開けてびっくり玉手箱
巨大で神々しい竜が、礼儀正しくアカネへ挨拶をしている。
その姿は正に竜であり、幻想を一切裏切ることがない。おそらく余人の想像する竜とは、まさにこれなのではないか。
「……この間の子のところ?」
『いかにも、でございます。よもや竜王様が、これほど天真爛漫なる乙女だったとは……盛りのついたトカゲの如き若造共の求婚は、さぞ腹立たしかったでしょう。この老体、改めてお詫びさせていただく』
頭部だけを地面に接させている竜だが、それだけでも基地より大きい。
その顔が、あきらかにへりくだりながらアカネと話をしている。
「雲を縫う糸……さん?」
『ええ、そのように呼ばれております。他にも応竜だの青龍だの、天津川だのと呼ばれておりますが、雲を縫う糸が気に入っておりますな。なんとも控えめなようで、我等の壮大さを見上げる人間が、雅に例えているところがたまらなく……失礼、どうお呼びすればよろしいですかな?』
上機嫌に話す竜は、アカネを年下とした上で敬意を払っていた。
「私は、アカネ。火竜のアカネだよ」
『アカネ……ふむ、人が与える個の名ですな……ということは、さて……』
鬼のような目、皿よりも人よりもさらに大きな目で、竜はアカネやその周囲にいる面々を見た。
『どうやらいろいろと込み入った事情がおありのようですな……竜王陛下だけではなく、冠を頂く王がそろって人に仕えているとは……』
どうやら名乗っただけで、アカネが人間に従っていることを察したようである。
それに対して怒ることもなく、ただ不思議がるばかりであった。
『本来であれば、満ちた月が欠け、さらに満ちるまで語り明かしたいところでありますが……私めがここに長居しては、またあの忌まわしき大百足を呼んでしまいましょう。ややこしい話は、また今度ということで』
「やっぱり、あのエイトロールは怖いの?」
『ええ、恥ずかしながら……』
巨大な竜は、目を閉じながら軽くため息を吐いた。
彼にしてみれば多少鼻息が荒かった程度だろうが、その鼻孔のまえにいる人間たちには生暖かい突風だった。
『ご存知かもしれませんが、大百足は我等竜を好んで食べるのです。それも地を駆ける者だけではなく、我等雲海を泳ぐ者さえ、例外ではありません。高山の上でとぐろを巻いた大百足は、雲の合間に我らの姿を見ると、跳ね上がって食らいついてくるのです』
「あれ、そんなこともするの?!」
『左様……若き日に、私と共に泳いでいた友が、その餌食になりました』
百足を怖がる竜、というのはなんとも恰好が悪く思える。
しかし実際に大百足の食事風景を見れば、そんなことは言えなかった。
ましてや、若き日に友が食われていたとなれば、笑うのは余りにも無礼である。
『……情けない話ですが、私は友を助けようとも思いませんでした。ただ一目散に逃げだし、その死をみとることもしなかったのです』
閉じている大きな目から、涙がこぼれていた。
『なお情けないことに、私は友の仇討ちをしようともしませんでした。恐れながら先ほどの陛下に助力をしようともしなかったのは、ただ恐ろしかったが故……。勝手な話かとも思いますが、陛下が一息に焼き殺すところを見て、胸がすく思いでございました……無論私が友を見捨てたことに変わりはありませぬが、竜王陛下が引かぬ姿に王者の威光を見ました』
竜を好んで喰らうエイトロール。
その被害者の話は、まさに沈痛なものだった。
『長く語り、申し訳ない。本日こうして臆病ながらもお伺いをさせていただいたのは、お近づきの品をお渡しするためなのです』
地面についていた竜の頭が、ぐぐっと上に移動していく。
それに合わせて胴体も動き、やがて地面に竜の両手が達していた。
『本来であれば、先日お渡しするはずだったのですが……あの若造共は互いに争っている間に、近づきの品を壊してしまったのです。指導の至らなさ、改めてお詫びいたします』
鷹のような爪が握っていた、大きな箱。
もちろんこの竜にとっては小さいが、それでも魔王となったアカネの胸元までの大きさがある。
当然ながら、狐太郎よりずっと大きい。言ってしまえば、箱というよりはコンテナだろう。
だがそれは人間のスケールで見るからであり、アカネの視点では箱だった。
「わあ、綺麗な箱!」
『そうでございましょう、これこそ我らに従う者共の技の結晶。短い命を工芸に捧げる、器用でいじましい人間の技。魔王様にお贈りするということで、飛び切りの職人に骨を折ってもらいました。それをあの若造共は……失礼』
