にまずすぎる」
カセイを治める大公をして、狐太郎から玉手箱を受け取ることはできなかった。釣り合う対価を渡せないからである。
それは一国を治める大王も同じのようで、大王がどれだけ娘を可愛いと思っていても、無理やり奪うことはできないようである。
狐太郎にとっても、悲しい話だった。
「それじゃあ、土地を押し付けてくるとか……」
大公が狐太郎に土地などを渡せないのは、突き詰めれば前線基地で長く働いてほしいからである。
正直どうかと思っているが、仮に土地を得て貴族になっても、大公から嫌われてはその後が大変そうである。不義理でもあるので、それは受け入れていた。
しかし大王にとっては、そこまで重要ではない。無理やり押し付けてくる、という可能性はあった。
「それもない、戦争で勝って土地を得たというわけではないだろう? であれば手つかずの土地などない、玉手箱に匹敵する土地など渡しようもない」
古の鎌倉幕府は御恩と奉公のもとに、働いた者には報酬として奪った土地を分けていた。
しかし元寇の際、つまり一方的な防衛戦争だった時には、戦って勝ったにもかかわらず土地を得ることはできなかった。
しかも多くの費用が発生したため、報酬を支払えないということになったのである。
それが原因で鎌倉幕府は崩壊することになったのだが、今回は逆であった。
狐太郎は莫大な宝を得たのだが、それと交換できるだけの土地がないのである。
よって狐太郎は誰にも献上できない、売ることもできない宝を抱えることになったのだった。
(法律というか、マナーの問題か……まあ無理やり寄越せとか言ってくる暴君じゃないだけマシか……正直、この宝に限ってはそうして欲しいんだが)
なお、仮に玉手箱のすべてをよこせと言ってくるような暴君だった場合、狐太郎に従う四体のモンスターも全部よこせと言ってくる可能性があった。
「まあとにかくだ、兄上が娘可愛さに暴走したとしても、政治的に不可能なのだよ。君が面倒に思う気持ちもわかるが、それをないがしろにすると国が滅ぶ。言っては何だが、ダッキが諦めれば済む話だ」
「そりゃあそうですね」
話がのびのびになっていたので辟易していたが、よく考えればダッキだけがごねているのだ。
今までと違ってダッキ一人が諦めれば、それで全部済むのである。
「そういうことだ。ダッキ、諦めなさい。友人に自慢したいのであれば、カセイに連れてきなさい。ダッキの友人ということであれば、特別に玉手箱の中身を見せてあげよう」
「むぅ……」
大王の娘、第一王女だからこそ、大公の保管している宝も見ることができる。
なるほど、自慢できるし感謝させることもできるはずであった。
しかし、それには一つ抜けがあった。
「でも、叔父様。もしもAランクハンターが結婚したら、そのお嫁さんの物になるのよね?」
「まあそうだが、数年先のことだぞ」
「数年経ったら自慢できなくなっちゃうじゃない!」
ダッキとしては、物凄く重要事なのだろう。興奮気味に、提案の欠陥を指摘した。
痛いところを衝いた、これで論破できる。そう思っていたのだが、誰もが呆れるばかりであった。
「王女様……そのころには飽きてますって」
「そうそう、どうせ興味なくなりますって」
「他の物が欲しくなって終わりですよ」
キンカクたちが彼女をなだめた。それこそ、完全に子供扱いである。
今彼女は玉手箱に夢中で、他のことを考えられないだろう。
しかしそんなものは一過性、どうせそのうちどうでもよくなってしまう。
人間なんて、子供なんて、そんなもんである。
「そんなことないもん! ダッキ、一生大事にするもん! 絶対に飽きないもん!」
(子供だ……)
果たして彼女の言う『一生』に、どの程度の価値があるのだろうか。
世の大人たちは知っている。子供の言う一生大事とは、精々一日か二日だと。
なぜなら、自分たちがそうだったから。
もちろんそうではない者もいるだろうが、どう見ても彼女はそうではない。
