一難去ってまた一難
つい先日まで、前線基地に入ることに関して、特に法律上の規制はなかった。
もちろん出ることに関しては、役場の職員の関係もあって、それなりに法整備がされている。
しかし何一つ面白いことのないただの危険地帯である前線基地に、好んで出入りする人間が大量にいるわけもないので、前線基地に入ることに関しては法整備がされていなかった。
そこで今回の一件である。
大公の名のもとに一般公開されている美術館に向かう道中で、Bランク上位のモンスターに襲われるという未曽有の危機。
たまたま偶然居合わせた抜山隊が倒したものの、物的な損害は大きかった。
これを受けて、大公は前線基地へ入ることへ規制を設ける。
加えて玉手箱やその中身をカセイへ移送し、大公が預かるという形にした。
もちろん反発の声がなかったわけではない。なにせ今までは納税者ならだれでも見れたものが、今後は一切見れなくなるのだから。
しかし、反発の声は小さかった。
なにせ既に一度は公開されており、多くの人々が間近で見ている。
何が何でも見たいという人間は既に何度も見ており、加えてその宝の価値を知れば大公が保管するのも当然だと思ってしまう。
最悪なのは、前線基地に残すことで、遺失すること。その危険性があらわになったことで、強く現状維持を叫ぶことができなかったのだ。
結局、政治の世界は多数決。満場一致、全員の賛同を得る必要はない。
できるだけ多くの材料をそろえてやれば、自ずと人々の意見は流れるべき方向に流れる。
かくて、前線基地に訪れていた大量の見物客は、ばったりと途切れていた。
仮に猛烈な見学希望者が現れても、前線基地の中に入ることもできない。
大公と狐太郎の好意での公開は、当然の理屈によって終了したのである。
※
多くの法的手続きを終えた大公は、改めて前線基地へ訪れていた。
今回の一件で契約外の労働を強いられることになったハンターたちへ、謝罪と労いをするべく多くの肉と酒を持ち込んでいた。
有事には瓦礫置き場となる広場では、真昼間から宴会が催されている。
中々呑めない高額の酒が、これでもかと並べられ、主に抜山隊がそれを呑んでいた。
もちろんクツロもその酒宴に参加しており、肉もがっつり食べている。
蛍雪隊は慎ましいもので、老骨をいたわりながらちびちびと酒を舐めつつ、つまみを楽しんでいる。
一灯隊は主に肉を食べており、育ち盛りの肉体をさらに大きくしようとしていた。
なお、白眉隊は辞退して、周辺の警護にあたっている。
そして大公は自らも酒を飲みつつ、狐太郎と隊長たちを集めていた。
「今回の件は……私の都合で振り回して申し訳なかった」
書面上には残せない、重い謝罪。
それをした彼は、それでも一つの重荷が下りたことを確信しているようだった。
「普段から前線基地を維持するための課税に反対している者たちへ、ガス抜きと灸をすえるために負担を課してしまった」
納税しているものを、モンスターの脅威にさらすわけにはいかない。
しかし、モンスターの脅威と無縁であればあるほど、前線基地の必要性は疑われてしまう。
だからこそ偶然と見せかけながら、実際に襲われてもらったのだ。
今回の襲撃を受けた者たちは、命からがら逃げ延びたことを、周囲に言いふらしてくれた。そして周囲もまた、それをさらに伝えていく。
それによって、強大なモンスターが近くにいることを、改めて理解してもらったのである。
もちろん、これも書面上には残せない、後ろ暗い政治の世界である。
「あらあら、大公様のご采配に間違いはなかったと思うわよ? それに後から難癖をつけようとしても、付け入るスキはないでしょうしね」
シャインは甘めの酒を飲みながら、大公を称賛する。
前線基地やその周辺が危険であることはまったく隠していないし、アースリバーだってけしかけたわけでもない。
加えて大公は前線基地へ向かう見物客の安全を保障していたわけでもないので、そもそも守る必要さえなかったのだ。
まあ、守る義務がないからと言って、実際に見捨てるのは不義理極まりないのだが。
「同感です。大公様と言えども、玉手箱やその中身を最初から手元に置いていれば、周囲からの反発は著しかったでしょう。それを思えば、民心に反することなくお治めになった手腕は、素晴らしいと思います」
部下の手前、冷えた水を飲んでいるジョーもまた、同じように大公を称賛していた。
「ま、おかげで俺たちは忙しかったけどな! まさかアースリバーなんて大物がかかるとはなあ……まあ、こうやって太っ腹なところを見せてくれたんだ、文句はなしだぜ」
