ああ言えばこう言う
それは、衝撃だった。
音が耳に入り脳に達するまでのわずかな間に、衝撃波が全てをなぎ倒していた。
列を組んで並ぶすべての馬車が、同時に横転したのである。
直接に攻撃を受けたのではなく、ただ衝撃波だけで多くの人を乗せている馬車がひっくり返るなどありえないことだった。
「ぐ、が……な、なんだ?!」
ましてや、中で座っていた乗客たちに、状況がわかるわけもない。
既に何度も往復した、牧歌的な道。トラブルが想定できない、つつがなく到着するのが当たり前の道。
横風があるわけでも、急な傾斜があるわけでもない。であれば、横転するなどおかしなことだ。
「い、一体何が……」
幸運だったのは、馬車がそこまで急いでいなかったことだろう。
ゆっくりと進んでいた馬車が倒れただけなのだから、重傷者はいなかった。
この世界の住人が平均して屈強であることも手伝って、誰もがその馬車を抜け出そうとする。
少々豪華でも馬車は馬車、そこまで構造が複雑なわけがない。
横転したことによって構造が脆くなっており、天井や壁を蹴破る者もいた。
そして、外に出て動きが止まる。
「あ」
貴族や商人が雇っていた護送隊が、地面に倒れている。
それに気づけないほどに、巨大な影が自分たちを覆っていた。
Bランク上位モンスター、アースリバー。
体の上に森を生やしている、巨大なミミズの化け物。
通常のミミズが地中にもぐり土中の栄養を食べるのに対して、このアースリバーはまず地中にもぐらない。
地面の上を這いながら、地表のあらゆるものを食べて消化しながら前進する。
植物だろうが鉱物だろうが動物だろうが、一切容赦せずに食べ続けて前進し続ける。
その怪物が、ヤツメウナギにも似た顎を一行に向けていた。
「ああ……」
誰もが、この怪物を知っているわけではない。
所詮大ミミズでしかないと、嘲ることもあるだろう。
だがしかし、目の前には目も鼻も耳もない怪物。
手足もなく触覚もない、あまりにも意思疎通が不可能な怪生物。
それが、食欲を向けている。自分たちを食べようとしている。
これを前に、動けるわけがない。
Bランク上位と言えば、インペリアルタイガーにも匹敵する。
前線基地の精鋭ですら、単独の部隊では打倒が困難を極める強敵。
如何に貴族や商人たちが雇った護衛がいても、それらがBランク相当の実力を持っていたとしても。
それでも、不意に襲われればどうにもならない。
それこそ、軍隊が出動しなければならない相手だった。
「いやあ、しかし大物がかかったな。しかもコイツ、先制されたらやべえ奴だぞ。よくわかったな、獅子子」
「いえ……これだけが取り柄ですので。それよりも、私たちが同行を始めた途端に遭遇しましたね。それは何かの能力ですか?」
「いや、タダの直感だな」
「……そうですか、私の立つ瀬がありません」
しかし、彼らは気づいた。
前進し続けるはずの怪物が、動きを止めているという事実に。
馬車ごと自分たちを捕食するであろう怪物が、何かに阻まれていることに。
「もう、獅子子。そんなこと言ってる場合じゃないでしょう? 他のハンターの人はみんな倒れちゃってるし、馬車もひっくり返っちゃってるじゃない。早く助けてあげましょうよ」
「そうだね、でもそれは後に回した方がいいと思うな。とりあえず、この化物を何とかしないと」
「ん~~同時にやるのは難しいかしら? できれば早く助けてあげたいんだけど……」
「一度にたくさんのことはできないよ、やれることから一つ一つやっていかないとね」
モンスターの前に、ハンターたちが立ちふさがっている。
筋骨隆々たる巨漢を中心として、横一列に並んでいる。
「抜山隊……」
ある意味では、カセイで最も有名な前線基地のハンター。
粗野で短慮という典型的なハンターでありながら、隊長のガイセイが圧倒的な腕力と財力を併せ持っているため、歓楽街では暴君のように好き勝手にふるまう者たち。
大公からの命令以外には決して従わず、好き勝手に酒を飲み暴れる迷惑な集団。
それが、Bランク上位たる怪物を前に立ちふさがっていた。
「抜山隊の、ガイセイだ……」
ガイセイを知っている誰もが、今更のように思い出す。
この男が、前線基地のハンターであり、カセイを守る豪傑であることを。
「いいか、野郎ども。このデカいミミズは、背中に背負ってる森に大量のモンスターを飼ってる。共生だか寄生だか知らんが、まあとにかくわんさか襲い掛かってくるからな」
「では隊長、作戦は?」
「俺が突っ込んでデカいミミズを倒す。以上だ」
