神隠しにあう
連日、客が殺到してくる。
その中の何割かは、狐太郎へ商談を持ち掛けてきた。
はっきり言えば、途方もない疲労感であった。
命をかけていなくても、命が削られている感覚。
元の世界でも味わっていた、終わりのないお仕事。
それを思い出して、狐太郎は晩御飯を食べていた。
「はぁ……」
幸か不幸か、というべきではあるまい。
この世界には電気がなく、だからこそ『夜勤』がほとんどない。
客たちも同様で、夜になれば簡易の宿屋ですし詰めになりながら寝ていた。
その時間になると、狐太郎も解放される。
この世界の倫理観において、夜に相手を訪ねるのは通報ものなのだ。
これから後ろ暗いことをします、という自己紹介に等しい。
もちろん、それでも、あるいはそれだからこそやらかす者もあらわれるかもしれない。
しかし狐太郎は、心のどこかでそれを望みつつあった。
「なあみんな、愚痴を言ってもいいか?」
コゴエ以外の三体は、とても疲れた顔をしている。
だからこそ、狐太郎は弱音を吐く。
「何人かぶん殴ったら、全員帰ってくれるかな?」
無言で、肯定が返ってきた。
この場合の肯定とは、良いですね、やっちまいましょう、ではない。
やっちゃダメだけど、ぶっちゃけやっちまいたい、である。
共感の肯定、と言えば伝わるだろう。
「……」
「ああ、アカネが悪いわけじゃないんだ。もちろん、あの竜も、クラウドラインも悪くない。向こうにしてみれば、地元の特産品を詰め込んだようなものだし」
落ち込んでいるアカネを、狐太郎は慰める。
別に彼女は悪くないし、お土産を持ってきたクラウドラインも悪くないのだ。
「それにまあ……ここにきているお客さん方も、悪いわけじゃない。大公様がお決めになったルールに則って見学して帰るだけならな。まあ詰め寄ってくるのは一部だし……それも殴っていいほどじゃない」
こういう時、ぶん殴りたいとは思っても、実際に殴るのはどうかと躊躇するのが狐太郎たちである。
モラルが高いというのは、自分を抑圧することである。それを改めて理解する。
「あれだけ多いと、参るけどな……」
「そもそも、なんで大公様はこんな美術館を御造りになったのかしら。だから見物客も大手を振って、大量に来るのに……」
クツロは愚痴た。
なにせ美術館があって入退場のルールがあるということは、つまり公認されているということである。
故に客たちを殴ると、狐太郎たちが違法側になってしまうのだ。
逆を言えば、美術館さえなければ、客でもなんでもない。乱暴な対応も、ある程度はできたのである。
「それは違うな、クツロ。宝があれば、人は来る。大公様はこの状況を利用しているわけではなく、軽減しようとしているのだ」
コゴエは短くまとめて、諫める。
実際のところ、商談を持ち込んでくる者たちは目が欲に染まっていた。
公認の見学ルートがあるからこそ、彼らもそこに誘導されている。商談を持ち掛けることが目的であって、悪質な行為そのものがしたいわけではないからだ。
もしも美術館がなければ、もっと雑になっていただろう。
「状況はコントロールされている、決して悪くはない」
「コントロールされてこれっていうのはちょっとね……人間は嫌いじゃないけど、多すぎるのはねえ……」
コゴエに賛同しつつ、ササゲはうんざりしていた。
それに関しては全面的に賛成である、全員人間の嫌な面を見ていた。
(数が多いのはきつい……)
人間の数が多すぎる、団体行動が好きすぎる、同調圧力が強すぎる。
まるでラスボスになったかのような、人間への嫌悪感であった。
「……あのさ、もう大公様にあげちゃったら? 寄付とかそんな感じで」
「一番最初にお願いしたけど、断られた。頼むからそれだけはやめてくれって言われた」
狐太郎は宝物に執着がなかったので、アカネが欲しがっているものをいくつか選別したうえで、残ったものは献上しようかと思っていた。
しかし、それは既に断られている。
「相応しい返礼品がないそうだ」
「お返しが?」
「そうだ……俺達は金貨を大量に渡したが、よく考えなくても見合ってないだろ? まあむこうだと金銀が貴重なのかもしれないが、とにかくこの国に『釣り合う宝』がないらしい」
仮に、大公が『その宝物を献上しろ』と言ったとする。
狐太郎は逆らえないし、逆らう気もない。周囲の誰もが、それを肯定するだろう。
この国一番の宝を、王族が掌中に納めるのだ。とても自然なことである。
流石にそうなれば、大公へ商談を持ち掛けることになってしまうので、誰もが二の足を踏むだろう。
円満に解決する。
しかし問題なのは、献上された品に対する返礼である。
狐太郎は大公の部下なのだ。その部下が最高級のお宝を献上したのに、何も返さないでは沽券にかかわる。
もちろんお得意の『書面上では』云々もあるのだが、書面上ではあっても釣り合う宝がない。