一言で言えば、玉手箱だろう。
黒い漆塗り、のような地に、金箔などが張られている。
それは竜を描いたものであり、巨大な箱に緻密な線が引かれていた。
そして蓋には、綺麗な朱色の紐で封がされている。
『さあ、どうぞお開けください。箱にお喜びいただけるのはありがたいですが、中身もまた格別ですぞ』
「それじゃあ、開けますね……」
アカネは小さな手を器用に使って、紐をほどいた。
ゆっくりと開けると、中から光が溢れてアカネの顔を照らした。
「わあ、綺麗! ねえ、ご主人様、クツロ、ササゲ、コゴエ! これとってもきれいだよ!」
(見えねえよ)
文字通りの意味で、アカネの主観、アカネの視点だと、箱の中がよく見えるのだろう。
だが狐太郎やそのほかの物からは、中から光が溢れていることしかわからない。
「……まずいわね」
「何がまずいのよ、ササゲ」
「あのね……クツロ、わからないの? なんか大量に贈呈品を送られたのよ? 返礼しないとまずいじゃない」
「それもそうね……」
中身は見えないが、まあいろいろ入っているのだろう。
贈り物をもらっておいて、手ぶらで帰らせたら魔王の恥である。
「ご主人様。品のない話だけど、我が家には金貨と銀貨しかないわ」
(すげえ話だな、金貨と銀貨しかないって)
「あるだけ持ってきて、全部渡すしかないと思うんだけど」
熟練の職人が作った伝統工芸品を、老いた竜は丁重に運んできてくれた。
にもかかわらず、返す品が金貨と銀貨。これでは買い物である。だがしかし、手ぶらで返すよりはマシだろう。
「……そうだな。クツロ、悪いんだけど……」
「そうね……とりあえず、全部持ってくるわ。待たせてね、ご主人様」
(なんか、ここだといろいろなことが大雑把だな……)
あるだけ全部もってこいだとか、完全にどんぶり勘定である。
とはいえ、これだけの竜を相手に、金貨の袋を数えながら渡すのも申し訳ない話だった。
『これはこれは……気を遣わせて申し訳ない。本来であれば、先日の無礼の慰謝に加えて、此度の武勲を拝謁した代としてお渡しするべきだというのに』
「いいのいいの、もってって!」
(本当にどうとでもなるからな……エイトロール倒したばっかりだし)
Aランクモンスター、エイトロール。
それを討伐したのだから、シャイン率いる蛍雪隊とアカネを従えている狐太郎には破格の報酬が支払われる。
もちろん借金の類もないので、当座の金にも困らない。
狐太郎が自嘲するほどに、金にはまったく困っていない。もちろん、他のことでは困りまくっている。
『では……少々待つ間に』
今の竜は足を地面につけているので、頭を高く上げている。
よって狐太郎たちからは、首が痛くなるほど高く見上げている状態だった。
まさに、天と話をしているようなものである。
『雑竜どもよ』
その天から、威厳のある言葉が発せられた。
『竜王陛下の尖兵としての働き、実に大義である。忌まわしき百足共の住処にて、人を乗せ戦う姿。まことに天晴れ』
威厳を込めて、マースー家の竜たちを称賛していた。
『我らが醜態、我らが臆病を笑うがいい。お前達には、その権利がある。竜王様の勇猛さに加えて、お前たちの武勲もまた故郷にて語ると約束しよう。誰も信じまいが、信じるまで語り続けると誓う』
明らかに、負い目があった。
『竜王陛下のお傍に、竜がいないなどありえざること。全力で臨んで欲しい』
下から見上げてもわかるほどに、彼の顔に恐怖がある。
できることなら、ここに残りたいのだろう。
だがしかし、怖い。あの百足が、どうしても怖いのだ。
それは正しいと、誰もが思っている。
「ご主人様~~全部持ってきました!」
「ああ、うん……改めて大した量だな」
大鬼クツロは、自分の十倍近い大きさの袋を担いで持ってきた。
袋も頑丈だが、彼女も大概の怪力である。
中身が金やら銀なのだから、相当重いはずだった。
だがしかし、大きくて重いのだから、たぶん重量感ゆえの満足も得られるはずだった。
通貨というのは文化的なはずだが、これだけ大量にあると文化的ではないような気もしてくる。
「アカネ~~これを渡してくれ」
「うん、わかった~~」
アカネは大量の現金を抱えて、竜の手元に持っていく。
「はいどうぞ! なんか有難味がないかもしれないけど、好きに使っちゃっていいからね」
(竜が現金を使う機会があるのか?)