「なるほど、わかりやすい。では僕たちはそれ以外を担当しましょう」
ガイセイは、大きく腕を振りかぶった。
如何にガイセイが巨漢とはいえ、武器も持たずに挑むには大きさが違い過ぎる。
あまりにも頼りなく、あまりにも小さすぎた。
「おおらああ!」
だがしかし、スケールの違いを無視してガイセイが殴り飛ばす。
重厚長大なミミズの怪物は、ただの縄であるかのように弾かれて弧を描きながら仰け反り、折れ曲がりつつ地面に倒れた。
その打撃の衝撃波が、周囲を揺さぶる。
既に倒れている馬車が、ぎしぎしと揺れた。
誰もが悟る。馬車が横転したのは、先ほどもガイセイがこの化物を殴り飛ばしたからだと。
ガイセイが殴っていなければ、自分たちは食われていたのだと。
「言っとくが、俺でもこのミミズを仕留めるにはちょいと時間はかかる。助けてはやれねえぞ、お前ら」
「何を言うんですか、隊長。僕たちは助ける側でしょう?」
「ほう、俺を助けるか?」
「いえいえ、あそこで転がってる納税者をです」
「はっはっは! いいぞ、調子に乗ってきたな! 抜山隊はこうじゃないとな!」
転倒しているミミズの上部に乗っていた木々が、突如として揺れだす。
それだけではなく、獣や鳥の声まで聞こえてきた。
「いいか! 恰好をつけたからには!」
「客は守る、仲間も守る」
「そうだ! 格好つけろよ!」
ガイセイは腰を一瞬だけ落とし、そこから助走もなく全力で跳躍する。
まるで攻城兵器のカタパルトで発射された巨岩のように、人間離れした動きでとびかかる。
そして再び地面を揺さぶりながら、ミミズを殴り倒す。
その姿を見て、カセイでのガイセイを知る者たちは理解した。
粗暴を極める普段の彼が、実際にはどれだけ手加減しているのかを。
「……すげえ」
のたうち回る大ミミズを、ガイセイは何度も叩きのめす。
遠くで暴れるガイセイは、さながら跳びはねるノミのように小さい。
しかしそのノミが、山のようなミミズを一方的に叩きのめしていた。
「みんな、そろそろ来るわ、構えて!」
小柄な女性の声に少し遅れて、黒い煙のような物がアースリバーの全身から噴出した。
いや、遠くから見ればそうなのだろう。
だが接近してくるうちに、その全貌が明らかになってくる。
雲か煙と見まがう影たちは、すべてがモンスター。
しかもCランクとBランクという、悪夢のような光景だった。
「数だけは多いね。全部が来たら、流石にみんなを守れない」
「あら大変、どうしましょう」
「そうだね……とりあえず、間引こうか」
ガイセイは遠くで、一番強大なモンスターを相手に戦っている。しばらくは手が離せないだろう。
であれば、雲霞の如きモンスターの相手はガイセイ以外がすることになる。
その事実に行きあたって、誰もが血の気を引かせていた。
しかし、それが晴れる。
雲霞の如きモンスターが、白日の如き炎によって焼き払われた。
「ショクギョウ技、侵略すること火の如し」
「キョウツウ技、ホワイトファイア」
ただ一撃によって、無尽に見えたモンスターの半数が吹き飛んだ。
「おいおい兄ちゃん、派手にやるのはいいけどよ~~減らし過ぎたら俺らの出番がなくなっちまうぜ?」
「そうそう、俺達に優しくしてくれよ~肯定してくれよ~俺たちを否定しないでくれよ~~」
「うっ……そ、そうだね……じゃあみんな前進しようか。蝶花が強化してくれているし、この程度なら大丈夫だよ」
この程度。
膨大な数を焼き散らした少年は、命の危機も傍観者たちの安全も忘れて、他のことに気を使い始めた。
この程度という言葉には、限度がないようだった。
「このまま遠距離から魔法で蹴散らしたほうがいいと思うけど……」
「あらいいじゃない、ほかの人も戦いたいみたいだし」
「蝶花……そんなこと言って、他の人たちに被害が及んだらどうするの?」
「獅子子が何とかしてくれるって信じてるのよ」
「……仕方ないわねえ」
グレイモンキーや禿烏といったCランクモンスターが、転倒したままの馬車に襲い掛かってくる。
しかしそれらを、抜山隊は悠々と倒していく。
蝶花と呼ばれた女性が弾き鳴らす曲に合わせるように、まさに片っ端から撃墜していく。
そこには合理的な戦法や、堅実な戦術もない。
ただ各々が強く、目につく相手を順番に倒しているだけだ。
だがしかし、それでもどうにかなってしまうほど、抜山隊は強かった。
「これがBランクハンター、抜山隊の力か……」
事前の情報と、一切の齟齬はない。