「ダッキの物にしないと、どっかいっちゃうじゃん! そんなの絶対ダメ!」
「聞き分けなさい」
拳をならし始めるリァン。
もうそろそろ、二度目の拳骨が落ちてくるだろう。
「ひっ」
流石にそれは嫌なようで、ダッキは一応黙った。
もちろん、直ぐにしゃべり始める。涙目になりながら、ぶちぶちと文句を言うのだ。
「私諦めないもん、絶対欲しいんだもん、大事にするもん、毎日磨くもん……」
(犬を飼いたいと言った子供みたいだ……)
あまりにも子供過ぎて、狐太郎は何も言えなかった。
まさか結婚する前から、子供の説得に神経を割くことになるとは。
「……そうだ! ダッキ、良いこと考えた」
「それは良いことじゃないですから、黙ってもう帰りなさい」
「いいことだもん! 丸く収まるもん!」
「黙って帰れば丸く収まりますから、帰りなさい」
「聞かないと後悔するよ!」
「どうせ自分が狐太郎さんに嫁ぐとか、そういう話でしょう?」
「……なんでわかったの」
リァンは拳に息を吹きかけた。
そして、振り下ろす。
ごちん、という音がした。
「えぐぅ……」
「よいですか、確かに狐太郎様には王族と結婚する権利さえあります。ですが、それは義務ではなく報酬です! 王族の方が押し掛けるなど、言語道断! 選ぶ権利は狐太郎様にあるのです! 貴方にも大王様にも、私にもお父様にもありません!」
痛くて涙をこぼすダッキは、狐太郎を見た。
物凄く、面倒そうで嫌そうな、どうみても結婚したそうではない顔をしていた。
「……ご、五年後とか十年後なら」
「ないです」
「あるもん!」
(ねえよ)
ダッキこそまさに、結婚指輪目当て、財産目当ての少女である。
やむにやまれぬ事情があるのならまだしも、選ぶ権利があるのなら絶対に選ばない。
(大体この子、絶対マウントとってくるぞ。結婚してくれてありがとうとか、玉手箱をもらったから絶対に従うとか、そんな殊勝な子じゃないぞ。貴方と結婚したのは玉手箱が欲しかったから、これを差し出しただけで私と結婚できたんだから満足でしょう、とか言い出す……!)
狐太郎は未来が見えた。
あるいは既に知っている過去の情報に近い。
(というかまあ、俺自身そうだけども……金品を与えたから絶対服従とか、命を助けたから永遠の隷属とか、魔王を従えているから敬意を払って忠誠を誓うとか、そんな都合のいい話は一度もなかったんだよな)
もちろん狐太郎自身、玉手箱を上げたんだから自分に全面的に従えだとか、妻になったんだから奴隷扱いだとか、そんな極端なことをするつもりはない。
もしも将来の自分が似たようなことをすれば、きっと四体は怒って叱ってくれるだろう。
それぐらい、あってはならないことである。
だが同時に、敬意や信頼や忠義は、簡単に手に入らないと痛感している。
人の心をそんな簡単に変えられるのなら、狐太郎も大公もここまで苦労していない。
どんな相手とも結婚できるアイテムも、愛を手に入れることはできないのだ。
(何かのイベントが起きたら、記号的に好きになっていついかなる時も持ち上げてくれる彼女が手に入るとか、そんな都合のいいことはないしな)
玉手箱をもらったアカネや狐太郎自身がそうなのだが、ダッキは玉手箱をもらっても狐太郎へ好意を抱かないし感謝さえしないだろう。
彼女にとって欲しいものが手に入るのは当たり前で、当たり前のことが行われても感謝などしないのだ。
乙女心とは、時に残酷なものである。
「……ねえご主人様、ちょっといいかしら」
考えていたササゲが口を開くと、即座にキンカクたちは臨戦態勢に入った。
魔王とも呼ばれる悪魔が口を開くこと、その意味を知っているのである。
だからこそ、ササゲ自身も嫌悪感を抱かなかった。
「他意はないわ、呪う気はない。呪いにおいて嘘をつくのは、意味が薄まるのは知っているでしょう? とにかく、ただ話すだけだから言わせてちょうだいな」