現金を渡されて喜ぶ竜というのも嫌だが、竜が現金を人間に支払う機会などあるのだろうか。
もちろん玉手箱を作った人間がいるのだから、これが全く無価値ということもないだろう。
嫌な土産物を渡してしまっている気もする。
『これはこれは、手渡していただけるとは光栄の極み。我らも通貨なるものは存じておりますので、職人に謝礼として渡しておきましょう』
「うん、おねがいね!」
『では……失礼いたします』
雲に包まれた竜が、舞い上がっていく。
まるでそういうレールがあるかのように、頭が動くに合わせて体も続いていく。
雲を縫う糸の名に恥じぬ、勇壮な飛翔姿だった。
『それに関しましても、どうかお好きなように。竜王陛下のお役に立てば、職人たちも喜ぶでしょう』
※
新人たちも古株も、この状況にはしばらく硬直していた。
大量にタイラントタイガーが現れることや、ビッグファーザーがエイトロールに食われることは、この基地においても日常的なことである。
だがクラウドラインと称される竜が現れて、土産物を献上してくるのは空前絶後であった。
流石に全員びっくりである。
「……こりゃあすげえのが来たなあ」
ガイセイが茫然としていたのだ、それだけ驚くべきことだったのである。
「……みんな、落ち着こう。そうだ、落ち着こうじゃないか」
どうしていいのかわからなくなったジョーは、とりあえず落ち着くことを皆に要請した。
「まず、負傷者を基地の中へ! 試験を突破した合格者を、城壁の中へ! 戦闘に参加していない一般隊員は、その補佐を! 各隊長は、この宝物の前に集合!」
まず人を動かすジョー。
それに従って、誰もが動いていく。
玉手箱に興味がないわけではないが、それでもとりあえずは後回しだった。
実際のところ、玉手箱の前に集まった隊長たちも、さてどうしたものかと途方に暮れていたわけで。
「さて……どうしようか、各隊長の意見を聞きたい!」
「……俺はどうしていいのかわからねえな」
「私もよ」
「俺もだ……申し訳ない」
どう切り返しても、この状況は手に余っていた。
そんな四人を、普段の姿に戻ったアカネは不思議そうに見ている。
箱の中身をみて驚くのならまだわかるが、箱だけをみて何を思っているのだろうか。
「箱の中、みんな見ないの? 凄い綺麗なのがいっぱいあるのに」
(多分だが……俺達が思っている以上に、とんでもないことなんだろうな)
その一方で、狐太郎は概ねを察していた。
おそらくではあるが、受け止めた大きさが著しく違うだけである。
竜から宝物を贈られたのだから、とても凄いことなのだろう。
だがしかし、アカネの想像する『凄い』と、彼らの理解している『凄い』はまったく別なのだ。
アカネだけが確認した玉手箱の中には、それはもう膨大な宝が入っている。
巨大な宝石サンゴに、玉虫色のアンモナイトの化石、一抱えほどもある黒真珠。それらひとつとっても、城が買えるほどの高額な宝である。
だがしかし、それらは本命ではなく添え物だった。
すなわち、竜の宝珠。
淡い乳白色の石を真球の域にまで磨き上げ、さらに特別な加工によって蛍のような冷光を放つようになっている、竜に従う民だけが作れる秘宝。
仮に『求婚の品』として贈れば、天上の姫さえ応じると言われるほどの大至宝である。