ガイセイはクツロ同様に、大量の酒をあおっていた。
如何に巨漢とはいえ、飲み過ぎのように見える。
しかも、そのうえで肉も同じぐらい食べていた。
「私どもとしては! どちらかと言えば心無いものから声をかけられたことが気に入りません! なんで我等一灯隊が、こうも悪の手先として目を付けられねばならないのか……ちくしょう、餌にする前に痛めつけてやればよかったぜ!」
酒が入っているので、いつもよりさらに口が悪いリゥイ。
彼は義憤に燃えていた。なお、彼の主観である。
「ははは……」
小さめのコップに、度数の低い酒を入れて、さらに氷で薄めてちびちびやっている狐太郎。
彼は酔っ払いに囲まれながら、自分が失言をしないか不安そうにしていた。
「狐太郎君には、重ね重ね申し訳ないと思っている。善良きどりの必死な商談を何度も持ち掛けられたのだ、君たちが一番大変だっただろう。それこそ、私の被害者と言っていい」
「いえいえ、そんな……」
「質が悪いことに、彼らは悪ではない。集団でくれば大迷惑だが、一人一人でみればそこまで重い罪を犯しているわけではないからな……それを大量に相手どるのは、ただただ疲れる。私も、よく出会うよ」
狐太郎に謝っているはずが、段々当人の愚痴になってきた。
「いっそ法を犯してくれれば、こちらも過激な手が打てるのだがね……一線を越えずにしがみついてくる輩というのは、群れれば群れるほど煩わしいイナゴのような連中だ」
「た、大公様は大変でしょうね……」
「そうだとも……しかし、それも大公として当然の仕事だ。似たような思いを、ハンターでしかない君にさせたことが心苦しい。君には借りができるばかりだ」
現在狐太郎には問題が山積みだが、それは大公の問題でもある。そして解決するのは、大公の役割だった。
未だにほとんどの問題が、暗礁に乗り上げて前進していない。
「……本当は、こんなところで酒なんぞ飲んでないで、とっとと護衛を探して来いとでも思っているんだろう?」
「いえいえ、そんな失礼なことは……」
「いいや! そう思うべきだ! カセイを治める大公ジューガー、大王の弟! でありながら、Aランクハンターとの約束も守れていない……」
大公は鬱憤や罪悪感がたまっているらしく、泣きながら謝り始めた。
「最初は、本当に簡単だと思ったのだよ……君の要求はそれなりに高かったが、多くはなかった。普段から多くの学校や貴族、軍に寄付をしているのだから、君の護衛なんてすぐにそろえられると思っていたんだ……」
狐太郎よりも大きい体が、悲しみで揺れていた。
「私は一体何を信じればよかったんだろうねえ……!」
偉いはずの男は、世の中を思い通りにできていなかった。
一生懸命頑張っていることはわかるのだが、信頼は裏切られ足を引っ張られていた。
「なんで……なんで……あんな馬鹿どもをよこしてくるんだろうねえ……!」
白眉隊と蛍雪隊の、雰囲気が変わった。
ある意味当たり前だが、ショウエンの一派やコチョウは酒宴に参加していない。
だが彼らと同じ部隊に属する者たちは、大公の嘆きが他人事に思えなかった。
「私はちゃんとしたのに……娘だって一生懸命やったのに……君だって命をかけてくれたのに……どうして君に失礼なことができたのか」
「た、大公閣下……」
「君は、カセイを守ってくれているじゃないか! Aランクハンターとして、とても立派にやっている! その君に対して、どうして酷いことが言えるんだ?!」
その言葉に対しては、ガイセイとリゥイは強く頷いていた。
「あの小娘の父親とは、友人のつもりだった。確かに方針では食い違いもあったが、それでも共に国のために尽くしていると信じていた。にもかかわらず、娘の教育一つできていない! あんなのを友人だと思っていた私が愚かだった!」
「ま、まあ大公閣下……落ち着いて……お水でも飲んでください」
「むぅ……すまない」
熱くなっていた大公へ、狐太郎は冷水を勧める。
はっきり言って、ねぎらいになっていなかった。
「気を使わせてしまったね……はぁ、至らぬ領主だ」
「そんなことないですよ……」
狐太郎は、今回の件で不愉快な思いをした。
その一方で、大公が先日のような凶行に及ばなかったことに安堵していた。
いくら狐太郎のためとはいえ、目の前で連続殺人事件が起こってはたまらない。
もちろん今回のやり方が清廉潔白だとは思っていないが、連続殺人事件よりは大いにましである。
「ふぅ……ともかくだ、玉手箱は責任をもって私が預かる。安心してくれたまえ」
「それなんですが……結局玉手箱ってどうすればいいんですか?」
言い方は悪いが、玉手箱は換金アイテムであって特別な効果はない。