流石は精鋭たち、場合によっては敵わぬまでも斬りかかるか、あるいはダッキだけでも逃がそうとしていた。
そんな彼らを前に、ササゲは話を続けた。
「誰がどう考えても、ダッキ殿下は帰らないわよね? 仮に無理やり帰しても、ここに来ることやご主人様に接近することを禁じても、絶対に諦めないわよね? むしろ、禁止すれば禁止するほど盛り上がる筈よ」
人間、手に入らない物ほどほしくなるものである。
それは今日までの商談で、さんざん思い知ったことだった。
どこにあるのかわからないのならまだしも、どこにあるのか、誰が持っているのかはっきりしていればなおのことである。
「場合によっては、それこそ五年十年経っても諦めないでしょうね。その上、手に入れるために知恵を絞るでしょう。そうなったら、この間まで粘ってきた商人や貴族の比じゃないわよ」
それは、容易に想像できる未来だった。杞憂というには、あまりにも現実的すぎる。
第一王女が頭脳をフル回転させて、狐太郎に対して様々なアプローチを仕掛ければ、大公や公女と言えども防ぎきれるものではあるまい。
そもそも第一王女と大公が水面下で対立している、という構造そのものが厄介で関わりたくない案件であった。
(俺が何をしたって言うんだ……)
もういっそ、玉手箱などぶっ壊してしまおうか。
そんな考えさえ頭をよぎる。
「そこで提案なんだけど……もうこの際、ある程度緩くしてあげたら?」
さて、それをササゲはどう解決するつもりなのか。
キンカクたちでさえ、その話の続きを促している。
「まず、玉手箱は予定通りカセイで大公様が保管する。ここに置いておくと本当にモンスターのせいで壊されちゃうかもしれないから、仕方ないわよね?」
その点に関しては、流石にダッキも文句はなかった。
少なくとも彼女にとっては、大公が保管していることじたいに問題はない。
そして他の面々も、最初からその予定だったので文句もない。
「で、大公様の提案通り、王女様が閲覧を希望すれば見せてあげる。これもいいわよね、持ち帰るわけじゃないならそれでいいでしょ」
ここまでは、完全に大公の提案通りである。
「で、王女様はその度にここまで来て、ご主人様に挨拶するの。大公様が保管しているとはいえ、ご主人様の宝物を見るんだから、挨拶ぐらいはいいでしょう?」
「……それでなんの解決になるの?」
「凄い面倒でしょ?」
クツロの問いに、ササゲは端的に答えた。
「私は行ったことがないけど、カセイはとんでもなく栄えていて、遊ぶところや見て回るものはたくさんあるんでしょう? そこに行く分には、面倒でもなんでもない。でもこの前線基地は、それどころじゃない。たくさんモンスターがいるだけで、面白くもなんともない。もちろん道中だって面白くないわ」
彼女の話を聞いて、大人たちは彼女の論旨を理解し始めた。
要は『正当な道筋』をあえて作ることで、途中で飽きさせようという算段である。
「挨拶をするって言っても一言二言しゃべって、はい御終いとはいかないわ。王女様はご主人様本人に興味がないんだから、長々話をするだけでもそうとう苦痛のはずよ」
(こいつ、酷いな……悪魔かよ)
ぼろくそに言われて傷つく狐太郎だが、ササゲは話を止めない。
「悪だくみをするのは楽しいけど、面白くないことを積み重ねるのは苦痛だわ。悪だくみをしても実際に動くのは他の人、でも挨拶をするのは自分がやらないといけない。果たして一年もつかしらね?」
ダッキは、話を半分理解した。
つまり途中で飽きるかどうか、自分が最後まで粘れるか、実際に確かめようというのだ。
機会をやるから、狐太郎のところまで自分で来て、狐太郎を口説けと言っているのだ。
明らかに、挑発である。
「できるもん! 持つもん!」
「お、王女様! いけません、悪魔と話をするのは危険です!」
「むむぅ……」