現金を渡すというのも手だが、どれぐらい渡せばいいのか誰にも分らないだろう。
そもそも、ササゲやクツロが言っていたように、現金を返礼で渡すのは下品である。大公のやっていいことではない。
なにせ献上品に釣り合う宝を大公が持っていないことを、公で認めるようなことだからだ。
「地位や名誉はどうかしら? それなら大公様にご用意いただけますし、どこの馬の骨とも知れない私たちに与えられれば、周囲も納得するんじゃないかしら」
「それも無理」
「……なんでですか?」
「俺達がもうAランクハンターだから」
今更であるが、Aランクハンターになるということは『Aランクモンスターを複数倒した』ということである。
その実力を大公が認めたということであって、当然ながら最上位の称号でもある。
それを狐太郎はもう持っているので、名誉に関してはこれ以上がなく、同等もまたない。
であれば、もう与えている称号以下の称号しか与えられない。
それでは、誰も納得しないだろう。
「土地に関しては……まあ……」
「ご主人様?」
「俺達が土地を手に入れたら、ここを出ていくことになっちゃうだろ?」
「……そうね」
「それは大公様も嫌だろうさ、それに俺もあんまり気分が良くない」
ぶっちゃけていえば、もうゴールである。
この宝物を無理やり押し付けてしまえば、大公も狐太郎を引退させざるを得ない。
しかし、それをするぐらいなら、大金を得た段階でとっくに引退している。
「なあみんな……俺はしばらくここで戦うべきだと思うんだよ。なんだかんだいって、大公様はよくしてくださっている。その大公様に嫌われるようなことは避けたい」
仮にこの土地を離れたところで、この国で生きていくことになるのだろう。
であれば大公に嫌われるようなことは、極力控えるべきだった。
「やろうと思えばできるけども、そこまで深刻じゃないし」
「またそれね……いえ、ご主人様が悪いわけじゃないけども」
「いや、俺が悪いよ……何にもしてない」
世の中には運命に翻弄されるという言葉があるが、ここまで運命に翻弄されて、自分の意志で行動も決断もしていない男は稀だろう。
辛くて悲しいことばかりで、楽しいことはとてもささやかなのだが、それでも楽な方に逃げている気もする。
もういっそ全部投げ出したほうが、かえって男らしいのかもしれない。
とはいえ、それができないからこそ狐太郎は四体から信頼されているのだが。
(これが俺という人間か、問題が重なり続けるのも当たり前だな)
この話し合いも、主軸が一切ずれていない。
そういう意味では、狐太郎は一貫しているのかもしれない。
「やろうと思えばできる、でもしない。それが普通の人間です、ご主人様」
「ありがとう、コゴエ……はぁ……」
今回の問題は、些細ではある。
しかし今までとは方向性が違い、対応が難しい。
なにせ殴ってはいけないのだ、どうにもならない。
「だれかどうにかしてくれないかなあ」
世にも情けない、しかし世の誰もが言っていることを口にする狐太郎。
それは偽りのない、素直な気持ちだった。
「一灯隊に期待するしかないわね」
それに対して、ササゲが回答を示した。
「……なんで一灯隊が何とかしてくれるんだ?」
「考えてもみてちょうだいよ、白眉隊や蛍雪隊がどうにかできる?」
「できないな」
「もちろん抜山隊は何もしないわよ」
「そりゃそうだ」
ジョーもシャインも、極めてまともな人間である。
今回の一件のように、ルールを守っている側の人間には何もできない。
加えてガイセイの方も、特に何もしないだろう。彼は彼で、けっこうまともなところがある。
「でも一灯隊だってまともだろう?」
「そうね、そもそもここでハンターをしているんだから、半分公務員みたいなものだし」
にやりと、悪魔が笑った。
「でも、周りの人はどう思うかしらね?」
※
さて、当たり前の話である。
狐太郎が得た宝のうち、一つでも手に入れることができれば人生が変わるだろう。
狐太郎は金銭的に一切困っていないが、それは彼がAランクハンターだからであって、ほかのほとんどの人は金に困っている。
また、金に困っていなかったとしても、それはそれとして金がもっと欲しい。それが一般的な人間である。
前線基地の美術館は無料であるが、見物客を移送する馬車の利用費はそこそこの額である。
加えて前線基地には突貫工事の安宿しかなく、なによりも前線基地にいるだけでは儲けにならない。
この世界には通信技術がないため、商談をするために遠隔地に向かうこと自体が一種の博打である。
そして現地に到着したからには、何がしかの成果を持ち帰らなければならない。それはとても普通のことだ。
とにかく、成果が欲しい。
商人であれ貴族であれ、狐太郎の持つ宝を手に入れたい者は多い。
その中には、非合法な手段をためらわない者も多い。