本来なら売って金にして終わりだが、額が尋常ではないので誰も買い取ってくれない。
「腐るわけで無し、保険程度に考えておきたまえ。何かトラブルを起こしてしまった時に、謝罪の品として贈れば大体解決する」
「ああ……」
狐太郎は、玉手箱を得ることになったきっかけを思い出した。
というか、自分の火竜を思い出した。自分を落っことして、踏んづけたアカネを思い出した。
狐太郎自身は仕方がないと思ってあきらめたが、以後似たようなことが起こらないとも限らない。
その時、許してもらえるとは限らないのだ。
「こんな言い方はどうかと思うが、ショウエンやコチョウへ直接贈られていれば、それを私や兄上に献上することで元の地位に戻れたかもしれない」
「……そんなことができるんですか?」
「責任者も実行者も罰を受けているのだ、関係者が相応の功績を上げれば復帰はおかしくないだろう。結果として大きな実害もなかったからな」
(つまり、実害があったら流石に罰は受けるんだな……まあそりゃそうだ)
免罪符とまではいかないが、お詫びの品として贈るには十分ということだろう。
玉手箱を全部差し出せば、裁判ではなく示談に持ち込むことはできるかもしれない。
割と現実的に、必要なアイテムかもしれなかった。
「まあ、何事もなければ、結婚のときに相手へ贈ればいい。それなら君の所有物ではなくなるが、大して影響はない。まあもっとも、それ目当てで婚約を申し込んでくるような輩とは結婚しないほうが良いがね」
「そ、そうですね……」
ふと思うのは、最初にアカネへ献上しにきた若い竜たちである。
彼らは玉手箱をアカネに渡すはずだったが、騒動で壊してしまっていた。
だがもしもそれを差し出して、求愛行動をしていたらどうなっていただろうか?
まあ、結果は同じだろう。アカネはそこまで価値を感じていなかったし、そもそも若いオスたちにいらだっていたし。
(まあ、そんな便利なアイテムはねえわな)
惚れ薬のように、どんな相手も惚れさせるアイテムではない。
むしろ欲の皮の突っ張った連中をよせる、呪いのアイテムなのかもしれない。
(結婚かあ……)
その一方で、狐太郎は思い返した。
自分がAランクハンターになるきっかけになった、あの日のことを。
蛍雪隊のハンターを抱えて、死ぬのを待っていた時。
とても臭いことに、誰かを愛しておけばよかったと後悔していた。
愛する、守る、添い遂げる。
そういう相手と巡り合わなかったことを、狐太郎は後悔していた。
誰も愛さぬまま死ぬことが、すこしだけ寂しく思えたのだ。
「まあ、君ならうまく結婚できると思うよ。君は従者でさえ尊重できる男だ、妻に対しても同じことができるはずだよ」
「や、やだな~~大公様! そんなことないですよ!」
話題が色恋沙汰になって恥ずかしくなってしまうが、周囲はにやにや笑っている。
責任問題で重苦しい話になっていた時よりは、圧倒的にほほえましいからだろう。
しかし、狐太郎は照れくさい。
はっきり言って恥ずかしかったので、話題を変えようとした。
「そういえば」
「何かね」
「私の前任者のアッカさんは、どんな人と結婚したんですか?」
直後、宴の席が静まり返った。
四体のモンスターや、三人の先祖返り以外、全員が黙って動けなくなっていた。
「……え?」
「知らないのかね?」
「え、ええ……」
「なら、知らないほうがいい」
アッカを尊敬するガイセイでさえも、その話題は避けていた。
「私が言えたことではないが……宴の席で言うことではない」
アッカの結婚をセッティングしたであろう大公は、酔いの醒めた目で狐太郎への返答を濁していた。
「そ、そうですか……」
四体も三人も、何が何だかわからない。
ましてや狐太郎は、地雷を踏んだことを激しく後悔していた。
しばらく、誰もが酒を飲まず肉を食べない時間があった。
その沈黙を破ったのは、この場の誰でもなかった。
外から慌てて入ってきた、白眉隊のショウエンである。
「た、大公閣下! 恐れながら申し上げます!」
血相を変えて、礼をしていた。
「今門の前に、見学をご希望のお方がいらっしゃいました!」
「……追い返せばいいだろう。帰らないのなら、殺してもいい。いや、殺せ。どのみち、モンスターの餌になるだろうからな」
「いえ、それが……!」
大公にとっても、想定外のことが起きていた。
片付いたと思っていた問題が、まだ終わっていなかったのである。
「いらしたのは大王陛下のご息女! 第一王女、ダッキ様です!」
「……なに?」
「ダッキ殿下が、玉手箱をご覧に来たのです!」