「聞く分にはまだいいですが、返事をするのはダメです。いくら呪わないと言っていても、良くないことになりかねない」
慌ててダッキを止める三人だが、話はそこまでおかしくない。
決定権は大公や大王になるのだろうが、先のことを想えばそれぐらいの対応をしたほうがいいだろうと分かる。
むしろササゲが提案をしなくても、他の者が思いついていただろう。
「ふむ……今の話が落としどころだろう。悪魔の提案に乗るのは危険だが、どのみちそうなる筈だ。キンカク君、申し訳ないが兄上にはその方向で報告してみてくれ」
「……承知しました」
悪魔の提案に乗るのは危険だが、大公が乗ってしまえば判断は大王がするしかない。
キンカクが頷くと、ギンカクやドッカクも従った。
「ではダッキももう帰りなさい。狐太郎君と結婚して玉手箱を手に入れる道はできたのだ、我慢できるのなら今日のところは諦めなさい」
「……はい」
未練を感じながらも、ダッキは頷いた。
彼女はすべての宝物の所有権を欲しがっているが、今すぐという点には妥協の余地がある。
なまじプライドがあるからこそ、大公の言葉に従って出ていく。
さて、残ったのは狐太郎たちと大公、公女である。
「で、ササゲ君。何を考えているのかな? まさか、早く帰ってほしかったから、ではあるまい」
大公はややいぶかし気に悪魔へ質問する。
流石に、ここで妄信することはないらしい。
「ええ、まあ」
(裏があったのか……!)
なお、狐太郎は信じ切っていた模様。
「真面目な話なんだけど。ご主人様、あの王女様と結婚しない?」
「はぁ?」
狐太郎が、つい失礼な反応をしてしまう。
それぐらい、前提のくるっている話だった。
「ええ~~?」
なお、アカネも嫌がっている模様。
「それはちょっと……」
クツロも嫌がっている。
「なぜだ?」
コゴエだけは、その提案の真意をたずねていた。
「理由の一つとしては……ご主人様に玉手箱の所有権がある限り、どこの誰と結婚することになってもその手の話が付きまとうわよ」
「それは……そうですね」
ササゲの懸念を、リァンが肯定する。
もしも狐太郎がどこかの誰かと結婚するとして、いままでは狐太郎が報酬として受け取るだけのことだった。
悪く言えば、Aランクハンターへの供物、生贄扱いである。狐太郎へ喜んで娘を差し出すのは大公ぐらいだろう。
どこの馬の骨とも知れない、強いモンスターを従えているだけのクソ弱い外国人と結婚する。
だれも羨ましいとは思うまい。
しかし、今は違う。狐太郎と結婚すると、玉手箱が手に入るのだ。
これは誰もが羨むことであり、妬まれてさえしまうだろう。
もちろん、結婚を申し込まれた当人だって意識する。
「最悪、血で血を洗う戦いになるかもね。でもまあ、流石に王女様相手にそれはないでしょう?」
「そんな打算でいいのか?」
「それだけじゃないわ。あの子まだ子供でしょ?」
にんまりと、邪悪な笑みを浮かべるササゲ。
「当人が玉手箱を欲しがるほど、プライドが高くて大真面目なほど……ご主人様に気に入られようと必死になるわよ?」
まさに魔王だった。
呪ってもいないし、惑わしてもいない。
ただ……少し誘導しただけだった。
「ご主人様の望む色に染められるわよ?」
「それ洗脳だろ……」
「あら、別にいいじゃない。政治に参加するわけじゃないし、本人が望んでそうするんだし……」
王女の親族である大公と公女を見た。
「いくら結納の品が豪華だからって、王族と結婚するご主人様はここで長く働かないといけなくなるわよねえ」
二人ともしばらく考えた後、無言で聞かなかったふりをした。
カセイを守るためなら、必要な犠牲なのかもしれない。
「ねえ、ササゲ。それってご主人様は幸せになれる?」
「まあ……どうかしら。王女様の教育次第かしらね?」
「実質ないじゃん……」
なお、狐太郎本人にメリットはほぼない模様。
(結局解決しなかった……!)
次回から新章『悲しきモンスター』編