彼らは相変わらず自由で勝手気ままで粗野で、戦い方も非常に力まかせで適当だった。
だが、強い。本当に強い。
ガイセイ程極端ではないとしても、各々が一般のハンターよりも数段強い。
少なくとも、倒れているハンターたちや見物客たちはそう見えていた。
「誰だ、あの子供は……」
「ほとんどを、あの子供が倒しているぞ……」
中でも、群を抜いて強いのは、ハンターとは思えない程小柄な少年だった。
彼は他の全員を合わせた分よりも多くの敵を、白い炎で焼き払っていく。
それは素人目にも明らかなほどの、目立つ強さだった。
「いいや、あの子供だけじゃない。強化属性の使い手もいる……これだけ広範囲のハンターを同時に強化するなんて普通じゃない」
「抜山隊に、新しい隊員が増えたとは聞いていた……彼らが、そうなのか?」
もはや恐怖はない、ただ驚愕と感嘆だけがその場にあった。
家柄や実績とは関係なく、実力だけで大公に認められたハンターたち。
その戦いぶりを見て、自分たちが疎んじてさえいたガイセイの評価を改める。
こいつらは、厚遇する価値があるのだと。
「サンダーエフェクト、ゼウス!」
雷が天を覆い、怪力が大地を揺さぶる。
隊長であるガイセイの、渾身の一撃によって大ミミズは退治され、それと同時に他のモンスターも壊滅していた。
独自の生態系を背負って活動するアースリバーは、その生態系ごと破壊されていた。
「……お見事です、隊長」
「だろ?」
「ただの格闘家かと思っていましたが、ここまでの電撃を操るとは……」
「いやあ、操るってほどじゃあねえんだ。出力は出せるんだがな~~狙って撃てないんだ」
「……そう、なんですか?」
「格好悪いだろう?」
「え、ええ……」
悠々と、抜山隊が合流する。
何事もなかったかのように、Bランク上位モンスターとその配下たちは片づけられていた。
その光景は現実離れしていて、誰もが理解をできていない。
しかし、やがて仕切り直す。
横転している馬車から誰もがはい出てくると、倒れていたハンターたちも慌てて起き上がる。
ハンターや御者は協力して馬車を立て直すが、どう見ても再出発できるようではない。
馬も怯えて動かないため、ここからは徒歩で動くことになるだろう。
その事実に、誰もが震えた。
今更のように、前線基地が危険地帯であることを思い出したのだ。
「が、ガイセイ! これから我らは急ぎで前線基地に向かう! もちろん、道中は護衛してもらうぞ!」
「ん、今すぐ前線基地に行くのか? それは止めた方がいいぜ」
商人たちは、焦燥もあってガイセイへきつく叫ぶ。
しかし当のガイセイは、のんきに空模様を確かめた。
「何をやっている、雨が降るのならなおさら急がねばならないだろうが!」
「そうだ、お前たちの本来の仕事だろうが! 急いで我らを基地に……」
「いや、雨じゃねえ。こりゃあ雪だ」
にわか雨や夕立どころではない。
突如として周囲の気温が下がり、さらに雪が降り積もり始めた。
もはや吹雪であり前も見えなくなった、完全に移動するどころではない。
「おい、お前ら。その馬車を適当にぶっ壊せ。薪にするぞ。まだ大きな板があるなら、風よけには使えるかもな」
ガイセイは自分の部下に指示を出す。
高価そうな馬車も何台かあるが、もはや動けないのでガラクタである。
抜山隊は慌てて指示に従い、他のハンターたちも暖を取り寒さをしのぐために対応を始めた。
しかし、商人や貴族たちは何が何だかわからない。
ガイセイの判断が間違っているとは思えないが、なぜ雪が降っているのかわからない。
そして、ガイセイが驚いていないこともわからなかった。
「ガイセイ、どういうことだ? 何が起きている! 今は雪が降る季節ではないだろう!」
「そうだ、何が起きている? どうしてお前は平然としているのだ!」
「お前ら、バカか? 前線基地のAランクハンター様に、何度も会ってるんだろう?」
心底呆れたしぐさで、ガイセイは貴族や商人をバカにする。
「こりゃあ狐太郎のモンスター、氷の精霊コゴエの大雪さ」
「な……! ここはまだ、前線基地も見えないのだぞ……これだけ遠くにも雪を降らせられるのか?」
バカにされても仕方がなかった。
この場のほとんどの面々は、既に狐太郎に何度か会っている。
その彼らは、必然的に側近であるコゴエにも会っていた。
宝物に夢中だった彼らは、狐太郎のモンスターがどれだけ脅威なのか今更理解していた。
「こりゃあコゴエも本気だな、よっぽどの大物が来てるんだろうぜ」
「え、Aランクが来ているのか、前線基地に!」