というか、ためらう者がいても、最終的にそれを選ぶこともある。
なにせ人生が変わるほどの宝だ、人生をかけて挑戦しても不思議ではない。
そんな彼らが狙うのは、狐太郎本人ではない。
本命の本丸が狐太郎だとしても、それに取り入るには現地の協力者が必要である。
弱みを握って恐喝するにしても、忍び込んで盗むにしても、あるいは取り入って機嫌を取って買い取るとしても。
とにかく狐太郎に近い人間が必要である。
それは役場の人間ではなく、一般職員でもない。
狐太郎には及ばないまでも、ある程度は実力があって発言権があり、狐太郎が無視できない人間でなければならない。
「一灯隊がねらい目だな」
若い商人、ミーシ。彼は野心をもってこの地に来ていた。
他の競争相手を出し抜いて、玉手箱を手に入れる。最低でも、宝石サンゴを手に入れる。
それを売れば大金が手に入るし、なによりも実績を得られる。
駆け出しの商人にとっては、それが何よりも重いのだ。
「一灯隊は孤児院育ちの集まり……孤児院の経営のためにここで働いているとか……なによりも、狐太郎を嫌っている……!」
例えば、狐太郎を暗殺する。
それを持ち掛ければ、流石に相手も断るだろう。
だがことは偶々手に入れたお宝、その一部を盗むとかだまし取るとか、その程度の話だ。
乗ってきても不思議ではない。
「きけば、以前に隊内で横領があったとか……二度あることは三度ある、やる価値はあるだろう」
彼は夜を待っていた。
夜は誰もが寝ている時間であり、だからこそ『後ろ暗い人間』が巡り合う。
そして一灯隊かどうかを見極めるのは、夜の闇の中でも簡単だ。
一灯隊は、一際若い。
蛍雪隊はほとんどの隊員が初老であり、抜山隊は働き盛りだ。
白眉隊は常にきっちりとした装備をしている。
よって、若く体のがっちりとした男を探せば、おのずとわかるのである。
そして彼が張っていたのは、狐太郎の宝が展示されている簡易美術館の前だった。
当然ながら、寝ずの番で白眉隊の隊員が守備に就いている。なので見張るだけであり、物陰に潜んでいた。
「……誰か来たな」
程なくして、白眉隊の隊員たちの前に、一人の若者が現れた。
やや酔っているらしく、足取りがやや緩い。
「わかっていると思いますが、ここは立ち入り禁止です」
「お早めに、お下がりを」
「ああ、わかってるよ……白眉隊も大変だねえ……」
その若者はなにか意味ありげに美術館を見てから、くるりと振り向いて小石を蹴っていった。
明らかに、狐太郎へ不満があるようである。ミーシは、にやりと笑った。
「まったく……バカみたいな話だぜ」
彼は酔い覚ましのつもりか、ふらふらと歩いている。
その後を追うミーシは、適当なところで声をかけた。
「すみません、そこの方。もしや一灯隊の方では?」
「ん? ああ、そうだが……」
「少し、お話を聞いていただけませんか?」
振り向いた若者、一灯隊の隊員はミーシを見るとにやりと笑った。
「その顔……見ないな。もしかしてアレか、あの宝を見に来た物好きか?」
「ええ、その物好きでして」
「その、物好きが、こんな夜遅くに何の用だ? まさか……」
それは、とても悪い顔だった。
夜に相応しい、夜でもわかる悪の顔だった。
「儲け話を持ってきた、とかじゃねえよな?」
ミーシは、ますます笑った。
やはり、育ちが悪い。簡単に金で転ぶ、程度の低い男だ。
腕っぷしがあるだけの、どうしようもない低級ハンターだ。
「いえいえ、そんな……少し、世間話がしたいだけですよ。具体的には……くだんのAランクハンター様の、噂話などですね」
「へ~~俺の話が聞きたいって?」
「ええ、ただそれだけです」
「じゃあいいや、別の奴にしな」
意地悪く、立ち去ろうとする一灯隊の隊員。
ミーシは、その彼を慌てて追った。
「も、申し訳ありません! もちろん、損はさせません。実入りのあるお話です」
「最初から言えよな~~まったく」
隊員は、悪辣に笑っている。
それに対して、商人はへりくだっていた。
(くっくっく……ちょろいもんだ)
だがそれは、あくまでも演技である。
一旦渋って食いつかせる、という隊員のやり方には、あえてはまってやった方がいい。
主導権を握っていると錯覚させれば、逆に誘導は簡単なのだ。
「それじゃあよ、ここじゃあ誰が聞いているのかわからねえ。ちょっと人のいないとこにいこうや」
「ええ、お供します」
さっそく、人気のない場所へ案内してくれた。
土地勘のないミーシにとっては、それだけでありがたい。
(とにかく情報だ。酔っているのなら話は早い、とにかく何でも聞きだす。上手くすれば、こいつを協力者に……!)
ミーシは一灯隊の隊員に連れられて、人気のない方へ歩いていった。
その後、彼を見た者はいない。
なおその晩、一灯隊のヂャンが単独で荷物を持って狩りに出向いている。
関係は不明であり、調査は遅々として進まない。