「そりゃあそうだろ、よく来るぜ。よく退治するしな」
モンスターの専門家でもない商人たちや貴族も、先ほどの巨大なミミズがAランクではないと知っている。
そのうえで、アレよりも強いモンスターが自分たちの目的地にいることを、ようやく思い出したのだ。
「こりゃあまた、こっちにも来るかもなあ~~」
「何をのんきな……! お前は状況が分かっているのか?!」
「そうだ、我等は身動きが取れなくなっているのだぞ! はやくどうにかしろ!」
「してるじゃねえか、俺の部下たちが」
既に即席のバリケード、あるいは簡易の雪洞さえ作られていた。
雪と木材を組み合わせて、ハンターたちの人力によって貴族や商人たちが入れる『家』ができていた。
「それともなにか? 俺にも手伝えって? 俺が戦わなくてもいいのか?」
恐怖し、攻撃的になっている高額納税者たち。
もちろん全員が怒鳴っているわけではないが、多くの者がガイセイに詰め寄っていた。
だがしかし、ガイセイは彼らに嘲笑で返す。
「一番強い俺が、戦わなくてもいいのか?」
「ぐ……!」
ある意味で、ガイセイは普段通りだった。
そして普段以上に、無駄に筋道が通っていた。
「わ、わかっているんだろうな! 私たちに何かあれば、大公様からおしかりの言葉があるぞ!」
「そうだ、我等の血税によって、お前たちの給料は賄われているのだ! そのことを忘れるな!」
「いいか、お前は所詮ハンターだ! グダグダ反論せず、我等を守ればいいのだ!」
この極限状態で、のんびりしていることが腹立たしいのだろう。
多くの者がガイセイに噛みつき、苛立ちをぶつけている。
「まま、落ち着けよ旦那方。慌ててもいいことはねえぜ?」
「何をのんきな! ここには宝物を見学に来た婦女子や子供もいるのだぞ!」
「そうだ、何が何でも守ってもらわねばならぬ! 失敗は許されんのだぞ!」
骨折などの大けがはしていないものの、小さな怪我をしている女性や子供もいる。
商談などとは無関係に、宝を見に行こうとしている無辜の善良な人々だ。
その面々は、今ガイセイ達抜山隊だけが頼りである。
「こっちは、普段から高い金を払っているんだ!」
「そうだ、絶対に守ってもらうからな! 何が来ても、絶対に倒すんだぞ!」
「死んでも我らを守れ! 一人でも死ねば、訴えてやるからな!」
罵倒の限りを尽くす大人たちを見て、降り積もる雪に凍えて、子供たちや女性たちは震える。
庶民よりも余裕があるはずの人間たちは、しかしあまりにも醜かった。
「はっはっは!」
優越感たっぷりに、ガイセイは笑う。
「当たり前だ! 全員、一人残らず、俺が守ってやる!」
怒りが吹き飛ぶほど、雪の中で熱を感じるほど、ガイセイは高らかに笑っていた。
「よかったなあお前ら、税金を納めてて! 俺に守ってもらえるんだからな! どうだ、嬉しいだろう? 頼もしいだろう? 安心できるだろう? 俺がいてよかったな! 俺がいなかったら全員死んでたな! 俺に感謝していいんだぞ!」
あくまでも見下して、あくまでもバカにしていた。
「さ、もうあったまれ! 風邪ひくぞ!」
あまりのことに、勢いで呑まれていた。誰もがそれに従う流れになって、雪洞の小さな入り口に入っていく。
即席の雪洞の中に入れば、そこには焚火がある。豪華な馬車の残骸を薪にした焚火が中心に置かれ、その周囲に座るスペースがある。
ふと雪洞の天井を見上げれば、小さな換気用の穴も開いている。少なくとも、窒息死や凍死は避けられそうだった。
「……もしや」
焚火に当たり、暖を取って。
誰もがようやく冷静になって、その中の何人かは事実に気付く。
「大公様は、そのうちこうなると思っていたのか?」
周囲を見れば、怯えている女性が、さらに怯えている子供を抱きしめていた。
かりに口止めをしたとしても、今回の件は『被害者』の口から方々に広がっていくだろう。
そして、見学客の大部分を占める『商談をしたくない一般の客』は、大公の不備に憤るはずだった。
そうなれば、必然的に一般公開は取りやめられ、さらに前線基地に宝を置き続けることも疑問視されるだろう。
「……時間切れか」
その想像が、無意味だと気づく。
大公がどう考えていたところで、もうこの流れは止められない。
やがて、蝶花の弦楽器の曲が全ての雪洞に響いていく。
雪に音が吸われているはずなのに、不思議と耳に入ってくる静かで落ち着く曲だった。
張り詰めていた空気が緩むことを感じながら、商談を狙っていた客たちはゆっくりと諦めていった。




